物語だった日々
ハクはヨナが現れたことにより動揺した。集中が切れて身体に回った毒によろめき、大きく刀傷を受ける。そのままハクは絶壁に片腕一本繋ぎ止める形で、なんとか保っていた。ヨナはハクの元へ行こうと走り出すが、テジュンに髪を掴まれ動けない。ユラも走り出した。間に合え。間に合え。世界は甘くない。だけど、私の世界は私が守らせて。これ以上失いたくない。唯一の肉親のためならば、修羅の道だろうとまっすぐ進んでみせる。
紅い、暁色の髪の毛が宙を舞った。ヨナが、テジュンの腰にあった剣で、大切に伸ばしていた髪の毛を断ち切ったのだった。ヨナはハクの元へ駆け出し、非力な腕で引き上げようとする。我に返ったテジュンがヨナとハクを引き離そうとする。
「者共控えなさい!」
ヨナたちのいる絶壁と、兵たちの間にユラの射った矢が刺さった。それは境界になって兵たちの足を僅かに止める。その隙にユラはヨナとハクを背に庇っていつの間にか手にしていた剣を抜く。強い目力で兵たちを射抜けば、彼らは突然の乱入者に動揺を隠せないようで、指揮官であるテジュンを見遣った。
「何をしている!殺せ!ハクから姫を引き離せ!」
「私を誰と心得る!!?」
ユラが久方ぶりに出した大声は、確実に言霊を宿していて、兵たちから言葉を奪った。
「王なき今!第一王位継承者であるこの皇女ユラに!刃を向けると云うのか!!」
火の部族の間に更なる動揺が走った。すでに殺された筈のユラ姫が、生きていた。戯れ言を、と切り捨てるのは簡単なようで難しかった。事実ユラ姫であるのだが、言霊の力を使った今、それは彼らの胸に大きな杭を打って強制的に心に留められている。
今がチャンスと言わんばかりにユラは後ろを振り返り、ハクを握るヨナの手に己のそれを重ねた。合図で引き上げようと、そう目で語りかける。その時、限界を迎えたハクの指が崖の淵から外れた。ハクの体重を女子二人が引き上げられる筈もなく、逆に引っ張られて身体が奈落に吸い込まれる。
ユラは自分が落ちていくのがとてもゆっくりに感じていた。気を失ってしまったヨナを庇うように抱きすくめ、ハクに出来る限り手を伸ばす。ハクも必死にこちらに手を伸ばし、ピンと伸びた指先が触れ合った。第一関節だけで繋ぎ止めるもきっとすぐに離れてしまうだろう。少し身体が寄って、指が一本絡んだ。しかし今度は身体が引き離されて、あえなく指は離れてしまう。
ユラは唇を引き結んで、ヨナの肩に手を置いた。そのままハクの方へグッと押しやる。ヨナはしっかりとハクの腕の中に収まり、逆にユラの身体は慣性の法則に則って離れていく。ハクの大きく見開かれた目が印象的だった。ハクはそれでも手を伸ばすが、腕では足りないほど二人の距離は開いている。ユラはハクと同じように手を伸ばすようなことはせず、静かに目を閉じた。
ユラはまた夢を見ていた。また5人の人影が見えて、ユラはそちらに寄る。初めて彼らと同じ場所に足をつけると、何も見えなかった世界が一転してからりとした晴天と、砂漠中にそびえ立つ王国に姿を変える。
そうだ。ここは玖楼国だ。砂漠の中にそびえる国。その王宮に、ユラは居た。愛する婚約者の桃矢王。彼の大切な、義妹になる予定のサクラ姫。サクラ姫の幼馴染みで、彼女と好き合う仲の小狼。サクラのために小狼とユラと、次元を超えた旅を共にした黒鋼とファイ。
何故、今まで忘れていたのだろう。
「王 如何なさいましたか?」
「お前なぁ…仮にも婚約者なら王はよせ」
「今はまだただの兵士団長ですから」
「お前が欲しい」
「いけません。まだ潔斎も済んでいませんし、婚礼の儀だって…」
「儀の前か後かで、することは変わらない。違うか?」
「違わ、ないです…」
「いい子だ。お前は力を抜いて、ただ俺を見ていれば良い」
「王!桃矢王!遺跡が!!」
「…タイミングの悪いッ」
「桃矢王、行きましょう。何だか胸騒ぎがするんです」
「姫の中にあった生まれてから今日までの思い出が全て消えているのです。そして、飛び散った心は、既にこの世界にはない」
「なんだって!?」
「そんな…ッ」
「心のない身体は虚ろな入れ物に過ぎません」
「それじゃあ、このままでは、サクラ姫は…」
「俺に何か出来ることはないんですか!?」
「……小僧、妹を…頼む」
「桃矢王、私も行きます。サクラ姫がこんな状態で婚礼の儀など出来る訳ありません。それに、玖楼国の国防を担うこの私がいれば、旅も円滑に 且つ安全に進めることができます」
「…スマン、任せた」
「仰せのままに」
「ユラ、貴方の対価は"触れる"こと」
「"触れる"?」
「貴方の一番愛しい人と二度と触れることは出来ない。相手が国王なら、契りを交わすことも出来ない。世継ぎも出来ない。おそらく妃ではいれないでしょうね。それでも次元を渡る、途方もない旅に出るというの?」
「サクラ姫は大切な人の、大切な人です。その人を守れないならば、彼は私に失望するでしょう」
「良いでしょう。願いを叶えるわ」
「次元の魔女 貴方にあの二人が、サクラ姫と小狼が、幸せな運命にあることを願っても良いかしら」
「対価はどうするつもり?」
「あの人の傍には、もう、戻れない。先延ばしにした婚礼の儀だって今の私には出来やしない。それなら、払う対価は一つでしょう?」
「関わりを絶つというの?」
「ええ。小狼たちが巡る次元とは全く違う次元。全てが終わったとき、私をそこへ追いやれば良い」
「…理が、歪んでしまう前の世界に。セカイに、正しい理を、私の命を以て、再構築し…て。そ、が…私の、最後の、ネガイ」
私は、ユラ。玖楼国の兵士団長で、婚約者は桃矢王で、サクラ姫のために小狼と黒鋼とファイとで次元を超えた旅をして、飛王・リードとの最後の戦いで、死んだ。
あとがき
今回のお話はかなりツバサクロニクルの要素が色濃かったと思います。これ以降はヒロインの過去に触れる時以外は影を潜めますのでご安心を。
念のため補足しておきます。ヒロインは桃矢王の治める玖楼国が兵士団の団長を務め、高華国でいうハクやジュドのように国防を担っています。そして、ヒロインと桃矢王が結ばれようとしていた時、玖楼国にある遺跡に異変が起き、神官の雪兎と桃矢王と共に向かいます。その遺跡では考古学の調査が行われており、学者の小狼は遺跡内部で翼の紋様を発見します。その時、城にいる筈のサクラ姫が"呼ばれて"遺跡に来ます。サクラ姫はトランス状態(?)にあり、何かに導かれるように行動。すると、サクラ姫の背中から翼がはえ、その翼をつくる羽根が飛び散ってしまいます。その羽根はサクラ姫の心、記憶の欠片。このままでは死んでしまうので、小狼は神官の雪兎の助言に従い対価を渡せば願いを叶えてくれるという"次元の魔女"の元を訪れます。そこで仲間たちと一つの"次元を渡る"という願いの対価を分割して支払い、術を手に入れて様々な次元を巡って羽根を集めます。そんな、あてのない、途方もない旅のお話です。