贅沢を許された小さな惑星にて/宮侑



冷蔵庫が満杯だ。奥にあるであろう以前買ったプリンが取り出せない。卵のパックやスライスチーズのパッケージの奥から見え隠れする幼い頃から慣れ親しんだ3個パックの可愛らしい蓋にこのまま手を伸ばすのは無理だ。

「侑ーこれいつ食べるの?」
「はー?なんやねんそれ。俺が買ったもんとちゃうやろ」
「せめて見てから答えて」

私が一人暮らしを始める時に購入したピンク色のローソファにだらりと腰掛ける恋人に声を掛ける。
『宮侑、美しいセットアップです。いやぁここまでスパイカーに真摯なセッターはいないでしょう』なんて実況の声が聞こえてくるあたり、自分の試合動画を見ているに違いない。
俺が買ったものじゃないなんてよく言う。サラダチキンなんて意識が高いもの、私は食べない。ダイエットは明日から、なんてよく聞くフレーズが頭を過った。
どうせチームメイトや管理栄養士に勧められたんだろう。切り取り線で雑に切り取られて端の方なんて蓋が取れかかってしまっている。

「これもう捨てるね。乾いちゃってる」
「おん」

カピカピになって端っこから茶色く変色しているそれをそのままゴミ袋へ投げ込んだ。それでも侑はタブレットから目をそらさない。
スパイカーには真摯かも知れないけれど、間違いなく私の冷蔵庫には真摯ではない。
新卒で入社し、大阪の本社配属になって早5年。この冷蔵庫とも5年の付き合い。2段式で丁度膝をついた私と同じくらいの身長のこれは最近冷えもイマイチになってきて、そろそろ寿命かなあなんて思っている。

このまま少し冷蔵庫の整理をしよう。そう思って手に握っていたデザートスプーンを引き出しに戻した。ゴミ袋を箱から外して再び冷蔵庫に向き直る。
手前に乱雑に詰め込まれていたものを手に取った。細長いパッケージのチーズ、プロテイン入りの豆乳、なんで冷蔵庫に入っているか不明な全粒粉やら玄米やらのエネルギーバー。全部私のものじゃない。まだまだ溢れている似たような食品たち。私はもう一度立ち上がってもう1枚白色のビニール袋を手に取った。


「なにしとん」
「冷蔵庫整理」
「今?」
「なんか気が向いて。それ侑のだからいるなら持って帰って。いらないならゴミ袋入れてね」
「は?」

どのくらい時間かたったか分からない。けれど侑の分と指を指した先にある2つのビニール袋と冷蔵庫の底が見えてきたことを考えると暫く経っているに違いない。
動画を見終わったであろう侑が俺の、と置いて帰っているネイビーのマグカップを片手にキッチンにやってきた。
なんだか不穏そうな声で短い反発が聞こえたので振り返ると侑の端正な顔に青筋が立っている。怖い。

「え?なに?」
「なんで持って帰んねん。置いとけばええやろ。なん?別れるっちゅー話なんやったら回りくどいことすんなや」
「待って、全然話が見えない。なに?」
「今までなんも言わんかったやろ。急になんやねん。なにはこっちや」

どうやら、めちゃくちゃキレている。冷蔵庫の整理からなぜ別れ話に発展するのか分からない。もしこれが漫画なら私の頭の周りには?マークが飛び回るはずだ。
侑とは同期で入社してそこからほどなくして交際が始まっている。ほぼこの冷蔵庫と同じくらいの付き合いで、わりと彼のことも理解はしていたつもりだった。でも、これは全く分からない。元々少し短気なところがあるけれど、これはなんというか、短絡的だ。

「言うとくけどな。俺はお前と別れるつもりなんてこれっっっっぽちもあれへんからな」

侑はそう言って親指と人差し指で隙間を作ってみせる。というかそんなポーズをとるだけで実際指の腹と腹の間はピッタリとくっついていた。その子どもみたいなアピールにぷ、と私の塞いだ口から空気が漏れ出てそのまま大笑いをしてしまう。

「あははははははは、あはは、な、なにそれ……っぷ」
「わ、笑うな!本気やぞ!」
「知ってるよっ……だから、笑ってんじゃ、んふふ」

侑はもう一度「笑うなアホ」とバツが悪そうに言うと顔を背けた。そのとんがった唇が可愛い。最後だったスムージーの紙パックを手に取って立ち上がりそのままそれを流し台に置いた。パタン、とさっきよりずっと軽い音になった冷蔵庫の扉が閉まる。

「違うよ。冷蔵庫がいっぱいでプリンが取れないから整理したの。そろそろ買い換えようかな」
「……最初からそう言えや」

スムージーは消費期限が一昨日で切れている。勿体ない。そう思ったけれど日本を背負うセッターにそんなものを飲ませるわけにもいかないので水を流しながらそれをシンクにそっと流し込む。ゆすぐ為に小さな飲み口に水道の水を入れていると臍の前に太い2本の腕が巻きついてきた。だいぶ背中を丸めているんだろう。私の耳に侑の柔らかい髪が触れて擽ったい。

「ごめんね。……大きいのにするなら引っ越そうかな。冷蔵庫だけ大きいと不恰好だし」
「……俺んとこ来たらええやん」
「侑のマンションは高いもん、無理だよ」
「ちゃうて」

侑が住んでいるのはムスビィが契約している不動産の所有するマンション。プロである侑のプライバシーを守るようにオートロック、24時間コンシェルジュ、敷地内にセッティングされたゴミステーションももちろんいつでもゴミ出しし放題だ。確か同じチームの木兎さんや佐久早くんもそこに住んでいる。
契約しているだけで借り上げているわけではないので、ムスビィ以外の人間も住んでいるが……高給取りしかいなかったはず。普通の会社員程度の給与しか貰っていない私には敷居が高すぎるのだ。

背中にまとわりつく侑をそのままにして紙パックを潰そうとしたけどこれが意外と固い。濡れた手では無理そうだと思い、それを1回置くと離れた侑の手がそれを片手で簡単に握りつぶした。だから怖いって。侑の手はそのままそれを足元にあったゴミ袋に投げる。

「俺の部屋に、一緒に住んだらええて話」
「えー……それは、会社的に、どうなの?」
「あかんの?」
「木兎さんもしてないよさすがに」

なんで木兎さんを引き合いに出したかは自分でも分からない。でも侑も耳元で押し黙った。総務にいるとそういう話はいやでも入ってくるもので、木兎さんは1個上だけれど結婚もまだだしそういう相手もいないらしい。佐久早くんは入社早々に家族関係の変更届を取りに来たので、総務は騒然とした。軽い伝説にもなっている。話が逸れたけど、侑の部屋に住む、というのはそういうことになるのだ。
結婚を考えていない、そう言えば嘘になるけれど。少なくとも侑は考えていないはずだ。さて、どうしよう。話の着地が全く見えない。

「ほんなら、結婚しようや」
「え」
「ぜーんぶ丸く解決やろ。気まずいんやったらお前は寿退社でもしたらええし、使うてない部屋あるし」
「……侑はそれでいいの?」

くるりと体を反転させて侑に向き直ると、私の質問は愚問だったなぁと思い知らされた。久しぶりに見た耳まで赤い侑の顔は、告白された以来見たことがなかったもの。侑は向き直った私の両手を握る。

「それがええねん、分かれや」
「……冷蔵庫、大きいの買ってくれる?」
「当たり前やろ。業務用買ったる」
「それは大きいよ」
「せやからお前はなんにも考えんと、頷けや」

可愛い。なかなか頷かない私に不機嫌そうな侑が擦り寄ってくる。あかんの?と不安げに聞いてくるのが子どもみたいだ。
なんて不格好なプロポーズなんだろう。小さい冷蔵庫、一人暮らし用の狭いキッチン、足元でカサカサと音を立てるゴミ袋。
もちろん指輪だって花束だってなんにもない。多分友達に話したら笑われるようなプロポーズなのに、馬鹿みたいに嬉しくて涙が出る。

「うん、結婚しよ」


がばりと顔を上げた侑の顔はまるでサービスエースを決めたように嬉しそうな顔だったから、私はまた吹き出して笑ってしまった。

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