07

 湖を通り過ぎ、暗い道をどんどんと進んでいくセブルスの背中を追いながら、エミリは考えを巡らせていた。
 校外へと消えたリーマスの名前がどこに向かっているのかなんて、ホグワーツに暮らすものなら何となく想像がつく。あの地図に描かれていない、あの道の先に何かがあるとすれば、それは叫びの屋敷だけだ。どうしてそんなところに、しかも満月の夜に慌てて飛び出して行ったのか。それを考えるうちにエミリの思考はだんだんと嫌な方向へ進んでいった。叫びの屋敷は誰かが身を隠すには格好の場所だ。
 空には満月が輝き、セブルスとエミリの行く道を照らしている。道の先を辿ると、大きな木が植えられているのが見て取れた。そのタイミングでふと気づく。この先を行くには暴れ柳を越えて行かなければならないのではないだろうか。

「リーマスは暴れ柳をどう避けて行ったのかしら」
「いや、避ける必要はない」

 エミリのその疑問に、セブルスは短くそう答えた。人が近づいてきたのを感知した柳の木は、さわさわとその枝を震わせている。きっとエミリとセブルスが側に寄ると、たちまちその枝を暴れさせるだろう。そんなエミリの想像と裏腹に、セブルスは手近にあった石に浮遊呪文をかけ、木の幹にあるこぶへと投げ飛ばした。

「こうすればこの木は動きを止めるからな」
「……何でそんなこと知ってるのよ」

 そう呟いたエミリを一瞥し、セブルスは木の根元にある大きな穴へと足を進めた。







 仄暗い屋敷の中を無言で進んでいく。叫びの屋敷の中に入ってからはセブルスもエミリも言葉を交わすことはなかった。当然のことだ。もしシリウス・ブラックがそこにいると言うのなら、警戒を怠ることは命を危険に脅かすことと同義だった。
 寂れた階段を、足音を立てないよう注意しながら登っていると、ある部屋から微かに人の気配が感じられた。セブルスとエミリは顔を見合わせてその部屋に近付いた。

「私たちは同学年だったんだ。それに、つまり……、お互いに好きになれなくてね。セブルスはとくにジェームズを嫌っていた。妬み、それだったと思う」

 セブルスが暴れ柳の根元で拾った透明マントを被り、人の声がするドアをこっそりと開けると、リーマスの声が聞こえてきた。エミリは部屋から見えない位置に移動しながら部屋の様子を伺った。リーマスの他に、ハリーとハーマイオニー、ロン、そしてシリウスの姿が見える。

「……とにかく、セブルスはある晩、私が校医のポンフリー先生と一緒に校庭を歩いているのを見つけた。ポンフリー先生は私の変身のために『暴れ柳』へ引率していくところだった」

 リーマスは疲れた声でそう語る。リーマスが狼人間であることはこの場では周知の事実となっているらしく、特に疑問の声が上がることなく話が進んでいった。リーマスの口から語られたシリウスの悪戯、そしてジェームズの勇敢な行動にエミリは納得する。この事件があったから、セブルスは暴れ柳の止め方を知っていたのだ。

「だからスネイプはあなたが嫌いなんだ。スネイプはあなたもその悪ふざけに関わっていたと思ったわけですね?」

 不意にハリーのそんな声が聞こえてエミリははっとする。そして止める間もないまま部屋の入り口に立っていたセブルスが透明マントをかなぐり捨ててこう言った。

「その通り」

 低い声がハリーの問いかけに肯定したのを聞いて、全員が目線を上げる。良い獲物を見つけたと言わんばかりに目を爛々と輝かせるスネイプの横顔を見て、エミリはやれやれと頭を振った。どうしてリーマスがそんな身の上話を語っているのかはわからないけれど、部屋の雰囲気からはシリウスに対する敵対心など感じられなかった。もう少しリーマスの話に耳を傾けていれば、その理由がわかったかもしれないとそう思ったのだ。

「『暴れ柳』の根元でこれを見つけましてね。ポッター、なかなか役に立ったよ。感謝する……我輩がどうしてここを知ったのか、諸君は不思議に思っているだろうな?」

 私も部屋に入るべきかしら、そう死角に身を隠しながら考えているうちにセブルスは再び口を開いた。

「君の部屋に行ったのだよ、ルーピン。今夜、例の薬を飲むのを忘れていたようだから、我輩がゴブレットに入れて持って行った。持って行ったのは、まことに幸運だった……我輩にとってはだがね。君の机に何やら地図があってね。一目見ただけで、我輩に必要なことはすべてわかった。君がこの通路を走っていき、姿を消すのを見たのだ」

 喜々とした表情でそう語るセブルスはその瞳に勝利の色を浮かべている。セブルス、とリーマスがその名を呼ぶのもお構いなしでスネイプは言葉を続けた。

「我輩は校長に繰り返し進言した。君が旧友のブラックを手引きして城に入れているとね。ルーピン、これがいい証拠だ。いけ図々しくもこの古巣を隠れ家に使うとは、さすがの我輩も夢にも思いつかなかったよ」
「セブルス、君は誤解している。君は、話を全部聞いていないんだ。説明させてくれ。シリウスはハリーを殺しにきたのではない……」
「今夜、また二人、アズカバン行きが出る。ダンブルドアがどう思うか、見物ですな……ダンブルドアは君が無害だと信じきっている。わかるだろうね、ルーピン……飼いならされた人狼さん」
「愚かな。学生時代の恨みで、無実の者をまたアズカバンに送り返すというのかね?」

 潮時だ。セブルスの声は狂気を帯びていて、とても冷静な判断など出来そうにない。そう思ったエミリが割って入るため足を踏み出そうと瞬間、バーンという鋭い音が響いた。慌てて部屋へ飛び込むと、セブルスの杖から噴き出た細い紐がリーマスの口や手足を縛り上げている。バランスを崩して床に倒れこんだリーマスを尻目に、セブルスは怒りを露わにしたシリウスに杖を突きつけていた。もう傍観などしていられない。そう考えたエミリは部屋へと足を踏み入れる。

「セブルス、やりすぎよ」

 開口一番そう言ったエミリを、部屋にいた全員が驚いた表情で見つめた。きっとセブルスの登場に気を取られ、エミリがそこに隠れていたことに気が付かなかったのだろう。

「この男を庇うとは意外だな、ミヨシ。君はこいつを誰より恨んでいると思ったが?」
「そりゃ腹立たしくてしょうがないわよ。けれど私たちの知らない真実があるのならそれを知ってからでも遅くないって言っているの」

 セブルスとエミリの会話を聞きながら、先ほどまで怒りに震えていたシリウスが目を白黒させるのが見てとれた。無理もないことだ。エミリはそう思う。シリウスにとってエミリは決して馴染みの存在ではない。死んだ弟の恋人だった、他寮の同級生――。それくらいの認識しかないはずだ。そんなエミリが自らを庇うなんて、何か裏があると思ってもおかしくはない。

「スネイプ先生――あの――ミヨシ先生の言うとおりです。この人たちの言い分を聞いてあげても、害はないのでは、あ、ありませんか?」
「ミス・グレンジャー、君は停学処分を待つ身ですぞ。君もポッターもウィーズリーも、許容されている境界線を越えた。しかもお尋ね者の殺人鬼や人狼と一緒とは。君も一生に一度くらい黙っていたまえ」

 生徒に何てことを言うのだろう。エミリが顔をしかめると、同じく眉間にしわを寄せたリーマスと目が合った。怒りに震えるセブルスに見つからないよう、こっそりとリーマスのそばに近づき、その身体を拘束している縄を緩める。お互い無言のままだったが、目が合うとリーマスは静かに目礼して見せた。

「復讐は蜜より甘い。お前を捕らえるのが我輩であったらと、どんなに願ったことか……」
「お生憎だな。しかしだ、この子がそのネズミを城まで連れて行くなら、それなら私はおとなしくついて行くがね」
「ネズミ? そのネズミに何があるっていうの?」

 思わずエミリがそう口を挟むとセブルスは苦々しげにこちらを振り返った。もはやその目にはいつもの冷静さはなく、何となく良くないことが起こるような、そんな気さえした。

「この殺人鬼が言う出鱈目を信じるというのか? こいつが自らの弟のことすらかえりみなかったことを忘れたのではないだろうな」
「それとこれとは別の話よ。セブルス、あなたちょっと頭に血が上りすぎだわ。冷静に考えなさいよ。ここにいる全員が、彼の話に何かあると感じているから話を聞こうとしているんじゃない」
「ミヨシ先生の言うとおりだ。恥を知れ! 学生時代にからかわれたからというだけで、話も聞かないなんて――

 エミリの説得に呼応するかのように、ハリーがそう声を張り上げる。

「黙れ! 我輩に向かってそんな口のきき方は許さん! 蛙の子は蛙だな、ポッター! 我輩は今お前のその首を助けてやったのだ。こいつに殺されれば、自業自得だったろうに! お前の父親と同じような死に方をしたろうに、親も子も自分が判断を誤ったとは認めない高慢さよ。さあ、どくんだ。さもないと、どかせてやる。どくんだ、ポッター!」

 セブルスのその狂気じみた叫びにエミリは思わず杖を握りしめた。もしセブルスがハリーたちを攻撃するようなことがあれば止めに入らなければならない。そう考えた瞬間、「エクスペリアームス!」という声と赤い閃光が三か所からセブルスを襲った。武装解除呪文をもろに受けたセブルスは、吹っ飛んで壁に激突し、ぐったりと倒れ込む。思わず辺りを見渡すと、ハリーとロン、そしてハーマイオニーがまったく同じ呪文を唱えたようで杖を構えたまま呆然と立ちすくんでいた。

「先生を攻撃してしまった……先生を攻撃して……ああ、私たち、ものすごい規則破りになるわ」

 エミリは泣きそうな声でそう呟くハーマイオニーの背中をそっとさすった。過去の因縁があったにしろ、今夜のセブルスはどこかおかしい。うっすらと彼の過去を聞き及んでいるエミリにとってはその理由は想像ができたけれど、それが生徒に声を荒げる理由になってはならないと思う。そう考えて、エミリは綺麗ごとだわ、と自嘲した。もしエミリがセブルスと同じ立場だったとしたら、大切な人を奪った敵がそこにいるとしたら、きっとエミリも同じく冷静ではいられなかっただろう。

「それでは、君に証拠を見せるときが来たようだ。君――ピーターを渡してくれ」

 そう言ってロンに手を伸ばしたシリウスに、エミリは息を呑んだ。ロンがぎゅっと抱え込んでいる手のひらのなかには、確かにキーキーわめくネズミの姿が見てとれた。
 まさか。そんな言葉が頭をよぎる。まさか、このネズミが死んだはずのピーター・ペティグリューだとでと言うのだろうか? ペティグリューが生きていて、それを知ったリーマスがシリウスの味方に立っている? そんな都合の良い考えがエミリの頭に浮かんだ。
 思い起こされるのは、シリウスが脱獄したという知らせを受けてからのレギュラスの憔悴だった。あの日、レギュラスが守ったはずの家族が、闇の帝王の側について自身の親友を売ったという事実はレギュラスの心を確かにすり減らしていた。もしシリウスが無実だと言うのなら、それは彼ら兄弟が、示す方法は違えど確かに道を同じくしていた証明になるのではないだろうか。
 
「シリウス、準備は?」

 そんなことを考えているうちに、話がまとまったようで、ずっとためらうようにネズミを抱えていたロンがリーマスにそっとそれを手渡した。それを見たシリウスがベッドに転がったセブルスの杖を拾い上げる。

「一緒にするか?」
「そうしよう」

 そう小さく言葉を交わすシリウスとリーマスを見ながら、エミリもそっと杖を握りしめた。何があっても対応できるようにしておかなければ。そう自らを奮い立たせる。

「三つ数えたらだ。いち――――さん!」

 青白い光、目もくらむような閃光。そしてネズミはまるで早送りで成長をするかのようにその小さな身体を膨らませ、次の瞬間、小柄な男がそこに姿を現した。

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