第五話

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 高校に上がってから、彼は中学と同様にバレーボール部に入った。部活の時間は長くて、時間を合わせるのはちょっと大変だったけれど、毎日一緒というわけでもないから、それはさほど苦ではなかった。問題だったのは、高校生になったことでみんなが電車及び駅を利用しだしたことだった。私の中学の同級生は、それぞれ遠方から来ていたから最寄り駅で会うことはほとんどなかったけれど、彼の中学の同級生にはたくさん遭遇した。そのなかには懐かしい顔もいた。小学校の同級生だった。3年も話していないし、私の中ではもう疎遠になった友達、もしくは知人程度の認識だったけれど、彼らからしたら数少ない地元の中学に行かなかった人として記憶されているらしかった。しかもその女が交流の広い二口と一緒にいるのだから、これ以上面白いことはない、という態度だった。「二口、彼女ってこいつのことかよ」みたいな台詞を誇張なしに20回くらい聞いた気がする。二口は否定しなかった。絡まれて面倒くさいな、とは思っていただろうけど、それを私にぶつけてくることはなかった。私の知っている人が話しかけてくると私も会話しないといけなくて、ちょっと嫌だった。かといって知らない人たちと二口が話し込んでいるのも、それはそれで居心地が悪かった。今までほとんど知り合いに合わなかったことは幸運だったのだなと思った。初めは照れたりなんとか応対しようとしていたがこれが1か月くらいたつともう辟易していた。すでに噂は広まって、知っている人たちは知っている人たちで、また二人か〜、などと冷やかしてくるのが興ざめだった。幼稚だと思った。そんなに他人に興味があるものなのかと疑問だった。私がちょっと嫌がっていることを知っているくせに、二口は駅で待ち合わせるのをやめようだとか、知り合いが多い時は避けようというようなことは一切なかった。私たちから週1回程度の帰路をとってしまったら、会える機会がないことをよく分かっていたのかもしれない。そして、否定しても意味のないことだということもまた、よくわかっていたのだろう。彼の中学の友達から、彼が今通っている高校まで、きちんとその噂は届いた。「二口は地元に彼女がいる」のだと。私は知らない、彼の中学の同級生であり、高校も同じところに進んだ人が言っていた。事実だし、他の女の子が寄ってこないなら私としては歓迎すべきだけど、彼はどうなのだろう。人から言われることが気にならないのだろうか。気にしている、と言われたところで私にはどうも対処しようがないので、困っていた。思い切って心の内を聞いてみるべきだと思った。

「二口はさ、周りに色々言われて嫌じゃないの」

「うざいし面倒だとは思うけど、まあ本当だし。非リアが僻んでんなと思えば」

「ああ…確かに」

とても納得した。彼は結構意地の悪いところがあることを、私は良く知っていた。

***

 私は特にすごく忙しい部活に入っているわけではなかった。だから、その誘いには乗るべきだった。二口の試合を見には行かないのか、という誘いに。これは二口に誘われたわけではない。二口づてにちょっと仲良くなった、彼の友達の誘いだった。彼は朝練などはないのか、ぎりぎりに学校に行くタイプなのか、登校の際に駅でたまたま会うことがあった。

「バレーの試合とかって見に行っていいもんなの?」

「もちろん!うちの学校、野郎ばっかだしさ、よかったら見に行きなよ」

勝手に行ったら絶対なんか言われそうだと思った。

「二口に聞いて、良かったら、行く」

「うん!ぜひ。俺も見に行くときあるし」

そこで私は初めて思い当たった。私、バレーのルール全然知らないじゃん、と。二口に試合に行ってもいいか聞く前にルールぐらいは把握しておかないと、見に行っても試合展開もわからずに眺めるだけになってしまうと思った。家に帰ったら、まずバレーのルールを検索した。結論から言うとあまり分からなかった。そもそもあまり集団競技のスポーツに触れてこなかったし、体育でやるバレーはきちんとしたポジションについたりしなかった。リベロってなに?どのタイミングでローテーション?割と真面目にルールを知っている球技が野球ぐらいなものである私にとって、バレーのルールはあまりにも馴染みがなかった。ボールを落としたり、線を越えたところに落としたらいけないのは分かる。だがその先が分からない。困ったな、と思いつつ、彼と帰る日まで、少しずつバレーの知識を入れようとはした。あまりうまくはいかなかったが。もう一人ではどうしようもないと分かったので、彼に聞くことにした。一番身近で、一番バレーに詳しいであろう人に。

「バレーのルールが分からないんだけど」

「…なんで急に?」

「……色々調べたけど、わかんなかった」

「いや、そんな興味あったっけ、バレーに」

「…アンタがやってるから」

「うん」

「……。試合見に行きたくて」

「…それ誰に言われたんだよ」

素直に、彼の友達と会ったときにその話題が出たことを話した。「アイツか…」と納得したうえで、納得できていないような顔をした。

「嫌なら別に。無理してまで行きたいわけじゃないし」

「あーそうじゃない。来て良いよ。ただ、」

「ただ?」

「マジで伊達工、野郎ばっかだからな…」

「柄悪い?」

「ちょっとな。そいつが一緒に見てんならいいわ」

私に話題を振った友達のことだろう。とにもかくにも、許しが出たので見には行ける。それまでに私はルールをざっくりわからないといけない。その友達が知っていれば隣で解説してもらえただろうに、その友達も別にバレーのルールに詳しいわけではないらしかった。

「じゃあこれからちょっとずつ教えてよ。電話でもいい」

「そうするか」

 互いに自由に使える携帯を得たことで、直接会う以外のやり取りもするようになっていた。たまに、ではあるが。文字を打つのが面倒なとき、電話にしてしまうことがあった。電話はだいたい時間で区切って話すようにしていた。そうしなければ、私は電話を切るのが惜しくなってしまうから。何かと理由をつけて話題を提供してだらだらと話してしまうことを確信していたから。だがバレーの話題が会話に上がるようになってから、電話で会話が弾むことが増えた気がする。ルールの説明を文字でするのは難しいからと、電話の機会が増えて話すネタが少なくなっているにもかかわらず、だ。それまではもちろん話すことがあるし、会話が弾まないこともなかったけれど、静かにしていることも多かった。電話をつけて互いに作業だけしているような、そんな感じ。彼との電話のおかげで基本的なルールは分かるようになったと思う。試合を見て、展開が分かるくらいには。この人がめちゃめちゃうまいとか、さすがにそこまでは分からないとしても、試合を楽しむに十分なほどには。
 試合を見に来たら、という試合とは大会のことでもあるが、今回はそうではなかった。というのも大会なんて大きいものはそうそうないからだ。(これも最近知ったことである。)少し先にインターハイという大きな大会がある。誘われたのはそれに向けた練習であり、彼の友達はつまり練習試合に来ないか?という意味合いで言っていたらしい。その試合は伊達工で行われた。伊達工の制服を着た彼はその風景に良くなじんでいると思う。対して私は私服だったから、何となく浮いていないか、すごく気にしてしまっていた。もちろん入っていけないわけではないのだが。彼と一緒に見ることになって良かったかもしれない。初めは一人で見ようと思っていたのだ。二口の友達に付き合ってもらうのが悪いような気がして。このとき私は二口が彼の友達と一緒なら感染してもいい、という条件付きのことをすっかり失念していた。私が何も言わないでも、二口は彼の友達に約束してくれていた。彼は部活が午前で終わり、試合は午後からだったので丁度私の観戦に付き合ってくれたのだ。来て良かったなという旨のことを話していた気がする。気がする、というのも、聞いていなかったわけではなく、緊張でドキドキしてあまり覚えていられなかったのだ。体育館の上と言えばいいのだろうか、観覧はこちら、と簡易的に設置された看板に従った。ここからだと思ったよりもずいぶん人が小さく見えた。その小さい人たちでも、選手たちがおそらく屈強であることは伝わってきた。1年生にもかかわらず試合に出る機会があるのは、彼がすでに先輩たちから認められている実力の持ち主なのか、それとも1年生の実力を測るための試合が行われたのか、私の目では判断ができなかったが、聞く必要はないと思った。どちらにせよ、試合をしている彼の姿が見られることで十分だった。彼の実力が、私の彼に対する評価を悪い意味で揺るがすことはないと確信していた。伊達工で試合が行われているからか、観客は伊達工の生徒が多いように感じられた。他の部活の人たちがのぞきに来ることも少なくないようで、彼の友達も、何人か同級生であろう生徒に話しかけられていた。男所帯だというから、男ばかりだと思っていたが、予想よりは女性も見受けられた。彼女らは単に興味本位でのぞきに来たのだろうか。それとも試合をしている人の中に想い人でもいるのだろうか。彼の友達の同級生が、私のことを聞いてきた。彼が「二口の彼女」だと言う前に、友達だから誘われてきたんです、と言った。彼は怪訝そうな顔をしたが特に訂正しなかった。同級生たちは、彼が私を狙っていると勘違いして囃し立てて去っていった。面倒な人たちだと思った。けれど二口の彼女だとは名乗りにくかった。さっきの女子たちが原因だった。彼女らは上履きの色からして同じ1年生らしく、4人ほどで楽しそうに話していた。

「あ、あれじゃん二口」

「え、どこどこ」

彼女らの中の一人が、二口目当てに来たらしかった。

「彼女いるって本当なのかな」

「んー、まあでも関係なくない?」

「それ。好きにさせちゃえば良いじゃん」

「てかアイツ、中学の頃は彼女いるとか言ってなかったよ。なんか噂では小学校の同級生らしいけど、私小学校は別だったから分からないんだよね」

一瞬知っている人かと思ってドキ、としたが、とりあえず私のことは知らなそうで安心した。

「小学校同じなのに中学が別って…引っ越し?」

「いや、受験して都心の学校行ったんだって。いま〇〇高らしいよ」

「うわ偏差値やば」

「二口くんって頭の良い女がタイプなの?あんまりそう見えないけど」

「他校でめんどくさくなさそうだから付き合ってるとか、昔の憧れみたいなので付き合ってるんじゃない。小学校のころ可愛くても今可愛いとは限らないし。全然チャンスあるでしょ」

「二口君、意外と純情引きずってそうだもんね」

「全然知らないのに二口馬鹿にされててウケる」

「え、ごめんごめん。好きな人馬鹿にされたら嫌だよね」

「大丈夫。寧ろ二口くんがなさそうで安心した」

「うちら全員ないから、安心しな」

「そうそう」

「でも他クラスとか分かんないよね」

「あー」

「アンタが一番可愛いから自信持っていればいけるよ」

「そんなことないけど…ありがとう。頑張る私!」

「うんうん。じゃあとりあえず試合見るかー」

「そうしよ」

一連の会話を最初から最後までもらすことなく聞いていた。凍り付くような思いだった。分かっていた。つもりだった。中学校の時もこういうことがあったはずなのだ。寧ろ中学は彼女いることを言っていなかったのだから、もっとひどかったのかもしれない。そこを気にしてしまったら負けだと、キリがないと、そう思って目を背け続けた事実が重くのしかかってくるようだった。私はこんなことでも嫉妬してしまう。それで彼に迷惑はかけたくなかった。こういうことはある。私にできることは知らないふりをして、気にしないふりをして、何事もなかったように振舞うことだ。もうきっと練習試合を見に来ることはないだろうと思った。大会はさすがに見に行きたいと思ったけれど、それ以外で行くことはないだろう、と。伊達工の人たちに顔を知られたくなかった。「大したことない」と言われるのが嫌だった。

試合はあんまり集中して見られなかった。試合の流れは分かるのだけれど、それをぼーっと眺めるにすぎなかった。一応最後までは見ていたけれど、試合内容も覚えていなかった。幸いだったのはあの4人組とは離れたところで見ていたことと、彼の友達が特に何も言わなかったことだ。試合が終わった瞬間に、私は帰った。

「私帰るから、二口がなんか聞いてきたら帰ったって伝えてくれると嬉しい」

「いいけど、もう帰るの?」

「うん。ありがとう誘ってくれて。あと今日一人じゃなくて助かった」

「いえいえ、楽しめたなら良かった」

別れの挨拶もほどほどに、足早に伊達工を去った。当然というべきかなんというか、二口に後から尋ねられた。何で先に帰ったんだ、と。片付け時間かかりそうだったし、と適当に言い訳して、それ以上は話さなかった。楽しかったよ、とは言ったけれど、本当は楽しかったどうか、分からなかった。その後にすぐ、他の高校に行くの、アウェイ感すごかったから、もういいかな、とも言った。試合を見るのは楽しかったから、大会は見に行きたいなと付け加えて。彼は私の居心地の悪さに納得したのか、追及はしてこなかった。インターハイは来いよ、とだけ。インターハイは、もう、すぐそこだった。

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