君の呼吸で動く僕の心臓/赤葦
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俺なしでは生きられなくなってしまえばいいのに。
俺の彼女は握力が弱い。プルタブ缶は開けるのに何分もかかるからひとりでいる時は選ばないらしいし、もちろんペットボトルだってなかなか開けられない。
俺が部活で木兎さんのちょっとだけの自主練(長い)に付き合っている間、彼女は友達と駅ビルで買い物したり適当に過ごしてくれている。俺が駅に着く頃を見計らって改札前で待ち合わせをするが、彼女がその類の飲み物を手に待っている姿を俺は見た事がない。
俺と付き合う以前はどうしていたんだ。そんなことを思って付き合った当初聞いたことがあった。
「お茶とかはマイボトルに入れてるし、あとはチルドカップばっかり選んでたかも」
「チルド……?」
「これだよ。耳慣れないよね」
そう言って彼女が俺に見せたのは机の端に乗っていたプラスチックカップ。コンビニでよく見るやつだ。コーヒー系の飲み物が多い印象だが、彼女はいつもフルーツティーを好んでよく飲んでいる。ああ、これチルドカップって言うんだ。
多分この容器にそんな名前が付いていることなんて彼女と交際しなければ知り得なかった。
俺は容器の蓋を指の先で叩く。彼女はそんな俺を見て笑った。
彼女は俺が出会ってきた誰よりも女の子らしい、と俺は思っている。それはフィルターが掛かっている、と木葉さんに言われたことがあるけど別にそれでも構わない。
多分規定通りではなさそうなスカートの丈は短過ぎず下品ではないし、持ち物はいつも新品同様にピカピカで清潔感がある。その点については本当に不思議だった。
部活の先輩である木兎さんはペン先をしまわずにペンケースに突っ込むからシャーペンのグリップ部分に赤だの青だのと様々な色がついているというのに。まあ、木兎さんを引き合いに出すのは生きている世界線さえ違うからどうかとは思うが。
彼女がペンケースから取り出すシャーペンさえも汚れてるのを俺は見た事がない。聞けば「家で拭くんだよ」と答えられた。
神経質で几帳面。そう言うと聞こえが悪いが、俺は彼女のそういう丁寧なところが好きだ。
「けーじ、おつかれさま」
「ありがと。寒くない?平気?」
「ちょっと手が冷たいかもー。乾燥する。あ、今日ねハンドクリーム新しいの買ったの」
今日も彼女は騒がしい改札前で待ってくれていた。人混みに紛れる俺を彼女は必ず見つけてくれる。音楽を聞いて、スマホで最近ハマってるというゲームでもやって待っていても特に何も思わないけど、彼女はいつも所在なさげに立っているのだ。
急に冷え込んだから久しぶりに見たブレザーが新鮮で可愛い。俺の言葉ににこにこ楽しそうに笑いながら、指にかけていたバラエティショップの袋を揺らす。
俺と出掛けた時も、見かければ絶対に寄るその店に今日も友人と寄ったんだろう。わざわざ袋から取り出して友達とお揃いなのと俺に見せる姿が可愛い。
「そうなんだ。良かったね」
「うん、帰る?」
「んー……明日学校休みだしなにか飲んで帰らない?」
「いいの?部活は?」
「明日は体育館点検で使えないから午後からトレーニングだけ」
今日練習終わりに口酸っぱく「明日は午前中体育館使えないからな!体休めろよ!午後から来いよ!特に木兎!」と聞いてるんだか聞いてないんだか分からない木兎さんを指さした監督を思い出す。後でメッセージ送ろう。そんなことを思い浮かべながら話せば、途端にキラキラと光った彼女の瞳。いそいそと手に持っていた袋ごと、肩に掛けている革のスクールバッグにしまうと俺の手を引っ張る。
「期間限定のやつ出てるの、飲みたいって思ってたんだ。早く行こ」
「はいはい」
「今日なんにも飲まなくて良かったぁ。あ、お母さんに連絡しよ」
「家まで送るからってちゃんと言っといて」
「わーい嬉しい」
彼女と付き合ってからよく行くようになったチェーンのコーヒー店。そこを目指すように俺を引っ張る彼女の手をしっかり握り直した。
中学こそ違うけれど彼女とは最寄り駅が一緒で、幸か不幸か、彼女と手を繋いで歩いているところを彼女のお母さんに見つかったことがある。彼女のお母さんは本当に中身が彼女とそっくりで、それを伝えれば嬉しそうにしてくれていた。だからなのか「京治くんとならいいわよ」と多少遅くなっても怒られないらしい。
彼女の親御さんの期待を裏切る訳にはいかない。今日もしっかりと守ろう。褌を締め直す思いで俺は手の中にある小さな手にほんの少し力を込めた。
「美味しいー。京治は?」
「俺のも美味しいよ。後で飲みな」
「んふふ、ありがとう。京治も私の飲んでいいからね」
「……ありがと」
彼女の手に握られている紫色の飲み物。味覚がしっかりしている彼女が美味しいと言うんだから、多分、美味しいんだろう。だが、食欲をそそらない色だ。でも飲まなければ、悲しそうな顔をするんだろうな。1口飲もう、あとで。
そう思いながら自分のキャラメル味の飲み物をストローで吸い込む。
あとね、これ美味しいんだよ。と珍しくレジ横のポテトチップスを一緒に会計に出した彼女は徐にそれに手を伸ばした。
「絶対京治これ好きだから食べて欲しいんだよね。最近売ってるの少ないの」
「そうなんだ」
「うん。部活終わりだし小腹空いてるでしょ」
「お腹は空いてる」
「これオリーブオイルで揚げてるらしくて、そこまでジャンキーって感じじゃないから」
「……開けようか?」
「……お願い」
喋りながらも指先は懸命に頑丈そうな袋と戦っていた。いつもならすぐに「けーじぃー」と甘ったるい声で頼むのに、今日は粘ったみたい。きっと食べて欲しいという思いがそうさせたんだろう。それさえも愛おしくて俺は暫く見つめていたけど、勢い余って中身をぶっ飛ばしそうなくらいに力を込めていたからさすがに止めた。
中途半端に形の歪んだ袋を受け取って左右に引っ張れば簡単に開く袋。私生活大丈夫なんだろうか。まあ文明の利器があるから上手くやってるんだろう。
開けた袋をテーブルの真ん中に置けば「食べて」と楽しそうな彼女。
「いただきます」
そう言ってから1枚口に含めばたしかに美味しい。俺が好きな感じだった。続けてもう何枚か食べれば、彼女は嬉しそうにする。
「食べないの?」
「京治に食べて欲しくって買ったんだもん。ね、好きだったでしょ?少し高いからたまーに贅沢」
「うん、凄い好き。ありがと教えてくれて」
「いえいえ」
多分俺はまたこれを買う。彼女のことを思い出しながら。彼女はそうやって少しずつ俺の世界を広げるんだ。だってそうだろ。俺はそんなに甘党って訳では無いから、彼女がいなければこんなコーヒー店なんて入らない。
コーヒーが飲みたくなってもわざわざここには来ないだろう。コンビニ、もはや自販機があればそこで済ます。
少し高いポテトチップスだって、多分選択肢にすら入らない。こういうのって多分そのお店のファンとかそういう人が好んで買うもの、位にしか思わない。
「京治、指先乾燥してるね。ハンドクリーム塗る?新作」
「悪いよ。せっかく新しいのに」
「私も塗るし。それにハンドクリームは塗るためにあるんだからいいの」
そう言って彼女は俺にウェットシートを差し出す。多分指先を拭いてってことだろう。その通りになるべく丁寧に指先を拭けば、手を取られた。
「塗り方を教えます」
「よろしくお願いします」
突然始まったハンドクリーム講座に少し笑う。隣のテーブルのお姉さん2人もまるで小さい子を見るように笑っていた。
手のひらに適量出されたクリームをまじまじと見ていると「はいそれ手のひらでこねこねしてあっためて」とすかさず指摘される。慌てて見様見真似で手を擦り合わせた。
「はい、じゃあ満遍なく塗ってね。指先はこうやってやるんだよ」
「へー。うちの母さんはいつも手の甲に出してたけど」
「最近テレビで見たの。温めてから塗る方が良いんだって。京治ママにも教えてあげてね」
指先まできちんと保湿された手をまじまじと見てしまう。そこからは彼女が最近好む金木犀の香りがした。多分忘れそうだ。忘れてもきっと彼女は「仕方ないなあ」と笑って教えてくれるんだろうけど。
この甘い花のような匂いが、金木犀の香りだというのは去年初めて2人で秋を迎えた時に彼女が教えてくれたことだ。
蓋をぴったりと閉めてずっと大切に使い続けているポーチに入れる姿を見つめる。
気に入ったものを長く大切にして、同じものを使い続ける彼女。新しいというハンドクリームも結局は香りが新しいだけで、同じシリーズのものだ。しかも彼女の部屋に以前行った時に分かったことだが、そのシリーズのボディクリームを使っている。
とにかく彼女は気に入ったものをずっと使うのだ。一見すると狭い世界を生きているように思えるが、彼女は俺の知らないことをよく知っていて、割と見聞が広い。
良さそうと思ったことはすぐに取り入れるし、試して良ければ長く使っていたものでも容赦なく鞍替えする。そういう所が少しだけ、木兎さんに似ているのだ。
誰もが気に留めなさそうな、道端の広告にさえも注目をして、納得いくまで調べて、実践してみる。そういう彼女の良いところ、本当は大声で言って回って自慢したい。
でも誰にも知られて欲しくない。だから彼女が練習を見に来たいと言ってもOKを出したことは1回もないし、出す予定もないだろう。
俺のドリンクに手を伸ばす綺麗に整えられた指先。彼女は贔屓目なしに可愛い。長い睫毛とか小さい顔とか、全てが男性に愛されるために出来てるような。俺はそういう外面も含めて彼女という存在が大好きだ。
「キャラメルも美味しいねぇ。京治はいつもこれだけど、好きなの?」
「んー……そうだね。好きだよ」
「一緒だー。私もこれ大好き」
嘘だよ。別に好きなわけじゃない。ただ君に初めて勧めてもらったものだからずっとこれなんだ。多分覚えてないだろうけど。俺は頬杖をついて「好きな物一緒なの嬉しい」とはにかむ彼女を見つめる。
違うよ、合わせてるんだ。少しでも気に入られて好かれていたいから。多くの本音を飲み込んで「俺もだよ」と言ってみれば分かりやすく赤くなって笑うんだから本当に可愛い。
「来月の予定表出たらまた教えてね」
「勿論。すぐ写真で送るよ」
「いつもおくってくれるけど、予定ない時だけピックアップでもいいんだからね?」
「いいんだよ。俺は少しでも空いてれば会いたいんだし」
「なら試合見に行かせてよー」
「それはダメ」
ダメ、と言えば頬を膨らませる。それを指先でつつきながら「ボールが飛んでいったり危ないから。大会ならいいよ」とフォローを入れる。大会はほぼ全校生徒が見に来るから、彼女の存在が他の人達にぼやけてくれる。あまり納得いっていない様子だけど、俺が言うことには基本従ってくれるから大丈夫だろう。
なんでそんなに頑なにダメなのか、俺はいつも危ないからだとかそれっぽい理由を並べるけど本当はもっと単純だ。
彼女を誰にも見せたくない。特に木兎さんはダメだ。木兎さんの調子を上げるためならなんでもするけど、彼女だけは使いたくない。それに、もしも、あんなスターを目の当たりにした彼女が、万が一木兎さんを好きになってしまったら。
「そろそろ帰ろうか」
「だね。あ、ゴミ」
「いいよ。座って待ってて」
「ありがとう」
隣の女性が「良い彼氏だなぁいいねー」なんてヒソヒソと話す声が聞こえて笑みがこぼれた。当たり前だ。そういう彼氏をやっている。
もしまかり間違って彼女と別れたとしても、彼女が他の奴と付き合ったとしても、俺以上に彼女に尽くせる奴なんていないだろう。
俺は彼女に俺以外の選択肢を作らせないように、最善の努力をしているんだ。カップふたつをゴミ箱へ入れて近くにあった消毒液で手を消毒する。
振り返ると身支度を整えた彼女が歩いてきていた。ああ可愛い。
「帰ろ」
「うん。忘れ物は?平気?」
「平気だよ」
そんな会話をしながら俺の頭の中の大前提はいつだって変わらない。
早く、俺なしでは生きていけないそんな君になってくれ。
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