その手を伸ばすC

 マリンフォードでの戦いから一晩中船を進ませて辿り着いた無人島。
 そこに白ひげ海賊団が滞在してすでに数日が過ぎた。
 倒れていた負傷者たちの手当に当たり、忙しい時間を過ごしていたが、ようやく落ち着いてきた。
 セーラは今日も日の出と共に丘の上に掲げた十字架に祈りを捧げる。
「エースを愛してくれてありがとうございます」
 大きな十字架が一つだけ掲げられた墓地だが、その下には幾人ものエースの家族が眠っている。
 戦場において、身動きの出来ないものや巨人族などの大きな身体の者は直接この島に転移させた。その際に必要な回復は施してあったが、セーラが触れた時点で息のなかった者はどうしても助けられてなかった。
 どんな怪我でもセーラがその身を削れば回復できるが、すでに命を終えた者を生き返らせることは出来ない。
 だからこそ、こうしてセーラは誰にも気づかれぬ早朝の時間、こうして息子の家族に感謝を送る。
「・・・・・・毎日、そうも祈ってちゃあいつらが恐縮しちまうだろうが」
「ニューゲート」
 のそりと大きな身体で現れたニューゲートは、セーラの隣にどかりと座ると持っていた酒を傾け十字架を濡らす。
「言ったはずだ。これだけの負傷者ですんだのはセーラ、お前のおかげだと」
「はい」
 もう少し自分が早く着いていれば。
 そう思い悩むセーラをニューゲートは目敏く気づいた。
 エースの手前、みんなにはいつも通りに接していたはずだったのに。
「全員あそこに向かうからには覚悟をしてた。それを決めたのはあいつら自身だ。お前が背負うことじゃねぇ」
 あいつらの覚悟をお前が勝手に背負い込むな、と突き放すような厳しさの言葉の中には、セーラへの気遣いも見えた。
「それに、今息子たちが元気にしてんのはお前のおかげだ。ありがとう」
 ぐっと両手で作った拳を地面につき、頭を下げるニューゲートに慌てたものだ。
 セーラはただ、自分に出来ることをしただけ。
 自分の息子のためにその命をかけてくれている家族の人たちに、感謝を示しただけ。
 それは、いくら言葉にしたって足りないほどだ。
 水平線の向こうから太陽が顔を出す。真っ直ぐに陽が差し込み、痛いほどの光が二人を照らす。丘の上に、十字架の大きな影が伸びた。
「何度だって言いたいんです。あの子を愛してくれた。家族だと、大事にしてくれた。どれだけお礼を言ったって足りません」
 でも、いつまでも親が干渉するのは嫌がられてしまいますよね、と目を伏せて言うセーラを、ニューゲートは隣から眺めていた。
 ニューゲートの大きな手がセーラの後頭部の丸みに沿うように包む。そして朝日できらめく銀の髪を撫でれば、くすぐったそうにセーラが肩を竦めたので、その身体を浚って己の膝の上に座らせた。
「エースには、そのぐらいがちょうどいいだろうよ」
 落ちないようにと片腕で華奢な身体を囲い、ニューゲートは森に目をやった。セーラもその後を追う。
 その二人の目の先には、森に消えてしまった一人の息子。家族の供養を済ませると同時に森に行ったままこの二日戻ってきていない。
「甘やかすなって思いますか?」
「いいや」
「もう小さい子どもじゃないって分かってるんです。でも、私からしたらいつまでも自分の子であることには変わりなくて・・・・・・どうしても放っておけないんです」
「確かに大人ならてめぇで自分の気持ちに分別ぐらいはつけるだろうが、そういうのが人を救うときもある。現にエースは一人で抱え込んだら自分を潰しちまうんだろう。俺にそういうのは出来ねぇからな、お前がしてやればいい」
 ニッと笑ったニューゲート。その顔を見上げてセーラもやっと表情を緩める。
「任せて下さい。甘えられるのは得意なので」
 そうしてセーラは自身に触れるニューゲートの腕にそっと手を添えた。
「ニューゲートも私に寄りかかってくれていいんですよ? 頼りないかも知れないですけど」
 ふわりと微笑むセーラ。穏やかな風にあおられて銀の髪が流れ、陽光によって光の波を映す。深い海の瞳が己を見上げて暖かく笑むので、眩しいものを見るようにニューゲートの目が細められた。
「息子の前に親が甘えるわけにはいかねぇ。エースの次にでも頼むさ」

 ◇◇◇

 一応、危険な猛獣などがいないことは確認済みだが何かあればすぐに大きな声を出せと言い含められ、セーラは森に入る。
(ルフィやサボがいたらまだ違ったかな・・・・・・)
 島に着いた日に、ルフィは九蛇海賊団、サボには同じ革命軍のカラスが迎えに訪れた。
 二人ともすぐに島を離れることを渋っていたが、ハンコックとカラスの説得、また白ひげからの言葉もあり島を後にした。
 ルフィはアマゾンリリーで修行を行うため、そしてサボは自身の組織での役目がある。
 その時にカラスからドラゴンの手紙を受け取り、一緒に革命軍に連れてくるよう言付かっていると言われたが、治療や供養がまだだったこと、エースを放っていけるはずもなく丁寧にお断りしたのだ。
(でも、二人がいたら逆に無理をしてかも)
 そもそもエースは弱みを見せたがらない節がある。ルフィがいるとそれは顕著で、きっと弟の前だからと兄としての矜持で取り繕ってしまうのだ。
 時折、森の方で火の手が上がっているのは確認している。木々に燃え移って火事になるわけでもないので、その辺りの理性は働いていると見える。
 手がかりもなく真っ直ぐに進んできたが、飛んで上から見た方が早かったかもと思い直す頃、特徴的なテンガロンハットを見つけた。緑の中にオレンジはよく映える。
「エース」
「・・・・・・セーラ」
 気を背もたれに項垂れていた息子にセーラは声をかけた。
 エースはボロボロの顔を上げ、セーラを見るとぐっと何かを堪えるように顔をしかめる。
「なんできたんだよ」
「私がエースを放っておくわけないでしょう?」
 ぐっと唇を噛みしめたエースは、また膝に顔を埋めて「それでも来て欲しくなかった」と苦々しく呟く。
「・・・・・・つらい?」
「辛いなんてもんじゃねぇ! 俺のせいで家族が死んだんだぞ!? あんなにたくさん!!」
「死にたい?」
 びくりと核心を突かれた身体が震えた。しかし、自分の命がなぜこうしてあるのか、なぜみんなが死んだのかを思えば、その言葉は到底口に出せるものではない。
 結局エースは、目からボロボロと涙をあふれさせて歯を食いしばることしかできなかった。
 セーラはそんなエースの頭をそっと抱き寄せ、自分の肩口に寄りかからせる。
「自分のために、誰かが死ぬのは辛いよね。自分が代わりに死にたかったよね」
 髪を梳き、後頭部をそっと撫でながらセーラは告げる。
 それは、自分にも覚えのある感情だった。
「でもね、エース……エースのせいじゃないんだよ」
「なに言って……」
「もし、私があの場で死んだとしてもエースのせいで、なんて絶対に思わない。ただエース、」
 濡れた顔に張り付く髪を払い、耳にかけてやる。充血した目が痛々しい。
「あなたの無事を祈るだけ」
 じっと見据えたまま告げるセーラ。藍色の瞳は夜の海のように静かで恐ろしいのに、その奥でエースへの愛を感じるからどこまでも暖かく感じる。
「エースのために、あそこまで戦いに来てくれる人たちだよ? エースのせいなんて言わないよ」
 きっとそれはエースが一番わかってる。だからこそ、苦しんのだということも。自分を責めるしかないってことも。
「ぁっ、セーラ……」
「うん」
「おれ、俺……生きてていいのか?」
「生きててくれなきゃ困るよ。私、二十年ぽっちで息子とお別れなんて出来ないよ」
 ぐっ、眉が力強く寄せられて、固く閉じた目からは絶えず涙があふれる。そのうちエースからは掠れた泣き声が漏れ出た。
「ふっ、う、あああっ!」
 セーラにできるのは全力で泣かせてあげることだけだ。なにも気にせず心のままに感情を吐露させてやることしか出来ない。
 抱きしめ、その背をさすり、時折穏やかに声をかける。
 背中に回ったエースの腕は、痛いほどに縋り付いてきてセーラの肌に浅い傷を残す。それでもセーラには痛みなんて感じなかった。
 ただ、この子の心が休まるようにただそれだけを願っていた。
 ――母さん、俺って生まれてきてよかったのかな。
 夜の帳の中、布団の中ですり寄る子供の言った言葉。あの時も、セーラはこうしてエースを抱きしめてその頭を、背中をなでていた。
 あの頃は小さくてセーラの体ですっぽり抱きしめて守ってあげられたのに、今じゃ腕を回すことしか出来ない。
 それがなんだか歯がゆかった。
(エース、生きててくれてありがとう……)
 あなたの命を喜んでいる存在がここにいることを、どうか知っていてほしい。
 あの時と同じ気持ちで、セーラは愛おしい息子の身体を抱きしめ、その温もりを感じていた。

 翌日、控えめながら笑みを浮かべて兄貴分たちの輪に入っていくエースを眺め、セーラとニューゲートは眼を合わせてほっとしたように笑っていた。