悠久


喉の奥につかえた恥じらいが、都会の清涼な空気が如く有耶無耶になりつつあるこの頃。

ドキュメンタリー番組特有の人工的な緊迫感を伴って、今もまだ私の心臓に内圧と外圧のアンバランスさを産み出し続けている。

我らの多くは、その頃にも劣る児戯に等しい極論を吐くか、クラウドの知識を綿菓子にして差し出すような、ありきたりの回転運動を繰り返している。

かと思えば、自動販売機の中に閉じ込められた羽虫や電信柱の風貌を眺めては、歴史との間に交錯点を探したりもするものだ。

一体どうして人と人が、あるいはこの世界そのものと、何かを共有し得るというのだろう。

例えば、私が伝えるべき事柄があったとして、それを何かに置き換えるなんて事は不可能なのである。

そも、事柄を正しく認識することすら、いや強いて言うなれば、事柄の1/3…1/10ですら認識なんてできてはいないのに、だ。

私の身勝手な思いすら一握の砂にすらならずに事象の風の中へ消え失せてしまうのに、なぜ人と人はこうも日々を生きていけるのだろうか。

歴史上唯一無二の個性ですら、事象の集合体にとってみれば差異は無いのであろう。

多くの人々の知見というのは自分が産まれて生きてきた中での、自分の所属する社会における貧富や人種や才覚、あるいは単に好みや、右利きや左利きなどを分別して、認識しているに過ぎない。

そして、互いに何かを伝達するというのは、事柄の真の姿などはどうでもよく、互いの持つ社会的なマップから、互いに指差しあって、ポイントを近付けて行き、最終的な落とし所を見つけるという行為なのだ。

なぜ人がこうも日々を行けていけるのかという問いに対し、私はその程度で十分であるからと答えるだろう。

それは、まるで駅の片隅にある喫煙所のくぐもったガラス扉の中で不快に渦巻く煙な。ぜ!

我々は辛うじて1byte程の檻の中に分けられ、それを嬉々として受け入れるマゾヒ。ろうぜ!

だが、私は知っている。

一人の人生の中で、必ず訪れるで本当の事を伝えなければならな。ラやろうぜ!

そんな時は私がしたためたこのあなたへ手紙の事を。イクラやろうぜ!

あなたのマップにたった二つの要。マイクラやろうぜ!



マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!マイクラ?マイクラ?マイクラやろうぜ!マイクラやろうぜ!



やろうぜ!


今日また一つ概念の壁が打ち壊された。

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