フェノメナル・キャット1


「んぎぃい、ぎっひい、ひっ」

なゆたは慣れない手つきで箱の中でだらしなく寝そべるフェアリを手に取って、肩と太ももを掴んで力一杯にひねる。すると、どどめ色の異臭を放つ液体が、ボタボタと鍋の中に注ぎ込まれて行くのであった。

「んっぎぃい・・・」


 時刻は17時を回り、なゆたとビリーは仕込みや開店準備に奔走していた。なゆたがこの酒場で働き出してようやく1か月が経とうとしている。

言葉も通じず、文化も違う世界では、なゆたの苦労は絶えない。不慣れな仕事に対し、寛容な客がほとんどではあるが、怒鳴る客もいれば、好奇の目を向ける客もいる。そうかと思えば、会話すら取り合ってくれない客もいる。

その度になゆたは落ち込んで、物陰でこっそり泣くのだが、それでもなゆたの悩みや感情は、記憶や将来といった漠然とした対象ではなく、もっと身近な生活へと向けられているようになっていた。

「ヘイ、なゆた。今日も張り切っているじゃないか」振り返ると、マイクが立っていた。

「こんにちは、マイクさん!」なゆたは元気に返事をする。

「グラド語も大分上達したみたいだな」なゆたの言語は初対面の人間には理解ができない。しかし、客商売である以上それでは何かと困るので、共用語を勉強しているのだった。

「お客さんと簡単な日常会話くらいならできるようになりました」

「グッド、やはり若い間は覚えが早いな」

「おや、来たかい?」マイクの声を聞いてビリーも奥の部屋から顔を出した。

「やぁ、ビリー。そういえば、例の件だが・・・」

「あっ!しまったな」マイクが何かを言おうとしたのを遮るようにビリーは言った。

「どうしたんだ?」

「仕込みの量が足りないのさ。買い出しにいきたいが、こっちはまだ手が離せないし、どうしたものか・・」

「なんだ?そんなものストックマートで・・・」

「いや、これはこの街の商店街でしか手に入らないんだ。さて、どうしたものか・・・」ビリーは無い顎をさすりながら、チラリとなゆたを見た。

「あ、それなら私が行ってきます」なゆたはマイクの怪しげな素振りには疑問も抱かず、その役割を買って出た。

「ふーむ、そうだな。そうしてくれるかい?」

「はい!」

「では、サルビの香草と人面魚の鱗とサイコシロップと・・・」マイクは買い出しのリストを旧式の小型端末に入力し、なゆたに持たせた。

「これで頼むよ。商店で端末を見せて、品物を受け取ってくるだけだ。未経験者OK!誰でも簡単にできるお仕事さ!」

「は、はいっ。頑張ります!」なゆたは手についたフェアリのべとべとした体液をタオルで念入りに拭うと、早速外出用の服に着替えて、そそくさと店の外に買い出しに出かけて行った。

「あ、いつもの道は使えないから地図に記してある道でいくんだぞって・・・もう行ってしまったか」

「ふっ、真面目でいい子だ。ややそそっかしいところはあるがな」マイクは肩をすくめながらそう言った。

「ま、若いのはそれくらいで丁度いいさ。いざとなったら連絡をしてくるだろう」

「それにしても、ソウルリンカーの申請の件はまだなゆたに話してないのか?」

「ああ、結局申請は通ったのかい?不確定な情報であまり期待させても悪いからね。ちゃんと申請が通ってから話そうと思っていたんだ」ビリーはなゆたのソウルリンカーを国から支給してもらうために、申請書をマイクに手渡していたのだ。

「ダメだったな。やはり戸籍がないとソウルリンカーの支給はできないらしい。データバンクからなゆたの戸籍を探してもらったが、どうにも検索に引っかからないんだぜ」

「むぅ、やはりそうか。なゆたという名前も果たして本名なのかどうか・・・・これでは探しようもない」

「なゆたの生体データを計測すれば、ここ20年以内に出生した子供のデータと照号して割り出せるかもしれないとも言っていたが、当初はデータ登録する人間もまだ少なかったし、もしSLS圏外で産まれていた場合はお手上げだぜ」

「生体データーか。遺伝子配列から知能指数まで調べ上げれば、確かに出生地や年齢まである程度正確に分かるのだろうが、今はまだ心が不安定だろうし、時期尚早な気がするよ」

「ビリーの気持ちも分からなくはないが、なゆたは見た目より賢くてたくましい子だ。自分の事は自分で判断できるだけの知性はあるさ。最近は働いてばかりで自分のことに目を向ける余裕がないだろうし、一度じっくり話し合ってみることだな」

「そうだね。まぁ、あの子ならソウルリンカーを付けれなかったとしても、逞しく生きていけそうだが・・。寧ろ、ソウルリンカーなんてものが、人間にとって一体どれ程必要な代物なのかを考えさせられるよ。人の心はこの進みすぎた文明を受け入れられるほどに成熟していないのだよ」ビリーはそんな詮無きことをつぶやきながら、いつもの笑顔にわずかな影を落とす。

「・・・リンダはやはりまだ?」

「ああ、ずっと眠ったままさ。未だに有効な治療法も見つからない。ソウルリンカーが開発されてから2000万人近い人間を眠りの呪縛にかけ続けている謎の病気さ。再び目を覚ましたのはこの20年でたったの数人しかいない。彷魂病という名の通り、彼らの魂はソウルリンク上を当てもなく彷徨い続けているのだろうね」

「最近じゃソウルリンカーを付ける前の適正検査によって発症する人はほとんどいなくなったようだが、SLSが生み出した唯一の負の側面だな」

「私の建てた病院でも、患者の受け入れは年々減ってはいるね。ソウルリンカーの仕組みが解明できれば、治療法も見つかるかもしれないが、ソウルリンカーの根幹部分はブラックボックス化されていて、誰にも分からない」

「犯罪に利用されないためには仕方ないことだが、そのせいで彷魂病の治療法が解明できなくなるとはな。あれからもう20年か。まだソウルリンカーを付けた事を悔やんでいるのか?」

「今は受け入れてしまったさ。この社会は彷魂病というSLS特有の病気を産みだした以上に、より多くの人間の命を救ってきたのだから、私の憎しみは我侭というやつだろうね」

「まあな、俺もそうだぜ。都会で音楽需要が無くなったことで社会を恨んだこともあったが、社会全体を見ればそれが一番合理的であったし、犯罪や戦争を無くすことに比べればとても小さなことだったのさ」

「マイク・・・」

「だからといって、何もかもを時代に任せていればいいってことにはならないぜ。この激動の時代に対しては、その時々の時勢に沿ってうまく生き抜いて行く努力が必要さ。俺は今の自分をそれなりに気に入ってんだぜ。このシルクイの街には俺の音楽を求めてくれる人間もいる。街に住む人間は皆陽気だし、心を落ち着かせる大自然も広がっている。時代が変わったことで新しく見えてくるものもあるはずさ」

「確かに、この街はいい所だね。都会とも地方とも違う、SLSと人の調和を目指した街だ。リンダはきっとこういう暮らしをしたかったのだろうね」

「かもしれないな。何、そんなに気を落とす事もないさ。俺たちが若かった頃には考えもつかなかった発明や研究がどんどん進んでいるんだ。彷魂病だって今にきっと完治できる日がくるさ」

「ありがとう、マイク」

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