間違いだらけの模範解答/月島



「もし明日隕石が落ちてくるとしたらどうする?」
「なにそれ、すごい哲学的だね」

珍しいじゃん、なんて手元の参考書から目を逸らさずに答えた彼。多分私の問い掛けになんて興味すらないんだろう。まあ元々勉強を一緒にしよう、と誘ったのは私だから彼の対応は何一つ間違っていないのだけれど。

私の記憶が間違っていなければ、彼と私は男女交際をしているはず。もう1年も。
彼の部活が忙しいことと、それに合わせて勉学が疎かにならないように彼が空いている時間を勉強に当てているということもあって、私達は一緒に何かをする、なんてことは滅多にない。
今日だって、テストが近いから、と体のいい誘い文句を用意しなければ「家で勉強するから」といつも通り断られていたはずだ。
レギュラーに選ばれているバレー部の試合だって「見に来ないで」と断られる。私が行けたのなんて去年の春高予選決勝のみ。あれはほぼ全校生徒が強制だったから行けただけだ。
試合後は、早く帰りなよと適当に流されてメッセージも『疲れた』としか返ってこなかった。
同じクラスの女の子たちとの方がよく喋っていたんじゃないかな。軽やかなボディタッチをしながら話す可愛いらしい背中を思い出しただけでお腹の底がもぞもぞと痛む。

最近では授業中に目が合うことも、クラスで話すことも減った。こんな風なら付き合う前の方が楽しかった、なんて思ってしまう。

途切れ途切れではあったけど、今よりずっと温度を感じるメッセージのやり取り。『おやすみ』で終わらせないようにタイミングを計る距離感がもどかしかったけど、それはそれで楽しかった。片思いの醍醐味ってやつなんだろう。

今は普通に『おやすみ』と簡単にスタンプで終わってしまう。まあ、その後なんにも考えずに『おはよう』と言える関係ではあるけれど。
何も見えてこない。文字やスタンプ、普段の彼の態度からは、私を好きだという気持ちもなにも。

なんにも変わらない様子の彼、月島蛍を見ながら英単語を繰り返しノートに書き込む作業を続けた。ぱき、とシャーペンの芯が折れる。ノックをしてまた芯を出したけれどすぐに引っ込んでしまった。舌打ちをしたくなる。

あーあ、なくなった。

私はなんとなくこの芯が無くなる瞬間が嫌い。
板書が早い先生相手だと芯を入れ替えてる間に消されてしまうし、なにより面倒くさい。
そんな話をしたらきっと蛍くんは、じゃあ鉛筆にすればいいじゃん、なんて言うんだろう。
脳内の蛍くんがこっちを見ることも無く吐き捨てた。うんざりする。せめて脳内だけでも優しくしてくれないかな。
溜め込んでいた息を吐くと、思ったよりもずっと深い溜息が口から出てしまった。

「なに」
「いや、別に」
「不満があるなら言いなよ」
「ないよ、大丈夫だから。気にしないで」

蛍くんがちらりとこちらを見た気がした。私の意識はシャーペンに注がれているので、正確にはわからないけど。
テスト期間中、普通なら放課後の教室は私達みたいに残って勉強を教え合うグループがあるんだろう。でも生憎とこのクラスは特進クラス。教え合わなければならないような人はいないから、みんなさっさと家に帰るのだ。
静まり返った教室には、嫌でも息遣いがよく響く。
はぁ、と蛍くんの呆れた様な溜息が聞こえて横目で見てしまった。こわい。

「そうやって我慢するの、なに?癖?さっさと直した方がいいよ。可愛くない」
「……喧嘩売ってる?」
「売ってない。アドバイスしてあげてるんだよ」
「へぇ、わざわざどうも。でも少なくとも今回は我慢なんてしてませんから大丈夫です。可愛くないのは通常運転です」

ばん、と参考書を机に叩き付ける音で肩が揺れた。隣に座る蛍くんはもう一度大きな溜息を吐く。大きな手を机の横にかけていた鞄に伸ばして、唐突に帰る用意を始めた。
その様子に、あぁ、多分、もう無理ってことなんだな、と感じた。私もそう思う。
本当に可愛げなんて欠片もない答え方をしてしまったし、それを謝るような気持ちにもなれない。
誤解だよ、シャーペンにイライラしちゃった、なんて言った日にはどんな軽蔑の目をされるかわかったもんじゃない。
私はただ黙って蛍くんが帰る用意をしているのを見ていた。

「これじゃ勉強進まないでしょ。帰るよ」
「わかった、じゃあね」
「……は?」

さっさと参考書と机に置いていたペンケースを鞄に押し込んだ蛍くんは立ち上がった。

知らない。
先に帰れば、と思いながらペンケースから新しいシャーペンを取り出す。カチカチとシャーペンを雑にノックする音が響いた。

大きな溜息をもう一度吐いた蛍くん。イライラしているのが嫌でも伝わった。蛍くんは数歩歩いて今度は私の座る前の席に乱雑に腰掛ける。

涙が出そう。蛍くんのいつになく冷たい様子もそうだけど、素直になれない自分に腹が立って、どんどん視界がぼやける。じわじわと涙が私の視界を埋めた。

「あのさ、1人で残るつもりなわけ?」
「……うん」
「変な奴来たらどうするの?僕もいなくて、クラスの人も誰もいないんだよ。君、普通クラスに知り合いいないよね?誰も助けてくれないよ」
「わかってる」
「……ねぇ、人の顔見て話しなよ。それともなに?このまま喧嘩して別れるつもりなの?」

ねえ、ともう一度詰められた瞬間、ぽたりと音を立てて私の英語のノートに水滴が落ちた。私の方に伸びてきていた大きな手がびくりと震える。1回落ちたのを皮切りにして雨粒のように私が繰り返し書いていた英単語の上に涙が落ちた。
雫が落ちるスピードとは裏腹に私の心は結構落ち着いている。

あーあ蛍くんがいなくなったら当てつけみたいに泣こうと思ったのに。それを見た誰かが蛍くんに伝えて、罪悪感でいっぱいになったら良かったのに。
なのになのになんでちゃんと向き合ってくれるんだろう。もっと簡単に突き放してくれれば、すぐにでも諦められるのに。
手に持っていたシャーペンを投げ捨てた。
肌寒くてやっと着始めたセーターの袖で頬についた涙を拭うと、その手を蛍くんの手が優しく掴んで止める。

「跡になるよ」
「いいよ、べつに」
「泣いてる時くらい素直になりなよ……」
「だから、いいって……わかってるよ、素直じゃないの、可愛くないって……でも、でも我儘言って嫌われたら、別れたら、嫌なんだもん……っ」

グズグズと鼻が詰まる。涙が溢れるのに片手を取られてしまったからもう片方の手を取り出すとそっちも握られて、私はただただ涙を流すしかない。きっとグシャグシャで不細工。
そんな顔見られたくないのに、蛍くんは目を逸らさない。

もうやめてくれないかな。嫌になる。
恋って、恋愛ってもっと楽しくってキラキラしてるものじゃないの?
私は蛍くんと付き合ってからずっと苦しい。
ドキドキして勉強に集中できないし、それでも蛍くんは変わった様子もなければ他の子との方が仲良さげだし。
辛い。なんで?好きで付き合ったんじゃないの?じゃあもっと一緒にいたいよ。どんな姿も見たいよ。もっと話したいのに。

「……もう、やめたい」
「なにを?」
「苦しい」
「なにが?」
「蛍くんといると、苦しいから……付き合うの、終わりにしたい」

私の震える声はやっぱり教室の中を反響した。間髪を容れずに問い掛けてきた蛍くんは、私の最後の言葉を聞いたきり何も発さない。

もう疲れた。泣くのもそうだし、この関係を続けるために頑張るのも自分を奮い立たせるのも、疲れた。
私は月島蛍という人が何を考えているのか、全く分からない。伝わってこない。
ただ彼女が欲しかったのか、釣った魚には餌をやらないのか。どちらにせよ、私はもう疲れた。

急に帰りたくなって、離して欲しいと軽く腕を振る。それでも蛍くんの手は離れなかったし、むしろ握る力が強まってぐいと力任せに引き寄せられた。
目前に蛍くんの綺麗な顔。蛍くんの色素の薄い色をした瞳が近くにある。眼鏡に私の情けない顔が反射した。目を逸らせない。

「本気で言ってる?それ」
「……う」
「頷いたらどうなるか、教えてあげようか」
「へ」

また一際手を引かれてその勢いで椅子から少し体が浮いた。そのまま首の後ろを掴まれてべろりと濡れた感触が頬に伝わる。
舐められた。涙を。しかも1回ではなく両頬を舐めて、それから目尻に溜まった涙もじゅ、と音を立てて吸われた。ぞわりと不快感とはまた違うなにかが体をくすぐる。
そのまま鼻と鼻が触れ合うような距離で蛍くんは話を続けた。

「君がどれだけ疲れようが、僕は別れる気サラサラないよ。残念だね」
「け、蛍くんは私の事、全然好きじゃない、のに?」
「馬鹿だとは思ってたけどそれに加えて鈍感なんだね……だから僕みたいなのに捕まるんだろうけど」

答え合わせしよう、と蛍くんは立ち上がってドアから死角になっている廊下側の席まで私の手を引っ張って連れていった。
教室に入らなければ、視界にも入らないような席を選んでそこに腰掛けると、私の手を引いて向き合うように膝の上へ乗せられる。
は、恥ずかしい。蛍くんの足を跨ぐように座ると、スカートが際どい位置まで上がってしまう。捲れないように裾を抑えていると「見ないよ」と釘を刺された。
念の為背後を確認したけれど中庭誰もいない。
カーテンも中途半端だけれど閉まっている。
そんな私を知ってか知らずか蛍くんは何事も無かったかのようにまた話し始めた。

「僕が君を好きじゃないって話だけど。どうしてそう思ったの」
「……し、試合来ないでって言われたし、メッセージも素っ気ない。あと、あと……他の子との方が、楽しそうだし」
「試合に来るなって言ったのは、君には1回でもかっこ悪いとこ見せたくなかったから。まあ結局決勝で情けないブロックお披露目したけど。メッセージは悪いけど見る時間ない。でも会話したいとは思ってる。これからは電話にすればいいね。これは解決。あと君の言う他の子って誰?よく分からないけど、僕は君以外女って認めてないから。でももし君が話すなって言うなら支障が出ない程度で努力するよ。はい、あとは?」

蛍くんは長い指で私の顔に残る涙を拭いながら、懇切丁寧に私に答えた。答えというかもうこの勢いは論破に近い。
反論をする気も起こらない。呆気に取られて涙も止まった。
唖然とする私に蛍くんは「何も無いなら僕からね」と一呼吸置いて私を見つめる。

何言われるんだろ。素直になれブスとかかな。だとしたら立ち直る自信もないし今後付き合いを続ける気力も削がれる。
とりあえず身構えたけど、蛍くんを直視するのは怖い。私は蛍くんのシャツのボタンを見つめた。
すう、と蛍くんが息を吸う。

「テスト順位落ちたって言ってたよね。今年は大丈夫だったけど来年度、特進落ちしたらどうするの?ただでさえ特進でも2クラスあって別のクラスになったら?これだと教師にバレないように付き合ってる意味皆無だよね。あと大学僕と同じとこ行くんだよね?このままじゃ無理だよ。僕はランク下げるつもりないから君が上がってきて。じゃないとこれから先も一緒にいれないでしょ。あと今もう自覚したと思うけどスカート短すぎ。他のクラスの奴らすごい見てるから。モテたいなら話は別だけど、僕は全然面白くない。少しは自分が可愛いって自覚しなよ」
「えと、はい」

すごい。ほぼ息継ぎゼロだった。一気に言われすぎて目がチカチカしたけれど、思っていたほどショックがないのは、どの言葉も私と一緒にいたい、という思いが見え隠れしているからだと思う。
それに1年も付き合って、今初めてこの人から可愛いって言われた。
そのたった一言で、体が暖かくなって心臓が高鳴る。顔も熱があるのではないかと思うくらい熱くて、どうしよう、と目の前の蛍くんを見つめた。
いつもは無表情なのに、何故か嬉しそうに笑っている。不意打ちすぎるその笑顔に益々顔が熱くなった。

「顔赤すぎでしょ。可愛い」
「ま、まって。私たち喧嘩してたんだよね」
「喧嘩するほど仲がいいんじゃない?」
「それとこれとは、また、話が……」

揶揄うように頬を撫でられる。擽ったくて身を捩ると逃がさないと言うように背中に手が回って抱き締められた。耳のすぐ横に蛍くんの柔らかい髪の毛の感触を感じてまた恥ずかしくなる。

「あとさっきの話だけど」
「さっき?」
「明日隕石が落ちたらって話」
「それか……別に答えが欲しくて聞いたんじゃないからいいよ」
「考えたんだけど多分キスかな。僕は君とキスすると思う。最後まで。それ以上でもありだけど残り時間が分からないし、急いでするのは嫌だから。多分キス」
「も、もういいです分かりました恥ずかしい」

私の話も聞かず、キスと連呼する蛍くんの口に自分の手を被せて塞ぐと手のひらをまたべろりと舐められる。うわっ、なんて可愛くない声が出て身を引くけどがっしりと抱き締めてくれていたので落ちなかった。
意外と舐め癖があるのだろうか。付き合って1年。今日知る新たな一面があり過ぎて全くついていけない。脳も処理が追いつかないのか、全く回転をしないけど、なんか、すごく無敵な気分だ。

「まあ隕石が落ちるなんて2万年に1回くらいしかないらしいけどね。新しい惑星でも見つからない限り」
「物知りだなぁ」

そう言うと蛍くんは悪戯が成功した子供みたいに笑う。厳密に言えば私たちはまだまだ子供なんだけど。もっと小さい子。
私たちは広い教室の隅っこでくっつきあって、本当に小さな子供みたいだ。
これまで感じていた不安や不満なんてまるで無かったみたいに安心しきった私は蛍くんの胸元にすっぽりと収まる。

「こんなの見られたら来年から別のクラスかな」
「別にいいよ違うクラスでも。ただ都度都度連絡してもらうし来てもらうけどね」
「そこは蛍くんが動くんじゃないんだ」
「……僕がそっち行ってもいいけど、それだと牽制にならないでしょ」

不機嫌そうに言うけど、蛍くんは私のおでこに軽くキスを落としてくれる。牽制なんて、するほど私は人気じゃないのに。蛍くんの広い胸元に凭れながら私は笑った。

「もし明日隕石が落ちてきても、こうやってくっついてたいな」
「ふーん、くっつくだけなんだ」
「そこから先は、ほら、蛍くんに任せる」

そう私が言うと蛍くんは笑って私の鼻先に軽くキスをして上を向かせるとそのまま唇に優しくキスをしてくれた。
なんだもっと早く言えばよかった。素直になるって大事。丁度よく芯がなくなったシャーペンに心から感謝をした。

けれど、願うのはそんな2万年に1度の出来事なんて起こらないで欲しいってことだ。だって、その方がきっと幸せだから。

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