三話

 エースという男は、やることなすこと豪快で悩みなんてなさそうに見えるけど、夜、フィアと二人で部屋にいるときは随分と静かな面持ちを見せる。
「なあ、フィア」
「ん?」
 灯りも付けず、窓から差し込む月明かりだけが僅かな光源となっている部屋の中。
 ベッドに腰掛けたエースは窓の外の海を眺めながら不意にフィアを呼んだ。
 ふわりと部屋の中で浮かび、自身の手元で小さな炎を操って遊んでいたフィアが振り返れば、エースはやけに凪いだ瞳で夜の海を見つめていた。
 その横顔には、どこか固さが見える。
 緊張なんて似合わない男が、その身体を強ばらせていた。
「おれよぉ・・・・・・」
「うん」
 吐き出された言葉に震えを感じたのは気のせいだろうか。
「俺は、ゴールド・ロジャーの息子なんだ」
「ゴールド、ロジャー・・・・・・? 有名な人?」
 ゴクリと喉を鳴らして怖々と待っていた言葉は、フィアには理解の出来ないものだった。
 コテンと首を傾げたフィアに、エースはパチパチと大きく目を瞬かせている。
 拍子抜けしたみたいな顔だ。
 エースとしては一世一代の告白だった訳なのだが、さっきまで緊張で眼も合わせられなかったのが馬鹿みたいなほどに笑えてきてしまった。
「はは! そっか、お前知らねぇのか・・・・・・悪魔の実だから」
 ゴロン、と背中を倒してエースはベッドに横になる。
 肩にいたフィアは慌てて引っ込み、今度は仰向けに寝るエースの腹からひょこりと顔を出す。
 危ない危ない。あのまま肩にいては、布団に触れて燃やしてしまうところだった。
「そのロジャーさんて、嫌な人なの?」
「世間からしたら極悪人だ」
「ふーん・・・・・・俺からしたらエースのお父さんってだけだけど」
 エースはなにをそんなに緊張していたんだろう。
 重大さをこれっぽっちも理解していないフィアの様子に、エースはこいつになら全部話してしまってもいいだろうか、と少し期待が昇る。
 人ではないフィアなら、あの男のことを知らないフィアなら、さほど重く受け止めずにこの秘密を聞いてくれるかもしれない。
 時折、夜になると零したくなってしまう弱音を、こいつになら話してもいいとエースは思えた。
「俺のおふくろさ、俺のこと腹に二十ヶ月も入れててよ・・・・・・それで俺のこと産んで死んだんだ」
 ――俺のせいで死んだんだ。
 テンガロンハットで目元が隠れてしまって表情が窺えない。それでも、フィアにはどこかエースが泣きたそうな顔をしていることはわかった。
 エースの父の血縁を根絶するために、世界政府はその女性を探し回ったらしい。
 そのため、エースの母はエースを守るために自分の腹に十ヶ月以上赤子を留めてその目を欺いた。
 聞いた話を頭の中で整理し、フィアの胸にじわじわと湧き上がる感情。
 それは、ただひたすらにエースの母に対する賞賛と感謝だった。
 バッとエースの顔を隠す帽子を跳ね上げて飛ばす。
 もしかしたらちょっと縁の部分が焦げたかもしれないけれど、今回は許して欲しい。
 エースの上に跨がるような姿勢のまま、ぐいっと身を乗り出してフィアは言う。
「エースはさ、自分のせいだって言うけどさ。赤ちゃんて、大きくなったら自然とお腹から出てくるでしょ? 別にお母さんがよし産む!って思ったときに産めるものじゃないじゃん」
 排便とかと一緒で。と付け加えれば、静かに聞いていたエースは呆気にとられて「うんこと一緒にすんなよ」と嫌そうに顔を歪めた。
「エースはうんこ我慢できるの?」
「生理現象だろ。我慢できねぇもんだろそういうのは」
「出産だってそうだよ? 自然の摂理に逆らえば、自分の身体に良くないんだろうなって本能でわかるもんでしょ?」
 ――でも、エースのお母さんはやったんだね。
 はっと気づいたようにエースが目を瞠った。
「エースのせいで、じゃないよ。エースのため、だからお母さんは命かけられたんでしょ? エースがそれで申し訳なく思ってたらさ、そのお母さんの覚悟はどこに行くの? どんと胸張って誇らしくしとくぐらいでいいんじゃない?」
 淡い月光の部屋の中、その月明かりのせいなのかエースの瞳が艶を増した。
 それに――。
 フィアは己の真っ白な手でエースのほっぺを包む。そうして、こつんと額を合わせた。
「それに、お母さんが命張ってくれなかったら俺もデュースたちもこうしてエースに出会えてなかったんだもん。俺からしたら、エースを産んでくれてありがとうって、ただそれだけだよ」
 ――もちろん、そのロジャーさんにもね。
 額が触れ合わさって、睫毛が絡むほど近くでフィアの真っ赤な瞳がエースを射貫く。
 ただ一心にエースを見つめるその灼熱の色には、煮えたぎるような熱さとはかけ離れた心地よい暖かさが宿る。ふっと緩んだフィアの目元の柔らかさを目にしたエースは、己の眼球がぐっと熱い痛みを訴えるのを感じた。
 刹那、見開いた瞳は乾きと共に引きつるような痛みを覚えたが、すぐに潤みを増した瞳は目尻に滴を集め、瞬きと共にエースのそばかすの上を滑り落ちていった。
 目の前の炎の麗人に目を奪われながら、エースはただボロボロと己の目から涙を落とし続けた。
 自分では、泣いている自覚はなかった。なぜ泣いているのかもあまり理解していなかった。
 フィアは何も言わず、頬を包んだ指がエースのそばかすに触れ、時折宥めるようにエースの鼻先に唇を触れさせた。
「ありがとう、エース。今まで生きててくれて」
 ――ジジイ、おれは生まれてきてもよかったのかな
 どれだけエースが成長しようが、あの時の幼いエースが身のうちで膝を抱えて蹲っている。
 フィアのその一言が、蹲る幼子の肩をトンと軽やかに叩いてくれた気がした。
 
 ◇◇◇

「おい、フィア。秘密だからな」
 ぐいっと目元を擦るエースの言葉に、フィアは不思議そうに頷く。
「エースが泣いたこと? 言わないよ。エースが意外と泣き虫なの知ってるし」
「ちげーよ。親のことだ」
 そっちじゃねぇ、とエースは口を尖らせて呟く。フィアは、「ああそっち」と納得のいった声を上げた。
「わかった。まあ人のことペラペラ他人に喋ったりしないけどね」
 そうして、仰向けのエースの上で寝転がるような姿勢のフィアはちょんと、指先でエースの頬を突く。
「ねぇエース」
「なんだよ」
 赤くなった目元で軽く鼻を啜りながらじっと見下ろすエースを、内心でかわいいな〜、とフィアは眺めていた。
「俺の秘密も教えてあげよっか?」
「はあ? お前おれに秘密あんのか!?」
 ガバリと身を起こしたエースに、背中から倒れそうになったフィアは慌ててエースの首に腕を回して持ちこたえた。
 思ったより大きな反応が来て逆にフィアの方が驚いてしまう。
「おいフィア。俺たちの間で隠し事はなしだろ」
「そうだね」
 心底不機嫌そうに言われると、なんだか嬉しさもこみ上げてしまい変な顔をしてしまった気がする。
 しかし、その嬉しさに比例して口は重くなった。
(どうしよう・・・・・・急に言いづらくなっちゃった)
 エースはフィアのことを、悪魔の実の不思議な能力の一部だと思ってる、と思う。
 もし、それが違うんだってわかったらどうなるだろう。
(気味悪がられたりしないかな・・・・・・)
 そうしたら、エースはどうするだろう。
 悪魔の実の能力をなくすなんて出来ない。そうなると、エースは気味の悪いフィアという存在と共に一生一緒にいないといけないのだ。
 それはエースも辛いだろうが、何よりフィアにとっても辛すぎる。
「おい、なに隠してんだよフィア」
 白状しろ、とムスッとした顔のエースに促されるが、今の状況では到底言えそうになかった。
 せめてもう少し覚悟を決めさせて欲しい。
(なんで気軽に言っちゃったんだろ・・・・・・)
 まさか数分前の自分を恨むことになるとは。
「あー・・・・・・エース」
「なんだよ」
「やっぱ今度でいい?」
 てへっと首を傾げておどけてみせたが、「はあ!?」とエースの声が発せられた瞬間に身体に引きこもった。
 ――出てこい、秘密ってなんだよ!
 途端にエースの声が水の中から聞いているようにぼやけて遠くになる。
(ごめんエース・・・・・・いつかちゃんと言うから)
 だからもう少し待っていて欲しい。
 ――俺さ、昔の記憶があるんだ。人だったみたいでさ。
 そんなことを言ったら、エースはどう思うかな。
 とぷんと水の中を揺蕩うように、フィアはしばし眠りについた。

 そして、この秘密の話をするときは思っていたよりも早く訪れた。

「ルフィに兄貴がいたとはな!」
 呑め呑め! とシャンクスがエースにたえず酒を勧める。それを横目にベックマンは自身の船長を窘めた。
「お頭、ほどほどにしとけよ」
「なーに言ってんだベック! こんな日に呑まねぇでいつ呑むんだよ!」
「お頭はいつだってのんでるじゃねぇか!」
 ぎゃはは、と赤髪海賊団の船員たちが賑やかな笑う様をフィアは物珍しげに眺めていた。
 その様子を手持ち無沙汰だと認識したエースは、己の背後できょろきょろしているフィアを手招きして呼び寄せる。
「なに? エース」
「お前甘いの好きだろ。呑んでみろよ」
 うめぇぞ、とエースの差しだしたグラスを両手で受け取り、フィアは恐る恐る舌先でちろっと舐めた。
 途端、ピン! と目を縦に開きパチパチ瞬いたあと今度は口をつけてぐびぐびと飲み下す。
「おい急いで飲むとむせるぞ」
「んぐ、大丈夫。それよりこれ美味しいね〜」
 ぷはっと肩を落としてリラックスした様子のフィアが朗らかに笑いながらエースにしだれかかる。
「酔ったのか?」
「酔ってませーん! もう一杯ちょうだい」
 へらりと笑う表情は、四六時中見ているエースとしては随分ふやけて見えた。
 ここが二人きりの自室ならばよいが、今は自分たちの船員以外に赤髪の船員もいる。
 ただでさえ人目を引く容姿なので、フィアをチラチラと見てくる者が多い。
 そんななか、この状態のフィアを見せるのはなんだか面白くなかったので、エースは炎の髪の揺らぐ隙間から見えた白い額にデコピンを一つ。
「・・・・・・だめだ」
「いたい! ケチ!」
 自分から勧めたくせに! とフィアがぽかぽかとエースの胸を叩くが、撤回する様子はない。むしろグラスまで遠ざけられてしまってより強固に意思表示されてしまった。
「へ〜それがメラメラの実の能力か?」
 二人のやりとりを眺めていたシャンクスが感心したように呟く。
「ああ、俺が食った悪魔の実にくっついてたんだ」
「へぇ・・・・・・悪魔の実が自我を持ってんのか」
 隣で静かに酒を運んでいたベックマンが続ける。
「やっぱフィアって珍しいのか?」
「ああ、海で色んな能力者を見たがフィアのような存在は見たことないな」
 シャンクスの言葉に、エースは「ふーん」と何を考えているのかわからない相づちを返す。
 たき火を囲っていたシャンクスが、エースの肩に寄りかかるフィアの髪に手を伸ばした。
「火傷するよ」
「やっぱ火で出来てるのか」
「うん」
 その手をひょいと避けるようにエースの右から左に身体をずらしたフィアは、そのままエースに隠れるように身を竦める。
 きょろきょろと物珍しげに見られるのは慣れているから別段気にはならない。
 しかし、この人たちはエースたちよりも長く海にいて、その分いろんな知識を持ってる。
(俺がおかしいって気づかれたらどうしよう・・・・・・)
 シャンクスたちからすれば、この偉大なる航路でのことだ。何があったって不思議ではない。
 しかし、そんなことを知らないフィアは、ぐるぐると考えて最終的にエースの中に引っ込むことにした。
「フィア? もう寝んのか?」
 何も言わずに姿を消したフィアにエースが声をかけたが、うんともすんとも返答はない。
「ん? 寝ちまったのか?」
「ああ。引っ込むのは寝てるときぐらいだからな・・・・・・」
 だが、どうにも様子が変だったな。とエースは内心で首を傾げた。
 けれど、弟の恩人であるシャンクスの手前、ここで問いただすのも気が引ける。

 結局賑やかな宴を終えて、あと数時間で夜が明けるという時間になって船に帰ってきた。

「フィア」
 真っ暗な部屋の中で呼びかけたが、相変わらず返事はない。
「おいフィア。聞こえてんだろ」
 寝ていないのはわかっているのだ。
 フィアが寝ているときは、もう少し存在感が希薄になる。エースの感覚の問題になるが、今の状況では起きていると自信を持って言えた。
「どうしちまったんだよ。急に引きこもって」
 ぼん、とベッドに座ってエースが声を出せば、そのあまりのしおらしさにフィアが腹から顔を出した。
「お前! やっと顔だしたな!?」
「わー! 待って待って引っ張んないで」
 逃がさないようにそのひょろりとした首に腕を回して引き寄せる。フィアは苦しさを訴えるようにペシペシとエースの腕を叩いた。
「で? なんで急に引っ込んだんだよ」
 じとりとエースからの視線を受け、フィアは口ごもる。
 ツンツン、と己の指先をくっつけてフィアがすぼめた口で紡ぐ。
「・・・・・・俺が、変だってエースに気づかれたくなくて」
「はあ?」
「だから! 俺が他の悪魔の実と違うって思われたくなかったの!」
「今更なに言ってんだよ、フィア」
 思いもよらない言葉に、エースはただ困惑を表す。
「・・・・・・だって、俺がさ。本当は悪魔の実じゃないかもって知ったらエースさ・・・・・・気味悪がるでしょ」
「はあ?」
 ずっと俯いたままのフィアに段々と腹が立ってきたエースは、その顔をぐいっと両手で包んで上げさせると頭突きするような勢いで額をぶつけ合わせた。
「いたい!」
「お前がなにを不安がってんのかは俺にもわからねぇ。でも、別にお前が悪魔の実じゃなかろうがなんだろうが、俺がお前を気味悪く思うなんて絶対にねえ」
 きっぱりと言い切ったエースの真剣な眼差しを受け、フィアはそろそろと語り始めた。
「俺さ、多分悪魔の実とはちょっと違うんだと思う」
 エースはやっと口を開いたフィアの言葉に静かに耳を傾ける。
「長い間、悪魔の実にくっついてたけど、その前の記憶があるんだ」
「その前の記憶?」
「うん。曖昧で、はっきり覚えてるわけじゃないんだけど・・・・・・人だったような気がする」
「おまえ、人だったのか・・・・・・?」
「・・・・・・うん」
 頷くのは怖かった。
 不思議な能力の一部だから受け入れられていたが、全くの第三者が己の身体の一部になってるなんていくらエースだって嫌がるだろうと。
「なんで悪魔の実になっちまったんだ?」
「え? えっと悪魔の実になったっていうか、俺の意識みたいなものが、元々あった悪魔の実にくっついちゃったみたいな感じだと思うけど・・・・・・? って、え、それだけ?」
 僅かな驚きはあっても、ケロリとした顔で話を続けるものだから、逆にフィアの方が驚いてしまった。
「まあ昔は人だったってのには驚いたけどよ。別にフィアがフィアであることにはかわらねぇし」
 俺言ったよな? お前を気味悪く思うなんて絶対にねぇって。
 心外だとでも言いたげにエースが言うので、フィアは少し潤んだ視界を炎の髪で隠し、エースに抱きついた。
「ん? どうしたんだよフィア。っていうかお前ずっとそんなことで悩んでたのか?」
「そんなことって言わないでよ・・・・・・俺としたら一大事なんだから」
「・・・・・・俺に気味悪がられるからか?」
「そうだよ〜〜〜!!」
 よかった、と耳元でわんわん騒ぐフィアを横目に、エースはじわりと己の頬が熱を持つのを感じた。
 フィアの熱のせいだと思いたくても、自分の頭の中にじわじわと沁みるように反芻される言葉が、そうではないと突きつけてくる。
(おまえ、俺に嫌われるのがそんなに怖かったのかよ)
 言おうものなら、この様子ではフィアはすぐに肯定して同じように騒ぐのだろう。
 エースは唇に歯を立てて噛みしめ、喉の奥から湧き上がりそうな言葉を押し込めた。
 抱き留めていたフィアに触れる腕の力が、無意識のうちに強くなる。
(おまえ、なんでそんな軽々しく言えんだよ。この馬鹿)
 ねえエース聞いてる!? と先ほどからいかに自分が悩んで大変だったかと告げるフィアの言葉全てが、エースをたまらなくさせた。
 すでにエースの容量は満杯だ。
 なのに、フィアは「話聞いてないでしょ!?」っと勝手に決めつけ、また同じことを繰り返す。
 エースはただ己の身に溢れる感情の処理で時間がかかっているだけなのだ。
 フィアは自分の言葉の意味を自覚しているのかいないのか。
 今まで溜め込んでいたが故の開放感でつらつらと全て打ち明ける。
 エースにとっては、その言葉全てがフィアの中でどれだけエースの存在が大きいかという告白にしか聞こえない。

 フィアの話が再び回って三周目に突入しようとしたとき、さすがにこれ以上は耐えきれないとその白い肌に噛みつけば、「痛い!」と半泣きになったフィアが反射的に炎を放ち、エースの毛先を掠めて壁に激突。
 焦げた匂いに気づいたデュースが飛び込んで来て、仲良く叱られる羽目になった。
 
 
(おまえ、人だったときどこに住んでたんだよ)
(なんかここみたいに島がたくさんあるわけじゃなくて、大きな大陸がいくつもあるような世界で人が生きてて、みんなが学校行ったり働いてたり、平和なところ)
(別の世界みてぇだな)
(多分違う世界なんだと思う。こことは違って科学が発展してて、不思議な機械がたくさんあって色々便利な所だったと思う。あんまし覚えてないけど)
(ふーん。いいところじゃねぇか)
(でも、俺はエースたちといられる今の方が好きだよ)
(・・・・・・ふーん。そうかよ)
(あれ? なんかエース顔赤いよ? 風邪引いた?)
(うるせー)