女は強かで在るべきという話


蘭は人とは群れないらしい。チームなんか必要ないらしい。私はそう本人が話したのを聞いたけど、蘭はチームに入った。横浜を拠点にしている天竺という名前のチームだと話す蘭に、そうなんだ、と答えて私はさっき買ったばかりのカフェラテをストローで啜る。
蘭は意外とお喋りだ。私が聞いてても聞いてなくてもお構い無しに話を続けるくらい。ペラペラと動く口を見つめながら、話を半分も聞いていない私は蘭の前に置かれたまま手の付けられないモンブランのてっぺんに乗った栗を摘んで口に運んだ。オイ、と怒られたけれど口に入れたものはもう戻らない。蘭は買って返せ、とてっぺんの栗が無くなったボロボロのモンブランの皿を私の方へ押しやった。

蘭とは相変わらず友人だった。噂好きな友達は時折大学の最寄り駅に現れる特服の三つ編み男を私の叶わない恋の相手に仕立て上げるけれど、多分蘭と付き合ったら命がいくらあっても足らないはずである。私は未だに蘭の周りには死が漂っている、そう思っていた。
でもそれが自分に向くことは無い、そう信じているので蘭との関わりを断つことは自分からはしない。もしも、なにか、私を巻き込んでしまうほどのことをするのなら、きっと蘭は私から離れる。私はかれこれ6年の付き合いになる蘭について、そう確信を持って話せる程には灰谷蘭を知っていた。

そして、蘭はまたぱったりと姿を見せなくなった。また捕まったのかもしれない。だけれどニュースを調べるような気にもならない。
横浜で人が死んだらしいよ、怖いよね、なんか喧嘩?暴走族?だったんだって。
午前中だけで講義が終わる日は、いつも蘭とお茶をしていたカフェで隣合った女子高生の2人がそんなことを話していた。怖いよね、なんてくすくす笑いながら話す姿はいつの日か蘭のことを話す同級生達の背中に重なる。いつになっても人は他人のことを話すことが大好きで、他人の不幸は蜜の味だ。
何故か気分が向かないのに立ち寄ったカフェ、ホットコーヒーは手が付けられないままもう何分も経っている。きっと他の人から見た私は約束をすっぽかされた哀れな女に見えるんだろう。何分経っても何時間経っても、いつも蘭が腰掛けたソファ側の席は空席のまま、私はぽっかりと空いたそのスペースを見つめた。

蘭と会わなくなってから季節は変わって、気温はだいぶ暑くなった。コートを着込んでいたのに、もうノースリーブばかり着ているし、ブーツに覆い隠されていたつま先はお気に入りのミュールから見え隠れしている。もう、季節はすっかりと夏だ。
容赦なく照りつける太陽が眩しくてウザったくて、私は最近日傘をさしている。これは先日別れた恋人から贈られたものだけれど、物に罪は無いと使い続けていた。あまり好きでは無いペットボトルの蓋のような持ち手をくるくると回して私は大学を目指し歩く。すると、最近替えたばかりのスライドタイプの携帯電話がカバンの中で震えた。その画面に表示される文字に私は吹き出して笑う。
今どこ、とあの日と同じく並ぶ文面に、私は了承なんて取らずに電話を掛けた。蘭は、今度は鑑別所なるところにいたらしい。ホント悪いことを語らせればネタに困らない男だと思いながら、私は、ご飯作りに行こうか、と訊ねる。蘭は笑ってよく分かってンじゃん、と答えた。
今回は弟くん、いるんだろうか。あの時は幼かった彼もきっと今は男性になっているんだろう。蘭と同じように掴めない男になってしまっただろうか。前と変わらず人懐っこい可愛いままの彼であって欲しいと思いながら、私は蘭が好きなモンブランを3つ買った。もし余ったら持って帰ろう。弟くんには、もう良い人がいるのかもしれないし。

「今日もシチュー?」
「こんな暑いのにシチューなんか作らないよ。今日は素麺」
「ソーメン……」

大きめの鍋を取り出した私を見てまた随分髪が短くなった蘭が聞いてきたことに、私は簡単に答えた。どうやら素麺を六本木のカリスマは好まない様子だ。
蘭は前と同じく、カウンターから私の手元を覗き込む。カレシにも作るのか、と聞くのでそのカレシとは別れたけどね、と笑って返した。蘭はそんな私に、ソイツは命拾いしたな、と呟くので首を傾げ、それからその言葉の真意を理解する。もう人参生煮えとかナイから、そう言っても蘭はケタケタと楽しそうに笑うだけだった。
灰谷家のキッチンは開放的で、私の実家の古い台所とは違い、よく空気が通る。だけれどやっぱり素麺を茹でるために沸かしている鍋から漂う湯気が私の体を撫でて、首すじに流れる汗がとても気持ち悪い。髪をまとめようと、蘭に髪ゴムを要求する為に振り返るとそこには弟である彼が立っていた。
蘭は、と聞くと無言でソファーを指をさされる。どうやら眠っているようだった。おやすみ3秒だね。私が言った言葉が換気扇に吸い込まれた。

「蘭の弟くん、元気だった?久しぶりだね」
「まぁまぁ、ゲンキ。アンタは?」
「私も元気だよ。弟くんもご飯食べる?素麺だけど」
「ソーメン……」

蘭と同じような反応をしてみせる弟くん。やっぱり兄弟だなあと思った。彼は、食う、とあの日のように私の隣に並ぶ。以前は変わらなかったか、私より少し小さい印象だった彼は随分としっかりとした体つきになって、もう立派な男性だった。部屋着であろうスウェットパンツに無地の白いシャツ、くたびれたオジサンが着てたらダラしがないと思われるような組み合わせでも着る人が違えばここまで変わるのかと内心溜息を吐く。
お湯の様子をみながら、私は最近ハマっている茗荷を取り出して刻むと弟くんはその手元を不思議そうに覗き込んだ。
そのキモイのナニ、ミョウガだよ、美味いの、生姜とかが好きなら好きかも。
テンポよく交わす問答は、まるで子どもと母親の会話だった。
クスクスと私から笑い声が洩れたのを聞いて、弟くんはぐ、と押し黙る。子ども扱いされたのがお気に召さなかったのだろうか。そう考えていると、弟くんが私の髪の毛を摘んで暑くないのか、と聞いてきた。暑いよ、結ぼうかな、キミも蘭も涼しそうでいいね、そう返すと弟くんは自分の短い髪の毛の襟足を撫でた。

「ねェ、オレが髪の毛、結んでも、イイ?」
「キミが?結べるの?」
「……ウン」

弟くんはカウンターに乗っていた、きっと蘭が使っていたのであろう髪ゴムをとって、作業を続ける私の髪をゆっくり掴んだ。
あ、と私の口から思い出したような声が出て、びくりと揺れた彼の手から私の髪の毛が再び肩に落ちてくる。ゴメン、痛かった?と慌てるような声に、首を横に振って、私、汗、かいてるの、ごめんね、と言うと、ンなことかよ、と呟かれた。失礼な、女にとっては大事なことなのに。そうは思ったけど、男なんて精神年齢が低い生き物にそんなことを言っても仕方がない。
私は顕になった首に触れる冷気に目を細めた。不器用に、それでいて丁寧に触れる指先が気持ちいい。きっと、彼のカノジョになる子は幸せだろうなあと、ぼんやりそう思った。
蘭は別に眠ってなかったようで、素麺をテーブルに並べるとすぐその体を起き上がらせる。そして刻んだ薬味に視線を向けると、弟くんと同じようにコレ何、と短く聞いてきた。茗荷だよ、と答えればフーン、とそのままそれを箸で摘んで麺つゆに落とす。白く細い麺と共にそれを頬張ると、蘭は咀嚼して、そのあと悪くない、と呟いた。

「でしょ。最近ハマってるんだ」
「……リンドウ、嫌ならやめとけよ」
「別に、平気だし」

そう言いながらも、彼は顰めっ面で茗荷混じりの素麺をすする。恐らく茗荷の風味が苦手なのだろうけど、何故か避けないのが彼の子どもっぽさを醸し出した。蘭も呆れたのかそれ以降弟くんに口を出すのはやめたみたいで何回か素麺をおかわりすると、私が買ってきたモンブランを我が物顔で食べ始める。
コレ、いつものトコロの?と聞かれて頷いた。まだ閉店してねェんだ、と笑った蘭に、大学の最寄りでいいカフェはあそこにしかないから、と答えると大きく噎せる音が聞こえて思わずそちらに注目する。蘭はちろり、と苦手な茗荷に噎せてしまった弟くんを横目で見つめると、ウルセェとだけ呟いた。

「私が食べるよ。箸つけていい?」
「……ん」
「弟くんにはまだ早かったかなぁ。あ、モンブラン買ってあるよ。良かったら食べてね」
「……ん」

蘭は興味が失せたのか大きな口でモンブランを食べ終わるとすぐに立ち上がった。またお風呂だろうか。本当にマイペースな男だ。まだ少し残っている素麺を勝手に弟くんの空いている器に移して、私は片付けを始めた。
すると弟くんは、もう帰るのかと聞いてくる。上がり気味の眉毛が心做しか下がって見えたのがなんだか嬉しくて、もう少しだけ居ようかな、と答えると弟くんは慌てて器の中の素麺を啜った。器を空けようとしてくれているのだろう。いい意味で蘭の背中を見て育ったのだろうなと思う行動に私はバレないように笑った。
弟くんは洗い物を始めた私の方に自分の器を持ってくると、そこに陣取って話し始めた。
鑑別所では圧倒的に強い人がいたそうだ。そこで蘭も弟くんもボコボコにされたらしい。オレたちまた負けた、と沈んだのも束の間、兄貴には言うなよと無邪気に笑うのが可愛い。
蘭には内緒ね、分かったよ、と私が言うと、ガキ扱いしてンだろ、と唇を尖らせた弟くん。

「だってキミは蘭の弟くんだもん」
「ソレ、やめて」
「……ソレ?」
「その、オトートクンってヤツ」
「ああ……ふふ。キミ、蘭の弟だから、スズランくんだよね?」
「リンドウ!!」

リンドウくんは鼻息を荒くとても大きな声で言った。ハッキリとした声に私は耳を抑えたかったけど生憎と手は洗剤塗れであったので叶わない。揶揄うのは、どうにもお気に召さないようなリンドウくん。彼は肩をいからせて部屋に戻っていく。その背中は私が見てもわかるくらいには怒っていた。
嫌われちゃったかな、そう思っているとリンドウくんはまたすぐに部屋の扉を開け戻ってくる。手には紙とペンを持っていて、今度は洗い場に立っている私と向き合うようにカウンターを挟んだところに立った。
そして、持ってきた紙とペンで荒々しく「竜胆」と書いて私に見せる。オレの名前、コレだから。そう言ってその手帳ほどの紙をこれまた乱雑に4つ折りにして私のカバンに詰め込んだ。忘れんなよ、そう言って唇を尖らせる。可愛いなあ。やっぱり、彼と付き合う女の子はきっと幸せなんだろうなあとまだ見ぬその子にほんの少しだけ羨ましさを感じた。

洗い物を終えた私は、竜胆くんが淹れるというコーヒーを待っている。いつもは床に座るけれど、コッチ座って、と勧められるがままソファに腰掛けてやることも無くただ彼が動く姿を見ていた。酒ばかりが並ぶ灰谷家のキッチン。来た時に違和感を覚えてはいたけれど、聞くことをしなかった不釣り合いなコーヒーマシンは鑑別所に入る少し前に蘭が気まぐれに買ってきたものらしい。買ってきたクセに自分ではやらない、と小言を言う竜胆くんは多分この家の苦労人なのだろう。カチャカチャと音を立ててモンブランを丁寧にお皿に乗せて、珈琲の匂いと共にテーブルにやってきた竜胆くんは少し得意気だ。

部屋に充満したコーヒー豆の香りに、凄いね、と言ってみせると、だろ?と竜胆くんはさらに得意気に笑う。本当に分かりやすくって、可愛い子だ。ぜひこのまま誰にも毒されずに育ってほしいと若干邪な考えをかき消す様に私は出された蘭の好物のモンブランに手を伸ばす。本当はペラペラと自分のことを話す蘭のモンブランを奪って食べるのがいちばん美味しいのだけど、その本人は恐らく風呂に入っていて不在だ。さっき奪ってしまえばよかったな。そう思いつつ私は1番上に鎮座する栗を摘む。
蘭って、私がこの栗をとると凄い怒るんだよ、知ってた?と竜胆くんに聞くと、彼は浮かべていた笑顔を途端に消して、へーと興味無さげに頷いた。その手はぐちゃぐちゃとベージュのクリームと中の白い生クリームを混ぜてばかりで、きっと私の話なんて聞こえていない。
まあいっか、と私はモンブランを食べ始める。すると竜胆くんは、本当に兄貴と付き合ってねェの、と聞いてきた。生クリームをすくったフォークが止まる。付き合ってないよ、本当に。私は手の中でフォークの柄を握りながら答えた。自分で聞いてきたくせに竜胆くんはへー、とかふーんとか、さも興味なさげに振る舞うので私はそんな彼に少しの面白くなさを感じる。

「ねえ、スズランくんはさ、カノジョとかいないの?」
「だァから!オレは!」

苛立ったようにやっとモンブランから顔を上げた竜胆君の唇に私は自分の唇を合わせた。竜胆くんの口は半開きで、そのまま動かない。きっとその口は自分の名前を言うために開かれていたのだろうけど、私がその動きを止めてしまったのだ。彼から漂うコーヒーの匂いが、本当に彼とは不釣り合いで私は笑うのを堪える。
そして動かないままの竜胆くんと私の手のひらが入るか入らないかというほどの距離を置いて笑って見せた。
知ってる、竜胆、でしょ。
私がそう囁くと今度は竜胆くんが乱暴に私へと口付けた。力加減が難しいのか時々カチカチと音を立てて歯と歯がぶつかるのが、彼がこういう事に慣れていないことと私への興奮の現れを明らかに示している。
すっかり息の荒れた竜胆くんの目は荒々しくて、いつもの嬉々とした瞳とは違ったけれど、なぜだか私はそういう目をずっと見たかったのかも知れない。満足感に浸って融けた頭で、私は手を引かれるがまま、竜胆くんの部屋に入ったのだった。

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