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それは感動に似ていた。意図せずとも目を引き、心を揺さぶる。見つめているだけで胸が熱くなり、苦しく、切ない。一言で言い表すことの出来ないその感情が恋であることを知っていたし、同時にそれが叶わないものであることも理解していた。
抱いた瞬間に終わった恋を、ジュディスはどうしたいとも思わなかった。彼の相手は自分ではなかったが、だからといって間違いとは思わない。仲間として、男性として、そもそも一人の人間として、彼は尊敬に値する素晴らしいヒトだったから。
彼の相手が自分ではなかった。そう、それだけ。それは今さら悔やんだところで変わらない。ジュディスはただ彼が、彼の選んだ相手と幸せであってくれれば良かった。

「ジュディス、起きてる?」

明るい日射しが未だカーテンの向こう側に遠ざけられた部屋の中に声をかけたイルーチェが室内に入ると、ベッドの膨らみがもぞりと動く。珍しいこともあるものだとそれに近付くと、気だるげな表情のジュディスが寝乱れた髪を掻き上げながら起き上がった。

「ジュディス?どうしたの?具合悪い?」

ギルドで女性はジュディスの他はイルーチェしかいない。なかなか起きて来ないことを心配して様子を見に来たのだろうイルーチェは、愛らしい顔を不安げにした。

「・・・大丈夫。ごめんなさい、今起きるわ・・・。」

ジュディスには今日どうしても起きなければならない理由があった。腕に力を込めて何とか起き上がると、「無理しないで。」と優しい彼女は悲しそうな顔をした。

「・・・本当に大丈夫。昨日少し夜更かししただけよ。」
「ほんとに?」
「ええ、本当に。」
「・・・ならいいけど、無理だけはしちゃダメだからね?ジュディスはもっと甘えていいんだから。」

見た目からは逆に見えがちだが、イルーチェはジュディスより年上だし、姉御気質だ。世話を焼かれたり、甘やかされる擽ったさをいつも彼女が与えてくれる。普段ならここで甘えるところだが、今日だけはと起き上がった。
すぐ支度をするから、とイルーチェを部屋の外に出したものの、体調は最悪だ。頭の中で鐘が鳴り響いているように頭痛がして、熱く、ぼんやりとする。視界は霞んで、手足に力が入らない。完璧な風邪だと分かっているが、今日寝込んだりしたら彼は要らぬ誤解をするに違いない。それだけは嫌だった。
階段を下りたところでデュランダルと鉢合わせ、ぐらつく思考を叱咤しながら「おはよう、おじさま。」と挨拶しながら笑みを浮かべる。彼も「ああ、おはよう。」と答えたが、目の前まで来ると「・・・?」と目を細めた。

「・・・ジュディス。」
「・・・?なに?おじさ---」

腕を掴まれ、額に手のひらが触れる。目を見開くと、デュランダルは溜め息を吐いて後頭部を引き寄せた。
彼に抱き寄せられる形になり言葉を失っていると、「ルーチェ。」と応接室に向かって声をかける。すぐに顔を出した娘は、二人の状態に目を丸めた。

「・・・えっと、おめでとう?」
「早とちりするんじゃない。ジュディスが熱を出してる。部屋で休ませるから、みんなにそれを伝えてくれないか。」
「やっぱり・・・!わかった、ジュディスの分は私が行ってくるから。」
「・・・おじさま、私は大丈・・・」
「駄目だ。」

ぴしゃりと言うなり、軽々とジュディスを横抱きにして「それじゃあ、後は頼んだよ。」と階段を上がり始めた。

「お、おじさま・・・?」

声をかけるが、彼は無言でジュディスの部屋へ入るとベッドへ下ろす。

「おじさま、私は大丈夫よ。これくらい・・・。」
「大丈夫かどうかは俺が決める。大人しく寝ていなさい。」

ゆっくりベッドに横たえられる。逆光のデュランダルは、髪を解くと優しく笑った。

「・・・何が気にかかるかは知らないが、俺に心配させるなんて悪い子だ。」
「・・・っ、」

その笑みがあまりに甘くて、どくりと鼓動が跳ね上がる。大きな手が慈しむように撫でて、とく、とく、と速い脈に目を瞬いた。

「お前の今日の仕事は、俺に目一杯甘やかされることだ。いいね?」
「・・・は、い・・・。」
「いい子だ。食事はできそうかい?症状は?」
「・・・目眩と頭痛、食事は・・・食べられはするけれど、あまり食べたくはないわ・・・。」

大人しくする他ないとなると、途端に体調は悪化していく。重苦しい息を吐きながら答えると、デュランダルは「食事が出来そうなら、辛くても食べなさい。」ともう一度頭を撫でて「大人しく寝ているんだよ。」と部屋を出て行った。
出来れば今日は起きていたかったが、デュランダルから風邪だと告げられれば、嘘とは思われないだろう。
布団を被って暫くすると、控え目にノックの音がする。「・・・はい?」と答えると、イヴァンが心配そうに顔を覗かせた。

「・・・わり、寝てたか?」
「いいえ、横になっていただけよ。」
「そっか。・・・熱あるんだって?」

歩み寄って来たイヴァンが額に触れようとするが、ジュディスはやんわりとそれを拒む。「・・・平気よ。大したことはないわ。」と言ったが、イヴァンは悲しそうに「・・・俺のせいだな。」と呟いた。

「・・・もしかして、ずっと外にいたろ?起きたらいなかったから。」
「違うわ。早く目が覚めただけ。自分で気付かないうちに疲れがたまっていたのよ。」
「・・・俺はお前の心配、もうできねえのか?」
「・・・・・・。」
「お前の気持ちに応えられねえけど、俺にとっては大事な仲間だってことに変わりねえよ。」

知っている。そんなことは、この感情に気付いた時から分かっていた。だから口にするつもりなどなかったのに。
二人きりでいられる貴重な時間に舞い上がって間違えたのは、彼ではなく自分。ジュディスは布団の中で拳を握り、にこりと微笑んだ。

「勘違いしないで。私はいつもこうだわ。・・・心配されるなんて、慣れていないの。それだけよ。」
「・・・ジュディス・・・。」
「あなたにリタがいることは分かっていたし、あなたの答えも分かってた。だからあなたを邪険にするつもりはないの。」
「・・・そっか。ごめんな。ダチとか仲間っていたことがねえから、よく分かんなくてさ。困らせて悪かった。」

そう。彼にとって自分は最初から最後まで仲間で友人だ。それ以外の何にも、なれはしない。
恋というものがこんなに呆気なく虚しいものだなんて、いざしてみるまで知らなかった。

「・・・依頼があるんでしょう?私のことはおじさまが看てくれるから、行ってちょうだい。」
「・・・けど、俺が無頓着だったから、お前・・・。」
「いいのよ。あなたが大切なのはリタだけなんだから。」
「・・・!」

ぎゅっと眉根を寄せたイヴァンに言葉を間違えたことに気付く。責めるような言い方になってしまった、と唇を噛むと、イヴァンは辛そうに目を逸らした。

「・・・悪い。俺は今まで、いつでも捨てられる存在しかいなかったから、・・・お前にどうしてやればいいかがわかんねえ・・・。」

その言葉を喜べばいいのか、悲しめばいいのか分からない。少なくとも、彼にとって簡単に捨てられる存在ではないらしいが、それが嬉しい反面、いっそ他の女のように捨てて欲しかった。
彼を苦しめたくはない。ならば答えは簡単だ。儚く美しい彼の顔から憂いを取り去るためなら、この想いを捨ててしまえばいい。笑顔を浮かべて、いつものように謎めかせて。どうせ届かない想いなら、いっそ---

「こら、イヴァン。入ったら駄目だろう?」
「デュランさん・・・。」



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