2
◆◆◆
その日、私は珍しく居間で過ごしていた。普段であれば休日なんのその、研究所にこもっていたのだが、冬休み期間となって、流石に帰るよう進言されたのだ。少しずつ「園」には本や漫画、ゲームにテレビなどが運び込まれたとはいえ、年長者である私が積極的にそれで遊ぶことはかなわず、相変わらず暇を持て余していた。そもそも、あまりそういった娯楽に関心がなかった。とりわけ私に懐いてくれている女の子が、折り紙に誘ってくれたので、それに準ずることにする。移動は相変わらず片脚で、義足は使っていなかった。切断された位置が絶妙なのか、器具を嵌めると少し痛むのだ。外出するときには、他の人を驚かせないという意味で使っているが、ここから出ないときには常に外していた。義手も同様だ。脚はともかく、腕は特に付けていても、「付いている」だけであまり得がないので、付ける頻度は脚より少なかった。いつの間にか私の右足は発達していて、細かな作業も大抵できるようになっていた。衛生面ではいまいちだろうが、ないものは仕方がない。女の子が机の上で折り紙を折るのに対して、私は床に紙を置いて、右足と右手で丁寧に折っていく。折り紙の教本を開いておくことができないので、目的のページをクリップで留めて机に置いてある。初めはどうしたってがたついていた不格好な鶴も、今では幼稚園生と同じくらいの綺麗さまで上達した。そのうち足で文字が書けるようになりそうだ。いや、それは流石に誇張かもしれない。
そうやってできた作品たちを机に並べて、また折って。
「名前ちゃん。これ、できない……」
「うん?これはねえ、ちょっと待ってね」
たかが折り紙。されど折り紙。中には難易度の高いものや説明が少し省かれているものもあるので、その都度教えている。その子は興味深そうに私の手元__足元というべきだろうか__をじっと見ている。
「ここをね、開くんだと思う。そうしたらここの角を、さっき折り目を付けた…ここね、この部分に持ってくる。すると、ほら」
「わあ!十二番の形だ」
「そうそう。ここまで来たらできるんじゃない?」
「ありがとう!」
はじめのうちは、私が別の折り紙を、最初から折って教えていたのだ。私は良くても、他の子にとっては足で触ったら良くないかな、という「大人」の気遣いである。しかし、いつからだったか彼女が「私のやつもやって!」と言ったのをきっかけに、彼女の折り紙も抵抗なく、私が途中過程を手伝うようにしていた。本人が気にしないのであれば、問題はない。
「…器用だな」
ぱっと顔を上げると、そこにはボーダーに入った面接のとき以来に見る、城戸司令がいた。まあまあ怖いと思うのだが、子供たちが普通に挨拶しているから、初めてではないのかと、そこで私は気付いたのだ。確かに、私はいつも本部にいて会わないのだろうと。
「…ありがとうございます」
城戸司令としても、初めて見る子供__私が子供に入っているかどうか微妙なところではあるが__に驚いているのか、それとも私のことを技術班に入った人間だと認識しているのか、私には見当がつかない。城戸司令はあまり表情筋を動かさないから。
それから時折、城戸司令がやって来ていることを聞いた。城戸司令だけでなく、本部長や私が所属する技術班のトップである鬼怒田さんも来ているのだと言う。私は相変わらず、次の週からは本部の研究室にこもるようになってしまったため、それ以来、「園」で遭遇することはなかった。
私が現在、ボーダーで取り組んでいる研究内容としては「トリオン」と呼称される物質の解析である。私が自らやりたいと志願した。ここボーダーでは開発がさかんで、技術として運用することがメインとなっているが、私はそれよりも川上、つまりは「トリオン」自体を解明したかった。地球、玄界はトリオン後進国だ。その代わり、トリオン技術以外の分野においては、他の追随を許さない。そこに目を付けた。地球で既に発展している科学を照らし合わせてトリオンを説明することができれば、より理解が得られるのではないか。それがひいてはボーダーのトリオン技術の発展につながるのではないか、という考えだ。トリオン技術に関して、どうしても玄界は近界の技術の使いまわし、二番煎じが多い。別の角度でトリオンを見ていく必要があると踏んだのだ。それに、技術班はあまりに工学系出身者が多い。もちろん、ボーダーに欠かせない人材ではあるだろうが、化学や生態学の人間がいてもいいだろうに、と思う。そこはトリオンを秘匿しているボーダーなりの事情があるのかもしれない。ともかく、私はこれまでとは違った視点での「トリオン」の解析を担っていた。プレゼンが功を奏したのかもしれない。
私が現在立てている仮説は、「トリオン」は未だ発見、定義されていない、新たな第十八素粒子ではないか、というものだ。素粒子とは、物質を構成する最小単位のことである。現在では標準模型として十七の型の素粒子がある。しかし、それだけでは説明がつかないことが、近年明らかとなっている。実際、ブラックホールの研究をしている海外の研究所などはこぞって、これに定義されない新たな素粒子の存在可能性について示している。私も、この通りなのではないかと思っているのだ。そして、その素粒子の正体こそ、「トリオン」を構成している物質ではないか、と。
トリオン体はトリオンで構成された物質以外の損害をほとんど受けない。これは非常に不思議なことに思える。だが、「光」として考えたらどうだろう。また、放射線や中性子線として考えたらどうだろうか。紙を透過したりしなかったり、金属板でないと防げなかったり、物質によって干渉しない、というのは既に地球上でも、「トリオン」以前の地球でも、観測されている現象だ。科学で説明できないことはないような気がしている。いや、未知の現象を他者に説明できるように形作ることを、「科学」と呼ぶのだろう。
私はこの仮説を検証するために、「トリオン」を細分化したり、いろんな物質にぶつけて反応を観測したりしている。「トリオン」の結晶が角錐や角柱になりやすいという結晶化学についても合わせて勉強して検証している。自由研究のような絵面かもしれない。既に技術者らは知っていることかもしれない。それでも私にとっては、とても大きな研究に思えた。
私はそんな自分の研究の傍ら、実際にその技術を扱う開発部の業務も教わっている。本当は、こちらをやってほしいのだろう。明らかに人は足りていないようで、皆が働きづめだった。だから私も自分の研究を一通りやったり、反応の待ち時間のとき、よく開発室に顔を出した。仕事を振ってもらうためだ。猫の手も借りたい彼らは、中学生の半人前以下の私にも仕事を振ってくる。トリオン工学や回路についての勉強は難しかったが、知的好奇心が刺激されて、それほど苦ではない。だがやはり難しい回路設定などはまだ請け負えないので、雑用を買って出ることも多い。死んだ顔をしている彼らに飲み物や軽食を差し入れるたびに、大げさに感謝されていた。最初は据わり悪かったが、今ではすっかり慣れてしまった。大人に可愛がられるのは、悪いことではない。
半期に一度、大きな研究報告会がある。そこで自分の成果をきちんと発表できるよう、私は業務に取り組んでいた。中学生の春休みは四月頭まで。報告会は三月の末だ。到底私は参加できないかのように思われたが、技術班も、もはや私を一技術者として捉えているようで、ごく自然に頭数に入れられていた。一覧に名前があったとき、不覚にも嬉しさで涙が出そうだった。何も聞かず、何も言わず、勝手に報告会に向けた準備を進めていたというのに。
技術班の人はほとんど大人、若くて大学生ばかりであったのに、私は物怖じしなかった。研究報告において、周囲はもっと年齢層は上がっていたので、緊張は、もちろんしていた。子供の戯言だとか、私の仮説を一蹴されることさえも懸念していた。技術班が全員揃って聞くのかと思いきや、そこまでトリオン技術に造詣が深くないであろう、ボーダーの運営を担っている人事部なども一人残らず出席したのには驚いた。聞いて分かるものだろうか。いや、だからこそ必要な人なのだろう。技術に心血を注ぐ者ばかりではない。それを「使う」人間がいて初めて、「技術」として成り立つから。
「これから、技術班研究部の名字名前が研究報告を始めさせて頂きます。タイトルは『トリオンの第十八素粒子仮説』です。はじめに緒言からお話します。私が初めてトリオン技術に触れた時、すぐにブラックホールを連想しました。高次元空間における代表例がブラックホールだからです。トリオン体を形作る際、我々の生身はトリガーに収納されます。これは明らかに物理法則に反しており、三次元では説明がつきません。つまり、異次元の空間が発生していると考えました。そこから着想を得て……」
研究の話を始めてしまえば、ギャラリーの反応を伺うことはなかった。私はただ、自分の研究内容を伝えるだけである。質問や意見がたくさん出て、議論が活発になればなるほど、命題は真に近付いてゆく。
「最後に、まとめです。以上の検証から現在『トリオン』として通称される未知のエネルギーは、新規素粒子、第十八番目の素粒子が有する未知の相互作用として検出されている可能性が示唆されました。また、現在海外の研究所で積極的に研究されているブラックホールにおいても、『トリオン』と同様にこの十八素粒子が存在し、これが四次元やそれ以上の高次元空間を形作っていると考えられます。本研究では、トリオンを構成する未知の素粒子の存在を仮定することで、その性質の一部を説明できる可能性を示しており、これらのことは、『トリオン』および高次元空間に関する知見にもつながると考えています。…以上で報告を終わります。何か質問やご意見等ありましたら、お願いします」
会場は少しだけ、しん、として、すぐに鬼怒田さんが手を挙げた。
「その仮説が正しいとして、トリガー開発にはどう応用できる?」
「トリオンが粒子として振舞うなら、速度や偏向、干渉などを制御できる可能性があります。実際に、弾トリガーなどもそうですよね。たくさんの性質を付与することができています。トリオン、この粒子の性質を明らかにすると、干渉条件を制御できたり、トリオン効率を改善できる可能性があります」
「ふむ…なるほど」
これは元々予想していたことだ。研究者はただ、その未知の現象を解き明かす職業であり、実用化を担うのは別の人間であると考えていたが、このボーダーではその技術屋の方が圧倒的に多い。想定内の質問だ。あえて残していた、質問誘導というやつである。鬼怒田さんであれば、分かったうえで私が答えやすいような質問をしてくれたようにも思える。案外、子供に甘い人だ。また別の人が手を挙げる。開発部の人だが、研究部に近い部署に位置する。
「興味深い仮説でした。ありがとうございます。では一つ、この仮説が正しいとして、それを実証するには何を観測すればよいのでしょうか。つまり、『第十八素粒子仮説』を否定あるいは支持できる実験系は、現時点で何か考えていますか?」
「そうですね…トリオン間の相互作用を測定し、既知の相互作用では説明できない依存性が認められれば、新規粒子または新規相互作用の存在を支持する証拠となります。実際にこちらの図に示しますように、明らかにトリオン同士の反応では、他の物質では見られない相互作用が示されています。また、現在は人間の食事や休息からトリオンが産出されていますが、具体的に何から変換されているかは明らかにされていません。質量は減らず、化学エネルギーとも一致しないことから、未知の素粒子が放出されている、と考えています。」
「分かりました。よく検証されていますね。ありがとうございます」
議長を務める方が次を促す。そろそろ持ち時間は終わりそうだ。
「他に何かありますか。…それでは時間となりましたので名字さんの報告は以上となります。ありがとうございました」
「ありがとうございます」
ふう、と息を吐いた。机に隠れて見えなかったと信じたいが、私の脚は震えていた。声色は平静を装ったが、まるで平常心ではなかったのだ。
◆◆◆
- 2 -