第八話

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夏休みが近づいていた。彼は相変わらず部活で忙しかった。特に大きな変化もなく、学校帰りに会うことを繰り返していた。私の通う学校の最寄り駅近くで県内でも大きめの花火大会がある。毎年花火が上がるのだ。私は中学生の頃からこの駅を利用していたから、良く友達と来ていた。今年は彼といけないかな、とダメ元で聞いてみた。もちろん部活はあったが、花火が上がるのは夜なので昼間から屋台をまわるということはできなくてもいいなら行けないことはないらしい。そのことに舞い上がった私は、もうひとつお願いをした。浴衣を着たいというお願いだった。しかも私が着るだけじゃなくて、彼にも着てほしいということだった。彼はちょっと悩んでから、部活が終わって待ち合わせの時刻に間に合ったら着ても良いが、あまり時間はないから期待するなと、そう言った。少しでも着てくる可能性があるならそれだけでも良かった。私も今年は新しい浴衣を新調しようかな、と思った。彼が浴衣を着れなくとも彼女側だけが浴衣を着ているのも珍しくはないし、浮かないだろう。ならば私はできるだけいつもと違う格好をして可愛くなりたかった。

 祭り当日、待ち合わせのずいぶん前から私は浴衣を着始めていた。女の子の準備には時間がかかるものだ、と最近分かった。普段はあまりしない化粧をして、髪もコテで少し巻いて。後ろでお団子にするのは母にやってもらった。友達と行ってくる、と言ったが、私がそわそわしているから本当は彼氏だとばれているのかもしれなかった。母は何も言うことなく最寄りの駅前まで送ってくれたので、そこで彼を待った。駅で彼を待つのはいつもと変わらないが、今日はこれから家に向かうのではなく電車に乗るのだ。しかもいつもとは違う服装で。そう考えると落ち着かなくて仕方がなかったが、待ち合わせの時間の3分ほど前に、「ごめん5分くらい遅れる」と連絡が来たのでまだ来ないだろうとちょっと気が緩んだ。それでもドキドキとはやる気持ちが抑えきれずに待っていた。10分も待っていないだろうに、30分以上もそこで立っているような感覚だった。

「悪い、遅れた」

彼は後ろから声をかけてきた。くるっと振り返ると、少しだけ息を切らした彼がそこにいた。

「大丈夫。そんな慌てたら着付けくずれるよ」

そう、彼は間に合ったのか、きちんと和装だった。甚兵衛、とでもいうのだろうか。男物に詳しくないのでよくわからないがこれも浴衣というのかもしれない。彼とそろって普段から利用している電車に乗るのがなんだか新鮮だった。電車の中はやはり祭りに行く人が多いのか、浴衣を着ている人がちらほら見受けられた。最寄り駅で彼を待っていたときはなんとなしに浮いているような感覚でいたが、そうでもなかったらしい。よく考えてみればその最寄駅からも何人か浴衣を着ている人はいた。目的地に着くとより浴衣の人たちは増え、一層浮足立った雰囲気であった。私たちものその場所によく馴染んだだろう。花火がよく見えるのは駅から少し離れた場所であるから、みんなそちらの方面に向かって歩いているらしい。駅前からずらりと屋台が立ち並んでいるので、それを見ながら目的地に向かえるようになっているようだ。私たちもそれに倣って歩き出して、それからふと駅前のゲーセンを見た。

「プリとりたい」

「はあ?」

そのゲーセンもまた、外から見えるくらいに人があふれていた。おそらく皆、プリクラを取りに来ているのだろうと分かった。彼は嫌そうな顔をしていた。並ぶのが嫌なのか、プリクラをとること自体が嫌なのか、人の多いところに行って知り合いに会うのが嫌なのか、彼女とプリクラを撮っていることが知られるのが嫌なのか、はたまた全く違う理由があるのか、私には分からなかった。そもそも私たちはいわゆる「デート」をしたことはほとんどなくて、プリクラも前に1回撮ったことがあるだけだったから、私はどうしても撮りたかった。思い出が欲しかった。携帯で撮れる写真ではなくて、形の残るものが欲しかった。私がどうしても行きたそうな顔をしていたか、折れないと思ったのか、最終的には行ってくれた。大きいゲーセンだから、ここにはたくさんの種類がある。友達とよく来るところだから私には見慣れた光景であるけれど、彼からするととても見慣れないのか機種や台をちょっと興味深そうに見ていたのが印象的だった。どれがいい、と聞かれて、最新の機種を指さした。そこがやはり人気でもあったので、うげ、という顔をしてから、それにしようと言ってくれた。その機種が一番盛れるから、と明るくいったが、そもそも彼に盛れる機能はどうでもいいだろう。知り合いがいたら嫌だな、とは私も思っていたが、もうすぐ花火が始まってしまうからだろうか、私が探した限りでは見かけなかった。知らない人ばかりだ。彼が話しかけられることもなかったので、彼の知り合いもいないようだった。周りは浴衣を着ている知らない人ばかりだ。ようやく私は一息ついた。自分で言い出したことだができれば誰にも見つかりたくなかった。プリ機にお金を入れて、モードを私が勝手に選び、念のためシートは何がいい、と聞くと任せる、と言われた。「じゃあ真っピンクにするけど」と言うとそれは拒否されたので、「なら白一択でしょ」とどちらも白にした。中に入るとまずカメラの反射で髪を整える。ついでに彼の前髪が目にかかってきていたのでそれを軽く払って直した。この線に合わせて立って、と指示して先輩風を吹かせておいた。彼の身長が高いせいでしゃがまなければならずつらそうな体勢だ。「ウケる」と言っておいた。プリクラはポーズを勝手に指定してくれるので、基本的にはそれに従った。変なポーズには「何だこれ…」と言っていたものの意外と素直に従ってくれていた。それがなんだかおもしろかった。笑わない方が盛れるからあまり笑いたくないのに笑ってしまって、口角を上げないようにするのに必死だった。何個目のポーズだったか忘れたが、プリ機が呑気に間抜けな声で「ぎゅ〜!」とハグのポーズを要求してきたときは時が止まったかと思った。そういえばそんなポーズをすることもあったなと。カップルでべったりプリクラを撮る人もいたが、それは指定されたポーズではなくて本人たちの意思で勝手にやっていることだ。私にとってプリクラは友達と撮るものだったし、そこでそこまで過激なことはしないから大丈夫だろうと高を括っていた。私が一瞬固まったことに気付いたかの真偽は定かではないが、彼の方は特に迷いなく_少なくとも私からするとそう見えた_腕を伸ばして軽く私を抱きしめた。斜め後ろから抱きしめられている状態だったから、私も抱きしめ返すことはかなわず、されるがままだった。だから、仕方なく、彼の腕に自分の腕を重ねて彼の腕を抱きしめた。友達とこのポーズを指定されたら、お互いに向き合ってハグしたまま顔を正面に向けることが普通だったので、後ろから抱きすくめられた、いわゆるバックハグの状態がとても慣れなかった。かといってもちろん、たがいに向き合ってハグはできなかっただろうけれど。自分の心臓の音が聞こえてしまわないかドキドキした。彼の心臓の音も聞こえなかったから、私のものも彼に聞こえていないことを願った。一秒にも、一分にも三十分程度にも感じた時間はあっという間に過ぎた。「3,2,1,」ぱしゃり。シャッター音が鳴って、何事もなかったようにどちらからともなく離れる。次で最後だというアナウンスが入った。「最後は好きなポーズで撮ってね」と無責任にも放り投げてきたので、私はなんだか悔しくなって横に立つ二口の体をつかむようにして抱きしめた。顔は見ることができなくて、視線を落としていた。

「もっとそっち寄らないと写らないだろ」

肩に腕を回され、少し真ん中に寄りながら移動させられた。ふん、と言って、ぐっ、と腕にさらに力を込めた。苦しめ、という意味を込めて。腕を回すのが精一杯だったから、彼の体は大きいなと思った。他の男がどうだかなんて一向に知る由もないけれど、これをスポーツをやっている男ということなんだろうと思った。彼はそんな私にちょっと笑ってから肩の上でピースした。撮れた写真は、今日のプリクラで一番良い顔だった。

「唐揚げ食べたい。ポテトも食べたいけどやっぱかき氷?チョコバナナは外せないよね」

「どんだけ食うんだ」

 プリクラを撮り終わるとあたりはすっかり暗くなっていた。花火が上がるまでもう間もない。移動している間に一発目が上がるだろう。もともとどこかに座って見るというよりも、買って食べる道すがら花火を眺めるという計算だったので丁度良かった。屋台がたくさん並んでいて色々物色しつつ食べているとなんとなしに学園祭を思い出した。二口の学校の文化祭は秋だから、それまでずいぶん時間がある。そう思っているだけできっとあっという間なんだろうと思った。今年もきっとあっという間に終わる。花火が上がっていく。夜空に一面の光と、それから、大きな音が後から追いかける。
 あらかた食事を買って河原に二人並んで腰を下ろす。どちらも静かに花火を眺めながら食べ物を口に運んだ。眺めていると次第にぼーっとし始め、私は考え事を始めていた。二口との出会いを、思い返した。二口と付き合ったあの日は遠い昔のようでも、つい最近のことのようにも思えていた。彼のことは確かに好きだけれど、それが異性的な好きであるのか、私は最近疑問を覚えていた。特に「恋人らしいこと」をしていないからかもしれない。私は彼が好きなのか、彼氏という存在なら好きなのか、自信がなかった。どきどきするのは彼だからなのか、そもそも異性に近づかれたらどきどきするものなのか、彼しか知らない私には知り得ないことだった。小学校の頃、彼を特別に想ったきっかけは何だっただろうか。今ではもう思い出せなかった。彼はこういう気持ちになったことはあるのだろうか。だとしたら、どうして今も私と会い続けているのだろう。私たちはきっと、互いのどちらかでも会うのをやめようと思ってしまえば簡単にやめられてしまう関係だ。それを気まずくも思わないほど、接点がないのだ。接点をなんとか生み出して会っている。そこまでする理由は何だろうか。私はぼんやりと花火を眺めながら、そう思った。

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