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 三日後。それはあっという間のようであり、長いような気もした。
 今日はもう初めから長椅子に座ろうと決めていたので、椅子の心配をする必要がなかった。売店でお茶と菓子を買っておいたので、それを用意することも忘れなかった。準備は完璧だ。前回のように慌てふためいて言葉を失うことはなさそうであった。前回よりもはっきりと、コンコン、とドアを叩く音がした。

「どうぞ」

前回と同様に扉が開かれたが今日は窓を閉めておいたので風が吹き込むことはなかった。

「大将」

「…こちらに。お茶もあります。緑茶で良いですか?お菓子はこし餡にしちゃったんだけど」

「…ああ、ありがとう」

 薬研は席に座ると所在なさげにしていた。私がお茶などを準備してしまっているからかもしれない。本丸にいたころは、こういうのは近侍に任せてしまっていた。自分で自分のお菓子を買うとか、美味しいものを食べて自分の機嫌を取る発想がなかった。こぼさないように慎重にお茶をいれた。それが終わると人仕事終わったような心地になって、ふう、と息をついた。

「大将。聞きたいことがあるんだが」

「うん」

「どうして俺だったんだ?」

「前回、薬研とあまり話ができなかったから」

「…そうか」

「問題だった?」

「いや。加州が落ち込んでいたから、次は呼んでやってくれ」

「…薬研は、嫌だった?」

返事をしなかったのは加州を呼ばない、ということではなく、次に加州を呼ぶことはもう決まっていたからだった。

「来たくなかった?」

「まさか。…光栄だったさ」

 その言葉を嬉しく思って、「薬研から見た、本丸の様子を教えてくれる?」と言った。本当は「薬研が」どう思っていたのか聞きたかったが、それを尋ねる勇気がなかった。
 薬研は三日前にも私が似たような質問をしたからか、話がよくまとまっていて、聞きやすかった。本丸の皆は問題なく過ごせているらしい。代理の審神者は、ほぼ見習いと同じで新人なのだとか。新しい本丸を持つ前に私の本丸に派遣されているのだという。主に霊力の供給が目的で、出陣などは自分たちで考えてしているため代理は関わっていないと言った。誰も邪険にしないが仲睦まじく過ごす心づもりもないらしく、距離を保って生活しているそうだ。手入れもしてもらうそうだが、その回数を減らしたくて難易度の高い戦場には出ていないと言う。
 もともと私が最後に出した命令も、「なるべく傷付くな」という旨のものだったから、手ごたえのある敵と相まみえてないことに対する不満は高くないと薬研は言っていた。
 私はその話に安心していたが、それでは代理の審神者はあまりに可哀そうだと思った。「代理の審神者さんに、申し訳が立たないね」と言うと、審神者も審神者で一応うま味はあるらしい。政府からの要請なのでこの後に自分の本丸を持つとき、たくさんの資源が配られるとか、他本丸運営の様子が見られるとか、刀が配布されるらしい。
 その審神者はどうにも霊力が豊富ではないようで、私の本丸を保つことで精一杯らしい。だから鍛刀せずに刀を得られるのは彼女にとってメリットのはずだと。
 そう言われても、私は彼女を気の毒に思った。もちろん、薬研がそう言っているだけなので、実際には見習いに来たあの審神者ぐらい、刀剣たちと打ち解けているのかもしれなかったが。
 全体の総意として私に戻ってきてほしいことは一致しているから、心配はいらないと再三言われた。そんなに念を押されると逆に疑いたくなるものだが、薬研の眼差しがあまりに真剣なので、茶化すことも憚られた。
 本当は、どの刀剣とも話す時間を設けるべきなのだろうけど、それは気が向かなかった。薬研との会話の中で、手紙を書いたらどうかという話が合った。直接話すに越したことはないが、それだと途方もない時間がかかる。既に皆、三日前に加州と薬研が私に会ったことは知っているから、連絡を取ってくれないか、と。薬研は用意周到に、便箋と筆を既に持参していた。時間も限られていたので簡単に書き留めると、それを薬研に預けた。
 手紙を書いたら、あっという間に時間が迫ってしまう。思わず寂しくなって「また薬研と話す時間が無くなっちゃった」と言えば「…また呼んでくれるだろ?」と返されたので「うん」と言った。それでも私がまだいじやけていると、「何か言いたいことがあったのか」と聞かれたのでそれには首を振っておいた。

「でも、私は今日が良かったの。今日……薬研と話すのを、楽しみに待ってたから」

「…そうかい。そいつは残念だが…続きは今度話してくれ」

 薬研は柔らかく笑っていた。私は彼のその表情を初めて見ると思った。彼の周りには桜が舞った。その桜が、私は好きだった。面会終了時間が来て、やってきた先生に手紙のことを確認すると認められたので、そのまま手紙は薬研が本丸に持ち帰っていった。



『みんなへ

薬研から突然、便箋と筆を渡されて急いで書いたので支離滅裂で上手く言えないかもしれませんが、手紙を書きます。

まず、長い間本丸を空けていて申し訳ありません。体調はすっかり元気ですが、医者からはまだ止められているので、本丸に戻るのはもう少しかかると思います。

次に、私を待ってくれていると聞きました。本当なのか、みんながそう思っているかは分からないけれど、私はこの本丸に帰りたいと思っています。

そして、良かったらお手紙をください。面会は時間も人数も限られていて、とてもみんなのお話を聞けそうにないので、私に言いたいことがあれば、意見は文字にしたためてください。私もゆっくりではありますが、なるべく一人一人にお返事したいと思います。

最後に、みなさんが心身ともに健やかであることを祈っています。

審神者より』



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 それからは基本的に加州と薬研が代わる代わる、時折二人揃って私のもとへやってきた。毎回たくさんの手紙を持たされ伝書鳩のような役割をさせることを申し訳なく思ったが「主に会えているから、これぐらいはやるよ」と言ってくれた。
 手紙を出すようになってからひと月は過ぎたころ、気まずくて会えていなかった燭台切とも話をした。まずは手紙で、次に薬研と三人で面会をして、それからようやく二人で会話ができた。だが、それが限界だった。病室でこれ以上の刀剣と会う気にはなれなかった。手紙は書けても、本丸に未だ戻ることができていない負い目もあった。

「見習いが話し合いを設けた時…、燭台切が言っていたこと、今なら分かります。…けれど今でも、納得しきれていません」

 燭台切との話を通じて、彼が私を糾弾するつもりはなかったことはよく分かっていた。彼の当時の主張も、分かっている。だがどうしても、本丸運営をしたとして、他の刀剣男士たちともっと会話の機会を設けられるかと問われると、自信がなかった。

「私はきっと、ずっとこうなんです。だから、……努力はしますが、それでも不満があったらきちんと言うように。そう伝えてください」

「分かった。…それでも不満がある場合はどうするの?」

「……譲渡先を探しましょう。私とは、もう、きっと、…やっていけないということでしょうから」

燭台切は私のその返答に切なそうにした。

「…うん、分かったよ」

「私は決して皆さんを捨てていないと、これも伝えてもらえますか」

手紙でも何度も書いているのだが、この手の話というか、質問が絶えなかった。そういえば、加州にも面会の初めにそう言われたな、と思い出す。

「私があの本丸から去るのは、皆さんが私を見限ったときですから」

「それはない!……それは、ないよ。主」

 燭台切がもっと顔をゆがめて項垂れるから、「そう、妙なことを言ってごめんなさい」と声をかければ、「主が謝ることじゃない…。ああ、格好悪いな」と頭を抱えた。そのとき。再び扉が開いた。加州だった。「売店で何か買ってくる」と言ってたが、それにしてもずいぶん大きな袋だ。

「おかえり、加州。何をそんなに買ってきたの?」

「…ただいま、主。あのね、主が好きだって言ってたやつ、とりあえず色々買っちゃったんだ」

 かさばりの原因はカップ麺だったようだ。病院食に適してはいないのかもしれないが、私はそのチープな味が好きだった。舌が肥えていないと言うべきか、バカ舌というべきか、迷いどころである。そんな主に悪影響を受けた加州もまた、カップ麺が好きなようだった。彼が買ってきたカップ麺を見分していると特に見慣れた包装が目に入った。

「ありがとう。…これ、加州が好きな味でしょう、」

「覚えてたの?」

「もちろん。あげるわ、これ」

「いいよ、主にあげたくて買ってきたから」

「うーん。…じゃあ半分こにします?」

加州は目を見張ると「うん。…うん!」と力強く頷いてくれた。燭台切にも勧めるか迷って、「燭台切も食べます?」と聞けば「…頂こうかな」と言われたので、加州に二つ分のカップ麺の用意を任せた。作り方も完璧だった。お湯を注ぐ加州に、先刻思い出したことを告げようと思った。

「加州」

「なに?」

「私、貴方のこと、捨てないよ、絶対に」

加州はぴた、と動きを止めた。蓋が閉まっていなかったので「冷めちゃうよ」と、蓋の上に箸を乗せる。

「加州」

「…主、」

「危ないから、それは置いて」

「うん…。ありがとう」

加州は湯沸かし器を机に置くと、私の隣に座った。

「…あのときは直ぐに返事ができなくて、ごめんなさい」

「ううん。…分かってるから。あのときの主は、…返事がしにくかったんだよね。今ならわかるよ。あの時も主が俺たちを捨てようとしてなかったこと」

「うん」

「…ありがとう」

 加州はあのとき、はじめに面会した時には考えられぬほど、落ち着き払って私と対峙していた。
 カップ麺用にセットしていたタイマーが鳴る。燭台切にひとつあげたつもりだったけど、結局みんなどちらの味も食べたくなって、二つを三人で分け合った。料理上手で職にこだわりのありそうな彼の口には合わないかと思ったが、彼も美味しそうに食べていた。
 私に顕現された刀剣たちが味覚まで影響を受けていたらどうしようか、と思ったが、不敬であっても害はないだろうと気にしないことにした。私の刀剣なのだから仕方がない。
 私はここにきてから、「仕方がない」ことは「仕方がない」で流すことが得意になったと思う。
 カップ麺を食べ終えた二人は時間になって病室を出て行った。先生には「そろそろ復帰を考えても良いですね」と言われていたが、本丸の皆にはまだ伝えられていなかった。ぬかよろこびをさせてしまえば申し訳が立たないからだ。今日も言えなかったな、と病室で一人、ため息をついた。

***

 私が本丸に復帰する日は、事前によく擦り合わせられているようだった。先生と、私と、本丸のみんなとうまく折り合いをつけて定められた。迎えに来たのはやはりと言うべきか、加州だった。
 いきなり退院ののちに本丸に行くのは、という私の意思を汲んで、町を見回ってから本丸に赴くことになっていた。久々に病院の外を歩く。とはいってもここもまた、政府が作り出した空間で現実世界とは少し異なっているのかもしれない。
 私が入院している事実は現世の家族には伝えられていないと聞いた。元々本丸で生活していた頃にも連絡は取れていなかったし、一度も現世に帰ったことはなかったから、暫く連絡しないでも問題がなかった。家族にもまた、余計な心配はかけたくなかったのだ。これできちんと本丸での生活に復帰できたら、一度現世に顔を出すのも良いかもしれない。
 病室の外の空気を吸えたことで胸のすくような思いがした。私がこの病院に運び込まれてから、既に季節は一巡しかけていた。外には誉桜ではない、本物の_ここでいう本物は、本当の桜という意味ではないかもしれないが_桜が咲き始めていた。

「みんなにお土産買おうか」

「ええ?まあ、そうだね、良いと思う」

 私が加州に少しずつ遠慮がなくなっていったように、加州もまた、良い意味で私にそこまで遠慮しなくなっていた。加州の言うことにも一理あって、ここは別に旅行先でもなければ本丸にいればいつでも来ることのできる町であるので、わざわざお土産を買うような場所ではないのだ。だが私は何か買っていきたかった。手ぶらで本丸へ行くには、あまりにも迷惑をかけすぎている。「つまらないものですが…」みたいなことだ。
 桜の咲いている時期だからか、桜味が期間限定として売り出されているものが多い。うちの本丸には相当数の刀がいるので、なるべく小分けになって、たくさん買っても二人で持てるくらいのものが良い。
 お店を物色していると、以前よく行っていたお店を見つけた。レジに立っているのはいつもの店員さんのようだった。そこには個包装になって桜色に着色された饅頭があった。わたしはこのブランドの饅頭が好きでよく執務の合間に食べていた。私がこれを好んで食べていることを一体どうやって知ったのか、たまたまであるのか、刀剣たちもこれをよく用意してくれていた。今日は私が用意する番だ。

「すみません。この桜味のものを」

「はーい。…あら?久しぶりですね」

「…ええ、お久しぶりです。またこれからよろしくお願いします」

 店主は深くは聞かず、「そうかい。よろしくねえ」と穏やかに笑っていた。荷物は加州と半分ずつ持った。自分が全部持つと言って聞かなそうだったので「片手があいていないといざというときに困るでしょう」と言いくるめた。








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