ひとつ足りない飾り付け/角名



街路樹を彩る装飾灯も擦れ違う浮き足だった人たちも今の私の目には何もかもが液晶の向こう側の造られた偽物のように見えた。別に滅びろとか爆ぜろとかそんな物騒なことを思わないけど、せめて視界には入れたくなくて今年新調したばかりのショートブーツの踵をこれでもかと鳴らして歩く。恐らく駅前のロータリーを競歩の勢いで通過したのは私くらいなもので、他の人はきっとこれから聖なる夜を恋人なり家族なりと過ごすんだ。たった今私の横を通り過ぎた女の子は可愛らしいモコモコとしたムートンのショートジャケットにミニスカート、私の目には高過ぎるように見えるブーツで不器用に歩いていく。チラリと聞こえた、お店どこだっけ、なんていう声ですら可愛く聞こえた。デートか女子会か。なんにせよこんな夜に誰か自分以外と過ごすことができる。それは何にも変えられない魔法のチケットだ。選ばれた人にだけ与えられる、目には見えないもの。

本当なら今日は仕事だってお休みで、恋人だって仕事の後飲み会かもしれないなんて言っていたからゆっくり一人でローストビーフやシチューなんかを作って楽しもうなんて思っていたのに。三日前突然告げられた上司からの、ごめんね、と言う言葉。その後に告げられた内容に私はくらりとしたのをよく覚えている。インフルエンザだなんだと急に今日の出勤の予定だった社員たちが倒れた、本社から人を十人ほど補充しないと間に合わないなんて言われてしまえば今年度の部署で一番下っ端の私が出ないわけにもいかない。

ほんと社会人って世知辛い。まあ、丁度、倫太郎だって家にいないわけだし。丁度いいよね。急遽キャンセルしてしまった予約していた近所のケーキ屋さんのクリスマスケーキだって、それならとたまたま隣にいた男の子が僕が買いますよなんて言ってくれたし。本当はダメだけどそれならと店主さんも言ってくれた。ああ、あの男の子も今頃彼女さんと私が買い逃した苺のタルトを食べているんだろうな。

倫太郎は何しているんだろう。ファンとのイベントとか言ってたからなぁ。きっと私なんかよりよっぽど可愛くって綺麗で若い女の子や爽やかな男の子なんかに囲まれてクリスマスプレゼントだよ、とか言われてプレゼントやら手紙やら貰ってるんだろうな。写真だって撮っているんだろうな。いいな。ずるいな。私だって倫太郎にプレゼントを渡したいし手紙だって書きたかったし、2人で準備をした料理の前で写真なんか撮ったり色々したかった。
駅のホームでは上り方面は人が溢れているのに私が今立っている下り方面は人がまばらだ。きっとみんな仕事終わりでも用事があるんだろう。

今朝私が送った『行ってきます。倫太郎も頑張ってね』というメッセージに目つきの悪いキツネが旗を振っているスタンプがついて、それで終わっているトークルーム。スマホを手放さない彼が何も送ってこないって言うことは、多分、仕事が終わっていないのか。はたまた結局飲み会に連れて行かれてしまったのか。お酒は嫌いじゃないタイプだけれど、淡白そうな見た目に相反して彼はイベントを大切にしてくれるタイプだ。だから、今日の飲み会だって行かないでと素直に私が言えば分かった、と言ってくれたに違いないのに。
俺に会わなくて平気?と冗談めかして聞いてくる倫太郎に、大丈夫なんて返した昨日の私が恨めしい。お互い仕事で何もできない、と分かった途端私の心は荒れに荒れてしまった。それを倫太郎にぶつけないように飲み込んでいたら、本音も全て飲み込んでしまって何も言えなくなった。大人になるって多分こういうことなのかな、なんて思いながら私は人差し指で液晶の中のキツネの顔を何度もなぞる。何が起こるわけでもなにもないのに、慰めるみたいに動く指。

すると構内アナウンスが大きな音で流れる。恐らく人も少ないのでいつもの倍はよく響いた。それは電車の遅れを知らせるもので、1時間弱はかかるという私にとっては悲劇以外の何者でもないものだった。時計を見上げて、私はため息を吐く。時刻は19時を回ろうとしたところ。アナウンスの内容に違いないのなら次の電車は20時。きっと家に着くのは21時も過ぎることだろう。

当てなんてないけど、私は駅ビルに入ってみた。ふらりふらりと歩く。先ほどから何人か私のように1人でふらつく人もいるから、多分そのほとんどの人が私のようなプチ帰宅難民なんだろう。クリスマス限定なんて文字と共にディスプレイされているいつもよりも派手でキラキラなアイシャドウやリップグロスを見つめた。可愛いな、本当なら私も家で頼んでいたクリスマスコフレやアドベントカレンダーを一気に開けたり、試しに塗ってみたりそんなことをしようと思っていたのにな。お店の中から店員さんが出てこようとしたのが見えて私は急いでお店を後にする。冷やかしだと思われただろうな。まぁいいか。冷やかしみたいなものだし。

ビルの中でさえもキラキラの装飾で溢れていて、仕事終わりの草臥れた私は不釣り合いだ。あー辛いな。そう思ったら、もう頭の中はそれでいっぱいになった。辛い、いやだ。帰りたい。帰りたくない。倫太郎もいない。ご飯だってなんにもない。お腹も空いた。もう寝たい。疲れた。消えたい。

「りんたろ……」

ぽろりと漏れた言葉は彼の名前で笑ってしまいそうになるけど、鼻の奥がつんとした。もういい大人がこんなことで泣くなんて情けない。大人なのに。大人だから。何にもうまくいかない。本当は出たくなんてなかった。家で倫太郎が帰ってくるのもただ待っていたかった。
歩き続けて漸く見つけた備え付けのソファに腰を下ろして私はスマホを見つめる。やっぱり倫太郎からの連絡はない。絶望。早く家に帰って、お風呂に入って、ああそうだ。この間買った入浴剤も入れよう。それで家にある前にもらったワインなんか飲んで早く寝てしまおう。でも、でも。会いたいなぁ。

気が付けば私は倫太郎に会いたい、なんて子どもみたいなメッセージを送っていた。やばい、と思ってすぐにそれを取り消す。忙しい彼に少しでも重たいとかそういうことは思わせたくない。送信を取り消しました、という無機質な文字が今日の私を表しているようで、私の目からはついに涙が伝った。本音も全部飲み込んで、我慢をして、苦い思いをする。きっとそれは私だけじゃない。他の人だってそういう思いをしながら働いてたりするんだろう。仕方ないよ。大人なんだからそれぐらい我慢しないと。ぎゅ、と握りしめた手の中のスマホが震えた。なにか公式の会社からのメッセージだろうかと思って放っておこうとするけど随分長いこと震えるそれが電話だと気付いたのは一頻り震え終わったスマホがもう一度振動し始めてからだった。慌てて通話ボタンを押す。

『もしもし』
『取り消ししても俺のスマホには通知が残ってるって考えなかった?』
『考えなかった……倫太郎、仕事は?飲み会……』
『仕事は今終わったよ。予定より少し押した。そっちは?終わったの?もう家?』

鼓膜を震わせる倫太郎の声が心地よくて、安心して涙が溢れるけど飲み込んだ。彼からの問いに首を横に振るけどそれじゃ伝わないなんてことはわかっているので、仕事は終わったことと電車の遅延でまだ家にはいないことを伝える。倫太郎は優しい労わるような声でそっか、と言った。声までかっこいい。優しい。素敵。会いたい。そうは思うけど直接言うのは気恥ずかしいし外なので憚れる。電話の向こうで倫太郎が私の名前を呼んだ。

『昨日も聞いたんだけど、もう一回聞くよ』
『……うん』
『俺に会わなくて平気?』

先日のような冗談っぽい声ではなく、優しい声に情けないほど涙が出る。温かいオレンジ色の照明が歪んでいく。全然平気なんかじゃない、と震える声で答えると倫太郎はわかった、と言ってくれた。その後今日ここだっけ、と今私がいる駅の名前をメッセージで送ってきて俺がいるところから20分位で着くから出来るだけ温かいところで待っててと言われそのまま電話は切れた。自然とロック画面に戻ったスマホを手の甲で頬を押さえながら見つめる。20分。20分。すっごいすぐだ。え、電車動いてないけど。どうやってくるの?考えは巡るけど、彼の言いつけを守るように私は外には出ないようにソファに座っていた足を伸ばした。さっきよりもずっと軽くなった心が、ポカポカと温かくなっていく。

倫太郎は宣言通り20分後に『ロータリーに来て』と言うメッセージと共にやってきた。ロータリー。タクシーだろうか。首を傾げながらさっきとはまるで違う軽い足取りで来た道を戻る。このドアを開ければ、倫太郎に会える。会えるんだ。そんな期待を胸に自動ドアをくぐりぬけて周りを見渡す。つい一時間前までは恨めしく感じたイルミネーションも全て輝いて見えた。チカチカと照らされるライトに目を細めてそちらを見ると、見慣れた黒い車。倫太郎の車だ。駆け寄って助手席のドアを開くと、おかえり、と笑いかけられる。

「どうして……車?飲み会は?」
「取り敢えず入りな」
「あ、うん。そうだよね……」
「大丈夫。俺こそごめんね」

倫太郎は、もう一度ごめんと繰り返すと助手席に投げ出してたままだったスマホをホルダーに嵌め込む。私がそこに乗り込むと手荷物を自然な動作で奪って後部座席へと移してくれた。ありがとう、と呟くとそのまま流れる動作で右手を握られる。大きくて包み込むような温もりを握り返すと、今日ごめん、と小さな声が聞こえた。倫太郎の声は、低くてでも聞こえにくくなくて、優しい。キラキラのイルミネーションの灯りがちらちらとダッシュボードを照らすのを見ながら、なにがと聞くが倫太郎は答えない。

「なんで、車?飲み会あるときはいつも乗っていかないよね?」
「んー……今日は行く気無かったから。こういう時の飲み会は独身で決まった相手もいない人達でどうぞって言ってきた」
「え、それすごく感じ悪くない?」
「悪いだろうね。でも、寂しいって思わせるより全然いいでしょ」

そう言った倫太郎は握っていた手を離して私の頭を優しく撫でた。見上げた彼の顔はとても申し訳なさそうに眉根を寄せている。私は空いた手で彼の両頬を包み込んだ。私の冷えた指先が触れて一瞬震える肩。

「冷たい」
「でしょ。迎えに来てくれて、ありがとう。倫太郎が来なかったらもっと冷たかった」
「……クリスマスマーケットもイルミネーションも一緒に行けなくて、ごめん」
「……ううん、大丈夫」

そんなこといいのに。ただこうして会えただけで私は嬉しいのに。言葉にしてしまうと途端に安っぽくなってしまいそうで、私の口から何一つ出せなかったけど少しでもその気持ちが伝わるように薄い頬を親指で撫でるとそれに擦り寄ってる倫太郎。猫みたい。あ、野生の狐。懐かれたみたいで嬉しくって笑いがこぼれた。
倫太郎はそんな私に気付いて、目を細めると私の手を頬から剥がして手のひらにちゅ、ちゅとキスをする。

「ケーキ、コンビニのでいいから買って帰ろうよ。今からクリスマスっぽいことしよう」
「いいの?」
「それぐらいさせてよ。俺プレゼントぐらいしか用意出来てないんだから」
「えっ……あるの? 私家にあって持ってきてない」
「いいよ。別に勝手に貰うから」

倫太郎はそう言うと私の手を離してハンドルを握った。途中立ち寄ったコンビニには大きなデコレーションケーキしか売ってなくて、これはふたりじゃ食べれないねなんて笑う。しょうがないから生クリームがたっぷりと乗ったプリンと苺ソースを買って、それっぽく飾り付けた。
サンタクロースや柊の飾りなんて気の利いたものは倫太郎の家にあるはずもなくて、なんとも味気ないものだったけどなんだかそれが私たちらしい。一緒にお風呂に入って恋人らしく過ごした翌朝、私の左手の薬指にはイルミネーションに負けないくらいキラキラと指輪が光っていて飛び起きた私に倫太郎はニタリと意地悪く笑って見せた。

「言ったじゃん。勝手に貰うからって」

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