次の日、どうにも起きる気力がわかなかった。そればかりか何のやる気もわかないのだ。だが、やる気がないからと今行かないのは違うだろうとなんとか這うようにして布団からでる。結局昨日は気を失うようにして眠ったので涙を流す暇もなかった。目が腫れずに済んだのは良かったかもしれない。
 いつも通り、食事をとりに本堂へ向かう。すれ違う刀はこちらの様子を伺っている。私はいつも通り、挨拶をするにとどまった。見習いは、既に食べ始めていた。

「おはようございます」

「……おはようございます」

「見習いさん。見習いの期間はあと一週間ですが、私はもう一通り審神者業について教え終わったので残り一週間は自由とします。好きに動いてください。
ただ何をするか事前に私に教えてください。書類の提出があるのでフォーマットに則って紙でご提出いただければ結構です。それが了承できればその案で一日の業務ということにします。
今日は土曜ですから明後日から、よろしくお願いします」

 わたしはなるべく平静を装って彼女に話しかけた。彼女はその私の様子に驚きながらも「…分かりました」と返事をしてくれた。それだけ言ってから、私は食事をとった。いつものように、静かに。特別誰に話しかけるでもなく、食べきった。
 近侍は大倶利伽羅のままにしてあった。加州も、薬研も、燭台切も、それなりに見習いと仲を深めていたから、なんとなく大倶利伽羅から変えるタイミングを失っていたのだ。自室に戻り、この見習い研修についての報告書をまとめていると、大倶利伽羅がやってくる。

「入っていいか」

「どうぞ」

 彼は変わらないように見えた。昨日も、彼は何も言ってこなかった。それすなわち不満がない、ということではないが、皆に倣って私を責め立ててこないだけで、私は救われていた。

「今日から一週間、何をするか、どこへ行くか、見習いに任せてみるので日課は行わなくて良いです。各部隊長にそう伝えてください。明後日からは見習いの言うことを聞くようにと。
まあ今日と明日は休日ですから何も言われないでも自由に過ごすと思いますが、一応」

「ああ」

「今日は仕事はないですから、下がってもらって結構です」

「……ああ」

 私は今日一日、寝て過ごすつもりだった。見習いに指示を出したかったから朝から起きたが、本当はもうなんの気力もなかった。お腹も空かなかった。辛うじて水を飲み、お手洗いと風呂だけは行き、ただただ眠りについた。
 何回かふすま越しに話しかけられたような気もするが、意識がはっきりしていなかったので誰が何の用で来たのかは分からない。食事の場に来ない私を心配したのかもしれないが、私がご飯を取らないことはそこまで珍しくないはずだ。眠っていると思っただろう。
 そこからいつの間にか昼夜逆転のようになり、夜は布団にくるまってうとうと舟をこぎ、昼にきちんと睡眠をとった。それは月曜日になっても治らなかった。
 朝、なんとか眠気を抑えて食事をとり、見習いの計画書を読んだ。問題がなかったので、この通りに、と言って、その紙の写しを受け取った。それをなんとか部屋まで持っていくと、眠気に従って眠りについた。
 そういう一週間を過ごした。見習い最後の週であったのに、ろくに顔も出さなかった。
 夜、起きているとき燭台切に「見習いとのお別れ会はどうする?」と聞かれたが「歓迎会と同じように、豪華な食事にしましょう。装飾やメニューは任せます。予算は自由に使っていいです」となんとか思考して答えた。その返答もなんだかすごく時間がかかったようだった。入ってはいけない、と彼に告げたので彼の姿を直接見てはいないが、ふすま越しでもわかるほど困惑してるような気配が感じられた。それを私は黙殺した。
 夜は起きることができていたので、最後の日の宴会は何とか出席できた。音頭を取るのは気まずかったが、私以外に取る人がいるはずもなかった。

「二か月間お疲れ様でした。…貴方はとても優秀ですから、きっと良い審神者になれるでしょう。特に最後の一週間の計画はどれも良く考えられていました。…もう既に、良い審神者ですね。
この期間での見習いの努力への賞賛と、新たな門出を祝して、乾杯」

 私が存外大人しいからか、そこまで緊張した雰囲気ではなかった。刀剣たちが見習いと仲が良いのもあっただろう。私がほとんど姿を見せなかったこの一週間で、よりそれを感じる。眠っている間にも楽しげな声が何度も聞こえていた。
 見習いは「…お世話になりました」と最低限礼儀は尽くしてくれた。それに緩く笑って返事とした。
 その後すぐに、私がいては見習いが楽しむものも楽しめないだろうと、会場を後にした。楽しげな声を聴いても、もう何の感情もわかなかった。明日は彼女が去る日だから見送りをしなければならない。起きられるだろうかと不安になりながら私は布団に入った。夜の時間であるから、ちっとも眠れなくて、でも仕事をやる気にもなれずただ横になった。夜明けが遅くて、じれったかった。

 朝、食事だけとると、彼女はまとめた荷物を持ってゲートの前にいた。この本丸総出で見送る。

「お世話になりました」

「こちらこそ、大した力にはなりませんでしたが」

表面上だけ取り繕って会話するさまが滑稽だった。

「…もう二度とあなたに会わないことを祈ってます」

「そう」

 どうでも良かった。彼女が出ていけば、もう私の本丸に関わることはないのだから。彼女はそれだけ言い残すとまっすぐゲートを抜けていった。私はそれをゲートが閉じるまでじっと見つめていた。
 閉じ切ったのを確認し、直ぐにくるっと刀剣たちに向き直ると「それでは明後日から日課の出陣と遠征をします」と言った。だが、研修前と同じではない。

「練度の高い第一、第二、第三部隊は遠征へ。時間が長いので一日一回、ではなく週に三回でノルマとします。第四、第五は練度の低い刀をローテーションしながら出陣してください。ノルマはとくにありません。上限もないです。お好きなように。
刀装は壊れてもいいですが、刀身は傷付かないようにしてください。刀装が剥げたら撤退で。私の指示なく出陣して構いませんが、それだけ守るように。お守りも持って行ってください。
近侍は第三部隊までが遠征に行く関係で、大倶利伽羅でしばらく固定します。
何かあったときは私の自室に来て尋ねるのではなく、まず大倶利伽羅に話してください。
以上ですが、何か質問・意見がある方は?」

まとめてすべてを言うと、刀たちは一様に呆気に取られていた。

「…ありませんね。ではこれで。また明後日からよろしくお願いします」

今すぐにでも眠りにつきたかった。

***

 月曜日は当然のように起きられなかった。先週は見習いがいたからなんとか審神者としての体面を保つために顔を出したが、どうにも起き上がる気がわかなかった。
 そうして食事に行かなければ大倶利伽羅が義務的に私のもとへやってくる。

「食事は…夕飯をここまで持ってきていただけますか、すみません」

 そう言って食事は一日一回しかとらなかった。遠征も出陣も、見送りも迎えもしなくなった。というよりできなくなった。とても起きていられないのだ。意識があっても、何のやる気もわかなかった。
 なんと一週間そんな様子を繰り返した。見習いがいたころから数えるなら二週間。私のその様子をおかしいと思ったはずだ。それをすべて無視するように部屋に閉じこもった。流石にそろそろ書類の停滞で怒られそうだな、と思うのだが、一向に動けなかった。それをまた一週間、もう一週間。いつの間にか一か月がたっていた。そのころにはもうほとんど食事が喉を通らなくなった。辛うじて息をしている、屍だと思った。
 そんな折に、ようやく政府からの監査が入った。それはそうだ。ずっと報告書を出していない。加えて見習いからの通報もあったらしい。通報を受けてからずいぶんと経っているようだが、まあ手続きとか色々あったのだろう。
 そこで私は監査官に連れられて本丸を離れることになった。連れられて、というより、もうこの頃にはまともに立ってもいられなかったので、担架で運び出された。それを刀たちに見られるのが嫌だな、と思ったがもう抗う気力もなかった。刀たちがそこにいたのかも、もうよく覚えていない。
 医者からは栄養失調と軽い鬱だと言われた。栄養失調は分かる。だが鬱に関しては実感がなかった。そんな鬱になるほどの精神的ダメージを受けた覚えがない。その通りに医者に伝えると、その女医は「…そうね。でも貴方はちょっと疲れているから、少し休みましょう」という。もうこの一か月、信じられないほど休んだのだと伝えても、彼女はそれに同意してくれなかった。本丸はどうなるのかと聞くと、もし私の入院があまりに長引くようであれば代理がたつと言っていた。

「私の本丸は…私のではなくなるんですか」

「それはありませんから、安心して休んでください。貴方、働きすぎですよ」

 女医は穏やかに笑っていた。その笑い方が、母に似ていたから、なんだか無性に泣きたくなった。夜、部屋にひとりぽっちになったとき、その感情に従って泣いた。泣きじゃくり続けた。何が悲しいのかもわからず、ただ泣き続けた。ひとしきり泣いてから、私は審神者になった経緯を思い返していた。




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