吐いた嘘が首を絞める 中編/村上


※捏造しかありません。相変わらず暗いです。次で終わりの予定。



彼女との別れの瞬間を忘れたことはない。故に思い出すこともない。ポロポロと宝石なのだろうかと思うほどにキラキラと光る涙の粒、震えた肩と渡された袋から伝わる手の感触。彼女が言った初めての言葉。彼女から伝わってくる絶望に似た何かを忘れたくない、忘れてはいけないと俺は移動する車の中で眠った。やはり、俺はここにいてはいけないのかと目を覚ましてから改めて思った。それから、もしもこの選択が彼女の為になるなら、俺は俺の人生をこれからに捧げてもいい。そうとも思った。

千羽鶴は無事に完成して、入院している玉狛の隊員の手に渡ったらしい。手に渡る、という表現は少し違う。侵攻があってから約四日ほど経ったが、未だに目を覚ましていないらしいので正しくはその隊員の病室に飾られているのだろう。俺はその人と関わりもないので顔を見に行ったり、お見舞いに何かを持っていたりはしない。ただ、誰かが命を落とすなんてことはあってはならない。その為のボーダーという組織であるのだから、出来るだけ早くその人が目を覚ませばいいと思った。

母親から届いた蜜柑はもう既に残りはスーパーで売っている一袋分くらいになっている。昨日支部で太一と別れた時、もう一個いただきます!と元気よく笑っていたので恐らく太一がほとんどを食べ尽くしたに違いない。母親からの贈り物は季節の変わり目を告げる風物詩になりつつあるが、この冬の蜜柑だけは一度と言わず二、三度送られてくる。だから傷まないうちにさっさと食べてもらえるのは正直ありがたい。

俺は自室のベッドに腰掛けて、手元にある封を切っていない便箋をひっくり返した。これは母親から届いた段ボールの中の1番上にあったものだ。丁寧に透明な袋に入れられていて差出人の気遣いが垣間見える。規則正しく並んだ流れる水のような文字は地元にいたころ、何度も何度も見本にしたもので、地元から離れて約三年も経とうとしているというのに、俺の書く文字は未だこの人の癖をよく反映しているのだ。右斜に傾くように並ぶその人の名前。間違いなく俺の初恋。



定期連絡と共に今回の贈り物のお礼を告げると、同封した手紙はよしちゃんから受け取った、と俺の母親は言った。鋼に送るならこれも送ってもらえないか、と。加えてよく彼女と食べたあのフィナンシェも大量に入った袋も同封されていた。彼女が好きだと思っていたから、よしちゃんはこれをよく家に持ってきたのだとばかり思っていたそれに俺は手をつけられていない。

別れの日もよしちゃんは彼女伝にこれを俺に渡した。俺はそこで初めて彼女がこのお菓子を好きなわけではないということを知った。これだけ長い時間を共に過ごしたが、俺はまだまだ彼女のことを何も知らないのだと面食らったのを覚えている。可笑しそうに笑った彼女は大判のストールをマフラーの代わりに巻いていて、そのたっぷりとした柔らかそうな布に埋もれていた。よしちゃんはどうやら寒さで風邪を引いてしまったらしく、鋼くん元気でねって言っていたよと彼女が代わりに餞別の言葉を教えてくれる。そうか、お大事に、と俺が言うと彼女は俯いてよしちゃん譲りの長い睫毛を俺に見せてくれた。


「身長、伸びたね」
「そうか?自分ではあまりそう思えないけど」
「まぁ、そうだよね。……鋼は男の子だから、これからもっと大きくなるよね。それに、ボーダー?ってなんだか正義のヒーローみたいなお仕事だから、もしも次帰ってきたらきっと誰も鋼のことを嫌いだなんて言わないよ。もしかすると、向こうが楽しくて居心地が良すぎてここに帰ってきたくなんて、なくなるかもね」


それはない、と俺が否定するよりも早く彼女は、鋼がそんなこと言うはずないって分かっているけどと付け加える。そして震える声で、私は鋼になりたかったとハッキリと言った。なにかなんかじゃなくて鋼になりたかった、と。俺は黙って彼女の高すぎず低すぎもない、聞きやすい声が震えているのを耳を澄ませて聞いた。
昔から自由はなくてみんなが外で走り回ったりしているのを横目に自分は習い事をしていた。でもそれは両親から病弱な自分に向けられた愛情だと思っていたから耐えられた。欲しいと言えばなんでも手に入ったし、それを惜しみなく差し出して他人に与えて笑っていればみんな自分を好きでいてくれた。それが偽物だと知ったのは鋼がなんでも出来る体質だとよしちゃんが知ってからだった。子どもを多く望めない、でも家業は代々続いていた地元でも知らない人はいないホテル。私がもしも鋼だったら、きっと私はもっと自由で、愛された。少なくとも今のように自分を売り物みたいにして、自分の価値を高めるためだけに生きることなんてなかった。鋼みたいに自分の生き方を自分で選んで決められた。


「私、本当は鋼のこと大嫌い。嫌いなのに、鋼が誰よりも優しくて強いことを知ってるから。私は鋼になんでもあげられた。でもそれはおばあちゃんが私のことだけを見て大切にしてくれたから。だから……私は、もうなににもなれない。鋼がいなくなるここで死んだみたいに生きていく。ねぇ、鋼。鋼は、スーパーヒーローになって色んな人から感謝されて愛されるんだろうね。私のことなんか、いつか忘れちゃうんだろうね。私、鋼の中のその他大勢でいるつもりなんかないよ」


ごめんね、と言った彼女は俺によしちゃんから預かったという袋を押し付けて踵を返した。彼女が紡いだ言葉はまるでナイフのように俺に突き刺さったし、耳に入れるのは些か心地よくない言葉ばかりだった。黒板に爪を立てたような、頭に残る音。ポロポロと彼女の目から宝石の粒が落ちた姿を思い浮かべると、俺の頬は同じように濡れたけど、彼女が溢した雫なんかよりよっぽど滝のようで、ああ、やっぱり俺は誰かを傷付けることしか出来ないということ思い知る。よかった、最後に彼女の本音が聞けて。忘れてはいけない。俺がどこでどう生きようと、こんな風に、存在だけで人を傷つけてきたことを。俺は揺れる車の中で瞼を下ろした。そんな時にでも、やっぱり彼女は綺麗だと思ってしまったのだから、恋愛というのは惚れた方が負けというのは間違っていない。そんなことを思った。

強化睡眠記憶。俺のこの突飛な学習能力はそう呼ぶことにされた。彼女は笑うだろうか。俺は、彼女に俺のコレに名前がついたことさえも教えられていない。それどころか、ここには彼女のように俺を疎ましく思いつつも受け入れてくれる人が大勢いることも、疎ましくさえ思わない人がいることも、なにも、伝えられていない。同じくして彼女からも連絡はなかった。だというのに、ここに来て突然舞い降りてきたこの手紙を俺は片時も離さずに持ち歩いている。
ふ、と時計を見上げると任務の時間が差し迫っていた。また今日も封を切れなかった。そう思いながら俺はそれをポケットにしまい込む。


「3人とも今日もお疲れ様。ゆっくり休んでくれ」
「はい」


防衛任務はいつも通り終わって俺達は支部へと戻って来た。来馬先輩はいつも通り太一のドジを笑って許すのを見ながら俺はポケットにあるはずの手紙がなくなっていないかを手で確かめる。だが、触れるはずの感触が伝わってこない。ぶわりと全身に嫌な震えが走った。自分の上着のあちこちを手で触れる俺に帰り支度をしていた来馬先輩が、どうしたんだと聞いてくる。いつの間にか他のふたりは席を外していた。


「……その、手紙を落としたかも知れなくて」
「手紙? それは大変だ。一緒に探すよ」


そう言って支度をしている手を止めて先輩はしゃがみこんでテーブルの下や椅子の下をのぞき込む。俺も上着を脱いでどこにも挟まったりしてないことを確認してから、先輩が見ていない箇所を自分の行動を思い返しながら見て回った。そうしたことを五分ほど二人でしていると不意に先輩が、余っ程大事なものなんだなと呟く。どう答えたらいいのか考え澱んで、俺は言い難いですがと前置きをしてからまだ読んでいないことを伝える。すると目を丸くした先輩はじゃあ絶対に見つけないと、と言った。もしかすると手紙も鋼に読まれたくて無くなったのかもしれないな、と笑うので、俺は少し救われたような気持ちになる。


「たぬきがこけた、って口に出しながら探すと見つかるって聞いたよ。やってみようか」


呪いの類いだろうか。子供騙しのようにも思えたが俺は頷いて、たぬきがこけた、と口を動かす。たぬきがこけた、たぬきがこけた。それが何回目かも分からなくなった頃、先輩から名前を呼ばれて振り返ると倉庫にしている部屋のドアの隙間から何度も見つめた便箋の角が見え隠れしていた。俺は倒していた体を起き上がらせてそこに体を向け、人差し指でその角を滑らせる。村上鋼様、と美しく並んだ文字はまさしく俺の探していたもので俺は何度も何度も先輩に頭を下げた。無くしてそんなに動揺するなら、早く読んだ方がいい。先輩はそう言って俺の肩を軽く叩くと鞄を持って支部を後にした。




『星も凍えるような寒い夜が続いて、冷えもひとしお厳しくなってまいりました。お変わりはありませんか?
なんて、冗談です。お元気ですか?鋼が居なくなってから、もう三年も経とうとしています。私はあれから、時折酷い風邪だったり肺炎にかかったりしながらも変わりなく過ごしています。
三門市はいかがでしょうか。ひと月に一度は鋼がどうしているかと思ってボーダーについて調べたりもするけれど、出てくるのは嵐山さんという人の率いる隊のことばかりで鋼のことはひとつも出てきません。きっと、三門市にいればもう少し身近に感じたのだろうけれど。今になって鋼と離れてしまった距離を、ほんの少しだけ憎く思います。
私は、ずっと後悔をしていました。あの日去っていく鋼に、どうしてあんなにも酷い言葉を投げつけて、そのままにしたんだろうと。あの時のことを改めて謝りたいです。本当にごめんなさい。許されるとは決して思っていません。だけれど、鋼が少しでも温かい場所で温かい人達に囲まれて殺伐とした日々の中でも優しく楽しく過ごせるようにここからずっと祈らせてください。
私は、ついに、結婚することが決まりました。おばあちゃんのお葬式で、お父さんが決めたお相手の方と。その人は優しいけれど、私のことが好きというよりも仕事の方が好きみたいです。けれどきっと、これでいいんだと思います。よしちゃんは最近少し悲しそうにするけれど、私がよしちゃんやお父さんにしてもらったことに対して返せることは多分もうこれしかないから。
こうして鋼になにか言葉を送るのはきっとこれが最後になってしまうので、一方的に送ります。
私はあなたのことが大嫌いだと言ったのは、嘘でした。あなたを少しでも傷付けたくて、最後の傷になりたくて、子どもの私が言ったなけなしの言葉でした。本当はあなたの事が大好きでした。年上のくせに、ごめんなさい。鋼の優しいところや意外とすぐ泣くところもどんなところも大好きでした。もしも鋼のそばに鋼のことを分かってくれるような人がいないのなら、どうか私の思いがあなたを守ってくれますように。
最後になりましたが、鋼のますますの活躍を心から祈っています。いつも毎日私たちのことを守ってくれてありがとう。お元気で、さようなら』

俺の手の中でかわいた音を立てて紙の形が歪む。そうか、そうだよな。彼女は俺よりも年上で、彼女の置かれている状況を考えればそういう道を行くのは至極当然と言えば当然だ。彼女は、どんな思いでこの手紙を書いたのだろうか。彼女が付けた傷はたしかにこの体の中のもっと内側に瘡蓋となって存在している。そしてそれが今剥がれた。そこからじゅくじゅくとなにかが漏れ出すのを感じる。俺は手紙に縋り付くように額を擦り付けた。そこからは別に何も感じなかったけれど、俺の瞳からはまた滝のような勢いで涙が溢れる。誰もいない支部の共有スペースにただ俺のしゃくり上げる息遣いが響いた。

ふ、と手紙が入っていた封筒に視線を滑らすとそこから何か小さな紙が見える。よくあるちょっとしたメッセージカードのようだ。封筒を逆さにしてテーブルの上に出すと、それは昔よしちゃんが初めて俺の家に持ってきたフィナンシェの箱に入っていたロゴ入りのカードだった。なぜ、こんな所に。そう思いながら首を傾げテーブルを滑らせるようにしてひっくり返すとそこにあった文字に目が大きくなったのを感じた。

俺はそれを見てすぐに立ち上がってズボンのポケットから携帯電話を取り出す。電話をかける先はもう決まっていて、規則正しい発信音の後すぐにその人はもしもし、と俺からの電話をとった。さっき別れたばかりだろう、何かあったか?とその人は苦笑混じりに話す。来馬先輩、とその後続いた俺の言葉に先輩は少しだけ困ったような声を漏らしたが、その後すぐに、分かった、と了承をしてくれた。少しだけ待っててくれ、と電話は切られる。そしてそのあと届いたメッセージを確認して俺は直ぐに支部を飛び出した。

彼女は俺に会いたいだなんて思っていないかもしれない。わざわざ過去形にしてまで文字にした大好きという言葉はもう本当に過去で、なんとも思っていないのかもしれない。それでも俺は彼女に会わなければならない。そんな使命感に似たなにかに背中を押されて、俺はただ地元へ帰るために走った。

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