その手を伸ばすB

 少し目線が上になったエースの顔を両手で包み、セーラはきょろきょろと全身を見分する。
「よかった本当に・・・・・・怪我してない? 痛いところは?」
 みたところ大きな怪我はないが、細かい傷が多い。それに捕まっていたから疲労もたまっているだろう。
「ねぇよ。そんな心配しなくても大丈夫だって」
 むずがゆい照れ臭さから視線を逸らして頬を染めたエース。しかし、腕はセーラの背中に回したままで離さなかった。
「それならいいんだけど」
 本人からの言葉でようやく安堵出来た。セーラが強ばっていた身体から力を抜けば、横からひょこりと腕が伸びてセーラの首に回る。
「セーラ〜怪我してねぇかぁ?」
「こらルフィ、俺の背中で腕を伸ばすなって」
「サボ! ルフィ!」
 エースの肩口から顔を出し、二人を見つめるセーラ。サボはさほど大きな怪我はなさそうだ。どちらかというとサボの背後で脱力した様子のルフィが気になる。
「ルフィ、どこか怪我したの? 大丈夫?」
 サボの肩に顎を乗せてぐでっとしたルフィの頬を撫でる。セーラが前髪を指で払ってやると安心したように目を細めた。
「怪我はしてねぇけど。イワちゃんに注射打ってもらったから反動で身体が動かねぇ」
「注射・・・・・・」
 頬に触れた手から魔力を流す。確かに外傷はないが、全身におびただしいダメージを負っていて、セーラは驚いて目を開く。
「・・・・・・こんな身体で・・・・・・辛かったでしょうルフィ」
「へへ、兄ちゃんのためだからな。こんなのへっちゃらだ」
 ニッと歯を見せて笑う弟の姿に、負ぶっていたサボとセーラを抱きしめたままのエースの目が熱くなる。
「全部取り除くのは無理だけど、多少楽になると思うから・・・・・・ちょっと我慢してね」
 親指の腹で目元を撫でながら、頬を包む手でどうにかルフィの身体に蓄積された疲労やらダメージを回復させる。
 まっさらな状態には出来ないが、動ける程度までは回復させられるはずだ。
(・・・・・・魔力を急激に使いすぎたかも知れない)
 目眩がおき、視界がふらついた。
 一瞬のことだったのでエースたちは気づいていない。僅かな違和感を覚えたのは、四人を後方から見守っていたニューゲートのみ。
 セーラは重心を傾け、エースに少し体重を預ける。
 ここまでの長距離の移動。この人数の転移と回復。短い時間で一気に魔力を消費し過ぎたセーラの身体は休息を欲していた。
「お、身体重てぇけど動く」
 パッと表情を明るくしてルフィが顔を上げた。一見いつも通りだが、本人の言うように動けるようになっただけで、負ったダメージが全て回復したわけじゃない。
「無理しちゃダメだよ? ちゃんと休んでれば治るから」
「おう! ありがとうセーラ!」
 にしし、と笑うルフィ。サボとエースもほっとしたように表情を緩めた。
 そんな息子三人の様子に、セーラがほっと息をつけばどっと身体に重みがかかる。
 瞼が重く、勝手に身体から力が抜けていった。
(薬がまだ残っていた・・・・・・解毒にまで回す魔力が・・・・・・)
 これ以上魔力を消費すると生命維持に関わる。だからこそ、身体は魔力で解毒せず抗うことなく睡眠を欲しているのだ。
 どうせ睡眠薬。命に別状はない。
 それにそもそもセーラは死なないのだから。
(大丈夫・・・・・・ちょっと眠るだけ)
 瞼が完全に閉じきり、ふらりとセーラの身体が後ろに傾く。
 セーラを腕に囲っていたエースは、慌ててその細い身体を支えた。
「セーラ? おい、セーラ!?」
 肩を抱いたまま甲板に座り、その人を呼ぶ。固く閉じられた瞳にエースの中で焦燥が走った。
「母ちゃんどうしたんだ?」
「セーラ? 大丈夫か?」
 エース、サボ、ルフィが揃ってセーラをぐるりと囲って顔を覗くが、変わらず瞳を閉じた真っ白な美しい顔があるだけで、セーラからの返答はない。
 絶えず呼びかける三人の声は、すぐに叫ぶような痛みを抱え正気を失っていく。
「セーラ!! どうしたんだよ!! なんで動かねぇんだ!?」
 その中でのエースの狼狽っぷりはひどいもので、泣きそうな子どものような声でひたすらに母の名を呼んだ。
「マルコ! 見てやれ!」
「っ、おう!」
 様子を窺っていたニューゲートも、瞬時に船医である息子を呼んだ。
 フードの下から現れた初恋の人に驚き呆けていたマルコだが、ニューゲートの声にハッと我に返り慌てて騒ぎの中心に駆け寄る。
「こら、三兄弟あんまり揺らすなよい。今みるから」
「母ちゃん死んじまうのか!?」
「頼む、大事な人なんだ!」
「助けてくれ! この人死んだら俺は生きていけねぇ!」
「わかったからその人から離れろ! 馬鹿兄弟ども!!」

 ◇◇◇

 浮上した意識にセーラが何度か目を瞬かせてからゆっくりと頭を上げる。
「・・・・・・ん」
 どうやら船の甲板で寝てしまったらしい。船縁に背を預けた状態のまま見渡せば、今は夜中のようで甲板で雑魚寝状態の船員たちが目に入った。
 身じろぎした反応でかかっていた毛布が落ちる。
 その時に気づく。
(ルフィ・・・・・・それにエースとサボも)
 自分の膝の上にルフィ。そして、左右に長男二人の姿。セーラの肩に寄りかかって寝息を立てている。
「起きたか」
「あ、エースの親父さん・・・・・・」
 声に驚き見上げれば、エースを挟んだ隣にはニューゲートが腰を下ろしてセーラを横目に見ていた。その瞳には安堵が浮かんでいる。
 診察したマルコからは寝ているだけだと聞いていたが、やはり意識が戻るまでは気が気ではなかったのだ。
 安堵はしたものの、ニューゲートはセーラの呼び声に不服そうに目元に力が入れた。
「なんだぁその呼び方は」
「えっと、ごめんなさい」
 急にこんな呼び方は失礼だったか、と反省。そういえばちゃんとした挨拶もしていなかったのだと思い返す。
「謝って欲しいわけじゃねぇ・・・・・・ただ、その呼び方は気にくわねぇだけだ」
 距離があるだろうが、とニューゲートの声は拗ねているようにも聞こえ、セーラはますます不思議に思う。どうしてここまで友好的なのだろう。
 エース――自分の息子の旧知と知ったからか。しかし、それにしてはセーラを見るニューゲートの瞳には懐古や親愛のような情を感じる。
「白ひげさん?」
「ニューゲートだ」
「ニューゲートさん?」
「ニューゲート」
 試しにと呼びかけてみたが秒で訂正が返ってきた。しかし、言われたとおりに呼んでも返ってきたのは同じ声で。
 もしやと思い、おずおずと言ってみる。
「・・・・・・ニューゲート?」
「おう」
 ニューゲートは満足そうに笑った。
(そういえば、この名前どこか聞き覚えがあるような・・・・・・?)
 手配書をみたせいかな? と首を捻っていたが思いがけず本人からその答えはもたらされた。
「・・・・・・俺のことを覚えちゃいねぇか?」
「え?」
 まさかどこかで会ったことがある?
 しかし、セーラには覚えがなかった。
 戦場で堂々と立っていたニューゲートが、不安そうな目を向けるものだから思い出せないのが申し訳ない。
「まあ俺がガキの頃だ。分からねぇのも覚えてねぇのもしょうがねぇが・・・・・・」
 ふう、と息を吐くニューゲート。そこに残念そうな感情が見えて、セーラはどうしようと頭を回す。
 ニューゲートは名残惜しげに最後に加えた。
「昔、政府の非加盟国からガキを一人連れて出たことはねぇか?」
 ――あっ
 そっと昔の記憶が蓋開く。
「あの時の男の子!?」
 もう六十年以上前の話だ。
 セーラが各国を逃げて回っていた中、もちろん政府への非加盟国へ訪れたこともあった。
 そして、その中の一つで会った男の子がいたのだ。
 島を出たいから船に乗せろと、セーラの荷物を盾に迫られた。
「グララ、覚えててくれたか」
 寝ている息子たちへの配慮からか、ニューゲートは控えめな笑いと共に嬉しそうに声を零す。そうして腕を伸ばし、セーラに触れようとしたが、先にその手をセーラが掴んだ。
「よかった! こんなに大きくなって・・・・・・! ずっと無事だろうかって気にしていたんだ。私は次の島までしか一緒にいられなかったから」
 身一つで旅が出来るわけもなく、荷物もあるため移動には急を要されない限り小舟を使っていた。
 きっと華奢な男の一人旅ならと思ったのだともう。本当なら船と荷物をそのまま奪うことも出来たのに、子どもは「乗せろ」と要求し、荷物もちゃんと返してきた。
 人里のある島に辿り着いたときに運悪くサイファーポールを見つけてしまい、一緒にいては巻き込むと判断して別れもそこそこに離れてしまったのだ。
 子ども一人を見知らぬ土地に残してしまい、何か危険に巻き込まれていないかと心配だった。
 しかし、こんなに大きくなって立派な船の船長をしているなんて。
 セーラは歓喜と安堵で涙がにじんだ。セーラの何倍も大きな手をひしと両手で包み、額を押し当てて「よかった」と呟く。
 そんなセーラの様子をみたニューゲートの胸にもじわりと暖かいものが広がる。
 捕まっている己の手を静かに解き、涙を拭うように白い頬を撫でてから銀糸の髪をすくう。さらさらとニューゲート手から細い銀の糸が零れ落ちていく。
「あのあと、セーラ――お前を探したが見つからなかった。まさか息子の養母だったとはな・・・・・・俺はずっとお前に礼を言いたかったんだ」
「お礼?」
「ああ。俺を国から連れ出し、そして文字や計算……生きていく上で必要なことを教えてくれたのはお前だ」
 ありがとう、とニューゲ―トが頭を下げる。それに慌てたのはセーラだ。すぐに顔を上げて貰う。
 だって自分はそんな礼を言われるようなたいそうなことはしていない。
 大人が子を守るのは当然のことだし、なによりセーラ自身が放っておけずに勝手にしたこと。
 ――それに、私は・・・・・・
「私は随分と冷たい態度をしていたと思う。子どもには怖かっただろう・・・・・・」
 しゅんと俯き声を落とすセーラ。
 あの頃のセーラは、人の子どもに触れることを極端に怖がっていた。
 改善されたのはドラゴンの子育てに参加してからなのだ。
 詳細なことまで鮮明に覚えているわけではないが、きっと子どもからしたら冷たく怖い大人だったろう。
 しかし、想像とは反対にニューゲートはそんなセーラの言葉を笑い飛ばした。
 面白いことを聞いたと、声も潜められずに笑っている。
「グラララッ! お前が冷たい? 何をばかなことを言ってる! 俺に人の温もりを教えたのはお前だ、セーラ」
 遠い記憶。子供のころの、唯一温かいと思える記憶。
 物心つく頃には親はおらず、食料や金を得るには奪うしかなかった。他者とは殺し合いをすることの方が多く、まともに人と喋ったのもセーラが初めてだった。
 力がなさそうだからと脅して船に乗せてもらった。
 当たり前だが、セーラはニューゲートが起きているときには必要以上に干渉することはなかった。
 しかし、ニューゲートが眠ったあとは違う。
「ガキが寝た後に布団をかけなおし、頭をなでて子守唄をうたうような奴を、人は冷たいとは言わねぇぞ」
「お、起きていたの!?」
「まあな」
 最初に気づいたのはいつだったか。たまたま目が覚めたとか、そんな偶然だ。
 自分のことを眠ったものと思うセーラの手に、打算や何かの思惑があるわけではなく。
 ただただ純粋に慈しまれるという経験が、ニューゲートの荒んだ心に風を通し、少しずつ溶かしていった。
 だが、セーラはニューゲートとの触れ合いを怖がっている節があった。触れてくれているのは、ニューゲートが寝た後だけ。
 だからニューゲートは、その感触を知るために、歌を聞くために、わざと寝たふりをした事だって幾度もあった。
 それだけ、幼い子供にとってセーラの慈愛というのは得がたいものだったのだ。
(事情があることなんざ、とっくに知ってるんだ……)
 ニューゲートはセーラの髪をすくってはさらさらと流す。美しい銀の髪。形状の異なる耳。深い青の瞳。そして不思議な力。
(お前が政府から追われていると知ったとき、俺がどれだけ必死に探したか知らねぇだろ)
 古びた手配書に書き記された簡素な特徴の文字。それだけでニューゲートの胸はザワついた。
 まさかガープに拾われて村で匿われていたとは思いもしなかっが。
 三兄弟が寝こける前、わずかに仕入れた情報を前に拳をギリと握りしめる。
(ガープの野郎め……俺が先に見つけてりゃこいつは俺の家族だったってのに)
 昔から幾度と追われ、交戦してきた面倒な奴だが、まさか探し人を奪われていたとは思ってもいなかった。
「まあ、こうして会えたんだ。よしとするか」
 きょとりと見上げてくる青い双眸を眺め、ニューゲートは目を細めた。
 あの頃はセーラに抱えあげられるほどに自分の体は小さかった。だが、今じゃセーラの体を片腕で抱き留めたっておつりが出るほどだ。
 それがニューゲートには嬉しかった。
(今の俺なら、お前を守れる力がある)
 何かに追われていたのは知っていた。己を巻き込まぬために離れたのを知っていた。
 そうしてもらうことしか出来なかった幼い自分はもういない。
(俺の船に乗ってくれって言ったら、お前はどんな顔をする……)
 自らの船を持ったときからずっと抱え続けた欲が、むくむくと顔を出す。
 エースは喜ぶだろうが、ほかのハナタレ二人がうるさそうだ。
 先のことを思ってニューゲートの肩が重くなる。
 ため息をつくニューゲートを、セーラはやはり心配そうに見上げている。
 今じゃ自分の片手で収まってしまう華奢な身体と変わらぬ美しい姿。記憶の中だけの暖かな人が目の前で実在している。
「……セーラ、俺はお前に出会ってよかった」
 言いたいことはたくさんある。誘いをかけるのは、そのあとでもいいだろう。
(ずっと俺は、お前が欲しかったんだ)
 ――なあセーラ。俺が欲しかった最初の家族。
 そんなお前がこうして目の前にいるなんて、一体どれだけ最高な夢だろうなぁ。



(ふわぁ〜あ、ってセーラ起きたのか!? なんで泣いてんだ!?)
(ルフィ、あのね、これはちょっと嬉しくて)
(このおっさんに泣かされたのか? 待ってろ俺がぶん殴ってやる!)
(ちょ、ちょっとルフィ!? だから違うんだって)
(おいおい、いくらエースの親父だからって許さねぇぞ?)
(ちょ、ちょっとサボまで)
(親父、本当に親父がセーラのこと泣かせたのか? それなら俺は……)
(こらこらこら、三人とも座りなさい)

(誘う前から騒がしいじゃねぇかハナッタレ共が……)