「なあ、エミリ。落ち着いて聞けよ」

そんな前置きをしながら、マクシミリアンはエミリに語りかけた。
最悪の方向で的中した予感に舌打ちをしながら、数時間前に聞いた話を伝える。すべてはそう、マクシミリアンの仕事場にある者が尋ねてきたときにはじまった。

*****

そのときマクシミリアンは仕事場で魔法薬を納品するためのこまごまとした事務作業を行っていた。本来ならそのために雇っている魔女が数人いるのだが、このご時世暗くなってから女性を帰宅させるのは忍びない。彼女らには暗くなる前早々に帰宅してもらって、残りの作業を自分が受け持つことにした。マクシミリアンが住むのはこの作業場の横に建つハインツェ本邸だから支障はないし、案外マクシミリアンはそうした作業に没頭するのも嫌いではない。

それから黙々と作業を続け、ついつい波に乗って今日やらなくても良かった作業まで終えて伸びをしたタイミングでバチン、とある種の聞きなれた音が鳴り響いた。
ハインツェの名のもとにある建物では、ハインツェに所縁のある者しか姿現しは使えないよう魔法使い避けの仕掛けが施されている。夕飯近くなってもまだ帰ってこないマクシミリアンを妻が呼びに来たか、父やエミリが仕事を残して見に来たか。そのどちらかを想像して音の方へ振り返ったマクシミリアンは大いに驚いた。

「……おい、お前。どこの家の者だ?」

マクシミリアンの目の前にはひとりのハウスエルフがただならぬ様子で佇んでいた。無論、ハインツェ家のエルフではない。

「ブラック家に仕えるクリーチャーと申します、ミスター・ハインツェ」

恭しく礼をして、ハウスエルフは震える声で名乗りを上げた。よくよく見ればどこかで見覚えのあるような気もするその顔に、きっとブラック家で行われたパーティーか何かで見たのだろうと結論付けて、マクシミリアンは話を促した。ブラック家。少し、心当たりがある。

「お願いがあって伺ったのでございます。ミスター・ハインツェ、どうか坊ちゃまを、レギュラス坊ちゃまをお助けください」
「レギュラスに何があった?」

案の定、ハウスエルフの口から飛び出したのはスリザリンの後輩の名であった。レギュラスがホグワーツに入学したときマクシミリアンは七年生で、彼が入学した当初は年齢差もありあまり関わりはなかった。しかし、当時スリザリン寮でクィディッチチームのキャプテンとシーカーを務めていたマクシミリアンがレギュラスを次年度からのシーカーにレギュラスを推薦してからは、彼の練習に付き合ったり相談に乗ったりと密接な関係を築いてきた、そんな後輩である。そしてマクシミリアンが卒業してから従姉妹のエミリと付き合いだしたこともあり、その交流は今なお続いていた。

「レギュラス坊ちゃまは危険なことをしようと思っていらっしゃるのです……。家族にも、恋人であるエミリ様にも告げずに。坊ちゃまはクリーチャーに告げるなとおっしゃいました。奥様にも、旦那様にも、エミリ様にも。しかし誰にも告げることなくクリーチャーはどうして坊ちゃまを救うことができましょう? お願いでございます、ミスター・ハインツェ。どうか、どうかレギュラス坊ちゃまを救ってはいただけないでしょうか」
「……わかった。ただもう少し話を聞きたい。“危険なこと”とはいったい何だ? レギュラスは何をしようとしている?」

ハウスエルフのその大きな瞳は涙でキラキラと光っている。どうにも情報が足りないとマクシミリアンはさらに先を促した。しかしエルフはその問いには答えずにただ首を横に振る。

「言えません、ミスター。どうしてあんなに恐ろしいことを口に出すことができましょう? いったいどう説明することができましょうか?」
「ならばクリーチャー。どうして俺に助けを求めた? 何をするかわからなければレギュラスを助けることはできない」
「レギュラス坊ちゃまの一番大切なあの人に。これ以上はクリーチャーには言えません。……もう行かなくては。坊ちゃまのお手伝いをしなければならないのです。時が来れば、クリーチャーはあの方の前にきっと現れるでしょう、そのときは」

なるほど、とマクシミリアンはつぶやいて、続けた。

「あの子に……エミリにそれを伝えればいいんだな? それでレギュラスが助かるのか?」
「クリーチャーはそれに頷くことはできません。ご主人様の命令で禁じられているものですから。ですからどうかミスター・ハインツェの思うままにやってくださいませ」
「……わかった。思うままに、だな」

頷くマクシミリアンに礼をしてハウスエルフは姿をくらました。

*****

「……そう、なるほどね」

マクシミリアンの話を聞いたあと、エミリは再び何かを考え込んでいた。一言だけ納得したような言葉を返したきり黙り込んでしまった従姉妹に対して、マクシミリアンはこらえきれずにまた言葉を発した。

「エミリ、クリーチャーはああ言ったがお前が何かをする必要はないぞ。だいたいお前、あのハウスエルフが何のこと言っているのかわかっているのか?」
「いや、まったくわからないわね。……でもマックス。私がやらなければレギュラスが危ないのでしょう?」
「お前がやる必要はないと言ったんだ、エミリ。あのハウスエルフがお前の前に姿を現すのなら、俺がお前の代わりにことを成し遂げればいいだろう」

ホグワーツに入学するために日本からイギリスへ来て以来、こちらの国でずっと妹のように面倒を見てきた五つ下の従姉妹が、何のためかは、何をするのかは定かではないが、間違いなく危険なところへ赴こうとしている。それを止めないで何が家族だろうか。

「駄目よマックス。あなたには家族がいるじゃない」

家族。その言葉は確かにマクシミリアンを引き留めた。エミリだけじゃなく、マクシミリアンには愛する妻がいるし、ほんの一年ほど前に娘が生まれたばかりである。

「確かに妻や娘には迷惑をかけるかもしれない。しかし……」
「迷惑どころの話じゃないわね、あの子は父親のぬくもりを知らずに育つことになるかもしれないのよ?」

珍しく辛辣なエミリの言葉にマクシミリアンは返す言葉もなく黙り込んだ。エミリの言っていることは正論だ。

「……そうだな、その通りだ」
「それに私にやらせてほしいのよ」

そう言い切ったエミリの瞳には決意の色が窺えて、マクシミリアンは言葉をなくす。彼女がこの国に来てからちいさな妹としてかわいがってきたこの子はもうとっくに大人になっていたのだと改めて思い知らされた。

「クリーチャーが言いたいことはわからないけれど……。でもレギュラスが何かをしようとしていることは何となくわかるわ。それはきっと“あの人”に関連している。レグはそれを“思い違いをしていた”と言っていた。学生の頃“あの人”に憧れていた彼が思い違いをしていたと言うのなら、どういうことか見えてくると思わない?」
「……じゃあやはりレギュラスは」
「“あの人”に反旗を翻そうとしているのよ、きっと。そしてそれにクリーチャーも協力してる。クリーチャーは彼を死なせないためにそれをマックスに知らせた。…それならクリーチャーがここに来た時に助ける手立てがあるはずだわ」

思考をめぐらしながら、それでいてはっきりとエミリはそう言い切った。あまりにあのハウスエルフ頼りの策であったがレギュラスを助けるにはそれしかないというのはマクシミリアンにも薄々理解できた。

「……お前は本当に賢いな」
「レギュラスが多く洩らしすぎたのよ。あの人、私がなんにも知らないとでも思っているのかしら。確かに直接レグに聞いたことはないけれど、一番近くにいたのに気付かないはずがないじゃない」

無事に帰ってきたらそう言ってやるわ。そう笑って見せたエミリの表情はいつも通り明るかったから、マクシミリアンもすべてを受け入れて覚悟をしようと決めた。

未熟な体温がくれたもの



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