置き傘なんかいらない/角名
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長かった練習がやっと終わった。自主練もそこそこに切り上げて着替えのために部室に行ったとき、すでに空模様は怪しかった。
まあ寮だし、そんな遠くないから走れば降る前に帰れるでしょ。なんて考えた数分前の自分に喝を入れたい。もっと急げ。
双子はバレー馬鹿だからまだ練習してるし、銀は今日病院があるって早々に切り上げて帰って行った。二年て極端だよな。
多分一年連中の中には傘貸してって言ったら貸してくれる奴もいるだろうけど、それをするには体育館に戻らないといけない。それは嫌だ。なぜなら北さんがいる。
「北さんにバレたら何言われるか分かんねぇし」
置き傘さえも許されない稲高バレー部。
『天気予報見いひんのか』
前置き傘をしていいかと聞いたらそう答えられた。
急に降ってきたら困りませんか、食い下がって聞けば『折り畳み傘持たんのか。便利やぞ』と答えられた。
まさにああ言えばこう言う。スキがねえ。ないなら作れよと心の中で思ったことは秘密だ。
余計なものは持ちたくない。ただでさえ着替えやらタオルやらでカバンは重いし課題が出れば教科書参考書ノートも持って帰らないとダメ。
俺のカバンにはこれ以上の物は入らない。
思い出したらあの正論にうんざりして腹の底から溜め息が出た。部室棟の入り口は静かで少し反響して俺のため息はよく響いた。
濡れて帰りでもして、それが万が一バレても怒られる。たぶん、絶対。なら仕方ない、と体育館に戻ろうとした時後ろから声を掛けられた。
「角名くん?」
「あ、ミョウジさん」
「お疲れさん。かえらんの?」
帰りたいけども。その言葉を飲み込んで結構な勢いで降っている雨を見つめた。道路に落ちて跳ね返っている水滴の様子を見て、クラスメイトのミョウジさんはあぁ、と頷く。
「やっぱ降ったな。朝天気予報で言うてたしな」
「そうなんだ」
ほらね。やっぱり怒られんだよな。
『雨言うとったぞ』なんて言葉が頭の中で再生された。
だけどその情報だけ聞ければなんかしら対策を考えてから行ける。ありがとうミョウジさん。
この子はミョウジさん。同じクラスでバスケ部のマネージャー。髪の毛が綺麗でいい匂いがする。わざわざ嗅いだとかじゃなくて、前隣の席になった時にたまたま風で流れてきた。その金木犀みたいな匂いが俺的に結構ツボで、それからなんとなく気になっている。
「角名くんは傘忘れてしもうたん?」
「うん。天気予報とか見なかった」
「あはは、確かにそんなん見えるイメージないわ」
「どんなイメージそれ」
ミョウジさんは笑って背負っていたリュックを前で抱えるようにしてゴソゴソと漁り始める。なんだろう。なんか出てくるのかな。
ここで折り畳み傘出てきて一緒に入る?って言われてもなぁ。この雨だし多分濡れて帰るのと変わらない。断っていいものか。
失礼なことを考えているとミョウジさんは俺の予想通りの物を出した。女の子が持つにしてはシンプルな水色の折り畳み傘。
「角名くんこれ使いや」
「え、ミョウジさんは?」
「私部室に置いてるやつ使うからええよ。歴代の先輩たちが置いてんねん」
「……やっぱりそれがいいよなぁ。俺らは部長がそういうの嫌いなんだよね」
「あぁ北先輩な。男バスはそういうのあらへんし。やけど使うたら表に使いましたって名前書かへんとあかんの。それもわからんくない?」
「なにそれ変なの」
「本数チェックしとるのもおんねんで。それはやんのにテーピングの在庫はチェックしやんから腹立つんよなあ」
マネージャーあるあるらしい。確かバスケ部もバレー部に負けず劣らずの大所帯で、ミョウジさんはそのマネージャーを一人でやっている。しっかりしてるし顔も可愛いから侑が『バスケ部ええなぁ、あんな子おったら試合だってなんぼでも勝つっちゅうねん』とボヤいていたのを思い出す。
やっぱり大変だよな。俺は入学してから早々スタメンだったし、一年の時もそんなことはやったことない。中学の時もマネージャーがやってくれていた。備品チェックだって部誌の記入だって女の子なのにこんな時間まで残ってやってる。すげぇよなあ。
「まあ、好きでやっとるし、ええねんけど」
「ふーん、バスケ部はありがたいだろうね」
「感謝なんてされたことないわ。ほな私一回部室戻って傘とってくるから角名くんはよ帰り。夜もっと強うなるって言うてたから」
「あ、うん」
「いえいえ、ほなまた明日」
ヒラヒラとリュックを背負い直した神祈さんは部室へと戻っていく。侑じゃないけど、やっぱ可愛いなあと思った。リュックとか筆箱とかの感じもっと可愛いものが好きそうなのに、この傘だけはシンプルで、他の人にも貸すんだろうかなんて柄にもなく考えた。
気を使える彼女のことだから多分そうなんだろう。
きっとバスケ部にも俺みたいな天気予報とかも見ないくせに傘を持ち歩くのを嫌がる奴がいて、そいつに貸すんだろう。
多分そいつは俺みたいなやつだから、部室の置き傘表を書くのも嫌がるんだろう。
だから彼女の折り畳み傘をそいつが使って、彼女が置き傘を使うに違いない。バスケ部のその表を俺が見ることなんてないだろうけど、きっと彼女の『ミョウジ』っていう綺麗な文字が並んでるはずだ。
「あ、お礼言ってない」
たったそれだけの為だけど、少し待ってみよう。
そう思って、水色の折り畳み傘を握り直してミョウジさんの後を追いかけるように歩き始めた。ここで待っててもいいけど、双子に見つかったら面倒くさい。
治は知らないけど侑は絶対にミョウジさんにこれ幸いと絡みまくるに決まってる。
侑は結構クソ野郎だから多分傘忘れたとか言って相合傘するって子どもみたいに駄々をこねるんだろうな。
なんかそれは嫌。無理。見てられない。
男子バスケ部と書かれた部室の前で俺はそう思った。彼女の家がどこなのかも知らないし、この雨だから別の傘で帰ったら多分話もまともに出来ない。でも、もう少しだけ一緒にいたい。
「あれ」
角名くん?そんな声が聞こえて振り返る。
俺がなんでこんなふうに思ったのか。答え合わせができるだろうか。俺の肩に届くか届かないかの身長の彼女に近付いて首を傾げてみた。
「一緒に帰ろう。あと傘、ありがとね」
ついでみたいにお礼を言った失礼な俺を見上げてミョウジさんは吹き出して笑った。可愛いな。とりあえずは彼女の家に着くまでに連絡先を聞いてSNSをフォローしていいかも聞こう。別にどっちが先でもいい。どっちも必ず聞くから。
俺は男子バスケ部の部室の扉が閉じていくのを見つめて心からバレーをしていてよかったと思った。『部員とマネージャー恋愛禁止!』年季の入ったその紙は今にも破れそう。本当にちょっとの衝撃で壁から落ちてしまいそうだった。
まあ、それを見て安心してる時点でもう答えなんて分かりきってるけど。今はただ、この子のことをもっと知りたい。そう思った。
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