届かないなら聞かなくていいから/場地
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私の好きな人は頭が悪い。それはもう本当に悪い。頭が良く見えるからという理由で変な瓶底眼鏡みたいなダサい眼鏡をかけて、ぴっちりピタピタに七三に前髪を分けるのに、長く伸ばした髪の毛は切らないという頭の悪さだ。
場地くんは、普段あまり学校に来ない。前に気紛れなのか黙って席に座っていたのでどうしたの、と聞くとテスト期間だろ、とさも当然のように言われたことがある。
知ってる?場地くん。テスト期間だけ学校に来ればそれでいい訳じゃないんだよ。そう私が言うと場地くんは真面目な顔でそうなのか、と言った。
小学生じゃないんだから、と笑うと恥ずかしそうにして目をそらす。その姿が可愛くて、私は彼にノートを貸した。彼は私のノートをすげぇすげぇと褒める。結局彼は義務教育という守護下にあるにもかかわらず、学年を上がることができなかったけれど、何だかそれも彼らしくて私は笑ってしまった。
「場地くん、最近は学校に来てるんだね」
「まあな」
「喧嘩とかバイクとかは、もういいの?」
「ンなわけねぇだろ。もう留年出来ねーし」
学年が上がって私はひとつ上の階になったのだけど、場地くんは相変わらず1階の住人だった。私は時々彼が来ているか確認をするのが日課になっていて、よく友達にはやめなよ、場地って不良じゃん、と止められる。それでも止めなかったのは彼のことが多分心底好きだったからだと、今ならわかるけれどその時は分からなかった。気になる。だから毎日昼休みに用もないのに1階に行っては彼の長い髪を探した。
場地くんは去年と違って、ちゃんと学校に来るようになったみたい。見かける頻度が高くなったので、そう思う。彼は相変わらず頭が悪いようで、行くたびに違う教科書を開いては私にこれはなんだ、と尋ねてくる。
擽ったいと思った。彼といる時間は、とても優しくて暖かくて、楽しかった。私は彼の質問に答える度に彼のことを知れたような気持ちになる。
場地くんは相変わらず、不良をやっているようだ。やめればいいのに。やめれば毎日学校に来てこうして話すことが出来るのに。でもそれは私のわがままだ。ゴクリと飲み込んで、私は彼の言った言葉に返事をする。
知ってる?場地くん。義務教育って普通は留年しないんだよ。
私がそう言うと場地くんはポカンと口を開けたあと、ギムキョーイクってなんだ、と真剣な顔をして聞いてきた。そこからなんだ、と思うと馬鹿みたいに笑えてきて私はお腹を抱えて笑う。場地くんの隣に腰掛けている金髪の男の子がなんとも言えない顔をしたけれど、私は気にしないで笑った。
「場地くんまたそのメガネとその髪型なの?」
「おう。これ頭良く見えるだろ」
「んー……微妙かな」
また季節が巡ってテスト期間がやってきた。暑い夏休み前最後のテストだった。場地くんを見に行くと、彼はやっぱりあのダサすぎるメガネとピッチリの髪型をしていたので、携帯電話のカメラを向ける。やめろよ、とメガネの向こう側で場地くんが照れくさそうにしたけれど、記念に1枚と無理やり言いくるめて写真を撮った。端の方で私を恨めしそうに見つめる金髪の男の子は髪型が変わっていて、以前よりも全然カッコよくなっている。
この子髪型変えたの?と聞くと、千冬な、と訂正された。ふーん千冬くん、と呟いた私の声に件の千冬くんの肩が揺れる。良い奴なんだ、と笑う場地くんが可愛かったので、そっかとだけ言って私は去年のノートを彼に渡した。
「おーやっぱこれすげぇな。コレ見たらなんか勉強した気になるんだよ」
「した気じゃなくて勉強はしないとダメだよ」
「おう」
知ってる?場地くん。そのノートね、君が褒めてくれるからわざわざ書き直したんだよ。その言葉は言えなかった。飲み込んだ言葉には誰も気付かない。言えばよかったな、と家に帰ってから少しだけ後悔をした。だから、次のテストの時には伝えよう。そう心に決めて私は次場地くんに渡す予定のノートを、広げた。
結局その時のテストは散々だったみたいで、テストの返却が終わったその日の昼休み私と場地くんは2人で笑いあった。4教科合わせてやっと100点に届くほどの点数が並ぶ机を2人で眺める。
次はオール100目指すぜ、と冗談を言う場地くんはあまり凹んでいないようだった。
「逆に何で点数取れたの?」
「んー……あ、コレだな。選択問題」
「もしかして、鉛筆転がしたの?」
「よく分かったな。すげぇよお前」
コレコレ、と場地くんは机の中から1本の鉛筆を取りだした。六角形のそれは上の方だけ削られて数字が振られている。よく作ったなあ、シャーペンのご時世にと感心して転がしていると、数字の時はそれでいいんだけどよ、アイウってなるとめんどくせぇんだ、と場地くんが呟いた。普通に1がアでいいじゃないか、と思ったけれど、そんな変なとこで悩むのが面白くて笑ってしまう。
すると場地くんは気分を良くしたのか、私に鉛筆を押し付けてきた。お前にやるよ、使え。そう誇らしげにするので、ありがとう、と私は受けとった。多分使わないと思うけど、その鉛筆があればなんだかなんでも乗り越えられるような気がした。
場地くんは、学校に来なくなった。
千冬くんに聞いても答えはもらえなくて、私の机には彼に渡したいノートばかりが溜まっていく。もうすぐ中間テストなのに、大丈夫なんだろうか。また留年しちゃうよ。
場地くん、知ってる?私ね、君のこと心配なんだ。本当はすごく優しくてお母さん思いの君のこと。また君に伝えたいのに、飲み込んだ言葉が増える。
ねぇ、場地くん。不良なんか辞めちゃいなよ。殴っても殴られても痛いんでしょ。バイクだって転んだら危ないよ。君に何かあったらお母さんは泣いちゃうよ。あとね、多分、私も泣くと思うから、辞めちゃいなよ。
きっと面と向かっては言えないから、私は青い正方形の付箋にそれを書き綴って、彼に渡す予定のノートの1ページ目に貼り付けた。伝わりますように、そう少しだけ祈りを込めた。
私が次に、彼に会ったとき、彼は冷たい石の下で真っ白な粉っぽい骨になっていた。場地くんは、10月31日のハロウィンに亡くなったらしい。突然開かれた臨時の全校集会で言葉少なく、ぽつりぽつりとその事実だけを告げる先生の話を私はどこか他人事のように聞いた。
いや、嘘でしょ。だって、ただの子どもの喧嘩なんじゃないの?間違いなんじゃないの?だって、ほら、場地くんだし。本当は生きてました、とか。
頭の中で私が騒ぎ始める。嘘だって言って欲しくて、本当は生きてるって思いたくて私は教室に戻ろうとしていた千冬くんを捕まえて問い詰める。ねえ、嘘だよね、場地くん。今の話、場地くんじゃないよね、ねえ。千冬くん、場地くんは?と、彼の腕を掴んで息継ぎもしないで問い詰めてくる私に千冬くんは目を逸らす。
今日、放課後時間ありますか、と聞かれて、ああ、彼はここで答える気は無いんだと悟った。彼の問いかけに頷き、そして、彼は約束通り放課後、場地くんのお墓に私を連れていってくれた。
「……うそ」
「嘘じゃ、ありません」
「だって、お母さんが、ほら、留年もう出来ないって言ってたじゃん……」
「……っ」
墓石の横に、圭介と掘られているのを見て、私はやっと彼がここに眠っていることを理解した。お墓の前にはたくさんのお花やお菓子、ペヤングも積まれている。ああ、そうか、そうなんだ。本当に、死んじゃったんだ。急に波が止んだ海のように、気持ちが落ち着く。そっか。死んじゃったんだ。
背後に立っていた千冬くんが、何も言わずに立ち去っていく。ここに来る道すがら何となく話をしてくれた彼は、その腕の中で息を引き取る場地くんを見送ったらしい。辛かったろうな、と思った。辛いよね、すごく尊敬してたもんね。私が場地くんを見て笑う度に、何か言いたげにしてたもんね。
そう思いながら私は場地くんのお墓の前にしゃがんだ。すごいね、場地くん。お花たくさんだね。お菓子も、ペヤングもあるよ。ペヤング好きって、いつも言ってたもんね。私の呟きが静かな墓地に木霊する。
そうだ、ノート持ってきてたんだよ。言えなかったけどね、場地くんのために毎回書き直してたんだ。場地くんのために作ったものだから、置いていくね。もう、使わないかもしれないけど。
そう言って私は鞄から取り出したノートを置く。風で1番上に置いたノートの表紙がめくれて、青い付箋がパタパタと音を立てた。自分で書いた不良なんか辞めちゃいなよ、という文字に涙が溢れる。
「場地くん、知ってる? 死んだらね、テスト受けられないんだよ。進級もできないんだよ。留年することなんかより、余っ程お母さん悲しむんだよ」
いつも笑わせてくれた場地くん、不器用だけど優しい場地くん、不良なのに、お母さん思いの場地くん。ねえ、嘘だよね。本当は生きてるんだよね。嘘だって言ってよ、膝を抱えて涙を見せないように俯いているから、籠った自分の声が情けないほどに震えている。夢なら醒めてよ。夢じゃないなら、
「起きてよ、場地くん」
鉛筆なんかいらないから、不良も辞めなくていいから、なんでもするから、起きてよ。
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