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 私が疲れてしまったのは、働き詰めだったからだと、そう言われた。いくら職場に住んでいるからと言って、働けるときにずっと働いている人なんていませんよ、と呆れられた。

「ずっと働いてなんて…。土日はずっと寝て過ごしていましたよ」

「それでも月曜から金曜は九時五時で働いてたんですって?会社じゃあるまいし」

「…職に就いているなら、当然です。おかしなことじゃない」

「あのねえ、審神者でそんな真面目な人、聞いたことないわよ。あと寝てるだけじゃ休めてないですから。楽しいことをしないと。そりゃあ本丸が仕事と、嫌な思い出と結びつきますよ」

「一年間休みなく働いてたみたいなもんですよねえ、それ。信じられない。どうして『どのくらいの時間働いてる?』って聞いてくれなかったのか…。ってこれは私たちの都合ね、気付けなかったのは私たちなのに」

 お見舞いに、仲の良かった審神者たちが来ていた。女医は、本当は私のことを思うなら現世に帰すべきなのだと言った。だがそれはできないと。政府は私が審神者ができなくなっても、私を手放すことはできないらしい。審神者は万年人手不足だと言っていた。つまり復帰させようということらしい。審神者仲間に連絡が行き、見舞いに駆けつけてくれたわけだ。

「会社じゃないって言いましたけど…私は会社運営のような本丸を目指していたんです」

「ええ?」

「刀剣男士たちは同僚であり、部下であり、上司であるような。…もっと仲良くなっても良かったのかもしれませんが、友人のように振舞うのも違う気がして。それに相性とかもあるから。私との性格の不一致で不遇されるようなことがあってはならないでしょう」

「それは考えすぎですよ、多分。どこの本丸でも多かれ少なかれ優遇はあります。…こういうと酷ですけどね。でもしょうがないです。私たち、腐っても人間ですから」

「神嫁になれば神かもしれませんけど」

「うわ、縁起でもないこと言わないでくださいよ!」

「神嫁でも元が人間なら人間でしょう」

「それはそうね。寿命がなくなっただけの人間ね。……言っててぞっとするんだけど」

「やだやだ、もう。でも仮に自分が神嫁になったとして神のように振舞えるとは到底思えませんし、そうですね。きっと」

「そもそも刀剣男士たちだって、とても神とは思えない傲慢さ、ありますけどね」

「神だからこそじゃ?」

「神なんて元々自分勝手な存在ですからね」





「……何の話だっけ?」

「本丸運営で、待遇に差が出てしまうこと?」

「あーそれだ」

「貴方、多分気にしすぎ。…あまり仲の深くない他人に気を遣うタイプなんだろうけど、その性質、あなたの本丸運営と相性最悪ね」

「もっと我が物顔で振舞えば良いんじゃないですか?それが問題になる審神者もいますけど、あなたの場合、それが足らなさすぎますよ」

「……良いんでしょうか」

「良いのよ。刀剣男士だって、私たちの気持ちに関わらず構えと言ってきたりするでしょう」

そんなこと、あっただろうか。見習いが設けた話し合いの場で初めて聞いたくらいだった。微妙な顔をしていると「貴方の刀剣は、貴方に似ているのね」と一人の審神者が言った。

「刀剣たちも限りなく貴方に気を遣っているんだわ。それは悪いことではないけれど、過剰すぎね。互いを苦しめるくらいなら、もう少し無遠慮だと良いわ」

 初めは互いに敬語や、そこから少し砕けた程度の話し方であったのだが、この会話の中でどんどん皆の話し方が崩れていく。それは不快ではなかった。こうやって多少の遠慮のなさが必要だと行動でも伝えてきてくれている。私は彼女らに感謝してもしきれなかった。

「うん。…ありがとう。貴方たちのおかげで大分元気が出ました。もともと、人と話すのは好きなんです。友達もそれなりにいたし、遊ぶのも好きでした。
けれど、ここだとそれがないから…知らぬ間にストレスをためていたのかも。もちろん刀剣たちとの関係改善も頑張るけど、その…連絡しても良い?遊びのお誘いとか、しても」

「もちろん!」

「そう来なくっちゃ」

「連絡お待ちしてますね」

 彼女たちは明るい表情で病室を出て行った。今日の朝までの怠さは、それほど感じられなかった。

 だが私はなかなか復帰できなかった。元気になる瞬間もある気がするが、そうでない瞬間もある。彼女たちは入れ替わるように頻繁に様子を見に来てくれていた。楽しく会話できていたと思う。彼女たちの、見返りを求めず善意で行ってくれている行動が、とても有難かった。人のやさしさに触れて、少しずつ、少しずつ回復していった。
 その間に本丸には代理の審神者が派遣されたと聞いた。あくまで代理だと、よく聞かされていた。ひとえに私が審神者としての仕事ができないからであると理解していた。だが焦りや不安はぬぐえない。その不安感からますます「早く治さなくては」と焦り、入院は長引いた。刀剣たちが私を見捨てる悪夢を幾度となく繰り返してみた。
 だが私の調子は波打ちながら、少しずつ快方に向かっているようだった。
 入院してから二つ季節が移り替わったころ、刀剣男士との面会の話が上がった。「話してみるのはどうですか」と。はじめは一人でもいいし、何人かでもいい。無理だと思ったらすぐに止めていい、と何度も確認された。私はその返事にしばらく渋って、提案がなされた一週間後にそれを承諾した。会話ができるかは分からないが、会うだけ会ってみると。

***

 加州一人で来てもらおうと思ったが、一対一では気まずいかもしれないと思い、薬研にも同行してもらった。刀側から希望があったとはいえ、私がその二振りを指名すればまた軋轢が生まれるかもしれなかったが、やはり私にとって特別な刀なのだから仕方がない。…燭台切を呼ぶ気持ちにはなれなかった。
 病室で一人で待っているとどうにも落ち着かずに、部屋を徘徊したりした。ドアをノックされ、来た、と思うと、大人しくベットに戻った。戻ってから、彼らのための椅子を用意していない、と焦る。この部屋の中に椅子はない。思考に捕らわれ返事をしないでいると、「主?」と懐かしい、聞き慣れた声がした。返事をしなくては、と思うのだが、思考がとっ散らかっていて、うまく話せない。

「椅子が…椅子がないんです。先生に言えば、貸してもらえるので…二人分、借りてきてもらえますか。用意がなくて、ごめんなさい」

「、うん、分かった。待ってて」

 その返事にほっと一息を付く。ひとまず、軽いパニックからは落ち着くことができた。扉の前から人の気配が消え、五分もたたないうちに彼らは戻ってきたようだった。

「主、…入っていい?」

「うん」

 がらがら、と音を立てて病室の扉が開かれる。窓も開けていたので、扉を開けたことによって空気が流れた。窓からの風で私の髪が靡いて視界を遮る。うっとおしい髪をかき上げて初めに目についたのは、桜色。

「主…」「大将…」

私の大切な刀が、そこにいた。

「…久しぶり」

私は居た堪れなくて、目線を外してそういった。彼らはパイプ椅子を持ったまま、入り口に佇んでいる。ひらひらと舞う桜が廊下に積もってしまいそうだ。

「…中へ入ったら?」

「うん…」

緩慢な動きで中に入ってきた。扉を抑える人がいなければ扉はひとりでに閉まる。窓からの風は再び落ち着いたようだった。どこに座れば良いか迷ったようだったので、傍に呼んだ。

「ここに座れば良い。嫌だったら、どこでも構わないけど」

 先ほどとは打って変わって俊敏に椅子を開くと、そこに腰掛けた。二人ともそのまま口を開かないので、私は床を埋めていく桜を見ていた。二人が帰ったら、掃除をしなくてはならない。ぼーっとその桜を眺めていた。そもそも刀剣と面会する、というのは誰が決めたのだろう。政府から刀剣男士たちに通告でもあったのだろうか。

「今日は、どうしたの」

その台詞は、まるで毎日本丸にいる人間のようであったが、私はこれ以外の話題を持っていない。加州が「主に、会いたくて」と弱い口調で言った。

「そう。…………。」

それは他の刀剣もそうなのか、加州たちの独断だったのか、私が二振りを指名してどうだったか、代理の審神者はどうなんだとか。聞きたいことが大量に押し寄せては言葉にならずに消えていった。口を開いて空気を含むのに、なにも音にならない私に、二振りは焦れることなく次の言葉を待ってくれていた。

「…皆は、元気?」

やっと聞けたことはそれだけだった。

「…身体は問題ない。ただ皆、大将を待ってるぜ」

「良かった。……代理が、代理の審神者とは、うまくやっていますか」

「…まあ、それなりに。けど俺、嫌だよ。主が帰って来ないと」

 その加州の言葉には返事ができなかった。私も戻りたいと思っている。けれど私が戻る前に代理の審神者が主として認められたら?私の帰る場所は本格的になくなることになる。
 加州が「それなり」と言うからには、本当に「それなり」に仲良くやっているのだろう。私の沈んだ表情をどう思ったか、重ねて「もちろん、主が元気になったらだよ、」と言う。

「それに主が帰りたいと思わなきゃダメなんだって、言われた。でも主、お願いだから……捨てないで。俺、可愛くしているから」

 加州があまりに悲痛な顔をするから、私は狼狽えて、言葉が出なかった。終いには涙が溢れて、ぽろぽろ流れるから。それを拭わなくては、と思った。加州に腕を伸ばすと、そっと涙を拭う。彼らに手入れ以外で触れるのは初めてかもしれなかった。泣き止めとも言えなくて、ただその涙を止めたくて、
 そうなってしまった。そうしたらますます泣き出して、桜が舞った。私は何も言っていないのに、と混乱していた。混乱から、ぱっ、と加州の頬に添えていた手を離して薬研の方を見やると、薬研もまた驚いたような、困ったような顔をしていた。
 それからもう一度加州を見れば、潤んだ目でこちらを見上げていた。もう涙は止まったようだったが、頬が濡れていたから、それをまた拭ってやった。すると私の手に両手を添え、また声を押し殺して泣き始めた。もうどうしたら良いか分からず、諦めてされるがままにしていた。薬研に視線で助けを求めたつもりだったが、薬研は加州の奥に座っていて、かつ下を向いてたので視線がかち合わなかった。加州が落ち着いた頃に「…ごめん」と私の手を解放してくれた。

「私は戻りたいと思ってる、ずっと。先生には…言ってたんだけど。伝わってなかったら、ごめんなさい。迷惑なら、新しい審神者を、派遣することも…可能だとは言われたので、考えるけど、でも私は……、私は戻りたいよ。ずっとそう思ってた。なのに治らなくて、ずっと帰れてないの。ごめんね」

私は戻りたい、という意思を、ゆっくりゆっくり伝えた。二人は、はっ、と顔を上げてこちらを見ると、また桜を散らした。

「皆の…様子が知りたいの。ありのままを…話してくれる?」

 それに頷くと二人とも話始めようとしたが、いかんせん加州は泣いたばかりであったので、その声に苦笑してベットの掛け布団をよけて、ベットから降りた。
 この部屋は椅子はないがソファのような長椅子があって、そこに横並びに座ることができるのだ。ベットから離れているから、ベットに座る私と話すには向いていないと思って椅子を持ってこさせたが、もうベットの上で話を聞く気にはなれなかった。
 「こっちに座ろうか」と二人を長椅子に誘導した。私を端に、加州と薬研が座ろうとしていたので「薬研はこっちに」と反対側の隣に誘った。
 私のいない間の本丸の話を聞くのはつらいかと思ったが、存外楽しかった。相槌を打ちながら、全部を覚えられるわけではないが、なるべく聞いて、覚えていようと思った。
 面会に与えられた時間は短く、あっという間に先生が「そろそろ時間です」と呼びに来た。「もうそんな時間か…」薬研の言葉に私は心の中で同意した。とてもあっという間だった。「また来てもいい?」と加州が聞くから、私は先生を見た。「三日に一回程度なら」と先生が答える。「じゃあ三日後に。…またね」控えめに手を振ると、彼らは後ろ髪を引かれるようだったが、最後にはきちんと帰っていった。

「どうでしたか」

「…会えて、良かったと思います」

「それは良かった」

「今度から、一振りずつ来てもらってもいいですか」

「それはもちろん」

 やはり一人ずつでないと腹を割って話せないだろうと踏んでのことだった。今日だって、加州が泣くばかりで薬研は困っていそうだったし、話もあまり聞けなかった。三日後の面会は薬研に来るように先生へ伝えたのだった。




分岐