辿りきれない小指の糸/月島
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世界終われ。このまま滅びろ。
そんな物騒なことを思いながら夜の11時。田舎の終電間際のこの時間、まだまだ人の往来がある歩道のど真ん中。私は膝を抱えてアスファルトに広がる染みの数を数えた。
4年間付き合った彼氏に浮気されていました。
しかも彼氏だと思っていたのは私だけでした。彼にはCAのスタイル抜群容姿端麗の本命彼女がいて、セフレには読者モデル。平々凡々の私はどうやらセカンドですらなかったようです。どうしたらいいですか?
ベストアンサー 箸休めってことですね。良いものばかり食べていると胃もたれします。漬物みたいなものも必要ということでしょう。
きっとネットの知恵袋に相談するならこんな感じだろう。誰も真面目になんて答えてくれないようなネタにしかならない出来事。ベストアンサーだってこんな大喜利みたいな答えしか来ない。
私だってこんなことあるなんて思わなかった。いつも通り夕方から居酒屋で待ち合わせをして、いつも通り2杯お酒を飲んで、それを割り勘して(1円単位)彼の部屋に行く。いつものお決まりパターン。だけど今日はそこからなにかが違くて、ベッドサイド、いつもならそこに置かれていた目覚まし時計はもっと隅の方に追いやられていた。
代わりにそこに鎮座していたのは8年記念日ありがとう、なんて可愛く書かれた写真いっぱいのコルクボード。動きが止まる。え?今までの4年って何?幻?
そこからはあまり覚えてない。取り敢えず何これ?と聞いたけど当たり前のように「彼女から貰った」だの「つーか8年付き合ってこれ作るとか凄いよな」だの「CAだからかなんか知らないけど、地でマウント取ってくんの。そういうとこうぜーんだよな」だの「俺読モのセフレいるんだけどそっちのがよっぽど可愛いわ」だのと随分身勝手で聞いてるこっちがうんざりするような愚痴を聞かせてくれた。とにかくそんな男に傷付いたとかそんなことは悟られたくなくて、私は必死に「ウケる」「それな」だけを繰り返して逃げるように部屋を出た。
出て即座に彼の連絡先を消し、写真を消し、SNSに上げていたものも消した。何個も何個もその繰り返しをしている間、考えた。
どうして私は4年も気付かずに、自分が本カノだなんて思ったんだろう。どうしてあんなクズだって思わなかったんだろう。私、知らない内にクソ女じゃん。
そう思ったら涙が込み上げた。悔しい。ムカつく。
そして最寄り駅に着いた今、私のズタボロの自尊心は限界を迎えたのだ。
道行く人が私を避けるのが分かる。分かるよ。だって私でもこんな泣き崩れてる見るからにやばい女は避けるよ。
それでもいざ自分がその立場になるともうどうでもよかった。どうにでもなれ。今更この地元で誰かいい人に出会うとか思ってない。
そんなことを考えながらもただ黙って涙が止まるのを待っていると、私の目線の先にスニーカーのつま先が並んだ。
「何してんの」
「……なんで、いるの」
「なんでって僕ここ地元なんだけど。忘れた?同中だよね?」
「同中です……」
「て、言うかいつまでそうしてんの?ほら立ちなよ。気味悪い」
みんなが道を開けるように避けた私の前に立ったのは中学も高校も同じだった月島くんだった。襟ぐりの開いたインナーにカーディガン、黒のスラックスにお洒落な人はみんな履いてるスニーカーという見るからにオフモード。
適当に引っかかってたものを着てきました、みたいな雰囲気のくせにスタイルの良さと綺麗に整った顔でどこかのモデルか、と言いたくなるくらい似合ってるから腹が立つ。
どうしてこう、劣等感ばかり刺激されなければいけないんだろう。弱り目に祟り目とはこのことだ。
背が低いから、必死にヒールを履いて。
周りと同じように流行りのメイクを研究して。
必死で仕事を頑張って、手の届く人気のブランドのバッグにお揃いの長財布を買って。
私が必死に必死に、好きな自分でいる努力をしても。それでも私のことが全然好きになんかなれないのに。
月島くんは私の腕を引き上げて立たせる。掴まれた所から彼の不器用な優しさが体温として伝わってきた。
力強く、でも優しく引き上げるその手。私は逆らうことも無く立ち上がり、ただ前を歩く彼の背中を追い掛ける。ぐすぐすと情けなく鼻をすする音をどこか他人事のように聞きながら。
「ホラ、これ飲んで。元々そこそこの顔しかしてないのに酷い顔になってるから。ハンカチは?」
「ある……ありがと……酷い顔、失礼」
「言い返せるなら大丈夫じゃん」
すぐ近くにあったコンビニ、その前に備え付けられているベンチに私を腰掛けさせて月島くんはさっさとコンビニの中へ消えていく。
すぐ戻ってきた彼の手にはホットミルクティーが2本握られていた。そしてその1本を私に差し出す。
その彼の行動に、相変わらず甘党なんだ、お金払わなきゃ、ハンカチ出そう。なんてぶつ切りでしか考えられない頭の中で私はとにかく持っていたバッグを漁る。
見た目重視で購入したこのハンドバッグは可愛いばかりで容量は少ないし口は大きく開かなくて、使いにくい。買わなきゃ良かった。
そんなこと思っていると、今日さっきまで一緒にいた彼から以前、誕生日プレゼントで貰ったデパートコスメのリップがカバンから出て地面に落ちる。カシャン、と音を立てて落ちたそれ。
私は黙って見つめた。
ああ、そうだった。こんなものを貰ったから私は信じてしまったんだ。
元々サークルが一緒で、よく話す方ではあって。飲み会のときなんて絶対隣に座ってきた。時折気になる言葉遣いとかはあったけど、それでも誰かが気まずくならないように進んで笑いを取ったり話を広げたりする。そんな所が良いな、なんて思ってて。
みんなで相性占いをした時にたまたま言った誕生日。それを覚えてプレゼントをくれたのは彼だけだったから。
私はこのプレゼントされたリップになにか特別な意味があるんじゃないか、なんて期待した。
その日私は生まれて初めて終電を逃して、彼と過ごして、それで隣で眠る彼の顔を見ながらスマホで必死に検索した。男性が女性にリップを送るのは『キスがしたい』という告白めいた意味、なんて言葉に喜ぶ私。なんて無様だったんだろう。
落ちて蓋が開いてしまったそれを拾いもせずにただ見つめる私を月島くんは訝しげに見つめる。聞かれずとも彼が、こいつなんで拾わないの、なんて思っていることくらい分かったけど。
私の凍りついた指はカバンの中から動かない。
落ちて傷ついたリップは私だ。不審そうな顔で月島くんが屈む。
「馬鹿だよね。そんなの貰っただけで、自分が本命彼女だなんて勘違いしてさ。私、2番目ですらなかったの。笑えるよね。そもそも彼女ですらないのに……セフレにもなれてないのに。ばか、本当に」
「はぁ……なに、君また騙されたの?」
「またって……」
「またでしょ。そういうの学生の時もやってた」
月島くんは溜め息を吐きながらも私が落としたそのリップを拾い上げて蓋を締め直してくれる。それを手のひらでコロコロと転がし、私に言う。
「中学では第二ボタン貰ったって喜んでたけど、あのボタン全然違う奴のだった。君が優しいって言って好きだったアイツは、君がボタン貰いに行く前には全部完売してたし。それでもつけてれば欲しがるって言って他のやつからボタン貰って、君はそれを貰って喜んでた。知らなかったの?第二ボタン貰えたーって喜んでた子大勢いたのに」
「えっ」
「高校の時もそんなことあったよね?優しいから好きになって、デートまでしたのに。結局文化祭が終わったら違う子と付き合ってて、君は結局ただの都合のいい女。いい加減学びなよ。そういう奴は君を傷付けてるなんて自覚すらない。そういう奴こそ本当に好きな子には曖昧な言葉や態度は言わないしとらないってこと」
効果音を敢えて口に出すとするなら、ぐさぐさぐさ。月島くんは昔から歯に衣着せぬ物言いで、しかも言ってることは正確。洞察力が凄くて言い方は置いておいて、間違ったことは言わない。
だから彼の言っていることは全部事実。
ああ、第二ボタンまだ引き出しの奥に残してあったな。家帰ったら捨てよう。さよなら私の淡い初恋。なんてことを考えながら私は背中に突き刺さった月島くんの言葉のナイフを抜く。
そこから感情がずるずる漏れ出てきて、せっかく止まった涙がまた零れた。
わかってる。彼が言ってること、間違ってない。私はいつだって都合よく使われる女で、いつだって誰かの本命にはなれないし当て馬にすらして貰えない。
「わ、私だって……こんなのやめたいよ……でも、こんな私の事なんて、誰も好きにならないっ……」
「そういうこと言ってるからでしょ。もっと素直になりなよ」
「っ……素直だから!」
「へぇ。じゃあ君1回でもちゃんと告白したことあるわけ?」
月島くんはニヤリと口角を上げて嫌な笑顔を浮かべる。私はその言葉にドキリとした。本心を見透かされている。
彼の言うとおり。私は自分から告白なんてしたことがない。いつもいつも誰かが自分のために動いてくれることを待っていた。
その癖誰も動いてくれない、気付いてくれないなんて勝手に裏切られて。それを聞いてくれる月島くんにいつも愚痴っていたのだ。
「……な、い」
「ほらね。どうせ今回もこれ貰って、舞い上がったんじゃないの?大体プレゼントだけで俺の気持ち察してなんて男、同世代にいないって思わないの?これだって多分彼女に『女友達にあげるならこんなのがいいと思うよ』ってアドバイス貰って買っただけだと思うし」
「……でも、それ」
「信じたいなら勝手にまた信じれば?どうせ裏切られるだけだと思うけど」
そう言って月島くんは私のカバンにそのリップをそっと入れた。
そうだよ月島くんの言う通り。今更もう彼のことを信じても傷付くだけだし、信じるも何も言い訳すらされていない。私は漁っていたカバンから財布とリップを取り出した。
そのままリップをベンチの脇に置いて、月島くんに200円を渡すと要らないと断られる。
それでも引っ込める訳にはいかなくて、無理矢理月島くんの手に握らせると呆れられた。
「こういう時、可愛く奢られないから都合良い女なんじゃない?」
「わかってるよ。でも、今はカッコつけたいの」
「はいはい」
月島くんはやれやれと言った様子で頷くと私に握らされた2枚の硬貨をスラックスのポケットにしまいこんだ。
しかし、何をするにも絵になる人。足が長いからこうやって無造作にベンチに座ってるだけでも切り抜かれた雑誌の1ページみたい。
座ってるのはお洒落な公園のベンチでも、カフェテラスでもないただのどこにでもあるコンビニのベンチなのに。すぐ側には昔からある縦長で細身の灰皿。その下にはボロボロになった吸殻が落ちている。
まるで私みたいだと思った。嗜好品。用が無くなればこうやって捨てられて、大事なものの為なら見向きもされなくなる。
「私、大事にされたい……もっとちゃんと」
「へぇ。頑張って」
「……月島くんは劣等感とか感じなさそう。好かれる為に先回りしてそうだし。いいな」
「ホントにそんなこと思ってる?」
「思ってるよ」
月島くんは一際大きな溜め息を吐いて立ち上がった。それから私に向き直ると「助けてあげようか」と呟くように聞いてくる。
その声があまりに小さくて、何か違う言葉と聞き間違えたんじゃないか。私はそう思って聞き直した。
月島くんはそんな私にもう一度聞いてくる。
「僕が君のこと助けてあげようか。劣等感でいっぱいで、今世界で1番不幸だと思ってる可哀想な君のこと」
「……それ、煽ってる?」
「まさか。だって君自分が誰かに好かれてるとか毛ほども思ってなさそうだから」
「助けて、って言ったら?」
私が試すように答えると月島くんは楽しそうに笑った。それから私の脇に置いてあるリップを取って近くにあった灰皿に捨てる。
「色、君に似合ってないから捨てたよ。この時間まで出歩いてるってことは明日暇だよね?駅に11時に集合。はい、スマホ出して」
「え、」
「早く」
「あ、ごめ。はい」
眼前で広げられた大きな掌に呆気に取られつつも、そこに私のスマホを置く。月島くんはそれを器用に操作した。パスコード入れて、と突き返されて言われるがまま8桁の数字を入力して返す。
サクサクと操作しているように見える指先、月島くんの眼鏡に反射しているスマホ画面は恐らく私のメッセージアプリだ。
何してるんだろう。さっきまで情けない本音を吐露していたお陰で今の私に見られて困るようなものは何も無いし、彼とのやり取りは既にもう電車の中で消していた。
「男のトークないってことはもう消してたんだ。偉いじゃん。あと僕のアカウント追加しておいたから後で連絡してよ。電話番号は?変わってない?」
「か、変わってない。え?何してるの?」
「劣等感でいっぱいだから助けて欲しいんでしょ?」
「え、まあそうなんだけど。ごめん全然ついていけない」
月島くんは操作し終わったらしい私のスマホを投げるように返してくれる。その画面には『月島蛍』というプロフィールが表示されていた。
恐らくこれが彼のアプリアカウントなんだろう。
だけども先程の明日集合の言葉といい、急な連絡先の交換といい、全く私を助ける行為には繋がっていなさそうな。ただ慰められているんだろうか。なら、要らないのに。
こんな風にされたら、私はまたひとりで勘違いをする。さすがに、月島くんにまで弄ばれたら一生の傷として残りそうだ。
「え?もしかして慰めるよ?ってことなの?だったら、」
「違う」
「違うの?」
「君さ、もしかして僕がただの女友達の愚痴を10年近くも聞き続けるお人好しだとでも思ってるの?」
「え、全然」
「うわ、ウザ。まあそうなんだけど。で、今もこんな終電間際に駅目指して散歩してる暇人としてここにいると?」
月島くんは、確か忙しい筈だ。以前顔を合わせた際に聞いたことに変化がなければ普段は博物館の職員で、その傍らバレーボールも続けていて。散歩するほど運動不足でもないだろうし、そもそもこんな時間まで出歩いてるなんてことも珍しいんじゃないか?
自分のことで精一杯だったから、彼が急に現れたことにもなんの疑問も抱かなかったけど。
買い物にしに来たにしては彼は手ぶらだし、出掛けていたようなスタイルでもない。
じゃあ、なんでここにいて、私を見つけたの?
思考に耽ける私をじっと見つめる月島くんの視線が痛くて、少し擽ったくて私は目を逸らした。
「暇人、とは思ってない」
「そうだよ。僕はそんなに暇じゃない。ましてや見るからに怪しい道のど真ん中で蹲る女に話しかけて飲み物買って話まで聞くほど物好きでもない。ここまで言えば、君でもわかるでしょ」
「ま、待って。え?じゃあなんで駅前にいるの?わかんない」
「SNSでウキウキで彼氏と会うって更新したあと急に全部の投稿消えてたらさすがにみんな分かるよ」
「あ、そ、そっか……え?月島くんって私のSNS見てるの?」
「見てるけど。悪い?」
「や、悪くはないけど……」
それってつまり、それを見て、帰ってくるかも分からなかったけど駅前に来たの?私の足りない頭で考えられた結果はそれしかなくて。でもそんな確信もないような行動を目の前にいる人がするようには到底思えない。
私の中で月島くんは、かっこ悪いことを絶対にしない人だ。なんでもそつなくこなして、掴みどころがあまりなくて。嫌いなものは嫌いだと、そして、好きなものを好きだと正直に顔で態度で示す。そんな人。
私は彼のスニーカーを見ていた目を、恐る恐る上へ向けた。
目を疑う。恥ずかしそうに、眉を顰めて、街灯に照らされる白い肌は少し赤くなっていた。
え?なんで、そう思う私を見透かしたように月島くんは私の手を取った。
「僕は、ずっと待ってた。君が気付くまで。でもそんなの待つより君が傷付くことの方が、もう我慢ならないんだよ」
「え、っと」
「分かれよ。僕は、お前が好きなの」
その言葉と同時に握られる手は熱い。
どうしよう。どうすればいいんだろう。月島くんなんて、凄い人が私の事なんかを好きになるなんてそんな、有り得ないことが今起きている。
有り得ない。なんでも持っているこの人が、なんにも持っていない私を好きだなんて。
それでも痛いくらいに握られる手がこれが現実なんだと私に知らせる。
「今すぐにとは言わないけど、僕のこと好きになりなよ。そしたら、僕がお前に幸せをあげる」
「う、うそ?」
「ホントだよ馬鹿」
「……だから明日、会うの?」
「そうだよ」
ほら、帰るよ、と私の手を引っ張る月島くん。その大きな背中はどこか恥ずかしそうで、私はなんだかむず痒くなる。
さっきまで世界一不幸だった女は前を歩くヒーローのような、神様のような人のお陰で多分世界一幸せな女になるんだろう。
私の単純な頭の中はもう既に部屋の中のクローゼットを漁っていた。明日何着よう。
今までの人たちとは違って、月島くんは可愛い、なんて安っぽい褒め言葉なんか言わない。きちんと私に似合っているかどうかを教えてくれるだろうから。
明日の今頃、きっと私は世界を救えるくらい絶好調。
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