第三話

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 それから私たちは違う学校に通っている割によく会っていたと思う。加えて右も左も分かっていない中学生にしては、だ。私は少し遠方の学校に通っていることもあって携帯電話を買い与えられていたが、彼はそうもいかなかったから、初めの方は待ち合わせるしかなかった。学校帰りに最寄り駅で待ち合わせて一緒に帰るということを週に最低1回はしていた。私はその日だけは何としてでも時間に間に合うように電車に乗った。私の学校は勉強が中心だったから部活は緩くて、反対に彼はしっかり部活に力を入れていた。早めに部活は終わるが電車で帰ってくる私と、遅くまで部活をやる彼とで意外にも帰る時間は会いやすかったのが幸いした。駅ではなんとなしに待ち合わせて、どうでもいいことを話した。駅は人であふれていたから。でも知り合いに会うことはほとんどなかった。中学生から電車通学するようなところに行く子は多くなかったし、徒歩や自転車通の彼の通う地元の学生は駅にたむろすることはあまりなかった。
 私たちはゆったり歩いて家へと向かう。大通りから住宅街に入ると一気に車通りもなくなって、しん、とする。そのあたりからどちらともなく手をつないだ。約束したわけでもないし、どちらかが言ったわけでもなくて、なんとなく。実のところ私は手をつなぐことがそれほど好きではなかった。手がふさがれているというのがどうにも自由がきかなくて落ち着かないのだ。代わりと言ってはなんだが、腕を組んでみたいな、と思っていた。けれどそうするとより密着した形になるし、私は世間一般の恋人たちが人前でべったりとくっついているのを恥だと考えていた。はしたないな、と感じていたのかもしれない。だからどうにも憚られて、結局毎回口をつぐむ。いつかの告白の日のように私はつながれた手をじっと見つめていた。彼はそんな私の様子を見て、スッと指を組み替えた。いわゆる恋人つなぎというやつだった。私はなんだか泣きそうだった。私は確かに彼のことが好きで、付き合えた日にはあんなに喜んで手をつないでいたのに、いつの間にか少し億劫になって、それを口にせずに気持ちを汲んでもらおうとしている。あまつさえそれが伝わらなくて落胆してしまった。彼はただ私を思ってしてくれただろうに。私はもう何も言えなくなっていた。自分の浅ましさに絶句していた。何も言わない私を不審に思ってか彼が私を見ていた。視線は感じていたけれど顔を上げられなかった。ひどい顔をしているだろうから、と。加えて、彼の視線を真正面から受けたら、こらえているものが全部あふれてしまう予感がした。

「いやだった?」

ひどいことを言わせたと思った。首がもげる勢いで横に振った。違う、と言葉にしたかったのに、言えなかった。慣れない中学校生活で、どうも自分がダメになっているときだったからそれも相まっていたのだと思う。人生の中でここまで自分が不安定になったことがなかったから、私は言いも知れぬ不安を生まれて初めて抱えていた。その原因の一端に彼を無意識のうちにカウントしてしまっていたのが嫌だった。彼は寧ろ、不安を煽る存在ではなく、最後の砦として、私が生活を踏ん張れる存在であったのに。

「大丈夫?」

人に厳しく当たられたときはもちろん辛くて泣きたくなる。しかしそれは静かに涙が流れてしまうような、辛辣な悲しみだ。私が声を上げて泣きたくなるのは、辛い時に人に優しくされた時だったということを後になってから気付いた。私はついに堪えきれなくなってぽろぽろ泣いた。彼はぎょっとしていたと思う。自分のことでいっぱいだったから、あまり定かではない。私はまた緩く首を振った。私は大丈夫ではなかった。ただ、大丈夫ではないと、言うことができなかっただけなのだ。彼は多分困っていたと思う。私はただじっとこらえていた。これ以上泣かないように。余計なことをすると涙があふれやすことを知っていた。彼は手を離すことはしなかった。

「時間大丈夫なら公園寄ろう」

そこは私と彼は度々別れが惜しくなって寄っていたところだった。ベンチもあるが、私たちはブランコに腰掛けることが多かった。手持無沙汰になったら漕げばいいし、なにより距離感が保たれているのが私的には良かった。この遅くて辺りも暗い時間には公園で遊ぶ子供たちもいないのが尚良かった。私の手を引きながら彼はベンチに腰掛けた。私はどこに座るべきか立ったまま逡巡して、それから彼の隣にぴったりと座った。私はもう我慢できなくなっていたから、そのまま彼にもたれかかった。くるっと頭の向きを変えると彼の腕に額をおしつけた。制服を汚しちゃまずいなと思ったうえでの行動だったが、ぴったりくっついているせいで結局袖に私の涙が落ちていったのであまり意味はなかったかもしれない。彼もまた少し私の方に向き直ったから、彼の左肩にはもたれることができなくなって、私は仕方なしに姿勢を正した。もちろん下を向いたままで。変わらず繋がれた手を見ていた。手持無沙汰だから、なんとなく彼の手をなぞって、それからおもむろに手をほどいた。それから、頭を今度は胸のあたりにもたれさせた。一応弁明しておくと、このときの私は普通ではなかった。普通では成し得ないことを次々にやってのける自分に驚き、反省したのはずいぶんと後のことであった。そうすると彼もゆっくり私を抱きしめるから、私はさらに泣いた。声を上げて泣いた。しばらくいて落ち着くと私はゆっくり顔を上げた。本当は顔を見られたくはなかったけれど、もう大丈夫だと伝えたかった。

「何があった?」

何もない。何もないんだ。そう言える状況じゃなかった。私は素直に学校が何となくつらいと話した。中学に上がってから、小学校の友達とは連絡を取っていなかった。そもそも連絡手段がなかったのもある。かといって中学校まで通学とか、勉強とか、自分の知らない人ばかりの環境とか、独特の新しい雰囲気や派閥で疲れているとか、そういう悩みを中学校からの新しい友達に言い出すわけにもいかなかった。だから、私がこの悩みを吐露すると言えば彼くらいなものだった。彼は軽くうなずきながら聞いていた。

「だからどう、ってわけじゃなくて。ただ……なんとなくストレスたまってただけ。ごめん」

この頃にはしゃくりあげた声も落ち着いていた。

「俺にはなんかないの?」

ない、とすぐに言えたら良かった。一瞬言葉に詰まってしまったせいで、今「ない」と言っても信憑性がなくなってしまうだろうと思った。私は、あー、と言いながら、言いたくなかった、些細で、かつ重大なお願いを言った。

「私、最近気付いたんだけど、手をつなぐの、あんま好きじゃないかも」

「は?早めに言えよそんなの」

「いや分かってるよ、でもなんか言いにくかったの!」

はあ、と彼は一息ついた。真面目に悩んでるし俺に言いたいことがありそうだから身構えたのにそれかよ、という表情っぽいなと思った。同時に誤魔化してないだろうな、という疑いの目も感じられた。だから、本当だよ、という意味を込めて睨んでおいた。

「だから、代わりと言ったらなんなんだけど」

「おー」

「腕、組みたいなって」

いつもの調子に戻るとともに、どんどんまた気恥ずかしくなって、彼の方を見たり、見なかったりして言った。

「って思うんですけど……」

「……いいけど」

「マジ?」

「マジ。マジだけどさ、そのくらい言えよ普通に」

「…うん。まあ努力はする」

曖昧な返事をしてしまったけれど、私はちゃんと言おうと思っていた。全部汲んでもらうのではなくて。

「じゃあ二口もなんかあったらちゃんと言って」

「あったらな」

「ないの?」

「今のところは。ちゃんと言えってのは今言ったし」

帰ろう、とはどちらも言い出さなかった。さすがに時間が遅くなると、二人とも「さすがにな……」と思い始めたのか、ゆったりとした足取りで家に向かい始めた。親には当然泣きはらした目の理由を聞かれたが、本を読んで号泣した、と絶妙に嘘だと断定できないくらいの言い訳をしておいた。両親には二口とのことは特に言っていなかった。知られたくなかった。


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