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「・・・デュランさんは、ジュディスちゃんのこと、正直どう思ってんの?」 どこか躊躇いがちにレイヴンが尋ねたのは、天を射る弓からの帰り道だった。四人で食事を終えてすぐ、イルーチェとジュディスを宿に戻し、今回の依頼の件を話に行った。時刻は昼を少し回ったくらいだが、ダングレストは常に黄昏と共にある。黄昏と夜しかない街は、レイヴンによく似合っていた。 「・・・質問の意図は明確にしなさい。知りたいならね。」 「・・・、・・・自分の女にする気があるのかってこと。」 「ジュディスは誰かのものになって大人しくしているような、殊勝な女じゃないと思うけどね。」 「デュランさんがどう思うか聞いてるんです。」 まるで昔のように、改まった口調で、真剣に尋ねるレイヴンに、デュランダルは足を止めた。 「・・・正直な話をすれば、」 「・・・はい。」 「あれだけのいい女は抱きたいね。」 抱きたいというよりも、とっくに手を出しているわけだが、そんなことを言ったらレイヴンは飛び上がるだろう。仮定で話していても「・・・っ!」と息を呑んだくらいだ。 「よく気がついて、優しくて、たいていのことができて、自立している。彼女は素晴らしい女性だよ。俺の好みだ。・・・お前もそれをわかっているから、しつこく聞くんだろう?」 レイヴンはとりわけ可愛がってきた。目をかけて、大事にしてきた。様々なことを教えたし、何をするにも連れて歩いた。アレクセイの次に自分を理解している人間。 「・・・俺という人間を知るからこそ、お前がジュディスを心配して、牽制していると理解している。」 「俺は・・・、・・・あなたに幸せになってほしいんだ・・・。だから、もしあなたがジュディスちゃんを本気で好きなら・・・」 「そうなったとしても、俺はジュディスを俺のものにはしない。」 「なんで・・・。」 「俺と生きることは、常に危険に身を晒すからだ。」 平穏など見せかけだ。何にも屈することなく立ち続けているためには、常に誰かを足蹴にしなければならない。家族を、仲間を守るためにそうすると決めた。もともと他人にかける情など持ち合わせていない自分だからこそ、適任。 いつか帝国を滅ぼすために得た力。それはデュランダルを常に危険に晒す。ある者は奪おうとし、ある者は危険視し、あらゆる者から狙われる。外見が若々しいから、今はそこまで多くはないが、もっと年老いて、もし暗殺されたりしたら、家族までが危険に晒される。イルーチェは闘技場のチャンピオンになるほど力があるし、レイヴンもいるから心配はない。だが新しい家族を持つということは、新しい家族にそれを強いるということ。妻になる人間はまだいいだろう。だが子どもにそれを強要することは出来ない。 「・・・俺も五十を間近にするほど歳を取った。そう長く生きることもないだろう。対してジュディスがいくつだと思っている。」 「お互い好きになったら、そんなの・・・。俺達だっているし、あんたはそう簡単に死んだりしないって。」 「生きるだけイルミナに会えなくなる。」 「・・・デュランさん・・・。」 「・・・イルミナがいない世界から、早くいなくなりたいんだ・・・俺は・・・。」 大きな背の向こうから聞こえた切ない声に、レイヴンはぐしゃりと顔を歪めた。レイヴンが彼に出会った時、彼はもう妻と出会い結婚していて、イルーチェも生まれていた。どんなに忙しくても、どんなに疲れていても、家族にそんな素振りは見せず、彼は常によき夫で、よき父であり続けた。 他人など生きようが死のうがまるで構わないような男が、別人のように顔を緩ませ、我が身を省みず愛を捧げていたのを、レイヴンはずっと見てきた。 ずっと見てきたのだ。 「・・・あんたにはルーチェちゃんがいるんだよ・・・。またあの子を置いてくのかよ・・・!」 「・・・、・・・あの子はもう立派な大人になった。お前もいてくれる。仲間も信頼できる者ばかりだ。俺がいなくても生きていける。」 「そうじゃねえよ!そりゃ生きていけるさ。けどそれは、いなくても大丈夫ってことじゃない!」 「・・・・・・。」 「自分の父親がいなくなって、平気なわけない・・・。ノルンでわかっただろ!?あの子がどんなにあんたに会いたがってたか・・・!寝てるあんたに、あの子は一番に愛してるって言ったんだ・・・っ。」 レイヴンは目の前に回り込むと、デュランダルの胸元をすがるように握った。 「・・・俺だって・・・、やっとあんたに会えた・・・!ユーリも、フレンちゃんも、アレクセイだって、みんなあんたに会いたかった!やっと一緒にいられるようになったのに・・・っ!」 長い間いなかったにもかかわらず、彼を忘れた者はいなかった。下町の者達も、皆彼を頼りにしている。自分達はなおさらだ。 どんなに会いたかったか。どんなにその影だけでもと求めたか。生きていてくれて、やっと日々に彼を取り戻したのに、また彼はどこかへ行こうとしている。 今度は、二度と手が届かない場所へと。 失いたくない。 やっと取り戻した幸せを、手放したくない。 デュランダルは黙って聞いていたが、レイヴンの頭を、己の胸へ引き寄せた。 「・・・お前達といるのは、楽しいよ。ルーチェを・・・ずっと見守っていきたいとも思っている・・・。」 でも、と彼は声を喉に絡ませた。 「・・・俺が初めて愛した女は・・・、・・・俺を信じたせいで・・・死んだんだ・・・。」 「・・・っ、」 「・・・俺のせいで・・・、苦しんで・・・死んだ・・・。」 「・・・デュランさん・・・。」 「・・・俺と出会わなければ・・・、俺が・・・そもそもいなければ・・・、あいつはもっと・・・穏やかに、死ねた・・・。望まない結婚をしたかもしれない・・・。満たされずに虚しかったかもしれない・・・。それでも俺という存在がなければ・・・、・・・あいつは苦労なんてしなかったんだ・・・。」 「ちが・・・っ、違う・・・!」 「・・・ルーチェだってそうだ。俺の娘でなければ、一番愛されたかった時間を・・・苦しまずに済んだ・・・。」 「やめろよ!」 「・・・俺と関わって・・・誰が幸せになれた・・・。」 「幸せだよ!今幸せだ!俺も、みんなも、ルーチェちゃんも!」 「・・・イルミナはもう幸せにはなれない。」 空虚な呟きに、レイヴンは目を見開き、言葉を失った。 「・・・謝りたい・・・。膝まずいて、頭を下げて・・・台無しにしてしまった、あいつの一生を詫びたい・・・。罵られて・・・憎まれたい・・・。そうでなければ・・・あいつは浮かばれない・・・。」 「デュランさん・・・。」 「・・・あいつを守れなかった俺が・・・、幸せにしてやれなかった俺が・・・幸せにはなれない・・・。」 甘く考えていた。デュランダルは深く妻を愛していたが、新しく始まった日々を少しずつでも受け入れ、生きていくつもりなのではないかと。 だが彼の痛みはあまりに根深い。取り去るにはあまりにも鮮烈で、忘れるにはあまりに重く、彼の中に根付いている。 普段の彼からは想像も出来ないほどの罪悪感は、聞いているだけのレイヴンの胸までも抉っていった。 「・・・俺のことは放っておけばいい。お前は生き直すんだろう?」 「・・・っ、」 「・・・早く孫の顔が見たい。きっと可愛いんだろう。イルミナは見れないから、俺が教えてやらないと・・・。」 大きな手が、優しくレイヴンの頭を撫でる。それに涙が浮かんで、レイヴンは唇を噛んだ。 「・・・お前は、幸せになれ。」 そう呟いて、デュランダルは歩き出した。強い自分の、父親である自分の仮面をつけて、宿に向かって。 |