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男は分厚いカーテンで日光が遮られた部屋に立ち、羽箒を手にしていた。王侯貴族の天蓋付きベッドのように、天井を覆っている無数のガーゼに和らげられた白熱灯の光が、彼のコレクションを包んでいる。
彼は異様なくらい明るくディスプレイを点滅させている携帯をとる。
「アロー、ちょうど君に連絡しようと思っていたんだ……え?腐り始めた?君の管理が悪いんだろ。言った通りにすればパーツだけでも一ヶ月は持つはずなんだ。うん……そう、それでね……」
モルフォ蝶のネクタイをした青年の肩を、手に持ったもので優しく払う。青年は指一本動かない。ネクタイは先程まで飛んでいたような青い輝きを放っている。男は機嫌がよさそうに電話越しの相手に、ある女性の話をしている。
「ここにその彼女も欲しい。あのパッショーネにさえ捕まらなければ、私だけのこの美術館はあと少しで完成するんだ……。彼女かい?勿論、君も気にいる美しい手だったよ」
…
翌朝、ホテルのVIP用ロビーなるところにて、渡された資料に目を通している。私の心臓はまだドキドキしている。というのも、ホテルのドアの前で満面の笑みで立っていたメローネに腰を抜かしそうになるということがあったのだ。開けてすぐにそこに人の顔があるということに、危うく悲鳴をあげそうになった。
「はあ、なんか朝から疲れた……」
「ごめんごめーん」
「また何かしたのか、メローネ」
何やら財団との電話があると席を外していた承太郎が戻ってきた。彼は私の手元を覗きみて、ふむ、と頷くと隣に座る。メローネは肩を竦めて何も悪いことはないというように、戯けたように振舞う。
「ちょーっと驚かしただけー」
「まあなんでもいいが、資料は読み終えたのか」
「うん。驚いたのもあるんだけれど、この資料もなかなかにヘビーかと……この被害者数、前のものよりかなり増えてませんか」
おそらく昨日今日でまた失踪者が出たのだろう。捜査願いを出された子供たちの写真を見ると、みな同じように可愛らしい笑顔をこちらへ向けている。ハーメルンの笛吹男のような、この奇怪な事件にはどのような思惑が絡んでいるのだろうかと、背筋が震える。
「ああ。これ以上被害が増えるのを見過ごすこともできない」
承太郎の言葉に私も、メローネも頷いた。私はざわついた心を落ち着かせようと、少し覚めたエスプレッソに口をつける。鋭い苦味に小さく溜め息をついた。
「リーダー曰く今日決行だってさ。この事件の首謀者と考えられてるモランって男、裏の競売とかでも結構名前が出てきたんだよねー。今失踪が相次いでる子供だけじゃなくて、若い女性が絡んでいる案件には必ず顔を出してるみたいだ」
「なるほど……」
「ルナちゃんも気をつけないとねェ?」
「俺たちがいる限り問題はないだろう」
私の強張った声に気づいてか、承太郎は多少優しい口調で言った。
昼過ぎにメローネが言ったように、犯人として考えられている男の居場所への突入について、暗殺チームのアジトに呼ばれて詳細な作戦を聞くこととなるようだ。
私は何もできやしないだろうが、被害者の救助と不思議な弓矢の回収については伝えられる段取りをきちんと把握しておいた方が良いだろう。
そう思いながら、ホテルの自室に戻り、新しく依頼をもらったウェブ記事の執筆をしようとパソコンを開いてはみたが、なんとなく虫の居所が悪い。まだ約束の時間までかなり余裕がある。ちょっと散歩に出て気晴らしでもしてこよう。何かいいアイデアも浮かぶかもしれない。愛用しているメモ帳とボールペン、自分のスマホと支給されたものを町歩き用にと以前買ったショルダーバッグに突っこんで、部屋を出る。
「ルナ、出かけるのか?」
エレベーターを待っていると、承太郎が廊下を歩いてきた。彼は部屋に戻るところだろうか・
「うん。ちょっと気分転換にその辺を歩いてこようかなって」
「そうか。昼には戻ってきてくれないか。ランチに良い店を予約しているんだ」
「わかった。承太郎はそれまでどうするの?」
「論文の執筆だ」
「頑張って」
「ああ」
片手を上げて返事をした承太郎と別れ、軽い音を立てて到着を知らせたエレベーターに乗った。
地中海沿岸地域の爽やかな天候は、曇りの多いイギリスや、湿度の高い日本とは異なった心地良さがある。かつて、いろいろな地域を研究で訪れたと教えてくれた知人は、イタリアに彼の師がいると言った。その知人はいつでも明るい太陽のような優しさを持っていた。なぜか、心の痛みも全てなくすような、花を咲かせる春の日差しのような笑みを見せる、とても優秀な人であった。彼の瞳は承太郎ととても似ていた。
そんなことをぼんやりと考えながら、朝市が開かれている通りにきた。それなりに人がいて、皆楽しそうに買い物をしている。色鮮やかな果実や野菜、新鮮そうな魚、瑞々しい花なんかも売られている。
「Buon giorno」
「Buon giorno!」
元気が出るような色彩の花々に目がいき、気の良さそうな花屋のおじさんが声をかけてくれた。屋台の前に並べられたうちから一つ、気に入ったものを指差した。
「Vorrei questo(これください)」
「Quanti?(いくら欲しい?)」
「Uno, prego(一本です)」
値札に書かれただけのお金を取り出そうとすると、横から手がすっと伸びてきて店主にコインを渡した。
「Ecco(これで)」
「Grazie, bello!(ありがとよ、色男さん!)」
おじさんから受け取った一本の花を、鍔広の帽子を被った男性は私に差し出した。
「C'est pour vous, mademoiselle(あなたにだよ、お嬢さん)」
フランス語でそう笑いかけてきた。どこかで見たような気がしつつ、花を受け取りながら「Merci」と礼を言った。
「あ、昨日の!」
「覚えていてくれたんだ。今日も会えるなんて、私はなんてラッキーなんだろう」
ラテンの人あるあるなのだが、こうも自然に女性の喜ぶ言葉を投げかける。昨日、路地でぶつかったフランス人で間違いないようで、彼は広場の方へと歩こうと提案した。メガネの奥のアイスブルーが、するりと私の全身を眺めたのちに、瞳を捉えた。少し驚いて、苦笑いを浮かべる。
「旅行でここにきたの?」
「ええ、まあそんなところです」
「フランス語も上手なんだね。素晴らしい。君はどこからきたの」
「イギリスです」
「おや、中国とか日本かと思った」
「生まれ故郷は日本ですよ」
「友人が日本にいるよ!いいところだよね」
にこやかに話を進める男性は、立ち居振る舞いからも育ちがいいのだろうと思えた。イギリスでみる紳士さとは異なる、なんというか、柔らかい物腰の丁寧さなのだ。
「調査でいろんなところに行くんだけど、日本は街が綺麗でいいね」
「研究職ですか?」
「ああ。生物学をしていてね」
「私も文学をしていますよ。なんだか類は友を呼ぶというか」
「君のような賢くて美しい人に会えるなんて、本当にラッキーだ。よければもう少し話してみたい」
男性はメガネをスッとずらして私に手を伸ばした。その手に揺らぐ妙な陰を見て、本能的に嫌な予感がするさっと後退りする。
「あ、えっと、この後予定が……」
「どうしたの?ああ、自己紹介をしていなかったね。私の名前はモーリス。仲良くしよう、マドモワゼル」
妙な影に目を塞がれ、甘いバニラのような香りがすると思えば、曇りガラスの部屋に閉じ込められたような心地になり、それから私は気を失ってしまった。
……
ホテルのロビーでルナが帰ってくるのを待っていた。俺を見つけたメローネが、ひとりでいることに気がつき首を傾げた。
「あっれー?ルナちゃんは?」
「散歩に行くと言ってまだ帰ってきてない」
「電話しました?」
「ああ、彼女のものと支給したもの両方かけたが電波が届かないところにいるらしい。嫌な予感がする」
メローネは少し黙った後、自身の携帯を取り出してチームのメンバーに連絡を始めた。
「これ、ヤツが動き出したと見て間違いない。うん、ルナちゃんが多分捕まった。リーダー近くにいるの?じゃあ俺も承太郎さんと一緒にそっちに合流するよ。……オーケー、逐一連絡する。じゃあ」
俺はSPW財団に連絡を入れ、GPS探知で最後に彼女の居場所がどこで途絶えたかを調べさせるように指示した。おそらく、今回の事件の犯人の居場所の近くだろう。
「メローネ。相手が複数犯でない可能性はない。二手に分かれて現場へ向かうぞ」
「了解。じゃあ、俺はバイクで向かう。先に出るよ」
「ああ、俺も車で追う」
速やかにホテルをでたメローネを見送り、俺はフロントで車のキーを受け取ると、パッショーネの本部へと連絡を入れる。車に乗り込み1コール目で即座に応答したジョルノが落ち着いた口調でスピーカーから話し始めた。
「ルナさんが捕まってしまいましたか」
「ああ。ジョルノ、お前、これをわかっていたな?」
「いいえ、と言えば嘘になりますが」
舌打ちをしそうになるのを堪え、財団が提示するナビに表示された場所へと車を走らせる。膨大な被害を出しておきながらこの事件を今まで泳がせておいたのはおそらく、ルナが事件の中心部へと向かうという、確実な証拠を手に入れるためだったのだろう。
「すみません。もう少し安全な方法を取るべきだったと思います。とにかく、こちらの調べでは事件の犯人の人数は割れていません。承太郎さんも気をつけて。こちらからも数名送ります」
「頼むぜ、ジョルノ」
スタンド使いはひかれ合う。彼女が標的になってしまうのを予測できなかったわけではないはずだ。俺は、俺や他の面子がそばにいるから大丈夫だろうと高を括っていたのだ。ついこの間まで一般人であったルナを、危険な場面へと引き込んでしまったのは俺の不注意だ。
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