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承太郎さんと古本屋を探し散策を続ける。店の名前を覚えていなかったから苦労するのだが、並ぶ花屋、新鮮な魚や野菜を並べた露店を見ているだけでも結構気分がいい。
そうして歩いていけば、すらりとした白猫が、お行儀よく、モデルよろしく塀の上に座っていて、青い目をこちらへ向けていた。吸い寄せられるようにそちらをみれば、その隣に目当ての店の看板があった。
「承太郎さん」
私は彼の腕を軽く叩いて呼ぶ。振り向いた承太郎さんは私を見ると、店の方に視線を向けた。
「ン、これがその店か」
「そうみたい」
店は空いているようなので、白のペンキで綺麗に塗られた木の扉をギイと押して入る。
「Buongiorno」
と声をかければ、店主と思しきお爺さんが、カウンターの奥からニッコリと片手をあげた。
一歩立ち入れば、古い紙の何とも言えず落ち着く匂いに包まれる。
「……素晴らしいな」
「ええ、本当に」
シックブラウンの本棚が所狭しと立ち並び、そこには本、本、本。
分野ごとに分かれていて、おそらく図書分類法に則っているのだろう。目当てのものを探すのが少しでも楽になるようにとの配慮だろうか。なんていい店なんだ。
承太郎さんを見ると、少し口元に笑みを浮かべていて、彼の研究分野の棚を目で探していた。
「承太郎さんは、ええと、海洋学だっけ?」
「ああ」
「じゃあ、多分こっちの方」
私は学生時代にアルバイトとして大学の図書館に入り浸っていたので、どういう順番で本が分類されているかなどは、ほとんど覚えていた。様々な言語で書かれた背表紙をなんとなしに見つつ、控えめと言うには小さすぎる字で書かれた番号を探していく。
「あった、この辺りみたい」
「ありがとう」
「研究対象って何ですか?よかったら一緒に探したいんだけど…」
「今はヒトデだが、俺のことは気にしなくてもいい」
「そう?でも私も興味があるから……教えてくれないかなって。小説のネタにもなるし」
適当にその辺りに積まれていた貝の図鑑を手にとって持ち上げて見せると、承太郎さんは微笑んで帽子の鍔を、くい、と下げた。度々みる彼のこの癖だが、もし帽子がなければどうなのだろう、ちょっと面白いかも。それに帽子を脱いだところも見たことはないな、とふと思った。
それから、英語で書かれたものを中心に見つけては、承太郎さんにパスして、面白そうなら一緒に読んでいた。
私がさっき興味があって手に取った美しい貝殻の並んだ図録には、ヒトデやシーグラスなんかも載っていた。学術書と言うより、コレクターのための本のようなものだった。フランス語で書かれていたため、所々私が翻訳しつつ承太郎さんも一緒に読んでいた。
こじんまりとした書見台に乗せて二人で覗きながら、私は学生時代のことを思い出していた。過去の知の遺産が並ぶ、圧倒的で美しい学びの場所。誰かと一緒に一つの本を読み解いていくこと。
そして、未熟だった私が憧れた、優しいあの人。
「この記述は……ん、ルナさん?ぼうっとしてるが、大丈夫か?」
「……あ、え、ごめんなさい。ちょっと懐かしいなって思って。どこって?」
「いや、大したもんじゃあないからいい。それより、何が懐かしいんだ?」
承太郎さんの興味が私に向いてきたようだ。小さく苦笑いして、顔の前で小さく手を振る。あの人の困った表情を振り払うようにして。
「それこそ大したことじゃあないよ。学生時代に図書館に入り浸ってたのを思い出してたの」
「確か、L大は中々の規模の蔵書数だったか。俺のいたところは狭くて適わなかったぜ」
「あはは、特別大きい図書館だからね。でもここみたいにぎっしり本棚に詰め込まれてて探し出すのも一苦労。今みたいにインターネットで探せなかったから先生に頼まれても、一時間かかっちゃうこともあったわ」
「数年前じゃあ大抵教授は面倒なもんを押し付けてくるし、目当ての記述にたどり着くまでが長い道のりだったな……」
研究室で扱かれたなんとも苦い経験を思い出し、二人で顔を見合わせて吹き出した。
「どの分野も変わんないね」
「そんなもんだろう」
「承太郎さんならなんでもサクサクやってしまいそうだけど」
くすくすと笑いながら言った私は、本を閉じて元あった隙間へとねじ込んだ。
「……承太郎だ」
新しい本を手にして振り向いた私に、承太郎さんは彼自身の名前を呟く。
「え?」
何かと驚いて聞き返せば、書見台に肘をついてその深海のようにかがやく瞳を私に向ける。
「呼び捨てでいい」
ふ、と緩められた表情が心を締め付けてきた。私は無意識に少し力を入れて持ってしまっていた本を、台に置いて、またその隣に腰を下ろした。
「同年代に敬称は変な気分になるものね、わかった」
「……まぁ、そういうことでいいか」
私の返答に対して、彼は聞こえないくらいの小さなつぶやきを吐き出していた。
「承太郎」
「ン、なんだルナ」
「試しに呼んでみただけ」
「……やれやれだぜ」
私達は、色々と試し読みをしていく中で、目星をつけたそれらのうち、良さそうだと思うものを纏めて会計をした。
紙袋いっぱいの資料を手に入れたのでやはり重い。店主に爽やかに「Grazie!」と声をかけて出てきたはいいものの、両腕が本当にちぎれそう。
「大丈夫か?」
と聞きながら私の返答を待たずに、手から紙袋をスっと取る。
「えっ! 承太郎さんも重たいのに! 私自分で持つから……」
「承太郎、な」
大きな歩幅でスタスタ歩いていくものだから、置いてかれないように小走りになる。
彼は私の前で初めて、軽い声で笑った。
……
つばの広い黒い帽子を被った男が、コツ、コツ、と靴の踵を石畳に響かせている。
黒縁のメガネの奥にはアイスブルーの瞳が覗いている。
細い路地の四つ角で、小走りにやって来た女性とぶつかった。男は咄嗟に白い腕で彼女の肩を支えた。
「ッごめんなさい! 大丈夫ですか」
「いいえ。あなたこそお怪我はないですか、マドモワゼル?」
「大丈夫です。すみません……」
女性は頭を何度か下げて、角を曲がっていく。
男は女性が走っていった方向を見ながら、薄い唇に弧を描いた。
「フフ……随分と綺麗な造形だった。オリエンタルな目元が良いじゃあないか……ああ、手の指も長かったな、吉良くんにでも電話で自慢するかな」
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