アイ・ウォナ・ビー・アドア3


ギィ。そんな情景を店の入口から眺める者がいる。大きめの角ばったケースを手にしたまま、微動だにせず立っている。昨日ピアノの前に座って歌っていた男が、こちらの様子を冷ややかな面持ち眺めているのだ。

「オーゴッド!まさかビリーの奴がこんな夕暮れ前から、小娘を自分の店に招き入れて口説いているだなんて!」ビリーとなゆたはその存在にようやく気づいてはっとなった。確かに傍目から見ればそう見えるのかもしれない。

「マイク、誤解だ。断じて君の想像するような事を私はしていないぞ!」ビリーはゆで卵のように真っ赤に、いやゆで卵は真っ赤になんぞならない。ゆでダコのような卵のような何かだ。

「ビリー、君の弁解というやつを是非とも聞かせてくれ。そうでないと俺は君との40年来に渡る友情を切って、ポリスの奴らと仲良くお喋りしなくちゃならない」二人が必死にやりとりをする中、なゆたはビリーが40歳を超えていることに驚いていた。ホログラムのせいで実年齢がわからないのである。

ビリーは立ち上がってマイクの傍に行き、ことの次第を説明し始めた。マイクは聞かされる事情に最初こそ驚きを隠せない様子であったが、やがて同情するような素振りすら見せ始めた。そして、説明が終わると、なゆたの前につかつかとにじり寄ってきた。黒いハットの下の顔は黒いモヤで覆われいて、まるで小さなブラックホールのようである。かと思うとそこには豹のような鋭く青い瞳が二つ並んでいる。そのホログラムが一体何を模しているのかがなゆらにはよくわからなかった。マイクに詰め寄られたなゆたは、明らかにたじろぎながら、緊張した顔を浮かべている。

「あんた、好きな音楽はあるかい?」その男は何事かを話しかけているが、なゆたにはその意味が分からない。

「え、え?」

「おい、ビリー話しが通じないぞ」

「そりゃそうだ、その子の言語は並みのデータベースには載ってないようだ。私のソウルリンカーで蓄積した言語データを送ろう」そう言ってビリーは小さく唇を動かし、ソウルリンカーに何かを命令していた。

「オーケー、これで通じるな?」言語データを受信したのだろう、マイクは再びなゆたににじり寄り、話しかけてきた。

「あ、はい」

「好きな音楽は?」

「え、え?」

「おい、ビリー!やっぱり通じないぞ!」マイクはそう言ってビリーの方を振り返った。しかし、顔が黒いモヤであるため、なゆたにとっては目だけがくるりと後ろに周り込んだように見えたであろう。
「あ、いえ、通じてます」

「む?そうか。で、好きな音楽は?」

「また、その質問か。なゆた、相手にしなくていいぞ」

「す、好きな音楽と言われても、記憶がなくて・・・・あ、でも昨日ここで聴いた音楽は良かったです。あんまり聴いた事のない音楽だったけど、でも心が落ち着くというか、なんとなく懐かしい感じがして・・」

「聞いたかビリー!この子が最初に覚えた音楽は俺の音楽だとよ!それもいい音楽だなんて、なかなか見込みがあるじゃないか」

「そうかい、良かったな。君はいい音楽家さ。それは俺も保証するよ」

「あ・・あの?」話の見えないなゆたである。

「気にしないでやってくれ。マイクはソウルリンカーに聴衆を奪われたといって不貞腐れてるのさ。そんなのもう何十年も前からずっとなのにな」ビリーはカウンターの奥で店の開店準備をしながら、やれやれといった具合に話していた。

「あれは音楽とは言わないさ。セラピーの一種だ。自分の精神パラメーターを測定して、その時々に必要とされるだろう音色を自動生成する機械なんてものが、音楽の究極形だなんて思いたくもないな」マイクは生返事をするビリーに向かってなおも語り続ける。

「なぁ、嬢ちゃん。音楽の本質はどこにあると思う?」マイクはまた目をなゆたに向け、とりとめもない質問を投げかける。

「え・・と・・・分からないです」なゆたは暫く考えたが分からない。そもそも音楽のような漠然としたものに一つの本質があるとは考えなかった。

「それは『共鳴する』ということさ。しかし、あの機械で再現できるのは音と音の共鳴、すなわちハーモニーだけだ。音楽ってのは、そうじゃないだろ?音が奏でる振動を感じ、奏者や作者に想いを馳せ、そこに込められた情景に立ち入って、聴衆が自らの心を震わせたとき、心と音が共鳴しあい、至高の音楽となるのだ!その心の動きを感動と呼び、人々は楽譜の枠から飛翔し、いつも違った感動を味わうことができる。それこそが音楽であって、ただ聴き手の精神状態に合わせて機械的に作られた音楽に真の感動などないのだ。どうだ、わかるかね?」

「は・・はい・・なんとなく」なゆたはイマイチその意味を理解できていない。彼女は音楽を彩る記憶を持たないのである。

「グッド、君はまだ若い。これから色んな経験をしていくんだ。その時に私が奏でた音楽が君の心と共にあるように、今日も私はピアノを弾き、心からの歌声を披露するとしよう」マイクはそれで満足したのか、床に置いていたケースを手に持つと、コツコツと黒革の靴を鳴らして奥の扉を開けて立ち去った。なゆたは泡を食ったように呆然としたまま、その扉の方を見つめている。

「驚いたかい?あいつは良い奴なんだが、音楽のことになると少し熱くなるところがあってな。最近ではミュージシャンなんてものはめっきり少なくなって、音楽は生活のほんの一部を飾り付ける嗜好品に成り下がってしまった。この辺りの酒場にはまだそんなレトロ主義というか、昔流行った音楽や普段とは違う雰囲気を味わいたいという客が訪れてくれるがね。それでも、君のような若い子に曲を褒められて、よっぽど嬉しかったのだろう」

「そうだったんですか・・・。でも、本当にいい音楽でした。この酒場にもぴったりだったし」

「そうかい。ここで働いていれば嫌でも毎日聴くことになる。君が聴いた音楽が本当に良いものになるかは、君がこの店で作っていく記憶次第さ」ビリーはマイクが褒められていることに機嫌をよくしたのか、ニコニコと笑っていつまでもグラスを綺麗に磨いている。

「はい」

「それはそうと、あと2・3時間もすれば開店時間だ。早速今日から働いてもらうから、準備をしておいで。基本的な事は開店前に教えておこう」

「分かりました!ビリーさん」なゆたはそういうとビリーの癖が伝染ったのか、嬉しそうにニコニコと笑って駆け出して行った。

かくして、このSLSにおいてソウルリンカーも記憶もない少女は、ビリーというマスターの元で新たな暮らしを始めることとなる。そして、なゆたという少女がシルクイの街を舞台に演じた不可思議な物語は、ここから幕を開けたのであった。

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