02

 その夜、エミリはホグズミード村を訪れていた。ホグワーツ生のいないホグズミードはどこか閑散としている。ちらほらと見えるパブには明かりがついているものの、やはり村人のみの利用のようで人影は少なかった。エミリは三本の箒を通り過ぎ、村の奥深くへと進んで行った。
 夜空には星が輝いている。天文学には明るくないけれど、星に関する知識は人並み以上にはあると思う。それは間違いなく、これから会う人の影響だ。思えばずいぶん長く一緒にいるものだなあ。そんなことを考えながら、エミリは月明かりのなかに一軒の薄汚れたパブを見つけた。迷うことなくそのパブの扉を開けると、薄暗い店内にはバーテンとカウンターに腰かけてグラスを傾けるひとりの青年がいるのみだった。

「こんばんは、アブ。お久しぶりね」
「……ああ。お前らいつもいつもこんなところで待ち合わせる必要があるのか?」

 アブ、と呼ばれたその店主――アバーフォース・ダンブルドアは、グラスを磨く手を止めず、不機嫌そうにそう言った。しかし、アバーフォースの不機嫌な声色には額面通りの思いが込められているわけではないことを、エミリも、そしてこの店でエミリが待ち合わせていた青年もよく知っている。何せエミリがホグワーツで働き出してからの二年間というもの、この店――ホッグズ・ヘッドはエミリら二人が時折逢瀬を重ねる格好の場所となっていたのだから。

「やあ、遅かったね。新学期はやっぱり大変そうだ」
「私はそうでもないんだけれど……。ホグワーツ特急でいろいろあったらしくって、それについての話を聞いていたらつい、ね。待たせてごめんね、レギュラス」

 レギュラス、と呼ばれた青年はようやくパブに現れたエミリをねぎらうように自身の隣の席を勧める。それを拒むことなくエミリもレギュラスの隣に腰かけると、アバーフォースが何を言うまでもなくグラスにたっぷり注いだスコッチ・ウィスキーを手渡してくる。レギュラスが先ほどから楽しんでいたものと同じもので、彼ら二人がこの店に来るといつも飲んでいる定番の一杯だった。

「そんなに待ってはいないよ。それに僕もアバーフォースと会うのは久しぶりだし話し相手になってもらえたからね。……ところで汽車の中で何があったんだい?」
「そう言ってもらえるとありがたいわ。……そうねえ、どこから説明すればいいのかしら」

 そう呟いて、エミリはウィスキーを口に含む。それに倣うようにレギュラスも喉を湿らせた。レギュラスがグラスを傾ける動きに合わせて、その黒髪がさらりと揺れる。その深い黒色は彼の生家を体現しているかのようで、何年一緒に歩んでこようとも、ほんの少しエミリの胸を締め付けるものだった。
 そんなエミリの様子に気づいているのかいないのか、レギュラスは軽く首をかしげ、その灰色の瞳を瞬かせている。その仕草にふと笑みをこぼしながら、エミリは思考をまとめて口を開いた。

「……吸魂鬼がホグワーツを守護することになったのはあなたも知っていると思うけれど、その吸魂鬼が汽車で捜査を行ってね。どうもハリーがその影響を強く受けて気を失ってしまったみたいなの」
「吸魂鬼がホグワーツ特急に? 魔法省が吸魂鬼を送り込んだのはホグワーツだけだと捉えていたけれど」
「当初の話ではその予定だったのよ。でも独断で入ってきたみたいで。……ダンブルドアも少しだけ憤っている様子だったわ」

 エミリのその言葉にグラスを磨く作業に戻っていたアバーフォースがふん、と鼻を鳴らした。兄に対して複雑な感情を抱いているらしいアバーフォースは、ダンブルドアの話となると時々こうした振舞いをする。何となくその感情に心当たりがあるらしいレギュラスが困ったような表情をしながらエミリの話に相槌を打った。

「それはそうだろう。魔法省としても聞いていないんじゃないかな。担当部署ではないから確かなことは言えないけれどね。……でも生徒たちしか乗っていないところに吸魂鬼が現れるなんて」

 レギュラスはウイスキーを傾けながらそう言った。彼は今、偽名を名乗り魔法省の国際魔法協力部、国際魔法法務局にて働いており、その内情には詳しい。

「本当に危険よね。ただ今回は幸運なことに、ひとりの教師が乗っていたの。……リーマス・ルーピンを覚えてる?」
「……兄の友人だった? 確かグリフィンドールの監督生もやっていたよね?」
「ええ。そのリーマスが今年の闇の魔術に対する防衛術の教師をすることになって、偶然ハリーと同じコンパートメントに乗り合わせていたのよ」

 ふうん、と呟いてレギュラスはぐい、とウィスキーを口に含んだ。それを味わうかのようにゆっくりと飲み込んで、ようやくどこか気に入らない様子で口を開いた。

「それは何より。けれど僕は彼がホグワーツに帰ってくるなんて聞いていませんでした」
「仕方ないわよ、急に決まったんだから。じゃなきゃ新学期当日に来るなんてことしないでしょ」

 他人行儀な口調でそう言ったレギュラスにエミリは苦笑しつつもそう返した。何となくではあるが、レギュラスはあの湖での一件から、所謂そういう感情を隠さなくなったように感じる。それはイギリスに帰ってきたここ数年、特に顕著になったようだった。十年近く一緒に暮らしていたにも関わらず、ホグワーツとロンドンという離れた場所で生活をすることになってしまったことが理由のひとつではあるのかもしれない。

「そういうわけで、吸魂鬼は追い払うことができたんだけれど。……まあ、その話をリーマスに詳しく聞いていたから遅くなったというか」
「それはお楽しみだった様子で」
「そんなんじゃないわよ。第一彼とはずっと友人だったし」
「けれど彼は、僕が生きているということを知らない」

 むすっとした表情を隠そうともせず、レギュラスはそう言った。何となくではあるが、レギュラスがそんなことを言うのにはエミリに対する思いだけではない複雑な感情が絡んでいるのだろうと思う。レギュラスは現在魔法省で働いているが、それはレギュラス・ブラックとしてではなく、レギナルト・ブロムベルクという別人としてだった。

「そうね、彼は確かに知らないわ。けれど私はあなたがいつ何時とも“レギュラス・ブラック”だったと知っているつもりよ」
「……そうだね」

 ふ、とレギュラスの表情が柔らかくなってそう呟いた。そのまま残りのウィスキーを呷って飲み干すと、こつんと軽い音を立てて、カウンターにグラスを置いた。アバーフォースが訝しげな様子でレギュラスのグラスにウィスキーを注ぎ直したが、彼は何も言わなかった。

「ごめん、空気を悪くしたね」
「何のことかしら? ああそういえば、グリモールド・プレイス十二番地は変わりない?」
「ああ。あいつが現れる気配もないよ」
「それは良かった。ダンブルドアが申し訳ないけれどもう少しそこにいてくれっておっしゃってたわ」
「構わないよ。……クリーチャーの料理を食べるのも随分と久しぶりだし」

 エミリが何でもないふりをしてそう告げると、幾分と優しい笑みを浮かべてレギュラスは言葉を返した。
 かつて自らの命を救ったハウスエルフを、レギュラスは家族同然に大切にしている。それは離れて暮らしていたあいだも変わらなかったようで、シリウス・ブラック脱獄の報を聞き、ダンブルドアの命で生家で暮らすことになったのを彼は彼なりに楽しんでいるようだった。

「あら、それは私が妬いちゃうわ」
「……妬いてないくせに。さっきはすいませんでした」

 お互いににやにやとしながらそんな言葉を交わす。ホグワーツで働き出してからはこんなやりとりも久しいもので、長く一緒にはいるものの、共に過ごす時間はやはりかけがえのないものだと感じた。アバーフォースがカウンターの陰で苦虫を噛み潰したような顔をしているのは見ないことにした。

「それはそうと、レギュラスこそ仕事はどうなの? 忙しい?」
「うーん、来年に向けての準備がなかなか、ね。クィディッチ・ワールドカップは何とか整ってきたんだけれど、例の催しがどうも上手く進まなくて」

 ダンブルドアから頼まれていたことも告げ、これで用は済んだとばかりにエミリはレギュラスの近況を問う。レギュラスも少しだけ張り詰めていた空気を解いて、エミリの問いかけに答えた。レギュラスは現在、魔法省、国際魔法協力部の国際魔法法務局で働いている。来年起こる数々の“行事”について、管轄しているのが彼の部署だった。
 そんな彼の近況を聞きながら、九月一日の夜は更けていく。back top
ALICE+