苦しくて嬉しくて消したくないもの


今日は僕よりも先にちよこちゃんが砂浜についていた。オレンジ色の波打ち際でいつもの様に足を抱えて座っていた。僕は、片手で持ったクーラーボックスをもう1度持ち直した。

「ちよこちゃん。」
「……あ、」

波で遊んでいた彼女は僕が声をかけるとふわりと髪をたなびかせながら振り返った。彼女はそのまま波打ち際から砂浜に移動して座り込むと、自分の隣をポンポンと叩いて僕に座るように合図をした。座ってすぐに僕はクーラーボックスを開く。

「ちよこちゃん、ごめんね。今日はチョコミントのアイスしかないや。」

僕は開いたクーラーボックスから2つチョコミントのアイスを取り出すとちよこちゃんに1つ差し出した。大きくチョコミントと書かれたパッケージから水滴が伝って砂浜に落ちて消えた。
静かな砂浜。陽も半分以上沈んでしまったからか、子供1人見当たらなかった。2人がアイスを開封する音だけが波の音に紛れて響いていた。
ちよこちゃんは1口アイスを口に含む。もう一口。また一口。ヤケになったみたいにアイスを口に放り込んでいった。僕は体が固まったみたいにただじっとそれを眺めていた。開封された僕のアイスはじわじわと溶けて滴る。

アイスを食べるちよこちゃんの瞳から突然一筋の涙がこぼれ落ちた。その後、ダムが決壊したようにちよこちゃんはポロポロと泣き続けた。僕は、彼女が泣きたい理由を知ってる。ぐにゃりと僕の視界はゆがんで鼻の奥がツンと痛んだ。僕のチョコミントは減ることなく、溶けて砂浜に落ちるばかり。

「ねぇ、笑ってよ、ちよこちゃん。」
「……ばか、ばかばか。チョコミントなんて渡すから。苦手って、言ったのに。」

だから涙が出てくるの。声にならない声で嗚咽を漏らしながら掠れた声でちよこちゃんはそう言葉を紡いだ。

「僕は、ちよこちゃんの笑顔が好きだよ。これからも一緒に笑ってよ。……だからお願い。僕の名前は、」
「チョロ松くんは、チョコミント好きだもんね。」

ちよこちゃんは、僕の言葉に一瞬驚いた表情を見せたかと思うと、僕の最後の言葉を聞くことなく言葉をかさねた。いや、聞くことを拒むかのように彼女は口を開いた。
優しい声で僕の名前を呼んだ。

僕の瞳から一筋涙が零れ落ちる。目の前の彼女は苦しそうに笑いながら泣いていた。


ねえ、どうして僕の名前を呼んじゃったの。
君だって、わかってたくせに。呼んじゃダメなことくらいわかってたくせに。


*



花火大会の前。祖母にちよこちゃんのことをきいた。祖母の話は衝撃的でありながら、僕の中にストンと落ちてきて納得してしまった。まるで、欠けたピースが埋まったかのような感覚だった。

ちよこちゃんと僕は、幼い頃よく遊んでいた。僕がこっちに帰ってくる度にちよこちゃんと合流して一日中遊んでいた。おそ松兄さんと相棒だった頃でも、こっちに帰ってきたら必ずちよこちゃんと遊んだ。なるべく兄弟にバレないように用心して密会するみたいにして遊んでいた。祖母をはじめとする大人には筒抜けだったようだけど。
幼い頃はよく悪童やら悪ガキやらと呼ばれていた僕だったけど、何故か彼女には意地悪できなかったし、逆に守って上げたいとまで思っていた。自分でも驚くくらいには彼女には比較的優しく接していたと思う。

「ちよこ!これあげる!」
「これ、なぁに?」
「これはな、チョコみたいにあまいけど、スースーするやつ!たべてみろよ!」
「えっと……?ちょこみんとあいす……。あいす?!ほんとにたべていいの?!」
「いいよ。」
「あ、でもママにアイスは1日1個って、わたしさっきたべちゃったからむりだよ……」
「いいよ、ひみつにしとけば大丈夫。2人だけのひみつな?」
「うん……!」

シャリシャリと音を立てて口にアイスを放り込んで行くちよこちゃん。ちよこちゃんがすごく美味しいと喜んでくれるのを心待ちにしていた。いや、喜んでくれるものだと思っていた。でも、僕が思っていた反応とは全くちがう反応をちよこちゃんは示した。なんとも言えないような顔をしながらアイスを頬張っていたのだ。
"ああ、ちよこはこれが好きじゃないんだ"幼いながら、僕は一瞬でそう悟ってしまった。

「なぁ、ちよこ。それ、美味しくないんだろ?だったら、もう……」

『食べなくてもいいんだよ。』そう言おうとした僕の口をちよこちゃんは手でぽんと押さえた。びっくりしてちよこちゃんを見ると、ちよこちゃんはすごく穏やかに優しく微笑んでいた。

「ちょろまつくんは、このアイスすきだもんね。」

幼い頃の僕はこの言葉を単純に、そのまま受け取ることしかできなかったけど、今考えたらちよこちゃんはこの言葉に沢山の思いを込めてくれていたのではないかと思う。
これが好きだから私も喜ぶと思って渡してくれたんだよね。とか自分の好きなものを美味しくない、とか食べなくていいとか言って否定しないで、とか。
彼女は幼い頃から優しかった。

僕は彼女にどうしても喜んでもらいたくて、その後ちよこちゃんの家族に尋ねて好きなアイスを聞いたらしい。それを聞くと、すぐに家に帰って祖母に向かって嬉しそうに「ちよこはソーダが好きなんだって!俺、今度ちよこにあげるんだ!」と話したそうだ。密会していたくせにいちいち報告していてはそりゃバレるだろう。自分のガバガバさに呆れる。

祖母の話で閉ざされていた記憶の蓋が次々と開いていく。さっきまで記憶の奥を占拠していた靄が嘘みたいに晴れていく。


ああ、身体が弱かったちよこちゃんは確か次の夏を迎えることなく死んだんだ。
僕がこの地に帰ってこなかったのは兄弟も両親も部活も関係ない。ただ、ちよこちゃんを思い出すのが怖かったからだ。
僕はあの夏、ちよこちゃんにソーダのアイスをあげることができなかった。


話し終わった祖母は目を細めて僕を見る。

「ちよこちゃんが、見えるのかい?」
「……え?」
「まだ彼女と居たいならちよこちゃんにチョロ松の名前を呼ばせちゃいけないよ。」
「ど、どうして?」
「ここの町の言い伝えさ。もしも亡くなった大切な人が目の前に現れたとしてもそばにいたいならば決して名前を呼ばせてはいけない。呼べば相手は消えてしまう。ってね。」

祖母は、これは神様が与えてくれた最後のチャンスだと言っていた。お互いに言いたいことが言えぬまま別れることとなった2人を繋ぐ最後のチャンスだと。
でも、生きている者と死んでいるものが会うことは禁忌。これを破って会うことから、縛りとして幽霊が生きている人の名前を呼ぶことを禁じたそうだ。これを破らなければ2年ほどは姿を確認出来るらしい。
僕はちよこちゃんを失いたくなかった。
ちよこちゃんは、この縛りを知っている。だから、僕はいつまでも知らないふりをして彼女の隣にいた。僕がすべてを思い出したその瞬間が彼女との別れだとなんとなくわかってしまったから。

僕は、悲しげな顔をするちよこちゃんを何度も見なかったふりをした。何も知らないふりをして何度も彼女と話をした。
卑怯だと、酷い奴だと何度も思った。それでも突き通したのは、もう2度と彼女が消えるところを見たくなかったからだ。

結局、それももう叶わないのだろうけど。


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