帰り際、思わず口をついて出たのは紛れもなく僕の本心だった。

思えばこれまでの僕の歩んで来た道は九歳のあの日から全く変わらない。ホグワーツに入学した兄さんからの手紙が来るよりもはやく親戚を伝う噂で彼がグリフィンドールに決まったと聞いた、あの日から。

兆候が無かったわけではない。
兄の気質は明らかに純血思想寄りではなかったし、むしろ母上が口に出すのも嫌がる叔父によく似ていたように思う。
しかし、いくら兆候があったとはいえその知らせは僕たち家族を震撼させた。声を荒げることこそないものの父の眼は確かに怒りを湛えていたし、母の悲しみは父の比ではなかった。
泣き叫ぶ母を見て、拳を握りしめる父を見て、僕は家族を守るための方法を悟った。僕が父や母の望む息子になればいい。そうすれば兄さんは好きに生きることができ、父上も母上も憂いは今よりもマシになるだろう。僕がどれほど兄さんの代わりになれるかは、わからないけれど。

本音を言うと、それから一年はまだ覚悟を決めていたわけではなかった。兄さんと決別していたわけでもなかったし、彼がまだ家族のことを思ってくれているのではないかとぼんやり考えていたからだ。
けれど、次の年の夏休みに帰省した兄の姿を見て、その考えは打ち砕かれた。


「純血思想なんてまっぴらだ。お前らのその古臭い考え方にはもううんざりなんだよ」


夏休みに入り、帰宅して早々にそう言い放った兄を見て、僕はいったい何を思ったのだろう。もう記憶にはないけれど、その言葉を受け止めた母の手が震えていたのをよく覚えている。
それからというもの、僕はひたすらスリザリンの名家としての振る舞いにこだわった。気品ある行動を心掛け、勉学に励み、他人と諍いを起こさない。本心を隠して家族のために生きることを選んだ僕の精一杯だった。


そんなときに出会ったのが彼女だ。

まだホグワーツに入って間もない一年生のころにスリザリンの七年生として世話になったマクシミリアン・ハインツェの従姉妹ということもあり、もともとその存在だけは知っていた。そんなエミリと、あるきっかけで顔見知りになり、挨拶するようになり、言葉を交わすようになり。エミリの存在はそれまで家族しか大切にしてこなかった僕の中でだんだんと大きな割合を占めるようになっていった。

寮は違ったとはいえ、彼女は知性溢れるレイブンクローの所属である。そして薬学で有名なハインツェの血縁となれば、僕が彼女と話そうとも文句を言う者はいなかった。少なくとも、僕の周りでは。

彼女の周囲からどう思われていたかはわからない。こんな時代だからスリザリンは他寮から疎まれていたし、僕はそのスリザリンでも強い権力を持つ家の出身だ。それに反して彼女はグリフィンドール生とも仲が良いらしく、よく廊下や図書室で言葉を交わしている姿を見かけることがあった。
最も仲が良さそうな印象があったのはスラグ・クラブでも何度か一緒になったリリー・エバンスだったが、他にもエバンスと付き合い出したポッターやその友人であるルーピンとも交流があったはずだ。もちろん、その面子に欠かせない兄さんとも。

彼女がそいつらや彼女と同寮の友人に何を言われていたのかは定かではないが、決して良い顔はされなかっただろう。
それでも彼女は僕の隣にいてくれて、僕の話を聞いてくれた。
僕の思いすべてを話すことはできなかったし、話すつもりもなかったけれど、それでも彼女の存在が学生時代の僕の支えになったのは事実だった。

そんな彼女がホグワーツを卒業して、僕は改めて現実に直面した。あのころ確かに憧れの気持ちを持っていた闇の帝王の存在が身近になり、会えない時間を紛らわすかのように闇の魔術へとめり込んだ。
同時に彼女のいない今がチャンスとばかりに、ブラック家の威光に釣られた何人もの女性に言い寄られもしたが、僕は彼女を優先させた。手紙だけのやり取りと、休暇だけの逢瀬。若いカップルの付き合い方にしてはかなり淡白にも思われるだろうが、僕には彼女以外にも大切なものがある。これで充分だ、彼女もわかってくれている。そう自分に言い聞かせていた。

そうして過ごしてきた日々が覆されたのは、僕が卒業してすぐのことだった。
すべては僕が悪いのだと思う。家族を守ろうとしたはずなのに、大きな間違いを侵してしまった。
あの日ずぶ濡れで命からがら逃げ帰ってきたクリーチャーの話を聞いて、帝王のやろうとしていることを悟った。

家族を守るためにここまでやってきたのに、闇の帝王はそれに構うことなく欲望のままに突き進んでいる。
このまま帝王に従うことが本当に正しいと言えるのか? 家族守ることができるのだろうか?
僕はもう既に間違いを侵してしまっている。しかしこれを正せるのもまた僕であると、そのときに気付いてしまった。
僕が家族を傷つけてしまったのなら、僕が責任をとらねばなるまい。

「クリーチャー、これからやることは父上にも母上にも言ってはいけないよ。……もちろん兄さんにも」
「……かしこまりました」
「あと彼女には……。いや、彼女にも何も告げないでくれ」

はい、と嗚咽を堪えて頷いたクリーチャーの頭を撫でて立ち上がる。
死出の旅への出発だ。

ディア・マイプレシャス

立ち上がったことで見えなくなった俯いたクリーチャーの顔が、必死に何かを思案していたことを僕はしらない。


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