その手を伸ばすA

 戦場の騒ぎの中、突如姿を現した人影を遠目に捉えたガープは愕然と目を瞠った。
「どうして・・・・・・」
 つるとセンゴクの視線が突き刺さる。どういうことだ、と双方から厳しい意図を感じるが、ガープだとて何故こうなっているのかはわからない。
(ダダンがしくったか・・・・・・?)
 いや、あれは頭の悪い人間ではない。なにが最善かはわかるはずだ。
 ならば、セーラが処刑よりも前に目を覚ましたと言うことか。
 グッと拳を握り、ガープは駆け出しそうな身体を押さえ込む。この場からセーラを浚うことは出来るが、ガープと関係があるとわかれば必然的に捜索範囲は限られる。
(それだけで、隠れられると思うのか・・・・・・!)
 フードと身体を覆うマントで顔や体格は隠れているが、セーラを知るものが見ればもしかしてと当たりはつけられる。あれがどれだけ執拗にセーラを狙い、探し求めているというのか。セーラはそれを知らない。
 いや、バレたとしても自分一人また逃亡生活に身を繰り出せば良いと考えているのか。
(馬鹿め・・・・・・そう易々と手放すと思っているのか)
 五十年だ。五十年以上かかってようやくセーラが安心して生きられる地を、環境を作ったのだ。それをふいにされてたまるものか。
 どれだけの年月をかけ、ガープたちが、ダダンや村のものたちがセーラを囲い、愛してきたと思っている。どれだけ大事にしてきたと思っている。
 傷ついた鳥をあやすように温かな寝床を与え、情という名のゆるい鎖で根付かせた。勝手にどこかに行って傷つつかぬように。
 それなのに、自分が村のものから愛されていることを理解しているのに、セーラは自分の愛するもののために簡単に自分の身を危険にさらすのだ。
 だから強制的に閉じ込めておくしかないと、眠らせたのものを・・・・・・。
 グッと奥歯が音を立てる。知らぬうちに噛みしめていたらしい。
 今すぐ駆け寄り、誰からも隠すようにその細い身体を抱きすくめて「この馬鹿が!」と怒鳴りつけてやりたかった。だが、この場で行動に移すことを、ガープの立場が許さない。
 せめて他のものたちに顔が割れる前にここを立ち去り、突如乱入した正体不明の誰かで片付いてくれればいい。
 そう願うほかなかったが、セーラの後方にせまる赤犬の拳にガープの血の気が引く。
 思わず飛び出そうになった声を噛み殺し、赤犬の背後を睨めつけてガープは獣のような低い唸り声を上げた。

 ◇◇◇

 思っていたよりも軽い衝突にエースは目を瞬かせながら弟――ルフィの上に倒れかかった。
 慌てたルフィがエースを抱えながら尻餅をつく。
 次いで、エースの背後ではガラスの振動するような大きな反響音が響き、一体何が起きているのかと振り向けば、そこにあった人影に目を見開いた。
 こちらに背中を向けるその人は、フードとマントで姿をはっきり捉えることは出来ない。しかし、わずかに垣間見えた銀の輝きを持つ者など、エースはこの世界で一人しか知らない。
 気づいたのはルフィもだ。
「かあちゃむむぐ」
 ルフィの口を塞げたのは、エースの兄としての矜持だった。
 自分だって少しでも気を緩めればその名を叫んでしまいそうだった。サボだって立ち尽くしてその人を見ている。
「なんで、アンタがここにいるんだよ」
 戦慄いたエースの口からそれだけが漏れた。泣きたい気分だった。
 だって、ここはマリンフォードで、海賊だけではなく海軍だっている。映像が出回っている。
 そんな場に姿を現していい人ではないのだ。
「なんで!」
 泣き叫ぶようなエースの切実な声は戦場の騒ぎにかき消えた。
 赤犬の拳を魔力で展開した特殊な壁で受け止めていたセーラは、あと二発は耐えられると判断し、くるりと振り返ってエースとルフィに手を伸ばした。
 背後で赤犬が大きく吠えたが、構わず折り重なった息子に駆け寄る。
 二人を抱えて飛ぼうとしたが、腕にかかった重みにすぐに無理だと諦め、船に転移させることにした。
(こんなに大きくなってたんだね・・・・・・)
 最後に会った時よりも背が伸びた。身体の厚みも増えた気がする。こんな時でも子どもの成長が嬉しかった。
「船に送るからね」
「待てって! かあさ」
 返答も訊かずに触れていた手で魔法を発動する。そうすればすぐに二人の姿は消えた。途端に周囲のざわつきが大きくなる。
 少しずつ戦場の者たちが騒ぎに気づき、セーラに目が向けられる。
 構えられてはたまらないと、セーラは「エースをどこにやった!」と叫ぶ白ひげの船員を、近くにいる者から順に触れて次々と船に送った。
 背後で魔法壁が崩壊したので、今度は赤犬の四方を囲うように壁を展開させてまた時間稼ぎをする。そして、見つけたもう一人の息子――サボを抱きしめる要領で腕に囲い同じように船に向けて転移させる。
「エースたちをお願い」
「置いていけるわけ」
 声を上げた途中でサボの姿も消える。
 
 気づけばサボはモビーディック号の甲板にいた。同じようにセーラに送られた船員が困惑の目で自分たちがいた戦場を見ている。
 そして、二人――サボの兄弟が焦った様子で甲板から飛び降りようとしているのを見て、慌てて止めたのだ。
「エース! なにやってんだ! ルフィも!」
「サボ! お前も行くぞ!! さっさとセーラを連れて逃げねーと。あいつ一人であそこにいるんだぞ!?」
「早く隠さなきゃバレちまうよ!!」
 ・・・・・・お願いってこういう意味か。
 抱きしめられた時の言葉を思い出し、サボに苦笑がのぼる。自分だっていますぐ飛び出してセーラの身を守りたい。誰の目にも触れぬように隠して安全な地に送りたい。
 だが、セーラはエースたちを助けるためにきているのだ。その張本人たちがまた戦場に戻ってはセーラの負担が増える。
 続々と甲板に増える人々の姿に、セーラは全員連れて逃げるつもりなのだとわかる。
 なら、セーラが戻ってくるのを待った方が良い。
「俺たちが行ったってセーラはまた船に飛ばすぞ? だったら送られてきたみんなを船から降ろさず、すぐに船を出せるように準備させておいた方が良い」
「でもよお!!」
 揃った二人の声に、サボは冷静に返す。
「他のみんなはセーラが敵か味方かも分からないんだ。せめて情報は共有して逃げるための準備を進めるべきだ。それが一番早くセーラを戦場から引き離せる」
 サボの落ち着いた声にエースとルフィは押し黙った。すでに身体が限界だったルフィは、ぺたりと座りこんで荒く息をしている。そうして「かあちゃん・・・・・・」と泣きそうな声で一度だけ呟いた。
「エース」
「わかったよ。俺が行ったって邪魔なんだろ」
 そうは言ってないけど、と思いつつも端的に言えば間違ってもいないのでサボは否定も肯定もしなかった。
 苦々しい顔で己の頭をかきむしり、エースは悲痛な面持ちで戦場に目を向ける。
 視界の中で、鮮やかな青い炎の姿がかき消えた。そして、すぐ背後で気配が増え、兄貴分の声がエースを呼ぶ。
「おいエース、あの人は一体だれなんだよい?」
 その問いの答えを、エースはいくつも持ち得ていた。
 母。大事な人。エースにとって世界で一番美しく、暖かい人――。
「おれの、家族だ」
 エースは、だだそれだけを返した。
「そうか。じゃあ俺たちは船を出す準備でもしときゃいいのかよい?」
「あ、ああ」
 あまりにもあっけなく納得するものだから、エースは戸惑う。そんな末の弟をみてマルコは笑ってその頭をわしゃわしゃと撫でた。
「大事な弟の家族だってんだ。それだけで十分だよい」
 それだけ言ってマルコは続々と船の上に増える船員たちに向かって指示を飛ばす。
「いい人たちに出会えたな」
 隣でぽつりと漏らしたサボの言葉に、エースは照れくさそうに「ああ」と短く返した。
 甲板に大の字を書いてへばっているルフィが曇天を見上げながら言う。
「母ちゃん、大丈夫かな・・・・・・」
 安易に平気だとも言えず、サボとエースは弟の頭をなで回すだけに留め、心配そうに遠く映るセーラの影を追った。

 ◇◇◇

 ざわざわと戦場の者たちはフードをかぶった謎の人物――セーラの異質さに気づき、海賊、海軍問わずに警戒を見せる。
 これでは埒があかない。あまり時間をかけてはいられないのだ。
 近場の者からと思っていた作戦を変え、まずは船長――エースの親父さんに話を通すことにした。
 エースたちと同じようにフードの人影が消え、周囲は混乱をきたす。
 遠く騒ぎを聞きつけていたニューゲートは、突然己の傍らに現れた人影に視線だけを向けて観察する。
 フードのせいで顔は分からぬが、体格を見るに女――もしくは華奢な男。敵意がないことを感じてそのまま相手の出方を窺う。
「敵じゃありません。話を聞いて下さい」
 穏やかな声音の中に混じる焦り。何の用だ、と問おうとしたがニューゲートはその声に驚き小さく息を呑んだ。
 ――聞き覚えがある。
「あの子、エースと旧知の仲です。あなたたちを助けたい。どうか力を貸して下さい」
 肩口で浮かぶ人物に風が触れ、フードとマントが揺らめく。サラサラと細い銀糸が、ニューゲートの視界を瞬く。
 刹那、深い海のような色の双眸が己を見据えるのが見えた。
 それだけで、ニューゲートには十分だった。
「わかった。お前のその力で息子どもを全員船に飛ばして逃げりゃ良いんだな」
「は、はい。歩ける方は船に飛ばしますが、倒れている人や、身体の大きな子は船には飛ばせないので、どこか島を指定して頂ければ」
 即座に肯定を示されて驚いたものの、セーラはチラリと自身の後方――オーズを気にかける。
 その様子をみたニューゲートは、ここ――マリンフォードから遠すぎず近すぎず、無人でそれなりに広さを誇る島を思い出し、名前と場所を簡潔の述べた。
 頷いたセーラがニューゲートに手を伸ばす。
「俺は最後にしろ。息子おいてさっさと船には戻れねぇだろうが」
「・・・・・・わかりました。気をつけて」
 ニューゲートの頬をするりと撫で、セーラはまた姿を消した。自分の近くに現れたセーラに船員の一人が驚きの声を上げる。それをみたニューゲートは、己の掲げる薙刀を持ち上げ石突を地面に突き刺した。
 揺れた地面に戸惑う息子たちが己に目を向けたことを感じ、今度はその喉を大きく揺らした。
「野郎ども! そいつに協力しろ! 海に帰るぞぉお!」
 途端に息子たちの揚々とした声が轟く。
 先ほどまでの警戒はどこへやら。今度は積極的に手を差し伸べる海賊たちの姿にセーラは驚きつつも応えていく。
 チラリとニューゲートをみやり、これがエースの親父さん・・・・・・と感激したように胸が震えた。
 そんなセーラの視線を受け、ニューゲートは己の口元が緩むのを感じた。
(まさか、こんなところでまた会えるとはな)
 一度見たら忘れられぬ輝く銀髪。穏やかな声。労るような手つき。
 それら全てが、ニューゲートの古い記憶を呼び起こし、懐かしさと当時の暖かさを思い出させた。
 数え切れないほどの島を回り、海を渡った。長い人生のいたるところでその影を探したが、ついぞ見つけることは出来なかった。
 手がかりとしては息子の一人が言った「銀髪に青い目の人に助けられた」という情報のみ。
 それなのに、まさか己の人生の終わりに再びまみえることがあろうとは。
 ――ああ、出来るならまた顔が見たかった。
 しかしこの状況では贅沢も言えまい。
 略奪と争いだけだった己の幼少時。ただ一人、ニューゲートに人の温もりと生きる術を教えた人。
 長い人生の中で、一緒にいたのはたった二週間ほどの短い時間だった。
 それなのに、子どもの時に与えられたあの優しい声と手の感触は、幾度もニューゲートに暖かさをもたらした。
(なあ、セーラ。俺のことを覚えているか)
 せめて、それだけでも訊いておけばよかったなぁ。
 そんな珍しく柔弱なことを考え、ニューゲートは己を囲う海軍を薙刀で振り払う。
 そしてふと気づいた。自分の身体がひどく軽いことに。驚き見下ろせば、腹に空いていた穴は綺麗に塞がっている。そして胸の痛みがない。
 これだけ晴れやかな気分は、一体いつぶりだろうか。

 ◇◇◇

 低空で人の波をかき分けて飛んでいく。
 セーラは海賊だけを選択して己の手で触れ、モビーに飛ばしていった。終わりが見え始めた頃、また自分の頭で警鐘が鳴る。
(もう壊された・・・・・・)
 すでに何度も壁を張って行く手を防いではいるが、破られるスピードが上がっている。
(早く済ませなきゃ)
 残りは数えられる程度。そして最後にニューゲートを迎えに行く。
 ニューゲートの上げた表明のおかげで海賊たちが己から近寄ってくれるのがありがたい。
(エースの家族はみんないい人だな・・・・・・)
 見知らぬ他人に、笑顔で手を出すのはあまりに警戒が薄くて心配になる。
 自分のことを棚に上げてセーラはそんなことを思った。
 斬りかかってきた海兵を、壁を展開して防ぐ。そろそろ反応できるスピードにも限りが出てくる。元々セーラは戦闘経験はないため、防ぐか逃げるかしか出来ない。
「はあ、はあ・・・・・・終わった?」
 見渡す限り海兵たちだけだ。やっとかと息を吐き、ニューゲートの方に向かおうとしたときに大きな笑い声が響いた。
 ハッと目を向ければ、黒い髭の男がニューゲートとの間に黒い波をかき立て地面を覆っていく。
 ゾクリとセーラの背筋が粟立った。
 ――あれはいけないものだ。
 二人の間に転移し、広く壁を張る。
 驚いた様子のニューゲートに駆け寄り、その手を掴んだ。
「全員移動し終わりました。早く行きましょう」
 何やら因縁があるようだったが、今の状態であれと相対するのはまずい。セーラの本能が警告を発している。このままここにいたらよくないことが起こる。
「おい! お前はなんの能力者だァ!?」
 背後で男が叫ぶ。しかし、セーラはニューゲートの手に触れたまま己も一緒に転移を発動した。
 甲板では、ようやっと現れたニューゲートの姿に船員たちが安堵と共に沸き立つ。ニューゲートは己の傍らに立つセーラに声をかけようとしたが、セーラはしゃがみ込み、甲板に手をついた。
「少し揺れますっ!」
 叫んだセーラの言葉に、反射的に船員たちは己の重心を保った。ふっと景色が一変し、四方は海に囲まれていた。
 驚きぐるりと見渡す船員たち。よく見ると、後方に微かにマリンフォードと思しき影が見えた。
「はあ、はあ・・・・・・多分ここまでは追ってこられないかと・・・・・・」
 同じように停まっていた他の海賊船も同じ航路に運んである。漏れはない。
 やっと一安心したセーラはへたり込んで床に座り込んだ。
「おい、大丈夫か」
「は、はい」
 すかさずニューゲートが膝をついてセーラに問う。そんなニューゲートの様子に、息子たちは小さくざわめいた。誰なのかと窺っていた船員たちだが、まさか親父の知り合いかと隣の者と顔を見合わせた。
「セーラっ!!」
 三対の声が呼ぶ。セーラがハッと顔を上げれば、船縁からこちらを見る息子たちが見え、脱力した脚に力を入れて立ち上がった。
 エースが先頭にその後ろをルフィを負ぶったサボが続く。泣きそうな顔で駆け寄ってくる三人のもとに、セーラも足を動かす。
「エースッ!」
 さきほどまで命を脅かされていた息子に飛びつく。
 その反動でフードが外れ、船員はその下から現れた細い影に驚きを露わにする。華奢な者だとは思っていたが、まさかここまで息を呑むような美形が出てくるとは思わなかった。
 フードから零れた銀の髪が舞い、その細く白い腕はエースの首に回り、ひしと抱きしめる。
 触れ合った肌からトクトクと鼓動が聞こえる。それにセーラは泣きそうになった。
「エース・・・・・・良かった、無事でッ!」
 しみじみと噛みしめるように小さく響いた叫びに、エースは目の奥に痛みが生じ、浮かび上がったものを押し込めるように硬く瞼を閉じる。
 そうして極まった感情のままに、エースは腕の中の美しい人を抱きしめた。