3-2


無意識に探していた背中を見つけ、ジュディスは何も考えずにしがみついた。ユーリと話していたデュランダルは、衝撃に振り返り、髪をまとめもしていない頭に僅かに違和感を感じながら、「・・・ジュディス?」と声をかける。だが彼女は何も言わず、顔を上げもしない。ユーリもただ事ではないと感じたのだろう。こんな真似は、およそジュディスがするようなことではない。彼女はいつも飄々として、謎めいて、弱さなど感じさせない。デュランダルを見上げると、彼はユーリの頭を撫でて人差し指を口元に当てる。静かにしているように、という合図に頷くと、デュランダルはゆっくり向き合う形になり、項垂れた後頭部を撫でると、上着でジュディスの顔を隠すようにして「・・・顔を上げてごらん。俺にしか見えないから。」と優しい声で言った。
持ち上がった顔は今にも泣き出しそうで、優しく目尻を撫でてやる。顔を胸に押し付けて隠しながら上着で包むようにすると、軽々と抱き上げた。

「ユーリ、適当に言っておいてくれるかい?」
「了解。頼むな。」

察しが良く、皆の兄貴分であるユーリはこういう時頼りになる。デュランダルは自室の扉を開けると、ソファーに座り、ジュディスを横に下ろした。

「・・・俺しかいないよ。どうした?」
「・・・おじさま・・・、こんなの・・・私じゃないわ・・・っ」
「どうして?」
「・・・なぜ、人には恋なんて感情があるの・・・?知りたくないことばかりだわ・・・。」
「そうして皆大人になるんだよ。今は分からないことも、いつか分かるようになる。」
「あんな勝手な話・・・分かりたくないわ・・・!」

感情はひどく複雑に絡み合い、うまく説明出来ない。イヴァンが思っていたよりもずっと自分を好意的に見てくれていて、きちんと女として意識してくれていたことが嬉しくて、けれど今さら勝手なと怒りも湧く。リタがいるのにと自分もそれを知っていて好きになったくせに、彼がリタを裏切ったような気にもなる。

「落ち着いて。誰と何があった?きちんと聞くから、言ってごらん。」
「・・・イヴァンが・・・、・・・私が好きだと言った時、本当は抱きたかったと、言って・・・。」
「そうだろうね。」
「・・・おじさまと、仲が良すぎると言われたわ。」
「なるほど。可愛いものだ。お前が暫く自分を引きずってくれるものだと思っていたのに、そうでもなさそうで悔しくなったわけだ。」
「・・・勝手だわ。」
「勝手なものだよ。人間なんてものはね。ましてあの子は、誰からも焦がれられてきた。どうしていいか分からなくなったんだろう。」

まるで見ていたかのように次々言い当てるデュランダルに、やっぱりこの人は凄い、と安堵する。彼には細かな言葉はいらない。すべて察して、理解してくれる。

「・・・お前はどうしたい?」
「・・・もう終わったことだわ。私は最初からリタがいると知っていたし、彼が頷かないと理解してもいたの。・・・だから、悲しかったけれど・・・きちんと納得もしたわ。」
「・・・嘘つき。」
「・・・っ!」
「・・・本当は、一度だけでもあの子が欲しかったくせに。」
「・・・おじさま・・・。」

嘘で守らなければ流されてしまいそうだから、あなたを頼ってきたのに、それを暴くなんて---と見上げると、彼の指が唇を撫でる。どきりと心臓が高鳴る。縫いつけられたように見つめていると、デュランダルは唇を耳に寄せた。

「・・・俺に嘘をつくなんて、悪い子だね。」
「・・・う・・・そじゃ・・・」
「嘘だよ。お前は流されてしまうことが怖くて、俺に助けてもらいたがっている。・・・イヴァンを牽制できるのは、俺かアレクしかいない。だがアレクにはすがれない。あれは結局イヴァンの味方だ。」
「・・・っ、」
「・・・お前が弱味を見せられる相手は、俺だけだ。違うとでも?」

自信に満ちた笑みがあまりに格好よくて、じくじくと胸が痛む。ああ、こんなに敵わない人なんて他にいない。苦しい。こうして誰もが、彼を欲しがるのだ。

「・・・知ってしまったら・・・戻れなくなるわ・・・。私はリタを傷つけたいわけではないのよ・・・。」
「別に構わないじゃないか。あんな子どもより、お前のほうが似合いだろう?」
「・・・リタは・・・、・・・私の妹なのよ・・・。」

イヴァンしか知らない事実を口にすると、デュランダルは閉口した。そして眉を寄せると、「・・・それはどうにもならないね。」と言った。

「すまなかった。お前の大切な家族を傷つけるようなことを勧めるなんて。」
「・・・いいの。言っていなかった私がいけないもの。」
「だが・・・、そうなら確かにどうしようもないね。姉妹揃って好みが似るとは。」
「・・・本当にね。」
「お前が現状を維持したいなら、暫く距離を置こうか。」
「・・・そんなことが出来るの?」
「イヴァンに暫く休暇を与えてリタのところに行かせるもよし、でなければ・・・。」
「なければ・・・?」
「俺とお前で、遠出をするか。」

予期せぬ提案に、どきどきと胸が高鳴る。彼を好きだと自覚したばかりのジュディスには、これ以上なく魅力的な提案だった。

「まだアレク以外には言っていないが、大口の依頼があってね。お前の大好きな魔物狩りだ。ケーブモック大森林に行く。動く金額が大きいから、俺かアレクのどちらかは必ず行かなければならない。同行者を考えていたところだった。」
「・・・私でいいの?」
「そろそろお前達にも大口の取引を覚えてもらいたかったからね。ただ・・・うちの若い者はお前とカロル以外は金勘定が不得意だろう?」

それは旅の間も苦労したことだ。イルーチェは戦闘狂だから金を相当に稼ぐが、なにぶん食費と酒代がかかる。ユーリはその日暮らしで宵越しの金を持つ感覚がないし、イヴァンは普段は慎ましい金銭感覚だが使う時の額が凄まじい。まあイヴァンはだいぶ貯めこんでいるようだが。

「お前を頼りにしたい。俺を助けてくれるかい?」
「・・・おじさまが教えてくれるの?」
「俺はお前をとりわけ可愛がっているだろう?」
「・・・不思議なほどにね。」

彼は出会ってすぐの頃から、ジュディスを可愛がってくれていた。何がそんなに良かったのかは分からないが、好意的に接してくれているのは理解している。

「俺は美しいものが好きだ。」

さらりと言い放ったデュランダルは、ジュディスの頬を撫でた。

「お前は美しくて強い。そして優しくて察しがいい。俺はお前のような女が好きだからね。気が合うだろうと思った。」
「・・・おじさまにそこまで褒めてもらえるなんて、なんだか擽ったいわ。」
「俺は嘘は言わない。だからお前のことは人に任せたくない。」

まるで告白のようで、胸の高鳴りが激しくなる。身体が震えだしそうで、ジュディスはぐっと腹に力を込めた。

「一緒においで。気晴らしをして、吹っ切ってしまいなさい。そして思い知らせてやるといい。逃がした獲物がいかに大きかったか。」
「・・・行くわ。」

あなたが行くなら、どこだって怖くない。
あなたがいるなら、どこだっていい。

「楽しみだわ。」
「・・・少しは気が晴れたかい?」
「ええ、さすがおじさまだわ。私のご機嫌取りが上手ね。」
「お前は可愛いからね。悲しそうな顔は見たくない。」
「あら、いったい何人に言っているのかしら。」
「女はお前とルーチェだけだよ。」
「それなら仕方ないわね。イルーチェは可愛いもの。」

とても手の届かない、遠くにいる人。
私の新しい恋は、きっとまた実らないまま終わる。考えるまでもない。

(・・・おじさまが好き。)

何をしても敵わない。大きくて、強くて、圧倒的なあなた。
それでも良かった。
ただ側にいたかった。

恋という感情が、それで済まないと知っていたはずなのに。



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