会いたかったとかそんな話


ねえ。竜胆は私の名前を呼んで、それから、自分と一緒に来るかここで死ぬか、選んで、と言った。竜胆は私に全てを話したようだ。全てを話し、私は竜胆の所属する、これまで、噂程度にしか思っていなかった梵天という組織が実在し、どんなことをしているのかを知ってしまった。もう、戻ることは出来ない。つい一時間前までの自分に、日常には戻れない。竜胆の真っ直ぐな目を見て私は悟った。
やっぱり、蘭とキミは似てない。
私の呟きをしっかりとその耳で受け止めた竜胆は、私の手を握る力を強くする。それに痛いよ、と言うと竜胆はハッとしたように力を緩めて、ゴメン、と呟いた。

「蘭は、元気?」
「……いまは、オレの話」
「うん、スズランくんのね」
「オイ、オレは」

竜胆は私の指ばかりを見ていた顔を上げて、声を少し張り上げた。その隙を見て私はテーブルから身を乗り出してその薄く、形のいい唇に自分のそれを合わせる。まるであの時に返ったみたいだった。目を見開いた竜胆と至近距離で目が合う。驚きと期待とあと少しの寂しさで光る瞳はあの日から何一つ変わっていない。

「な、なんで」
「んー……したくなっちゃった」
「したく、なった、って」
「ねえ、竜胆は、私に死んで欲しいの?」
「ハァ?オマエ、バカ?ンなワケねェだろ」

だよね、私も死にたくないよ。私の言葉を飲み込んで竜胆は泣きそうに眉を歪めた。上がり気味の眉毛はすっかりと情けなく垂れ下がって、蘭とはまた違う表情を見せる。
後悔する、と竜胆は俯くので、自分が巻き込んだくせにと私は内心笑った。勝手にペラペラと喋ったのは自分なのに竜胆はその全てを後悔するように私の手に縋る。
後悔するかは分からないよ、と竜胆の顔の輪郭をなぞるように掴まれていない手を伸ばす。私の知る竜胆よりも少しだけ痩せて固くなった頬が彼との空白の期間が確かに存在していることをありありと証明した。
竜胆ときちんと会ったことなんて今回を含めて3回しかないけれど、私はその中で彼は少し怖いお兄ちゃんの蘭が苦手で、それでもなんだかんだ兄として蘭のことを好きな弟で、褒められると得意気で、少し気になる女の人には自分のことを知って欲しいと一生懸命になる素敵な男の子だったことを、知っている。知ってしまった。

「私は、私が知ってる竜胆が好きだよ。ねえ、もっとたくさん竜胆のこと教えてよ。もっともっと好きにならせて」
「バカじゃん……オマエ」

バカでいいよ、一緒にいようよ。私がそう言うと竜胆はその勝気な目からほんの少しだけ涙を零した。私はそれを見て、竜胆も馬鹿だなあと思ったけれど、グッと堪えて飲み干す。きっと、蘭も私のことを笑うに決まっている。
だから言ったのに、合わないって、と既に下がっている眉をさらに下げて笑うんだろう。私はそれを笑って、蘭が会わせたくせに、と言い返すんだ。もしもこれが運命なら、蘭は私と竜胆のキューピットになるのかなあと考えて、とうとう堪えきらずに私は吹き出してしまった。だって、全く似合わない。蘭が今どんな髪型をしているのかどんな顔をしているのか私は知らないけれど、きっと私たちのキューピットはハートの矢なんか持っていなくって、お得意の警棒をチラつかせるんだ。
随分物騒な天使を思い浮かべて、私は竜胆の涙を指で拭う。竜胆は私のその行動に、ガキ扱いするなよ、と不機嫌になった。懐かしいこのやり取りに私もとうとう泣いてしまった。


蘭は竜胆と共に現れた私を見て、暫し呆然としたあと、咎めるようにその口で竜胆と低い声で呟いた。竜胆はそれにびくりと体を揺らしてバツが悪そうに蘭から視線を外す。どうやら、相変わらず竜胆にとって蘭はそういう存在らしい。
最後に会った時と変わらず六本木を根城にしていたこの兄弟の家はやっぱり当時から違わず共に暮らしているようだった。私はぼんやりとしている頭の中で最後この家に足を運んだ時と、今とで何か違うところはあるかと間違い探しをしてみる。余り変わらない内装、変わったのはお酒の種類が増えたことくらいだろうか。
視線を走らせていると、キッチンに明らかに異質なものがあるのを発見して口から、あ、と声が漏れた。
それに2人の視線が私に集中して、なんだよ、と蘭が苛立ったような声を出す。

「なんでトースターがあるの?」
「……ハァ?」
「ホラ、あれ。しかもめっちゃいいヤツ。買ったの?私あれ欲しかったんだよねー……」

勝手知ったるなんとやら。私は持っていたバッグをフローリングに落として、トースターに駆け寄った。背後でオイ、と声を掛けてくる蘭を無視して私はバルミューダのトースターを見て笑う。酒とテイクアウトの空き容器に塗れたキッチンに、全く似合わない黒のトースター。きっと数える程も使ってないそれはとても綺麗で、新品と言われてもなんら遜色はない。
勿体ない、使えばいいのに、そう私が呟くと蘭は大きく、そして長い溜め息をその口から吐き出した。
オマエ、変わってねェな、と蘭は呟く。蘭は髪が短くなって、でも相変わらず綺麗だった。私はようやく私を見た蘭を振り返って、蘭は少し大人になったね、と返す。昔はもっと自分本位だった蘭は、どうやらこの数年会わない間に様々な苦労に塗れたようだった。少し気だるそうな雰囲気だったけれど、笑った顔は相変わらずで私はその笑顔に安心する。竜胆は、やっぱり少し難しそうな顔をしていた。

トースターは竜胆が買ってきた、アイツ最近脂質がどうの、糖質がこうのってウルセーの、蘭はロックグラスに琥珀色の液体を注ぎながら笑う。当の本人は蘭に促され、シャワーを浴びているので不在だ。
グラスに注ぎ終わった蘭は、オマエは?と私にウイスキーのボトルを掲げる。だけれど、生憎とそれは苦手な種類だったので首を横に振って断った。じゃあ、と蘭はペットボトルの水を私の前に置く。前はこんなこと出来なかったのに、と何故か成長を感じる母親のような気持ちになって泣きそうになった。
ありがとう、と呟いた私に蘭は、なんで来たのかと問い掛けてくる。竜胆にはオマエを探すな、アイツは普通の女だから、そう口酸っぱく言い聞かせていたらしい。
灰谷蘭という男は、どうやら私が思っていたよりもずっと私のことを思っていてくれていたようだった。ただ、竜胆の手を取ってしまった時点で私はそれを裏切ってしまった。それが申し訳なくて、ごめん、と謝ると蘭はそれを制する。そして、オレならオマエを逃がしてやれる、と真っ直ぐな目で私を見るので、少し困ってしまった。

「なんで、逃げるの?」
「オレも竜胆も、普通じゃねェ。アイツのことだから、オマエには全部話しちまったんだろ。知られた以上、オマエのことは生かしておけねェ。……だけど、オマエはオレのダチだから」
「……普通に、生きて、普通に幸せになれよってコト?」
「まァ……そンなとこ」

蘭は照れ臭いのかなんなのか、誤魔化すようにグラスを煽る。気遣いをしない人間が慣れないことをすると、こうなるのかと思いながら私はペットボトルの蓋を開けた。普通、普通かあ。頭の中で繰り返す。
普通の幸せってなんだろう。この兄弟から離れて数年、いや、離れていなかった期間も私は普通に過ごしてきた。普通に、学校に通ったり、放課後寄り道をしたり、恋愛だってした。そのどれもが、周りに遅れを取りたくないとその一心でなんとなくしてきたものばかりだったけれど、まあ、多分普通だったと思う。手を繋いで、抱きしめ合って、キスをして。もちろんそれ以上のことも。だけれど、どの相手と比べても、竜胆以上に心が揺れる瞬間はなかった。
話に耳を傾けて、一言一句聞き逃さないようにすることも、今どんな顔でどんな髪型で何をしているのか考えることも、自分以外の女を隣に侍らせてその目を向けることに羨望を覚えることも、衝動的に口付けて体を重ねたことも、全てが竜胆だけに向けられた気持ちだった。

「何が幸せか、私にはよく分からないけど、私は竜胆が好きだから、大丈夫」

私はまるで自分に言い聞かせるように蘭に答えた。蘭は納得はしていないような顔だったけど、私の答えに頷くと、それ以来その話をすることはなく、会わない間の話をつらつらと話す。緩めたシャツから見えた、どこかで見たような刺青がどうしても気になって、私は蘭の話なんて聞こえなかった。


蘭と入れ替わるようにして戻ってきた竜胆は部屋着のラフな格好だった。兄貴と何話してたの、と開口一番で聞いてくるので私は相変わらずだなあと思いながら、特には、と答える。いつも通り、蘭の話だよ、と続けると竜胆はフーン、と私の隣にピッタリとくっつくように腰掛けた。まるで会えなかった空白を物理的に埋めようとするような行動に、可愛い、と素直な気持ちが私の中に溢れる。
ポタ、と長い竜胆の髪から水滴が落ちて私のスカートに染みを付けた。まだ濡れてるよ、と肩から下がっていたタオルで竜胆の髪を押さえる。竜胆は嬉しそうに笑った。
ふ、と見えた喉元に先程蘭の同じ場所にもあった刺青を見つけ、そこに人差し指を添えてみる。

「あ、これ、竜胆も入れてるんだ」
「……これは、幹部、みんな入れてる」
「へぇ……コレ、なんか見た事あるんだよね。どこでだろう」
「見たことあンの?なんで?兄貴以外?」

慌てたように竜胆は私の手首を掴む。タオルを動かす手が止まり、私の膝の上に湿ったタオルが着地した。なにか不味いことを言ったのだろうか。そう思って、竜胆の発言を振り返る。そして、違うよ、と言い聞かせるように竜胆の目を見てはっきりと言葉にした。
刺青として、じゃないよ。違う。小さい時に見たんだと思う。ああ、そうだ、それ、花札でしょう。
幼い頃の記憶を巡らせてようやく辿り着いた答えは、どうやら正しかったようだ。私がそう言うと竜胆はハッとしたように私の手首を解放した。じんわりと痛むそこには、赤く竜胆の手の跡がくっきりと付いている。
ゴメン、オレ、と動揺を見せる竜胆はなにかに怯えるような小動物のように見えた。強くて、強固に見える彼の体に似合わない彼の様子が、あまりにも可哀想で私はその体を抱きしめる。
大丈夫、大丈夫だよ。お店で放った時とは違い、今度は確かに意味を持って囁くと竜胆も私の背中にその長い腕を回して弱い力で抱き締め返してくれた。
逃げないで、ここにいて、一緒にいて、好きだよ、愛してる、ここにいて。竜胆はうわ言のように繰り返す。まるで何かを恐れるような彼の様子に、私は竜胆の怖いものはなんだろうとぼんやり考えた。蘭に怒られることだろうか、死ぬことだろうか、私がいなくなることだろうか。どれも合っているようで、でも上手く嵌らない。
私は竜胆のまだ少し濡れている髪を撫でながら、逃げないよ、ここにいるよ、一緒にいるよ、大好きよ、と囁く。けれどもどうやら彼の耳には届いていない。
私たちはピッタリとくっついて抱きしめあっているのに、なんだか、何を当て嵌めても隙間ができてしまうパズルをしているような、そんな気持ちだった。

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