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 マクゴナガル先生に連れられて、ハリーはようやく大広間に入ることができた。隣を歩くハーマイオニーが「ああ、組み分けを見逃しちゃった!」と小声で嘆くのを聞きながら、ハリーは自らに刺さる視線を気にしないように努めていた。

 今日は散々な一日だ。せっかくホグワーツに帰って来ることができたというのに、吸魂鬼なるものに幸福な気分をすべて吸い取られたかのような心地さえした。けれど、大広間のきらめく飾りつけはやはり気分を高揚させるもので、やっと帰って来ることが出来たのだなあと感じた。
 ロンが確保しておいてくれた席に腰かけつつ、マクゴナガルの部屋であったことを話そうとしたとき、ダンブルドアが挨拶のために立ち上がった。そのときハリーは初めて教職員テーブルを見渡した。先ほどコンパートメントのなかで吸魂鬼を追い払ったルーピン先生は古代ルーン文字学のミヨシ先生と会話している。親しげなその様子に、知り合いなのだろうか、と考えながら、二人の教師たちがダンブルドアの話に耳を傾け始めたのを見て、ハリーもその挨拶に集中し始めた。


  ◇◇◇


 その知らせを聞いて、エミリ・ミヨシは驚きを隠せないでいた。
 教員として、生徒たちよりも早く夏休みを終えホグワーツに戻って早一週間。魔法界を震撼させたアズカバン脱獄のニュースに思いを馳せつつも、ゆっくりと今期の授業の用意を終え、ようやく到着する生徒の一団を待っている、そんなときだった。

「吸魂鬼がハリー・ポッターを襲ったと?」

 絢爛な調度品に囲まれた校長室で、眉根にしわを寄せてバリトンの声を不機嫌そうに響かせたのはセブルス・スネイプだった。学生時代の同輩とは言え、寮が違ったこともありそこまで親しくはなかったエミリには彼が何を考えているかなど読めはしない。けれど、彼がその言葉の端々にさまざまな思いを燻らせていることだけはなんとなくではあるが感じ取れた。

「そうじゃ。あの汽車のなかでは間違いなく誰も遭遇したことのない恐怖を味わった経験を持っておるからのう。ハリーが狙われるのも無理はなかろうて。……さてエミリ、やはりグリモールド・プレイス十二番地にシリウス・ブラックは現れないのじゃな?」
「はい。脱獄の報を受けてからはレギュラスがそこから魔法省へ通勤していますが変化は感じられないと」

 ふうむ、と呟いて、アルバス・ダンブルドアは物思いに耽るかのようにその長い髭をくるくると指に巻きつけた。そんなダンブルドアを見て、セブルスはいらいらとした様子で食って掛かる。

「ブラックが生家へ近づくとお思いで? 奴は自身の家族を嫌っていたと言うのに」
「しかし裏を返せばあの家はブラックが最も安全に過ごせる場所じゃろうて。レギュラスが生きておることも知らんじゃろうからのう。……ともかく、レギュラスには申し訳ないがもうしばらくあの家に目を光らせておいてくれと伝えてくれんか」
「もちろん。今日の夜にでも伝えておきます」

 エミリがそう答えると、ダンブルドアは安心した様子で立ち上がり、「それでは組み分けに向かうとしようかのう」と呟いた。エミリとセブルスがそれに連なるように校長室を出る。隣を歩くセブルスが不機嫌そうな表情をしているのを横目に見て、エミリは相変わらずだなあと考えていた。



 エミリ・ミヨシがホグワーツの教員として働き始めたのは二年前のことだった。
 受け持っているのは古代ルーン文字学。父親が古代ルーン文字の起源とされるゲルマン系の魔法史に造詣が深い歴史家だったこともあり、学生時代にはかなり優秀な成績を収めることができたと自負している。
 とは言え、エミリは古代ルーン文字の専門家ではない。それにも関わらず、前任のバスシバ・バブリング教授が引退を決めた際にエミリが抜擢されたのは、偏にその年入学する生徒のなかにハリー・ポッターという少年がいたからであろう。
 エミリにとって友人であったリリー・ポッターの息子であるハリーは、その両親をも死に追いやった史上最悪の闇の魔法使いを退けた英雄として今もなお魔法界で賞賛され続けている。
 生き残った男の子――。ハリーがそう呼ばれるきっかけになった例のあの人の並々ならぬ“秘密”を握っているのがエミリとレギュラス・ブラックなる人物だ。その“秘密”を水面下で葬り去るべく、エミリとレギュラスはこの英国魔法界に戻ってきたのだった。



 セブルスと連れ立って大広間入ると、そこは真っ黒なローブ姿の生徒たちでひしめいていた。夏休み中にはなかった光景に、エミリはふと嬉しさを覚える。やはり学校というものはこうでなければならない。そんな感情を覚えて、自分も教師らしくなったものだと思いながら教職員の座るテーブルを眺めると、かつての学友の姿が目に入った。今年から闇の魔術に対する防衛術を担当するとは聞いていたが、実際に会うのはかれこれ十数年ぶりだった。
 運良く彼の隣の椅子が空いていたため、近づいて声をかける。「久しぶり」。そう告げれば、かつての友人、リーマス・ルーピンが驚いたような表情で振り返った。

「……エミリ? 本当に久しぶりだ、元気にしていたかい?」
「ええ、私はね。それよりリーマス、痩せたんじゃない?」

 リーマスの隣に腰かけながらエミリがそう言うと、リーマスは笑顔を作って見せた。リーマスのはそれぞれ監督生を務めていたころからの友人だった。最後に会ったころよりも確実にくたびれた様子だったが、お互いこうして再び出会えたことを喜びながら言葉を交わしていると組み分け帽子が運び込まれてくる。

「懐かしいわね?」
「ああ、本当に。初めてホグワーツに来た日のことを昨日のように思い出すよ」

 そう言うとリーマスは目を細めて笑った。きっと昔を懐かしんでいるのだろう。リーマスにとってもエミリにとってもホグワーツへの入学が人生の転機になったと言っても過言ではない。リーマスはここで最高の仲間を得たのだろうし、エミリとしても人生を大きく変える出会いを経験したのだ。それは誰にでも平等に訪れる青春時代の思い出だった。

「エミリはその……私の、あー、何というべきか……あの事情のことは聞いているのだろう?」
「……ええ、聞いているわ」

 唐突に、リーマスがそう切り出してエミリは少しだけ驚いた。ここでこのことを言い出すとは思ってもみなかった。懐かしいついでに苦労していたであろう学生時代を思い返したのかもしれない。動揺を飲み込んで、何とか返事をするとリーマスはどこかほっとした様子で話し出した。

「驚いただろう? 学生時代はずっと隠していたからね」
「確かに驚きはしたけれど……。リーマスはリーマスじゃない」
「……そう言ってもらえるのは久しぶりだよ。ジェームズとピーターが死んで、シリウスが捕まって。もう友人と話すことなんてないと思っていた」

 そう呟いたリーマスに、自らの問いかけが彼の記憶を思い出させてしまったのだと感じた。学生時代には知らなかった彼の事情はやはり彼の心に深く根を張っているようだった。そんなことを考えて、エミリは努めて明るくこう言った。

「それじゃあ今までの分もたくさん話さなくちゃね」
「……そうだね」
 
 そう言って笑い合っている間にも組み分けは終わったようだった。組み分け帽子が片付けられていくのを横目に談笑を続けていると、静かに扉が開いた。マクゴナガルと一緒に二人の生徒が大広間に入ってくる。そのうちの一人を見とめて、リーマスはふとこう言った。

「ハリーとも会える日が来るとはよもや思ってもみなかったよ。……汽車でコンパートメントが一緒だったのだけれど、彼は仲間に恵まれているね」
「そうみたいね。私は直接彼と話したことはないのだけれど」
「そうなのかい? 同じ学校にいるんだから声をかければいいのに」
「古代ルーン文字って三年生からの選択科目だしね。今期の受講生にも入っていなかったし、まだ当分話すことはないかもしれないわ」

 そう返すと、リーマスはついにははは、と声を上げて笑った。「きみも難儀な性格だよねえ」と呟きながらダンブルドアが立ち上がったのを見て、口を閉じてそちらへ向き直る。私だけに言えたことじゃあないと思うけれど。そんなことを考えながら、エミリもリーマスに倣ってダンブルドアの挨拶を聞くために視線を前へ向けた。新学期の始まりである。back top
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