打ち上げ花火といつかの夏
「ついたよ。」
凛とした美しい声が彼女の口から紡がれる。その頃には僕は少しバテてしまっていた。ここ最近怠けてしまっていたツケがまわってきたのか。少しも息を切らしていないちよこちゃんを見て精神的にも結構ダメージを受けた。
「ねぇ、上見てみてよ。」
ちよこちゃんは僕の気持ちなんて知るはずもなく、のんきな、間延びしたような声を僕にかけた。不貞腐れながらもちよこちゃんに促されるままに僕は下げていた視線をぱっと上に向ける。
「う、わ……!!」
そこには予想もしていなかったほど、真っ黒で美しい世界が広がっていた。言葉に表そうにも満足に表現ができず、ひたすらパクパクと口を開閉させていた。隣の彼女も懐かしむような瞳でじっと空を眺めていた。
インクをこぼしたみたいに真っ黒な空にまんべんなく散りばめられた星。宝石なんて表現をしても大袈裟じゃないくらいだ。いつも僕が見ていた星とは思えないくらい綺麗で、近くて、手が届きそうだった。あたりは木々に囲まれていてここがあの賑やかな町と同じところだとは思えない。まるで全く違う島に来たみたいだ。
「すごいでしょ?この空にもうすぐしたら花火が打ち上げられるんだよ。」
「きっと、すごく綺麗なんだろうね。」
遠く離れたお祭りの会場からはかすかに人が騒ぐ声が聞こえる。興奮混じりのその声からは、もうすぐ打ち上げが始まるのだろうと読み取れた。さらさらと風に靡く草にちよこちゃんと2人で腰を下ろす。穏やかな風は頬ににじむ汗を取り去ってくれているように感じた。すぐ触れられそうな位置に彼女の手はある。心臓は飛び出しそうなくらいバクバクと音を立てている。
触れたい。
恥ずかしい気持ちとは裏腹に愛おしさが心の奥から込み上げてくる。
「ねぇ、ちよこちゃん。……夏なのに、ちよこちゃんの手は冷たいね。」
ひんやりとしているちよこちゃんの手に自分の手を重ねる。ちよこちゃんは拒むことなく静かに僕のその行為を受け入れた。……やっぱり、ちよこちゃんの手は冷たい。
「保冷剤みたいで素敵でしょ?」
いたずらっ子みたいに笑ってそういった彼女に、僕は何も言い返せなくなってしまった。詮索しちゃいけない気がした。ただ、だんまりするしかなくなった僕の耳に突如、ピューっと花火の始まりを告げる音が響く。バンっと大きな音をたてて開いた花に、僕の思考の全ては奪われた。
次々と打ち上げられる花火。微笑む彼女。僕達だけの秘密のこの場所。二つ目の花が開く直前。
ふ、と感じた既視感。 曖昧な記憶の中で笑う幼い子供。頭が少し痛む。
僕は、はじめから全て知っていたはずなのだ。思い出したくない、思い出してはいけない。記憶の中で笑う子供の顔を真っ黒に塗りつぶした。
花火を眺めるちよこちゃんは、泣き笑いのような顔をしていた。
僕がここに居られるのも明日までになった。明日の夜には車でここを出なければならない。本当に時間が過ぎるのはあっという間だった。たった数日。それも夕方から夜にかけてのほんの少しの時間だったのに、ちよこちゃんとの思い出は数え切れないほどたくさんできた。
「……明日、帰っちゃうんだね。」
「うん……。」
全てが名残惜しくて、僕は花火が終わっても彼女の手を離せなかった。
幸せのまま。今このまま、時間が止まればいいのに。
ぼんやりと思ったその言葉はどうやら声に出ていたらしくて「何言ってるのよ。」と呆れたように言われてちょん、と小突かれた。
何を言ってるんだか。『ちよこちゃんだって寂しいくせに。』そう言ったら、ちよこちゃんは怒るかな?
「ちよこちゃん、帰ろうか。」
やっぱり怒られてしまいそうで、最後に思った言葉は飲み込んだ。帰り道、僕の前を歩くちよこちゃんの背中は行きよりずっと小さくて、やっぱり寂しそうだった。
でも、僕は何も言わなかった。
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