喪失に伴う成就について/佐野


※死ネタ 死んだ女が佐野に会いに来る話
※『同一化に伴う喪失について』と同じ世界(未読でも大丈夫です)
※梵天への捏造しかない
※若干の流血 暴力的な表現を含みます

とにかく全体的に暗くふんわりとした話です。苦手な方は注意してください。


ふと目を覚ますとそこは見慣れない部屋だった。見慣れないベッド見慣れないカーテン。だけれどこの部屋の持ち主が物に頓着がないことは何も知識のない私から見ても明らかである。物が圧倒的に少ない。さながら寝る場所に困らない場所を提供するようなホテルの一室のようなそこから人の気配は感じなかった。誰かいるのだろうか、寝起きでぼんやりする頭を起こして周りを見渡すけれど、私の視界には何者も写らず。私の息遣いだけがそっと部屋の中に木霊した。

いつまでも見知らぬ人のベッドに居座るわけにもいかず、私はゆっくりとベッドサイドに移動して立ち上がろうと床に足を落とす。足を落とした先の黒い絨毯は柔らかく毛足が長いので、私の足にふんわりと纏わりついた。その感触が気持ち良くて足を滑らせて楽しんでいるとガチャリ、と軽い音を立ててドアが開く。ドアを開いたであろうその人はスマートフォンを耳にあて、じゃあまたあ、と恐らく明日と続く筈だった口をポカンと開けて私を見つめる。私の知り得る彼の姿とは大きく異なるけれど、隈の携えた瞳も美しく端正な顔立ちも私はよく知っていた。

万次郎。私が呟いた声に肩を揺らした彼は、スピーカー越しに何度も呼び掛ける声にようやく反応をして、なんでもない、明日、そう端的に言葉を発すると投げ捨てるようにその端末を床に落とした。広い部屋だというのに何歩か歩いただけで私の目の前に辿り着いた万次郎は私の両肩を痛いくらいの力で掴む。その瞬間フラッシュバックするように私に映像が流れ込んだ。薄暗く湿った空気の倉庫、金属音を規則正しく刻んで私の反応を楽しむように上下する廃材の鉄パイプ。少しでも彼らから距離を取りたくて拘束された手と足を懸命の動かして逃げ惑った地面の感触。振り下ろされた拳や足が私に刻んだ痛み、今際の際に見た彼の顔。
あの時は流した血液の方が多くて、滲むことさえ出来なかった涙がポロリと私の頬に伝ったのを見て万次郎がゴメン、と呟いた。

ごめん、ごめんなさい。巻き込んでごめん。間に合わなくてごめん。約束に遅れてごめん、助けられなくてごめん。最後に見た彼の姿よりも痩せてしまっている彼の手が、私に時間の経過を教える。きっと長い間彼は私にこの言葉を言い続けたんだろう。物言わぬただの骨になった私に、何回も。繰り返し。私に縋り付いて地面に崩れ落ちていく万次郎の姿は見たことがなかった。無敵のマイキー。彼がそう言われていたことは知っていた。彼がたくさんの人から慕われていることも、彼の背中を見て安心することは私も同じだったから。その反面同じくらい、彼を疎ましく思う人がいることを私は知っていたのに。万次郎がいる、そんな甘えから失念してしまっていたのだ。
だから、彼が悪いことなんて一つもない。すっかりと小さくなって私の太腿に顔を埋め謝罪を続ける彼の頭を撫でる。かつて金色だった髪の毛は今は白く透けるような色に変わっていたけれど、その柔らかさは変わらない。こうして彼の頭を撫でるのが大好きだった。

「万次郎は、悪くないよ。だって助けに来てくれたじゃない」
「間に合わなかった。オレが、もっと早く気付いて……もっと早く着いてれば……」
「ううん。……私はちゃんと見てたよ。万次郎が、助けてくれた姿」

これは嘘ではない。朦朧とする意識の中私は彼がものの数秒で私に暴行を働いた人達を蹴散らしたこと。今にも泣きそうに顔を歪めて、駆けつけた他の人にどうしたらいいのか、どうしたら私が死なないのか、懸命に訴える姿。私の手足の自由を奪っていた拘束を解いて、寒くて仕方がなかった私の体に自分の上着をかけてくれたこと。最後に力一杯抱き締めてくれたこと。
私は、ただの女だったから、強くないから、もう残り少ない体力で口を開けることすら出来なくて、それでも最後のその瞬間まで彼の姿を目に焼き付けていたくて、ただ目を開いていた。だからその瞼を下す最後のその時まで、万次郎が目の前にいてくれたのを覚えている。
ゆっくりと小さな頭を撫でながらそれを伝えると、万次郎は多分泣いた。着ているワンピース、丁度彼の目元がある位置から濡れた感触が伝わったから、きっとそうなのだろう。

万次郎はぽつりぽつりと懺悔のような言葉をひたすら話した。組織を新しく発足するに当たって既存の関係団体からの洗礼として起こった抗争に私が巻き込まれたこと、警察がすぐに来てしまって私の死体を引き取れなかったこと、冷たい倉庫に私を1人残してしまったこと、その後今一緒にいる三途さんも自身の大切な人を失ったこと、それは恐らく私を失った万次郎に本当の意味で寄り添うために彼がやったことだということ。
そして、もう、戻れないところまで来てしまったこと。
私は彼が話すことを只管に聞いた。時折息を震わせて言葉に詰まってしまうときは、彼の背中を撫でたり、今は何もついていない血の気の失せた手のひらに何を見たのか、目を見開いてゴシゴシと服に擦り付けてしまうときはその手のひらが少しでも温まるように握ったりしながら。
ただ私に体温があるのかは分からない。今このようにして万次郎の前に現れているのは、私の残された思いの具現化なのか。それとも魂の残り滓に似た何かなのか。でも万次郎は触れる私の手に擦り寄るように縋ってくる。この弱りきってしまった哀れなこの人が、これ以上なにかに傷つけられませんように。私はそんな祈りを込めて彼の額に口付けた。
すると、私の唇が当たった部分を呆然とした様子でその細くなってしまった手で抑えると、漸く肩の力を抜いた万次郎はやっと私の隣に腰を下ろす。

「ナマエ、痛かった?」
「うん、痛かったよ」
「そっか……ごめん」
「でも大丈夫だった。万次郎が来てくれるって信じてたから」
「……でも」
「来てくれたじゃない。私は、万次郎の腕の中で終わることが出来て、すごくすごく幸せだったよ」

万次郎にあげた言葉のどれにも嘘はない。興味のない人とは喋らない、かつて万次郎に出会ったときに隣にいた背の高い男の人は言った。アンタのことが、スゲー好きなんだと思う。そう続いた言葉に私はあまりにも照れ臭くて、何も言うことは出来なかったけれど私はすごく嬉しかったのだ。
懐かしいと思いながら、私の肩に自分の頭を預ける万次郎を横目で見つめる。私の太腿の上に投げ出されている彼の手を両手で包み込んで、ありがとう、と囁くとぎゅ、と握り返される手が愛おしい。その力強さに相変わらずだと笑っていると、万次郎はナマエは、オレに死んで欲しい?寂しい?とまるで私に頷いて欲しいと言うように首を傾げる。
きっと万次郎は、もう死にたいのかもしれない。けれども、遺した側の私からすれば、彼には生きていて欲しいと思ってしまう。出来るならもっと陽の当たる温かくて、優しい、そうかつて彼が夢を持って作ったチームのような場所で。でも、さっき、彼はもう戻れないと言った。彼がそう言うのなら、そうなのだろう。

「死んでほしくは、ないかな」
「……そう、なんだ」
「でも、万次郎がもう本当に苦しくてどうしようもなくて、万次郎を助けられる人も、そばにいてくれる人もいなくなったら、その時は」

もう、やめちゃいなよ。
私が言った言葉に思い当たることがあるのか万次郎は首を横に振った。でも。オレは。違う。いい未来を。断片的に呟かれる言葉は、きっと私ではない誰かのための言葉だった。それにほんの少しだけ、本当に少しだけ嫉妬を覚えたけれど、もしもその人がいつかこの人を救ってくれるなら、その可能性があるのなら。1人でなんでも背負いこもうとするこの強がりな人の、弱さに気付いて欲しい。手を伸ばして欲しい。
もしもこの未来の先に、私がいなくても。
そう願いを込めて万次郎の頭を撫でる。形のいい頭を何回も何回も。すると、深い隈を刻んだ瞳が眠気を帯びて重たそうに瞬きをする。
眠いのかと聞くと、眠くない、と夜更かしをしたがる子どものように首を横に振る万次郎。眠りにつき、起きたその時に私がいないことを恐れているのだろう。たしかに、彼が眠ったあともここにいられる保証はなにもない。けれどもきっとよく眠れていない彼が、少しでも眠れるのならと彼の腕を引いてベッドに2人で転がった。沈み込むベッド。シーツの波に飲み込まれるように私たちは寝転がる。

「……ナマエ」
「なあに?」
「オレが、寝ても、ここにいて」
「……うん、わかった」

ゆっくりと閉じては慌てたように開く瞼に唇を落として、おやすみなさい、と囁くと万次郎は私の手を握り締めて眠りについた。規則正しく繰り返される寝息、ぴたりとくっついた瞼を囲う長い睫毛、通った鼻筋、青白い顔。
きっと、あの時の万次郎はこんな気持ちだったのかも知れない。これが最後だから、これで終わりだから、忘れないように自分の脳に愛おしい人を刻み込んでいく。段々と透き通っていく自分の指先にああ、もう時間なんだと唐突に理解をした。
胸の奥底から何かが込み上げて、それがじわりと瞳に涙として滲み出るのを大きく息を吸って押し込める。そして寝転んでいた体を起こし、万次郎に最後のキスをした。

「おやすみなさい、いい夢を」

大好きで大切な人。あなたの未来に私はいないかもしれないけれど、あなたの幸せを1番に祈ってる。きっと神様は、私の最後の願いを今更叶えてくれたのかもしれない。そう思いながら私も万次郎の隣に寝転んだ。
会えてよかった、感謝を伝えたかった、あなたが瞼を下ろすその最後の瞬間まであなたの視界にいたかった。起きた万次郎の絶望を考えた時、胸は痛んだけれど、もう死んでいる私に出来ることなんか1つしかない。
どうか、あなたが幸せになれますようにとただ、祈り、瞼を閉じる。遠くで、万次郎が助けを求めるような言葉を誰かに言った気がした。

- 33 -
←前 次→