喧噪も落ち着いた頃に皆の輪から外れたところでひとり飲んでいると、加州と薬研がやって来る。加州が静かに私に尋ねた。

「主」

「うん?」

「主は…俺たちに強くなってほしい?」

「うーん。まあ、強いに越したことはないですよね。もちろん焦るべきでも無理をするべきでもありませんが。私たちは割と最善を尽くしているでしょう」

「…そっか。じゃあさ、欲しい刀がいたりする?」

 この本丸は数はそこそこいるが、限定的な刀があまりいなかった。強いて言うなら未所持の刀は欲しかったりもするが、今でも十分育成が追い付いていないので、今はもう鍛刀をほとんどしていなかった。

「いないことはないけど…これも焦ることでもないし。今は特にないですよ」

「…そっかあ」

「何か来てほしい刀が?」

「ううん。…俺はさあ、今まで主に愛されてると思ってたし、実際今も思ってるよ。主なりに俺たちを尊重してくれてるって分かるから。その分、俺も主のこと愛してるつもりだった。…つもりじゃ駄目だったよね。主に伝わってなきゃ」

加州はそこで一旦話を区切った。

「俺…俺たち、主を愛してるよ」

「……そう。ありがとう」

私なりに、彼らを大切に思っていたことが伝わっていてよかったと思った。

「昼間は…ごめんなさい。あの審神者がとても恵まれているように見えて、羨ましかった。でも私は…私には貴方たちみたいな自慢の刀たちがいますから。大丈夫です」

一連の話を黙って聞いていた薬研が苦い笑みを浮かべて言った。

「あれはなかなか堪えたぜ、大将」

私は彼に詰められるのに弱かった。初めての出陣で彼が重傷を負い、そのときからだ。彼の弱った表情を見ると肝の冷える心地だった。

「っごめんなさい。……本当に、ごめんなさい…」

 その言葉を聞いて、突如ぽろぽろと涙が流れた。酒が入っていることも相まって、 留めておくことができない。元来、私は泣きやすかった。それで泣く?というようなよく分からないタイミングでよく泣いては周囲を困惑させた。
 今もそうだ。泣けば収まるなんてこれっぽっちも思っていない。それどころか、泣いたら弱みを見せることになる。泣くのはずるい、という考えから今まで刀剣男士の前で泣いたことは一度もなかった。不甲斐なさや、ストレスによって自室で泣くことはあっても、だ。
 加州と薬研はぎょっとした顔をした。まさか私が泣き出すとは思っていなかったらしい。

「ほんとうに…本当に、私は私の刀剣が大事なのに…、私は大事にできてなかったんじゃないかって。…だから彼女のように慕われないのだと、おもってしまって……ごめんなさい。どんな理由があれど、私だけはそれを言っちゃいけなかったのに」

「あ、主。そうだよね。ごめんね。でもほら、俺はいつも主を愛してるよって言ってるじゃん。本当だよ」

「おれが悪かった大将。…大将、おれたちは大将が大切だぜ。あの刀たちがあの審神者を想うよりもずっと」

「うん…。分かってる。ありがとう。駄目だ、今日。だめなの…。ごめんなさい、気を遣わせました。だいじょうぶです。ほんとうに」

早口でまくし立てるように謝ると、少し飲みすぎてふらつく足に力を入れながら静かに立ち上がった。

「じゃあ私はこれで。…ありがとう」

「主」「大将」

 二人を軽く手で制し、宴に戻るように言った。うまく言い訳しておいてくれるだろう。その日は泣き疲れていたからか、よく眠れた。翌日には、皆いつも通りに過ごしていたから、きっと彼らは黙っていてくれたと思う。私はそのことに安堵した。

 それからというもの、私はよく演練に行くようになった。二度と来るか、と思ったが、単純に他の人の編成や戦略を知ることができるのが良かったからだ。そこで顔見知りの審神者とも交流できたのも良かった。
 あの審神者とは、今でもたまに話していた。世間知らずではあったが私に害というほどの害もなかったのでほっておいた。彼女はお家柄、仲良くできる人がいなかったんです、と無垢な表情で言われたので、同情心もあった。別に私も好ましく思ってはいないが、邪険にするほどの理由も持ち合わせていなかった。
 友達を紹介してほしい、と言われたが、いつも話す彼女らはあなたのことを好いていない、と言うか迷って、言い淀んでいると彼女の刀剣がそれとなく話をそらしてくれた。彼らは私がそこまで彼女に好意がないこと、逆に敵意や利用する気もないこと、それから自分の主が周囲に良く思われていないことを正しく理解しているようだった。
 私の彼女への無関心さはひどかったように思う。でもどうしても生きている世界が違うような気がして、興味を持てなかった。
 
 気が付けば演練に行くようになってから、すなわち私が本丸に来てから一年が経過した。住み込んでからは指示が直ぐに出すことができるし、一日二十四時間いつでも働けるので、私の本丸は大きく成長できた。私と刀剣たちが真面目に頑張ってきたからか遍歴から見れば相当優秀な本丸と成っていた。

 そんなある日、お嬢な審神者に、妹が審神者になると言われた。研修が終わって、見習いとして他本丸で生活してから一人前の審神者になるのだと。そうなんだ、おめでとう、とか、そういう返事をしたと思う。あまり覚えていない。妹居るんだっけ、とか、その子も良家だからきっと優遇された本丸なのかな、とか、他本丸で研修みたいなことをすることがあるんだ、とか、それって一部の審神者だけなのかな、とか、そんなことを考えていた。他人事に。

「でね、良かったら、妹をお願いできないかなって」

「……なにが?」

「見習いとしての、研修先に」

「えっ、私?」

「そう」

 まさに寝耳に水だった。そもそも研修先なんて選ぶものなのか?政府が決めるものではないのかと聞いたら、通常はそうだと聞いた。

「普通は、適切な本丸にそれぞれ振られるんだけどね、私妹が心配で…。知ってる審神者さんのところに派遣したくて」

「…で、私と」

「はい。知り合いが貴方しかいなくて…、あなたにしか頼めないんです」

「それは…どうして政府の紹介ではダメなんですか?心配なだけ?」

「…はい。実は…私が研修に行ったところがあまり良い本丸でなくて、妹にはそういう思いをしてほしくないんです」

「政府が、選ぶんですよね?そんな変な本丸に派遣するとは思えませんけど」

「そうですけど…」

 言いづらそうに彼女が言う。私が彼女との関りを絶っていなかったのはひとえに彼女が私に害を与えないからだ。面倒ごとを押し付けられるためではない。
 だが「実は、」と彼女がこっそり語った内容に私は絶句した。彼女は研修先の審神者に襲われそうになったことがあるのだという。幸いにも未遂で済んだが、助けが間に合わなかったらと思うと今でもぞっとする、と。

「……審神者の性別は指定できないんですか?同性が良いとか。そんな事件があったら改善されても良いでしょう」

「もちろんできます。というか、基本的に同性の本丸に派遣されます。…私もそうでした」

 私は勘違いをしていた。襲った審神者は男性であろうと。そうではなかった。私は息をのんで、それから押し黙った。

「ごめんなさい、この話をしたらずるいと思ってたんですけど…。でもどうしてもお願いしたいんです」

私はこれ以上この話を断る術がなかった。

「…妹さんが良ければ」

***

 本丸へ帰ると「近いうちに見習いを迎えることになります」と報告した。見習いについては知り合いの審神者の妹であることも伝えた。縁があって舞い込んだ話だと。
 あとから分かったことだが、どの本丸も見習いの受け入れは義務付けられているらしい。研修に行けるのは研修段階で優秀な審神者、またはいわゆるコネのある審神者だけだが、受け入れの方はどの本丸も遅かれ早かれやるものだと教わった。
 研修でそれを伝えられないのは、「なぜ私はやらないのに?」という疑問と政府への疑念を減らすためらしい。ならば全員やればいいのだろうが、やはりトラブルも多くとにかく報告・経過観察が大切であり面倒なので限られた人のみ行っているとか。「いつものやつですよ」と呆れながら審神者仲間が説明してくれた。だから面倒ごとはどのみち避けられなかった。
 半ば諦めるようにして見習いの受け入れ準備を行ったがこれがなかなか大変だった。どこに寝泊まりさせるかひとつでとても揉めたのだ。
 私は今も離れに住んでいる。もともと私が使っていた本殿の空き室を宛がえばいい、と私は言ったのだが、これに多くの刀剣が反対した。あそこは元々主の部屋だから、期間が限られているとはいえ他の審神者が使うのはどうか、ということだった。私はその圧に押されて、結局離れのうちの一室を見習い用に整えることになった。
 見習いを迎える日は、皆がそわそわして落ち着かなかった。私以外の人間がこの本丸に来ること自体、なかなか無い機会だった。

「初めまして。今日からお世話になる見習いです!よろしくお願いします」

「初めまして。この本丸の主です。こちらこそ、よろしくお願いします。さっそくですが本丸を案内しますね。刀剣男士のことは食事の時に紹介します」

 彼女は姉の審神者によく似ていた。雰囲気も、よく似ていると思う。

「部屋はこちらを使ってください。隣が私の部屋なので、何かあればどうぞ。とりあえず本丸内を回りたいので、お荷物も置いておいてください」

「はい!ありがとうございます」

彼女は続けて「姉にあなたのことをよく聞いていました」と言った。

「…そうですか」

「はい。だからとても楽しみだったんです」

一通り本丸の施設を説明し終わると、あっという間に夕飯時だった。

「うちの本丸は食事をとる習慣があります。これは本丸にもよると思うので、自分のところはどうするか、自由に考えておくと良いです」

「素敵!美味しそう。誰がつくるんです?」

「うちは燭台切や歌仙の担当が多いですね」

 いつも通り、みんながなんとなく席に着く。今日は特別に私の隣に見習いがいる。

「席は自由ですが、今日は紹介もかねて私の隣で。時間も厳格ではないです。好きなタイミングでどうぞ。今日は貴方がいるので、皆をお呼びしました」

「分かりました!ありがとうございます」

見習いに向かって話してから、刀剣たちの方へ向き直る。

「前から伝えていましたが、今日から二か月、見習いがこの本丸で生活します。私と行動することが多いと思いますが、何か困っていたら助けてあげてください」

皆神妙な顔で頷いた。ここの刀剣は私に似たのか、そこまで騒がしくない。見習いに何か話すように促す。

「見習いです。これから短い間ですが、よろしくお願いします」

 こちらこそ、とかよろしく、とか皆が口々に言葉を返す。「じゃあ食べましょうか」と「いただきます」と小さく言ってから食べ始めた。私が食べないと刀剣たちも遠慮しがちなのでこういう時は先陣を切るようにしている。
 刀剣たちは私に倣って談笑しながら食べ始める。見習いに興味がないわけではないだろうが、関心を持ちすぎない態度だった。
 見習いも、次々に料理を口にして、しきりに「美味しい」と言っていた。「口に合ったようで良かった」と燭台切が言った。そのまま見習いと燭台切は料理の話をしていた。箱入りかと思ったが、私よりよっぽど料理の嗜みがある。
 私なんて一人暮らしの時も自炊は稀で、いつも簡単に済ませてしまっていた。自分で作る料理は不味くはないが、特別美味しく仕上がることもなかったから。
 彼女は薬研と燭台切側に座っていた。いつもは一人で座る席に二人で座っているのでどうしても手狭だったが、それを気遣って加州が皿を寄せてスペースを作ってくれていたのがありがたかった。
 私は食事を終えて、私がいる手前、話しかけにくいというのもあっただろうし、早々にお盆を下げようとした。

「見習いさん、食べ終わったら先ほど言ったようにお盆は下げてください。お風呂もどうぞ。分からなかったら部屋にいるので、また聞いてください」

「はい!」

 一応今日の食事は彼女の歓迎会も含んでいるので、今日の夜は長いだろう。明日からゆっくり審神者の仕事に触れていけばいいと思う。風呂から上がって、いつもよりも長く明かりのともる本殿と、そこから聞こえる声を聴きながら私は見習いに関する書類に取り組む。
 政府の紹介でない研修先というのは色々と面倒なのだ。当然、普通の審神者はできたものじゃない。結局彼女たちのお家の力だ。見習いが来る前に監査が入ったりもした。流石に身内の本丸での研修は贔屓やさぼりが出てはいけないので、引継ぎでない限り認められていないらしい。これもまた、彼女が見習いを私に任せたひとつの要因であった。
 それらの書類を終え、眠りについた。いつもよりも騒がしい声を感じながら。



 見習いは優秀であった。もともと覚えも早かったし、加えて霊力も素晴らしいものだった。良いお家というのはコネだけでなく、血統が良いということなのかもしれなかった。審神者仲間は政府から潤沢なサポートを受けたから優秀なんだ、と言われていたが_それも間違いなく要因であろうが_実際に彼女らのポテンシャルも優れているのかもしれない。
 彼女はすぐに本丸に打ち解けた。明るく真っすぐな性格は刀剣たちからも好かれていた。短刀たちとは特に距離が近くこちらがひやりとさせられたが、彼らが不快に感じていなければ、私が口を出すところではなかった。
 中庭のようなところで業務を終えた見習いが遊ぶのを横目に私は日々の仕事を片付けていた。今日の近侍である大倶利伽羅は静かにそれを手伝ってくれている。大倶利伽羅は古株よりも少し後に来た刀だったが、私に関心のなさそうなところを私が気に入って、何かと近侍を任せることも多かった。顕現された順から見れば、彼が近侍を努める回数は異例と言えた。本人からすれば傍迷惑な話だろうが、その分報酬も出ているので許してほしい。
 終わりの目途が立ったところで、「お疲れ様です。もう切り上げて良いですよ」と声をかけたが「終わりまでやっておく」と最後まで手伝ってくれた。
 見習いが来てから、刀装づくりや遠征、出陣場所の説明などをしていたので、出陣ができていなかった。まずはいつも通り私が出陣させて、編成を考えさせて、慣れてきたら何度か出陣の経験を積むのも良いかもしれない。そんなことを考えながら、私はまた見習いのいる中庭に視線を向けた。

「気になるのか」

 大倶利伽羅が作業の手を止めてこちらを見ていた。彼の琥珀色の瞳が夕日の光を反射して、輝いていた。その視線から逃れるように再び見習いの方へ目をやる。

「え?…ああ、見習いですね。明日からまた出陣するから、それをどう教えるか考えていただけ」

見習いは仕事をするときは仕事をして、遊ぶときはよく遊んだ。それはそれは楽しそうに。

「…彼女は良い審神者になりますね」

大倶利伽羅はもうこちらを見ていなかった。




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