死を持って解毒とする/北
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ハロウィンというのは悪霊、魔女、悪魔、彷徨える魂たちのような様々な霊が死後の世界からやってくるそうだ。だから仮装をして、悪いものから身を守るらしい。
「あなた、長生きできません」
去年、なんとなく立ち寄った占いでそう言われた。え、めっちゃ失礼じゃない?と思わず眉根が寄るのを感じる。占い師は私が訝しんでいるのを感じたのか続ける。
「関西の方に行かれました?そこで憑かれてますね。悪霊というよりかは、なんというかもっとタチの悪いものです。神に近いので払えないですし、どこに行っても障ることを恐れて何も出来ないかと思います」
「はぁ……関西、ですか」
確かに5年ほど前までは仕事の都合で関西に住んでいた。兵庫県。まあここまでなら私の話し方に若干の訛りがあるとかそういうので、この人の洞察力が鋭いんだなあとかそれで済むけれどその後の言葉にゾッとした。
「御家族に修道院にいる方がいるでしょう。その方があなたを守ってくださってます。叔母様かな。御先祖様に信仰心が強い方がいるようですね、この力がいちばん強いです。周りの方々に感謝してください。……ただ持ってあと数年ですよ」
私は息を飲んだ。その通りだった。先祖云々は置いておくが、叔母は言った通り修道院で生活をしているからだ。ぞわり、と背筋に嫌な寒気が走り私はなんとなく左手を抑える。
占い師は重たそうな瞼が覆い被さっている目で私の左手を見つめた。少し荒れているが、赤黒く塗られた美しい形の長い爪がそこを指さす。
「過去にお怪我されて、なにか出来なくなっていませんか」
「え……まあ、はい」
彼女の言う通り、私は幼少からピアノをやっていて賞も何度か受賞した。会社員として働く傍ら、たまにピアニストとしても活動もしていたけれど。
関西に引っ越してしばらく経った頃、交通事故に遭い、それからは全くだ。後遺症なのか左手だけが動きにくくなり、以前のように弾けなくなってしまったから。恐らくもうピアノを弾くことは出来ないだろう。
自然と左手を守るように右手が覆う。喉が張り付いてしまったように声が出ない。
「それは持って行かれてしまったのでしょう。ですが左手のみで済んだのはあなたを守ってくださる方々に救われたからに他なりません。……ですが、次は全てとると言っています」
占い師は申し訳なさそうに眉を下げて俯いた。テーブルに広げていた、私の生年月日が書かれた紙をひっくり返すと深く頭を下げる。
「不快なことばかり言って申し訳ありません。お代は結構です。残りの人生にお使いください」
その後のことはよく覚えていない。当たると評判の占い師、随分と長い時間話し込んでいたのにも関わらず私は財布さえ出さずに後にしたのだった。
それからというもの私は変な夢を見るようになった。古い屋敷でピアノを弾き続ける夢。不自由な筈の左手も思うように動いて、気持ちよく鍵盤を叩くことが出来る。なんて心地好いんだろうか。
すると頭の方から私に話しかける優しくて低い声が聞こえた。
「心地ええやろ。このまま、目覚めなくってもええんやで」
いや、明日も仕事があるから目覚めないと。
「ここにおったら仕事なんてせんでも関係あれへんよ」
そうなのか、それはいいなあ。
「やろ。俺な、こっちの手だけや満足出来へんねん」
そんな言葉の後、私の左手首が生暖かい何かに包まれる。ふと遠くの方で私を呼ぶ声がした。少し高い声は母親のもので、心配そうに私の名前を呼ぶ。どうしようか、でも目覚めないと、なんだか泣きそうな母親の声に私はピアノを弾く手を止めた。
「行ってまうん?」
うん、ごめんなさい。ピアノが弾けて楽しかった。
私が残念そうなその声に答えるとふふ、と笑い声が聞こえる。私は鍵盤から手を離して部屋から出ようとドアへ向かう。ドアノブに手をかけた瞬間、今まで遠くから話し掛けていたその声が、耳元でリアルに聞こえた。
「次は逃がさんからな」
目を覚ますと今にも涙を流してしまいそうなほど顔を歪めた母親が私の体を揺すっていた。聞けば何度声をかけてもうんともすんとも言わず眠り続けていたそうだった。
眠り続けていた、という私の体は汗に塗れていて、左手首には何かが巻き付けられたように薄く痣のように色素が沈着してしまっていた。
ぞわり、と背筋にヒヤリとしたが滑り落ちる。
多分、次、あの夢を見たらもう帰って来れない。なんの確証もないけれど、そんな予感がした。
そしてそれから1年半。今日はハロウィンだ。
逃がさん、と言われたあの夢を見た以来深く眠ってしまうのが恐ろしくなった私は3時間おきに目覚ましをかけてから眠るようになった。
体は疲れるけれど、用心に越したことはない。命に代えられるものなんてないんだから。
一緒に暮らす母親は「早く結婚して子どもを産んだ方がいい。産めば厄落としになるんだから」と占い以来ずっと私に懇願してくる。
なんでもやってみようということで婚活パーティーなんてものにも参加したが、妙に上手くいかない。連絡先を交換しても急に音信不通になったりするのが多すぎて、恐ろしくなり、やめた。
そんなことが続いたけれど、早くに亡くなった父方の叔父の紹介もありお見合いを受けることとなった。今週末か来週末か、あちらの都合次第らしいがこれで上手くいけば母の心配の種も減るのかもしれない。
今日はいつも働いている店舗ではなく、ハロウィンで賑わっている店舗へヘルプ出勤をしている。
「もう落ち着いてきたし、早めに上がってください」と言われたので有難く定時よりも早めにあがらせてもらった。簡単に身支度を整えて、帰りの時間の電車を調べていると遅番で出勤していた後輩の子が苦笑いを浮かべながら私に話しかけて来る。
「今日めちゃくちゃ駅前混んでると思うので、思った通りの電車乗れないと思いますよ」
「そうなの?」
「はい、電車遅延もしてるでしょうし、気を付けてください」
「そうなんだ……ありがとう」
「去年は酔っ払いに絡まれて終電間に合わないかと思いましたよー。ハロウィンって考えものですよね。元は子どもを悪いものから守るための仮装だったらしいのに、なんか楽しむためだけのものになってますよね」
その子は長い髪の毛を指先に巻き付けてため息を吐く。意外と物知りなんだなあ、なんて失礼なことを思いながら私は愛想笑いを貼り付けた。
「もしかしたら、仮装した人間に紛れて変なのもいたりして……」
「えっと……」
「なーんちゃって。気を付けてくださいね、お疲れ様です」
ニヤリと笑みを浮かべるその子の言葉にドキリとした。またあの日のように背筋がひんやりとする。あ、これはダメなやつかもしれない。
そんな予感に私はとてつもなく母親に会いたくなった。早く帰ろう。そう思ってビルを後にした。
『もしもし、お母さん? さっき仕事終わってこれから家に戻るよ』
『お疲れ様、今日ハロウィン?らしくて駅前混んでるから気を付けるのよ』
『はーい』
『あとさっき叔父さんから連絡あって、例のお見合い今週末で決定だって。予定入れないように、絶対よ』
『わかってるよ、心配性なんだから』
『……お母さん、貴方がいなくなったら1人になっちゃうからね』
電話の向こう側で母親がそんなことを呟く。
私の家は早くに父親を事故で亡くしている。女手一つで私を育ててくれた母親は、他の家庭よりも些か過保護だったのかもしれない。
だけれど、育ててくれたことに感謝しか感じないし、私も占いで聞いたことのようにはなりたくないと思っている。
『うん、わかってるよ』
『じゃあ、また最寄り駅に着いたら連絡してね。今日は迎えに行くわ』
『ありがとう』
じゃあね、と電話を切る。駅に近づくに連れて人が多くなっていた。人気アニメのキャラクターに扮した人、よく分からないガスマスクみたいなものをつけている人、魔女やドラキュラ。本当に沢山の仮装をした人が多い。
ザワザワと騒いでいる集団をなるべく避けて、隙間を縫うようにして歩く。だがやはりいつものようには歩みを進めることが出来なくて、私は電車の時間を再び確認するためにスマホを取り出した。
画面を起動させようとロックボタンに指をかけようとして滑った。カツン、と音を立てて落ちたスマホはすぐそばにいた人の爪先にぶつかり、反対方向へと滑っていく。
「あっ」
さすがに壊れてはいないだろうけど画面破損は避けられないだろう。体にどっと疲労感に似た倦怠感が襲ってきた。
最悪だ。画面が割れてしまえば連絡も取れない。せめて電話だけでも出来ればいいけど。
そう思いながら道の端に落ちた私のスマホを追い掛けて踵を返すと、病的なくらい白い指先が私より早くスマホを拾い上げた。
「自分の?」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
「壊れとるかも知らんな」
なんだろうこの声、どこかで聞いたような。既視感に満ちたその声に首を傾げるけど、なんだか脳内に霧が満ちたようにぼやけていて思い出せない。
スマホを拾い上げてくれたその人は高そうな艶のある白い着物を着ていた。地毛なのかよく分からないけれど銀に近いような色の髪の毛は毛先に向かうにつれて黒くなっている。肌の色が目がチカチカするほど白いので、人間離れしているように思えた。
色素の薄い目が、にやりと三日月のように細くなる。綺麗な男の人だな。そう思った。
その人はすぐに訝しげな顔で手に握った私のスマホを見つめる。どうなんだろうか、早く自分でも確かめたくて私はその人に向かって手のひらを向けた。
「せやな、自分で確かめた方がええわ」
その人はさっきとは違って貼り付けたような笑顔を浮かべると私の手を包むようにして、手のひらにスマホを乗せてくれる。生暖かい。この感覚もどこかで感じたような気がして、私はすぐに手を引っ込めた。
気を悪くさせただろうか、そんな心配があって私は彼を見つめるが笑顔は崩していない。
早く、お礼を言って帰ろう。そう思ってとりあえずスマホを確かめる。ロックボタンを押しても画面は暗いまま。だがガラスの画面はヒビひとつ入っていない。
「大丈夫か?」
「えと、壊れてるみたいです……すいません、拾ってもらってありがとうございました。私急いでるので」
「左手で持ったら、アカンやろ。また落とすで」
「あ、そ、そうです……ね」
その人に言われて左手で持っていたスマホを慌てて右手に持ち替える。そこではたと気づく。
私の左手が不自由なことを、この人気付いたの?ぞわりとひんやりとした汗が首筋に流れる。違う、知ってるんだ。
途端に思考がクリアになって、私はようやく気付いた。夢の中の声だ。この人の声は、あの夢と同じだ。
その人は私の様子に、貼り付けていた笑顔を消すと私の左手首をゆっくりと握る。
「自分あれから来おへんくて、寂しかったんよ。迎え来てもうたわ」
「な、なんで……」
「なんでて、あのチンケな占い師に言われてたやろ。長生き出来へんて。次は全部とるて俺が言うたって」
ガクガクと体が震えた。嫌な予感って、本当に当たってしまうのだ。この人が、いや人じゃない。なんなんだ。これは。震えて言葉すら出ない口を押さえる。
「安心しい。自分やったら全部許したるて。俺から逃れるために結婚しようしとったことも、夢見いひんように寝ようとせんかったことも、全部許したるわ」
「ひっ……や、やだっ」
その人は優しく私の耳に囁きかける。冷たい息に、体が底冷えした。逃げなきゃ、とひたすら掴まれている左手を振り回すが一向にその手は離れない。そこからその人の冷たさが私の体全体に巡ってくる。
「もうこっちは貰ってしもうてんねん。逃げられへんよ。さっき言われとったやろ、今日はな、悪魔も魔女も、みーんなこっち来れる日やねん。なあ、全部俺のもんになりや」
「な、なんで、私なの」
「俺な、ちゃんとしとる人間が好きなんよ。自分ピアノやったっけ?あの綺麗な音が出る楽器やるために毎日ちゃんと練習して、ちゃんとあの楽器整えて、指怪我せんようにやっとったやろ。それが気に入ってん」
そんなの、そんなの他にもいる。私じゃなくたって、私よりももっとちゃんとやってる人なんてたくさんいるのに。そんな自分を守るような言葉が頭の中を埋めつくした。ボロボロと私の目尻から涙がこぼれ落ちる。
「せや、俺んことはシンスケって呼んでな。人間だったときその名前やって、気に入ってんねん」
「ねえ……私じゃないと、だめなの、ほかの人にしてよ……わたし、やだ」
「俺も嫌やねん。どんだけ待ってやったと思ってんねん。あの占い師に気付かれんかったらもっと早う迎えに来てやろうと思ってたんに、あの女余計なこと言いよってな……まあ、ええか。自分やないといけない、理由やったっけ?」
そんなん、自分が俺に気に入られてもうたからやろ。シンスケと名乗ったそれは最後私の右の手首も掴んで笑った。楽しそうに笑う彼は、私の流れる涙を唇で拭う。もう全身が冷たかった。
あぁ、お母さん、ごめんね。そう頭で謝るとシンスケが喉の奥でくつくつと笑った。
「心配せんでも、みんな自分のことなんて覚えとらんよ」
頭の中で何かが割れた。
あぁ、なんだ、結局私だけが辛いのか。
そう思うと心が楽になった。きっともうどこにも行けない。生まれ変わるなんて無理で、私はきっとこのシンスケのためだけに、あの屋敷でピアノを弾き続けるんだろう。
神様に愛されるってそういうことか。
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