フェノメナル・キャット3
「私の名前はシンディ。生態学の研究をしていて、この街には仕事で来てるんだ。ここには大きな自然公園があるからそこで動物なんかの生態を観察しに来たんだ」ようやく追いついて来たなゆたの歩調に合わせながら、シンディは自己紹介を始めた。
「へぇー。研究者さんなのですね。私はなゆたです。スマイルのお店で給仕のお仕事をしています。まだ仕事を初めて日が浅くて、自然公園にも行った事がないのですが、お客さんからもこの土地には色んな動植物がいて、何日いてもまるで飽きないと聞いてます」なゆたは自分が記憶をなくしていることに質問が及ばないかと、少し身構えていた。
「なゆたって名前・・・」シンディはなゆたが仕事を最近始めたことよりも名前の方が気になったようである
「どうかしましたか?」
「いや、ちょっと変わった名前だなと思って。どこの国の出身なの?」シンディはあまり聞きなれない名前から、この国の出身ではないと判断したらしい。
「えっと、ネジケル共和国です」なゆたは目を伏せて少し言い辛そうにそう言った。勿論なゆたの故郷に関する記憶は未だ無いままである。これはマイクが出身地を聞かれた場合に用意していた偽の答えである。
「ああ・・そうなんだんだ」シンディは少し申し訳なさそうにして、それ以上の事は聞こうとしなかった。ネジケル共和国というのはそういう国であるらしい。
「所で、何の買い物をしに行くんだっけ?」シンディは話題を変えて、そうなゆたに質問した。
「あ、そうだ。えーと、これです」なゆたは携帯端末のメモを開いて、そこに書かれている文字をシンディに見せた。
「ふむふむ。へぇ。これをわざわざ商店まで買いに行くんだ。なゆたのお店はよっぽど品質にこだわっているんだね」シンディは画面に映し出された食材の名前を見て言った。
「え?どういことですか?」なゆたは思わずそう質問した。
「だって、こんなの普通のお店ならわざわざ商店まで出向かなくてもストックマートで頼めばすぐでしょ?」シンディはあっけらかんとしてそう答える。
「ストックマートって?」なゆたは商店以外での買い物をしたことがなかったので、ストックマートという物が何なのかが分からなかった。
「まさか、ストックマートを知らないの?ああ、でも知らないって事もあるのか」シンディは少し驚きの色を表情に滲ませたが、勝手に何やら納得したようである。どうにもマイクから教わった出身地の答えは、相手を忖度させるのに効果が絶大であるらしかった。
「すみません」なゆたは自分の無知を恥じながらそう言った。
「いや、いいんだよ。ストックマートってのは小売と物流を一体化させた店舗の事なんだ。ソウルリンクから注文された商品は、各地域に点在するストックセンターから、レイルネットを通じて自宅近くのハブに送られて。そこからドローンなんかを使って自宅まで配送してくれるシステムなんだ。受注から配送までを全てAIで管理しているから大概の物は30分もあれば自宅に届くんだ。だから、これくらいの食材ならストックマートで注文した方が手っ取り早いんだよね」シンディは丁寧にストックマートの仕組みについてなゆたに説明した。
「すごい。30分で欲しい物が自宅に届くなんて夢みたいなお店ですね」ロジティクスの効率化はなゆたの常識を超えて進化をしているらしかった。
「この街は観光地だから景観を損ねないためにドローンはあまり使っていないみたいだけどね。でも、商店に出向くよりはハブに取りに行った方が早いんじゃないかな。お店の近くにもハブはあるでしょ?」
「ハブっていうのは?」
「え?ああ、いや、いいや。いいや。ほらそこにもあるでしょ?あれがハブ」ハブなんてものは子供でも知っている知識であるが、シンディはなゆたが知らない事にいちいち驚くのをやめた。そして、道沿いにある小さな店に指球を向けてそう言った。
「ああ、コンビニの事ですか」なゆたは街中でよく見かけるその店を見て、ようやくハブの意味がわかったようである。
「コンビニ?」しかし、なゆたが店を見て自然に口に出した呼称は、シンディにとっては初めて聞く名であった。
「コンビニですよね?あれ?そういえば何で私あの店の事をコンビニって呼んでいたんだろ」改めてその名について考えてみると、よく分からなくなった。この道を道と呼び、あの鳥を鳥と呼ぶように、コンビニの事をコンビニと呼んだに過ぎなかった。しかし、時折起こる固有名詞に対する常識とのずれは、おそらく失われた記憶に起因するものなのであろう。
「はは。ネジケル共和国ではそういう呼び方してるんだね。ま、確かに昔からある物の名前の由来なんてのは意外と何でその名前になったのかって聞かれてもわからなかったりするよね」シンディはコンビニという呼称に対して不思議そうに頭を悩ましているなゆたを見て励ますように笑った。
「そうですよね。なんだかよく分からなくなっちゃいました。あ、お店についたみたいです。急いで食材を貰ってきますね」なゆたはそう言うと、モヤモヤとした気持ちを払拭するように店に向けて小走りで駆け出した。
「はは、何だかおもしろい人見つけちゃったな」シンディは駆け出したなゆたの後ろ姿を見て小さく呟き、ざらざらとした舌でゆっくりと舌なめずりをした。
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