チョコ1粒で好かれる話/宮治
▼▲▼
そんな私も担任からの小間使いを命じられて体育館近くまでわざわざ足を運んでいるわけだが、確かに食欲の秋、妙に空腹感を訴える胃はかすかに痛みを訴えているほどだ。
そういえば、とカーディガンのポケットをなぞる。そこには新発売だと今朝分けてもらった大好きな期間限定のチョコレート菓子が納まっているのだ。
私の指先にガサガサと主張を訴えるそれと、恐らくなにか彼に感情を表す動物の耳が生えていたなら恐ろしく下に垂れているだろうと想像のつく顔を見比べて私は意を決してその袋を取り出す。
個包装になっているそのブラウンのビニールは私の手のひらに収まるほどの大きさだ。
よかったら、と差し出せば途端に煌めく彼の瞳。ええの?と聞くのでうん、と頷いて上に向けられた彼の手のひらの上に袋を落とす。意外と大きな手のひらだったようで、途端に豆粒程に小さく見えるようになった袋では彼の胃袋は到底満たせないだろうと私は内心ハラハラした。それでも人生最大の幸福と言わんばかりにゆっくりとその封を切って、満足そうに口に運ぶ姿にそっと息を吐く。
「この恩は忘れへんで。自分どこのクラス?」
「えっと……私は」
私が口に出した学年と組を耳にした彼はしゃがんだまま、折角ふかふかになった顔を僅かに青ざめさせる。すんません……と謝るのでどうしたのかと聞くとどうやら彼は一個したの学年だったようだ。運動部とは無縁な生活をしてきた私にとってたった一年の差は誤差の範疇に過ぎず、取るに足らないことだけれど、恐らく彼は運動部なのだろう。部活の上下関係と言うのは凄まじいとよく友人たちも話していた。気にしなくていいよ、と言っても彼はいや、でも、と曖昧な答えばかりをする。そして振り切ったように頭を振ると、兎に角、このご恩は必ず!お返しします!と走り去っていった。残された私は彼が何者なのか、知らぬままご恩を返される立場となったのだった。
彼がこの学校の有名人であるということを知ったのはそれからすぐのことで、たまたまクラスが一緒の北くんと大耳くんに用事があって放課後の体育館へ訪れたときに知った。稲荷崎高校のバレー部は強い、と言うことは私も知っていたが鼓膜を痛いくらいに啄く歓声に包まれるほどの人気とは知らず体育館の戸を開けた瞬間に面を食らう。まだ練習自体は始まっていないようで、歓声を送る女の子たちは皆、ミヤくんだのアツムだのオサムだのと口にしていた。似たような響きの名前に兄弟だろうか、と考えて、つい先日この近くで出会った腹ぺこの少年を思い出す。もう空腹で困ったりはしていないだろうか、そう思いながら目当ての2人を探した。
引き戸の近くでキョロキョロと当たりを見渡す私が物珍しいのか、ボールを弄りながらもこちらを訝しげに見てくる視線から早く逃れたい。
「あ!メルティーキッスの人や!」
「キッスってなんやねん。サムキッショ」
「うっさいわツム。言うたやろこの間お前が俺の分の米食うたせいで死にかけたて。そん時あのセンパイ俺にメルティーキッスくれてん」
「あの美味いチョコか!オカン高い言うて俺らには食わせてくれへんヤツ!」
うるさい。あの子サムって名前なの?どこからどう見ても日本人だったと思ったけど、親御さんの関係か。にしてもこんなところで会うとは思わなかった。声の感じからして恐らく先日私が遭遇した腹ぺこくんで間違いない。遠くの方から私に向かって目玉四つ分のキラキラした視線が向けられている。メルティーキス美味しいけど少し割高だもんね、ご褒美っぽいし、お母さんの気持ち分かるよ。だけどここで話しかけられればギャラリーの女の子たちの視線も全て私に向けられることは考えなくてもわかる。話しかけないでほしい、出来れば、彼らに私への気遣いが心の中に存在するのなら。そう思いながらなるべく早くここから立ち去りたくて、目当てのふたりを探していると背後から、誰かに用か、と聞かれた。声の主は私が探していた人物一人目で、大耳くん、と私は神様を見つけたように呟きつつ振り返る。大きい大耳くんの後ろには彼と並ぶと小柄に見える北くんも控えており、私は漸く任務を果たすことが出来るのだとひっそり息を吐いた。
「なんや、随分不安そうな後ろ姿やったで」
「2人を探してたんだよ、先生から頼まれたの」
これ、と差し出したのは先日バレー部が大会で公欠だった日のプリント類だ。保護者のサインが必要なもので、加えて期限も明後日に迫っている。だというのに担任の教師は彼等の活躍を聞いていたく興奮してしまったようで、すっかりと渡すのを失念し、重たい腰を反対方向にある体育館へ向けようとあげた時ちょうど私が通り掛かってしまった。貧乏くじよう引くなぁ、と先生は笑ったけれど、私に降り掛かっている雑用の殆どはあなたからのものです、とは言えなくて私は自分でもわかるほど頬を引くつかせて今回の任務を請け負ったのだった。
これでようやく帰れる。大耳くんも北くんも、なんで今、と少し首を傾げつつそのプリントを受け取るとおおきに、と言ってくれた。北くんはその後、わざわざすまん、とつけ足すと気ぃつけて帰り、と手を振る。その手の振り方が可愛くて私も真似するように小さく振って踵を返した。
「これ……」
「朝練後に治が置きに来とったで。自分いつの間に治と知り合いになったん?」
「いや、知り合いって言うか」
私は机上に並べられた駄菓子たちを一つ一つカバンに入れながら関心している大耳くんに事の顛末を伝える。するとそれを聞いてきたのか北くんがごんぎつねみたいやな、と呟いた。そのボソリと呟いた言葉が面白かったのか大耳くんは肩を震わせて笑いを堪えるように俯く。
いや、私そのオサムくんに悪戯されてないよ、と言うと、アイツらはいつもなんかしらやらかしとる、絆されたりしたらアカンで、と一限の日本史の教科書をカバンから取り出しつつ答えられた。いやそれ私関係ないでしょ、と思ったけれど口を噤んで私はパンパンに詰められた机の引き出しからノートと教科書を引っ張り出す。どちらかと言えば御恩と奉公に近いのでは、と彼からの貢ぎ物からきなこ棒を引っ張り出して口に放り込んだ。
こちらから何もアクションを起こさなければすぐに終わりを迎えるだろうと思っていた御恩と奉公(しかも御恩はたった1回)は存外長く続いてもう3ヶ月ほど日が経った。季節は秋の入口から冬休みを経てもうすぐ2月の春を迎えようとしている。ミヤオサムくんからの奉公は小学生が買うような駄菓子がほとんどだったけれど、時々コンビニ限定のチョコレート菓子だったり、スーパーで買えるようなお徳用の大容量のお菓子だったりしてバラエティに富んでいた。段々とそれはクラスの名物となって、今ではミヤオサムくんは我がクラスのアイドルのようになっている。
「あ、キットカットだ」
「今日は小遣い出た言うて、それ置いてったで」
「そうなんだー……。私これの黒いバージョンが好きなんだよね。もちろんこれも好きなんだけど」
「なんか違うんか」
違うと言えば違う。でもきっとこの微細な違いは甘いものが好きな人にしか上手く伝わらないだろうと考え、私は興味深そうにしている大耳くんにミヤオサムくんからの差し入れを袋からひとつ取りだし、どうぞと押し付ける。黒は今度ね、と言うとその様子をじっと見ていた北くんは黒か、と呟いた。そもそもキットカットが色んな味を出してることを知っているのか、私はその方が興味深くて北くんの机にもそっと赤い袋を置く。それを見つめて北くんは、おおきに、と言って私をしばらく見つめた。それから、あの日のようにすまん、と呟くのでなんのことか、と私は首を傾げる。
「なあなあ、センパイ。キットカットは黒が好きってほんま?」
「……えっと、ミヤオサムくん。誰から聞いたの?」
「北さんが言うとった。赤やない黒らしいでて。なんで黒?苦いやん」
いつもは朝練後、私が登校するよりも5分ほど早く教室に訪れ、そして自教室へ戻っていく彼が何故か昼休みに現れたのはその次の日だった。バレー部2人は何故か席を外しており、生憎私の周りの席には空白が目立っていて、ミヤオサムくんはそこに普通な顔で入り込む。私にとっては異様な光景でもこの3ヶ月で彼はこの教室にとても馴染んだらしく、誰も咎めることは無い。苦いやん、と彼はゲンナリした顔で舌をペロリと出した。なるほど、苦言を呈しに来たと。私はそれに心の中で頷いて、彼の質問にはそうかな、と曖昧な返事をした。
俺は絶対に赤、フッツーの、スタンダード一択やねんけど、と返してくるミヤオサムくん。うん、それも美味しいよね、と返して私は自分のお弁当をつつく。彼の目線が私の玉子焼きに集中しているのは気付いたけれど、これは私の好物でもあるのでなるべく気付かないふりをした。
「黒が好きて、アレやな。センパイ大人のオンナやな」
「そんなことないよ。……ミヤオサムくん、お昼は食べたの?まだ昼休み始まったばっかりだけど」
「四限の授業自習やってん、ここに来よ思っとったから早弁してもうた」
それはそれは、ご苦労なことだ。そう思いながら私は野菜の肉巻きを口に運ぶ。彼の目線は私の卵焼きから離れない。それにしても彼と直接対峙するのはあの日から約3ヶ月ぶりだと言うのに、違和感なく会話をする子だ。人見知りとかないのだろうか、と思ったけど以前ギャラリーの女の子たちに躊躇なく手を振り返していた姿を思い出してそもそもそんな概念がないのだろうと納得する。それからも彼は独り言のように駄菓子はどれが好きで、自分的にはお徳用のパックがツボだったとかそんなお菓子のことばかり話し続けた。今日はいつも一緒にお昼を食べている友達も部活の大会でお休みだったので、正直退屈しないのは助かる。
すると彼は、センパイは好きなもの後に残しとくタイプなん?と不意に口に出した。その目線は相変わらず卵焼きに向けられている。ずっと狙っていたのだろうか、私は彼の食べ物への執念に少し驚きながらそうだよ、と言うと、嬉しそうに笑った。俺も、とあまりにも嬉しそうに言うので何がそんなに嬉しいのか分からなかったけど、やっぱりその顔が子犬のように可愛くって気が付けば私は卵焼きだけが残ったお弁当箱を彼に差し出していた。よかったら、とあの日のように言うと目をきらきらさせてええの?と聞くのがまるであの日の再現を自分たちでしているようでおかしい。なのだけれど、私はやっぱりうん、と頷いた。
そして、その後から彼は私が来るまで私の席に座って待っているようになった。それを見て友人は忠犬みたい、と嬉しそうに笑う。私を含め女というのは自分に忠実な男が割と好きなのだ。しかも相手は一個下の超有名人ともなると、それはさらに価値を増す。おはよう、と声を掛けるとミヤオサムくんは眠たげな目を瞬かせて、黒にしたで、とピースを向けてくれた。その言葉に彼の指先に向けていた視線を机に這わせると確かにそこには私が好きだと言った真っ黒な袋が置かれている。本当に買ってきたんだ、と思わず呟くと、途端に元々下がっている眉毛をうんと下げて、いらんかった?と悲しげにするので慌てて首を横に振った。
「ミヤオサムくん。すっごく有難いんだけど、私こんなに貰えないよ?覚えてる?私があげたのあのたった1粒だよ」
「……たった1粒されど1粒やろ」
「んー……それにしたって私に対するバックが大きすぎるんだよね。あ、なんか購買で奢ろうか。好きな物とか欲しいものない?」
「それ、なんでもええの?」
ミヤオサムくんは考え込むように腕を組んで少し下を向く。彼の言葉に財布の中身を思い出して、う、と声を漏らしてしまった。まあ、私が買える範囲なら、とこれまで彼から送られてきたお菓子の総額を考えつつ答えを絞り出すと、彼はほんまに、なんでもええの、とダメ押しするように間髪を容れず問い掛けてくる。この問答いつまで続くかな、子どもみたいと思いつつ私は黒板の上の掛け時計が予鈴を鳴らす時刻をもうすぐ指そうとしているのを確認しながら頷いた。私があげられるものなら、と付け加えるとミヤオサムくんはガタン、と派手に椅子の足を教室の床に叩きつけるようにして立ち上がる。
「ほんならセンパイ」
「はい」
「返事ちゃうくて。センパイが欲しいっちゅー話」
「……は?」
「付き合うて。んで俺とメルティーキッスしようや」
気持ち悪い、私の口から漏れ出た言葉に教室に入ってきた大耳くんが噴き出した音が聞こえる。そのあとすぐに北くんの、治、予鈴前に戻れやという容赦のない一言にミヤオサムくんはほんのりと涙を目尻に滲ませて、嘘つき、でも好きやで、と吐き捨てるように教室から出ていった。その後ろ姿を見送っていると、私の机の上に置かれた黒い袋を見て北くんが、はあ、と大きなため息を吐く。
「言うたやろ。絆されたらアカンで」
まるで釘を刺されるような感覚にぞわりとした。そして北くんの言ったことがわかるのはその後すぐ、お菓子のお礼、と要求されるキスに私が断りきれず、迫り来る彼の唇から逃れられなかったことで私は身をもってミヤオサムという男の底知れなさを知るのだった。
▲▼▲
- 4 -