03

 ようやく闇の魔術に対する防衛術の初授業の日がやってきた。気分の悪い占い学やたった一回しか受けていないはずなのに波乱万丈だった魔法生物飼育学を終え、満を持しての授業だったため、ハリーたちの期待は最高潮に達していた。汽車のなかでの出来事がその期待に拍車をかけていることは言うまでもない。
 期待のままに生徒たちがおしゃべりに興じているなかで、ハーマイオニーはただ一人、午前中に受けてきたらしい古代ルーン文字学の教科書に向かっている。

「ああ、今朝の授業でミヨシ先生がおっしゃっていたのはここの記述のことね。私としたことが見落としてた……」
「ハーマイオニー、午前は僕たちずっと一緒に授業を受けていたのに何を言っているんだ? きみまだ古代ルーン文字学の授業には出席していないんじゃないの?」
「ほっといてちょうだい、ロン。それはそうと、こんな細かい記述にも気を払わなければならないなんて、やっぱり奥が深い学問だわ。ミヨシ先生自身はこの科目を専門としているわけじゃないそうだけれど、そのほかの知識も蓄えていたほうがこの学問を相対的に理解できるのかもしれないわね」

 ハーマイオニーとロンがそんな話をするのをぼんやり聞きながら、ふと疑問に浮かんだことがあり口をはさんだ。

「専門じゃないって、それでも先生になれるの?」

 ハリーのその問いかけに、ハーマイオニーは「わかりきったことでしょう?」という表情をした。ハリーやロンが的外れなことを言ったときにする、あのハーマイオニーお得意の表情だ。そしてそのままハリーの疑問に答えるべく口を開く。

「そりゃあなれるわよ。そうじゃなきゃどれだけ闇の魔術に対する防衛術の専門家がいても足りないと思わない? 毎年先生が変わっているんだから」
「アー、まあその通りだ」
「それにミヨシ先生は専門家じゃないとは言っても私たちに教授するだけの知識は持ち合わせていると思うわ。生まれがアジアみたいで東洋の魔術にも精通していらっしゃるし。いろんな視点から古代ルーン文字学の重要性を説いてくださるいい先生よ」

 そう言い切ると、ハーマイオニーはやっと古代ルーン文字学の教科書を閉じ、何冊もの本ではちきれんばかりの鞄にやっとのことでそれを押し込んだ。たった一回の授業で(古代ルーン文字学に出席したというハーマイオニーの主張が正しければの話だが)、どうやら随分とその科目と先生に心酔したらしい。とは言え、ハーマイオニーの授業に対する態度としてはいつも通りだったため、特に気にすることもなくハリーはロンと顔を見合わせて肩を竦めた。
 そうこうしているうちに、ルーピン先生が教室に現れる。「やあ、みんな」と軽く挨拶をして、ルーピン先生は実地練習を行うと宣言した。闇の魔術の防衛術の実地訓練に慣れていない生徒たちはがやがや騒ぎながらも準備を整えた。全員の準備が終わるのを待って、ルーピン先生が生徒たちを引き連れていく。





 新学期が始まって幾日か経ち、エミリはやっと受け持っている授業を一巡しようかとしていた。あとは明日、最高学年の授業が一つ入っているだけだ。とは言え、N・E・W・T試験レベルの授業には気を引き締めてかからねばなるまい。昨年のN・E・W・T試験の話を今はもう卒業してしまった昨年の受講生から聞くに、どうやら試験の傾向もわずかではあるが変化しつつあるらしい。これは授業の方針も少し変えなければならないかもしれない。そんなことを思いつつ、エミリは夏の間にハインツェ家の書庫から持ち出した古代ルーン文字で書かれた分厚い書物を取り出した。こういうとき、エミリはハインツェ家の血縁でよかったと思う。ドイツ系の一族であるハインツェ家にはゲルマン人が記した古い文字体系であるルーン文字に関する書物がごろごろ転がっている。ハインツェ家の当主である従兄弟、マクシミリアンは古代ルーン文字に関しては頓着しないため、エミリは好きにこれらの書物を使っていた。

「新学期はどう? セブルス」

 何の気なしに、エミリははす向かいに座るセブルスにそう問いかけた。広々とした職員室に、エミリとセブルス以外には人影はなく、時折バーンと音を立てて洋箪笥が揺れるのみであった。

「どうとはなんだ。別に普段と何も変わらん」

 ちょうどがたがたと揺れ始めた洋箪笥を苦々しげに見つめて、セブルスはそう言った。洋箪笥のなかには闇の魔術の防衛術の授業で使うというボガートが閉じ込められている。

「三年生にもなってボガートから始めるとは。ルーピンは防衛術を舐めているんじゃないか」
「それはリーマスのせいと言うより前任者のせいじゃない? あの人仕事らしい仕事を一つもしなかったもの」

 どうにもセブルスはリーマスのことが気に食わないらしい。公然の秘密となっている彼が防衛術の教師の座を狙っているという話からだろうかとも思われたが、やはりそれだけではないように感じる。思い返してみれば、確かにリーマスが仲良くしていたジェームズ・ポッターやシリウス・ブラックとは犬猿の仲ではあったが、はたしてリーマス個人に対してそこまで嫌悪感を抱くほどだろうか? そう思ったが、エミリは学生時代、監督生として交流のあったリーマス以外の彼らとそこまで親しかったわけではない。きっと自分の知らないところで、なにか因縁があるのだろう。

「そういえば、マックスがあなたのこと気にしてたわよ。最近便りがないとかなんとかで」
「……別に構わないだろう。わざわざマクシミリアンに連絡する用があるわけでもない」
「それはいいけどマックスってば結構しつこいから気を付けたほうがいいわ。何のことかは知らないけど、この前『この夏あんなに時間をたっぷりかけて教えてやったのに連絡のひとつ寄こしやしない』ってぐちぐち言っていたし」

 エミリの従兄弟である、マクシミリアン・ハインツェはイギリスにおける魔法薬の権威と言っても過言ではない。それゆえ、魔法薬学教授のセブルスとはいろいろと交流があるのだという。

「恩に着せるような言動は信用を無くす。……と、伝えておいてくれ」
「効かないと思うけど、一応伝えておくわ」

 嫌そうな顔をしてそう言ってのけたセブルスに、エミリは肩を竦めてみせる。それっきり、セブルスは黙り込んでしまったので、エミリも仕事に戻ろうかと再び開いていた書物に視線を落とす。するとそのタイミングを見計らったかのように、廊下からガヤガヤと騒がしい声が聞こえてきた。噂をすれば、と言うべきか、どうやらリーマスが生徒たちを引き連れてやっと到着したらしい。リーマスが職員室のドアを開けて生徒たちに入るよう促したタイミングでセブルスが椅子から立ち上がり、口を開いた。その光景を横目に見ながら、エミリは本に集中しているふりをする。そうして羊皮紙に要点を書きつけながら、よくよく考えてみれば、ハリーと同じ部屋にいること自体初めてのことだと考えていた。

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