あるいはこぼれた紫陽花

 憧れの美しい先輩。中学の頃からよくしてくれていて、私たちはまるで姉妹のようだと言われてきた。山岸由花子という先輩の名前は、その見目に相応しくて、それすらも先輩の凛とした美しさを形作るとても大切なパーツの一つに思えた。
 私が高校一年生になって、由花子先輩は二年生になっていて、入学式では私の入学を喜んでくれていた。
「あなたとまた同じ校舎でいられるのは嬉しいわ」
「私もです! 由花子先輩」
 由花子先輩のことを好きなのは私が一番だと思っていたし、先輩も私のことを特別気に入ってくれていると思っていた。高校での生活についてよく話してくれたし、中学の時と同じように一緒にお昼ご飯を食べることもある。高校に上がれば、一つだけの年の差なんてすぐに埋められる、と思っていた。

 四月の末ごろ、由花子先輩と久しぶりにお買い物に行く約束をして、まだ着られている感覚のある高校の制服のリボンを何となしに触りながら、先輩が出てくるのを待っていた。しばらくすると、綺麗な髪をなびかせながら由花子先輩が小走りで来た。髪を耳にかけて、一息落ち着かせて、微笑んだ先輩はやっぱり綺麗で見とれた。
「ごめんなさいね、ちょっと頼まれ事をして断れなかったのよ。待たせたわ」
「いいえ、気にしないでください。全然待ってません。由花子先輩はやっぱり頼られてるんですね。すごいなあ」
「いっつもそうやって褒めてくれるのね。嬉しいわ。歩きながら話しましょうよ」
 高校の勉強で難しいことを相談したり、最近高校の女の子たちの間で人気のコスメについて話したり、デパートではそれをお互いに試して見たりして、中学の時よりもとても近い感覚で由花子先輩と居られるということが、私にとっては階段を何段も飛ばしたような進歩に感じられた。友達と同じくらい、もしかしたらそれよりも由花子先輩に近づけているのかもしれない、と綺麗な笑みを向けてくれるその瞳に笑い返した。

 数ヶ月経って新しいクラスメイト達に慣れた頃、中学時代に先輩とお揃いで貰った綺麗なバレッタで髪を留めて、雨が降りそうでも機嫌よく登校してきた。これからの季節にぴったりの、青を基本にした細かな装飾と、紫色で光を反射する小さなガラスで象られた花びら。
 次の授業の教科書とノートを用意してぼんやりと窓の外を見てみると、グラウンドに見える先輩らしき人影を見た。窓側の席の特権を存分に味わえるこの時間がこの数週間のお気に入り。
「誰を見ているの?」
「由花子先輩」
 友達の一人に声をかけられて、窓の外に目をやったまま返事をした。その子は私の目線を辿って、由花子先輩を認めると、そういえば、と思い出したような口ぶりで話し始めた。
「二年生に東方先輩っているじゃない? とってもカッコいいって人気の……って、知らないの? あなたってほんとユカコ先輩しか眼中にないのねぇ。でね、そのお友達とユカコ先輩っぽい人がドゥ・マゴでデートしてるの噂になってるの。だってさ、その相手が結構背が低くって不釣り合いだーってユカコ先輩を狙ってる男の子達が騒いでたよ。確かに彼氏は背が高い方がいいわよね。それよりもさ、東方先輩って彼女いると思う? あ! ほらあそこにーー」
 話し続ける友達の声は、ほとんど入ってきた耳の穴から反対側へ抜けていくだけで、何を言っているのかさっぱりわからない。

 なぜそういうことが、それまでの私の頭に巡ってこなかったのか。
 いや、本当は幾度となく悩まされた事柄であり、いずれは由花子先輩に恋人ができて、私が一番じゃなくなる、ということなど本当はわかっていたのだ。由花子先輩の相手がどんな容姿だとかそういうのは全くどうでも良くて、それよりも、私がこれほどまでに愛を向けてきた当の本人、由花子先輩の愛はほとんど全て、その恋人に注がれているのだ。
 雨が降ればいいのにと、これほどまでに強く感じたことはなかった。代わりに泣いてちょうだい、と天に願いながら、首を撫でる風が冷たくて、髪留めを外した。