第四話

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 この日以降、彼のほうはどう思っていたかは分からないが、私たちは何でもよく話すようになった。内に秘めた不安を除いて。二口は小学校のころから人気のある人だったし、人数の増えた中学校からは尚更だろう。また、私たちが付き合ったのだって小学校を卒業してからだから、中学校の人が私の存在を一切知らなくてもおかしくないくらいだ。あいつの性格からして、自分から彼女がいることを明かすタイプにも思えない。けれど、その不安は表に出さぬようにしていた。実際、彼が中学校で別の女と仲良くしようがしまいが、私たちのこの時間が保たれるならどうでも良いことのように思えた。彼もまた、不安感はあったかもしれないが、何も言ってくることはなかった。私たちは互いにあまり不安を煽るような話題は選ばなかった。同性の友人の話をたくさんしたと思う。ふと魔が差して異性の友人の話もしたが、すぐに自分が嫌な気持ちになると気付いてやめた。それでも期間を開けるとまた期待して話してみる、ということを繰り返していた。大した頻度でないからか、やめろと咎められることはなかった。
 中学三年の年になると、いよいよ受験ムードになっていった。彼は伊達工に行くつもりだと言った。私は県立の、県内随一の進学校に進学するつもりだった。私たちは変わらず違う学校に通わなければならなかった。分かっていたけど、いざそう聞くとなんだか寂しいことのようだった。受験だからと言って会う頻度が劇的に少なくなったりはしなかった。彼が部活を引退して、帰る時間が早まったからだ。その時は私も塾に通っていない日は自習もせずに早々に帰ってきた。彼と並んで勉強したかったから。駅の改札外に簡易的に座れる待合室があった。暖房冷房も聞いていたし、お金のない学生にとっては最適だった。基本的に私が教えることの方が多かったが、彼はそれを何とも思っていないようで救われたのを覚えている。何となく、自分より優秀な女を嫌がる男は多いと思っていたから。もちろん、これは勉強に限った話で、彼が自分より劣っていると感じたことはただの一回もなかったが。合格発表が出た時は互いに祝った。
 もう高校生になるから誰かに見られてもいいと思ったのか、今まであまり頻繁に行かずに避けていたショッピングモールに行った。映画を見て、ゲームセンターに行って、ご飯を食べて、本当に普通の一日だった。そのとき無理を言ってとったプリクラは今でも交通系ICを入れているカードケースに入れて持ち歩いている。我ながらなかなかだと思う。
 卒業式前に、第二ボタンが欲しいと言った。彼が理由もなくそこを残していたら絶対に誰かに突っかかれるだろうから相当面倒だったろうに、彼はすんなりと承諾してくれた。私たちの卒業式は日程が違ったから、彼の卒業式後の姿を私は私服で眺めることになったのだけれど、それがなんだかおかしかった。いつも制服で並んでいたからだろうか、一方のみが制服を着ているのがなんだかおもしろかった。笑う私を見てか、それとも自分でも変な格好だと自覚があったのか、ちょっと睨みをきかせながら「何笑ってんだよ」と言われた。

「いや、だって!まさか本当に第二だけ残してくると思わなくって」

そう。制服の第二ボタン以外__ジャケットはもちろんワイシャツも、袖のボタンまで__もう何も残っておらず、そんな状態だからそのボタンだけ閉めるわけにもいかなかったのだろう、前の空いた、なんとも不格好な感じでたたずんでいた。彼も彼でこれから学校のクラス会だとか、友達と集まるだろうから、その合間を縫って会えただけで十分なのに、まさか律儀に守ってくるとは思わなかった。

「お前が言ってきたからこうなってんだけど」

「うん、ありがとう。めっちゃうれしい。ぜったいなんか言われたでしょそれ」

それ、とはその第二ボタンだけ残した状態のことだ。

「まあ……、彼女に渡すって言ったし」

「え?」

「は?」

「言ったの?」

「なんか問題あった?」

「いや、ないけど」

まさか言うとは思いませんでした、とあまりに顔に書いてあったせいか、別に良いだろ、と少しだけすねたような表情をされた。良いよ、私は。寧ろ言ってよかったのかと聞き返したかったけれど、この卒業の機会になら言っていいと思ったのかもしれないし、それで考えが変わっても困るから何も付け加えなかった。彼はポケットから携帯を取り出した。見慣れない、新しい機種みたいだった。高校進学を期に新しい端末を買ってもらったらしい。データの引継ぎがうまくいかず、再び連絡先を登録したいとのことだった。それを了承して連絡先を交換する。ちら、と覗き込んだメッセージアプリはまだ彼の家族と私しかいなかった。

「さっき卒業式で友達と交換しなかったの?」

「よく知らないやつとも連絡とる必要ないでしょ」

これからのクラス会のさらにあと、仲の良い友達で集まるときに交換するのが良いと思っているようだった。実際、そうしなければ彼の連絡先は彼の知り得ぬ人にまで知れ渡っていただろうから、賢明な判断だったのかもしれない。わずらわしさを鑑みたとしても、彼の家族の次に私の名前が入ったのを見るのはとても胸がすくような気持だった。彼の制服のボタンなどが全然残っていない姿は、単に大変だな、という同情心だけでなく、少しばかりの嫉妬も伴っていたことに、そのときようやく気が付いた。

「前の携帯、写真も消えちゃったの?」

「いや、端末自体はとってあるから、見ようと思えば」

「ふーん」

じゃあ新しく写真を撮らなきゃな、と思った。

「写真撮ろ」

「なんもアプリ入ってないんだけど」

「良いじゃん普通に撮れば。加工ついてるのは私の方で撮れば良いし」

自撮りにあまり慣れていない様子を見て面白くなっていた。この人でも慣れないことは得意でないものだな、と。

「合ってんの?」

「良いじゃん」

にやにやしながら言ったせいか、お前がやれ、とカメラを渡されてしまった。自分も彼も盛れるように何枚か撮った後、私の方でも撮って良いか確認した。自分たちの加工された顔面を見て、すげえ、とかなんとか言っていた。

「それ送って。私も送っとく」

「ん」

ピロン、と間抜けな音を立てて、携帯に通知が来る。

「他の人に見せるならこれね、私が盛れてるから」

「あー見せないから大丈夫」

「…あっそ。じゃあお気に入りにしとこ」

「おい、勝手に…」

「見せないなら良いじゃん。アルバム見せなきゃ良いだけだし」

ロック画面だとか、ホーム画面だとか、プロフィール画像だとか、そういうところに設定してほしいとは思わないけれど、彼のアルバムの中に私の写真はあってほしかった。私が満足そうにしている様子から、諦めたのか、それ以上は追及してこなかった。はい、と端末を手渡す。それをそのままポケットに突っ込むと彼はただ一つ残ったボタンをいじり始めた。

「ん」

「、ありがと」

もらったはいいけど、これどこに置こうかな。部屋の机の上?親に見つかったら面倒かな、捨てられたら嫌だしな、なんてことを考えた。自分が思うよりずっと浮かれているらしかった。

「じゃあ、また。ありがとね」

「おー」

 彼はそのまま家へ帰っていった。制服を着替えてから、クラス会に行くと言っていた。彼の親御さんは、彼の原型のない制服を見て何を思うのだろうか。高校に入学するまでの間、入学準備で会いにくくなるだろうけど、また新学期が始まれば同じ学校に通わずとも、会えることを確信していた。携帯の画面をつけて時間を見る。思ったより時間が経っていて、ちょっと悪かったなと思う。そのままロックを解除すると、さっきまで話していた彼とのトーク画面が映る。2ショット、思ったよりも彼が良い顔をしている。彼の携帯と同様に写真をお気に入り登録して、それから彼との思い出のアルバムに入れた。誰にも見せない、私だけが知っている、私のためのアルバムだった。もともとは写真を撮る習慣がなかったから、付き合い始めたころの写真はほとんどないけれど、見返すと思い出がよみがえってくるのでとても気に入っていた。暇なときに見返すくらいには。


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