7-1


トリム港を出発し、ヘリオードを越え、ダングレストに着くまでに三日。途中やむを得ず野宿があったが、デュランダルはけしてジュディスに火の番をさせなかった。おかげでジュディスは気力体力も充実していたが、デュランダルは見掛けは若くても五十間近だ。大丈夫なのかしら、とダングレストに着いてすぐに袖を引くと、疲れなどまったく感じられない顔で「ん?」と笑顔が向いた。

「おじさま、今日は宿で休んではどう?」
「なぜ?疲れたかい?」
「私ではなくて、おじさまが疲れているのではない?不寝番・・・私代わらなかったもの。」
「俺の心配をしてくれたのか。優しい子だね。」

よしよしと大きな手が撫でる。悪い気はしないが、気遣わないと彼は自分を省みず無理をしそうだ。ジュディスは「休みましょう?」ともう一度言った。

「大丈夫だよ。疲れはない。剣闘士をしていた頃は三日寝ない時もあったしね。」
「今は剣闘士ではないわ。このまま依頼へ向かうのは心配なのよ。」
「ああ、今日は依頼内容を聞きに行くだけだから大丈夫。あと・・・寄りたいところがあるだけだ。」
「寄りたいところ?」

デュランダルはそれには答えず、おいで、と促す。向かった先はかつてレイヴンが所属していた天を射る弓。入口前で談笑していた年嵩の男に迷わず歩み寄ったデュランダルは「今いいか?」と声をかけた。すると振り向いた男が、笑顔から一転、みるみる驚きに顔を染める。そして「・・・デュランダルか・・・!?」と言った。

「ああ、久しぶりだな。」
「・・・生きてたのか!そうか!良かった!」
「お前も元気そうだな。変わりないか?」
「ああ・・・、ああ・・・!元気だったさ。ただ・・・、ドンはもう・・・。」
「・・・話には聞いた。あの人が亡くなるなんて、惜しい人ほど早くいなくなるものだな。」
「レイヴンもいなくなっちまったし・・・、まあ俺達に出来ることをやるしかないがな。」
「あいつならうちのギルドにいるよ。」
「てことは・・・、今回依頼したギルドってのは・・・」
「ああ、うちのギルドだ。よろしく頼む。」

それを聞くと、男は「お前がいるんなら安心して任せられる。」と笑った。

「しかし・・・十年前と変わらないなあ、お前は。相変わらずいい男だ。」
「まあな。」
「そっちの美人は誰だ?もしかして、前に言ってた嫁さんか?」
「まさか。こんな若い子が妻なわけがないだろう。」
「あっはっは、それもそうだな。中に入ってくれ。詳しい話は新しい首領がする。」

内部に入り、奥へ進むとかつてドンが座っていた場所にはハリーが座っている。最後に会ったのは一年前だが、一気に老けた気がするのはユニオン一のギルドの首領という重圧のせいなのか。レイヴンが見たら、気にして戻るなんて言い出しかねないわと思いながら、ジュディスはデュランダルの横で依頼の説明を受けた。
何でも今回の任務には帝国の貴族が関わっているらしい。かなりの爵位を持つその貴族は、ケーブモック大森林の権利をもぎ取り、あそこ一帯を伐採したいのだとか。その理由が森林があるために魔物が繁殖する場と成り果てている。人々の安全のために、更地にしたいと言っているのだとか。だが帝都でのんびり日より見生活をしている貴族が人々、つまりは平民の安全を考えているとは思えない。明らかに目的は違うのではないか、とジュディスは思った。だがデュランダルが受けた以上、これは完遂しなければならない。もしかしたら、彼が言っていた地下のギルドにも関わる話なのかもしれない。
天を射る弓から出て、道すがら、ジュディスは単刀直入に尋ねてみることにした。

「ねえ、おじさま。今回の依頼主は、地下のギルドと関係があるの?」
「ああ。多額の金を落としていく上客で、特に遊郭を利用している。話を聞いたのも、地下を利用している時だ。」
「じゃあ、人々の安全のため・・・なんて言うのも建前なのね?」
「あいつらが平民の安全なんて気にかけるわけがない。あそこに別荘を建てて、ダングレストを見張るつもりだ。」
「・・・ドンがいなくなったからね。」
「王子様は思惑に気付いていない振りをしているが、分かっていて利用しようとしている。なかなか強かだよ。」

帝国のパワーバランスを揺るがしかねない事態をあっさりと口にする。帝国を治めるのは、当然帝都に暮らす皇帝、評議会の貴族だが、長らくダングレストは治外法圏だった。帝国の在り方に疑問を持った者達が寄り集まって、力を合わせて生きてきた、そんな芯から強い者達が築き上げたひとつの国と言っていい。そこを統括していた圧倒的な求心力を持っていたドンが死に、ノードポリカを治めていたベリウスまでも死んだことは、ユニオンにとっては大打撃であり、帝国にとっては自らに歯向かう不穏分子を抹消するに都合の良い結果となってしまった。

「・・・ヨーデルは、ギルドと手を取り合っていくつもりと言っていたけれど。」
「ギルドやユニオンを抹消するつもりはなくとも、自らの統治下に置くか置かないかでは話はまったく違ってくる。あの王子様は遣り手だよ。思っていた以上に腹黒い。」
「・・・今のユニオンに帝国と争うだけの力はないわ。」
「ドンとベリウスという柱を欠いている以上、仕方ないことではあるが・・・後継がうまく育たなかったのは痛手だったな。」

事も無げに語るが、パワーバランスが崩れることはデュランダルにとっても良くないことなのではないかと思う。ギルドが弱体化すれば、当然凛々の明星にも関係してくるし、彼が抱える地下ギルドも無関係ではないはずだ。

「・・・おじさまはいいの?このまま帝国側が勢力を伸ばして・・・。」
「少なくともケーブモックが魔物の繁殖地になっていることは問題だ。・・・ここだな。」

花を抱えたデュランダルが、一際大きい墓石の前で立ち止まる。
ダングレストの者ならば皆埋葬される墓地の中心にある墓は、生前の彼のようだった。

「・・・久しぶりだな、ドン。」

墓石を目を細目ながら見上げ、花を置く。金に糸目をつけず、店の花を全種類買ったのは、デュランダルのドンへの尊敬を表しているのだろう。

「・・・墓石になっても格好いいじゃねえか、あんた。」
(・・・口調、が・・・。)
「・・・格好いい最期だったってな。最期・・・見ておきたかった。」

そっと墓石に触れ、長い睫毛を伏せる。

「・・・あの時あんたがいてくれたから、俺は今・・・なかなか楽しくやってるよ。ありがとう、ドン・・・。」

彼がドンとどんな関係を持っていたかは分からない。だがドン・ホワイトホースという偉大な男に生き方を示され、救われた者は少なくない。デュランダルほどの男でもそうなのだろう。今までとは違った気持ちで、ジュディスはドンの墓を見上げた。

「・・・今度は、俺の番だ。あんたが大事にしてたもんは、必ず俺が守ってみせる。」

低く、声を喉に絡ませながら言ったデュランダルは、手を離し、墓石を見上げた。

「・・・俺もそう遠くないうちに、そっちに行くよ。またうまい酒を飲ませてくれ。」
「・・・っ、おじさま・・・!」

何を言うの、と彼の袖を掴むと、デュランダルはいつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべ、「宿へ行こうか。」と促す。だがそれが逆に恐ろしくて、胸の奥がチリチリと痛む。
生きたがっているわけではないと知っていた。だが彼はあまりに若々しくて、生気に満ちて、毎日笑っていたから、それを感じたことはなかった。
それでもそれが、見せかけだったのだと思い知らされる。もし、ギルドが軌道に乗り、イルーチェが子どもでも産んだら、彼は---

(・・・いかないで、おじさま・・・。)

どこにもいかないで、その言葉が、出てこない---



prevnext