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暑さがすっかり鳴りを潜め、ボーダーが対外的に隊員を募集してから一年が経つ頃、迅さんがS級になったと聞いた。S級とは、ブラックトリガーを有する隊員のことだ。ブラックトリガーとは、トリオンに優れた故人が遺すことがある、特殊なトリガーだ。これもまた、技術者のコミュニティから入手した情報だった。というより、先輩は黒トリガーを研究しているので、必然的に耳には入っていた。これまでも存在していたが、解析などで使用者を定めていない状態だったのを、争奪戦によって決定したのだと。「風刃」は、迅さんの師であった最上宗一という人が遺したものだと言う。先輩は結構簡単に話してくれたが、それは私が聞いて良いものなのだろうか、と五回くらい思った。
私はと言うと、せっかくスコーピオンを開発したのに自分が使わなくなってしまうなんて勿体ないな、と思ってすぐ、毒されていると思った。それに、未来視があるのだから、それを知らなかったはずがない。本人が納得して選んでいるのに、私がどうこう言えたことではないだろう。実際、スコーピオンは弧月とまではいかないが、相当人気が出てきた攻撃手トリガーだ。自分は元より、ボーダーの将来のために開発したのかもしれない。迅なら、というより、未来視を有していれば、そこまで見越していて不思議ではない。それよりも私は自分の職業病をどうにかすべきだ。
トリオンは生体エネルギーであり、どうしたって人間から切り離すことはできず、倫理観の問題は常に付き纏う。それを忘れてしまえば、私たちは「研究者」ではなくなってしまう。自分が何か、人間として大事なものを失っているような気がして、愕然とした。私の胸の内は虚ろになって、すっかり冷たくなった秋風が私の身体を通り抜けるようだ。この狂気を孕んでなお、正気を失わない人間が、研究を続けられるのだろうか。それが、研究における「才能」なのだろうか。身近な例である先輩を見る。先輩は、少なくとも私の眼には、私と出会ったときから変わらないように映っている。変わらないという事の難しさを、私は良く知っていた。

トリオンの貯蔵に関しては、開発部と協力して進めていく中で、ある程度の形までは持っていくことができた。遠征艇の開発も合わせて進められ、新たに隊ができたことによって、精鋭の部隊が近界に赴くのだと言う。先輩はエンジニアとして乗せてもらえないか期待していたが、なかなか難しいだろうなと思う。そもそもエンジニアはボーダーが表に出る前から在籍していた人もいるし、そういう歴の長い人が遠征艇に乗るのが自然だ。増して私たちはあくまで研究者で、遠征艇に詳しいわけでもない。トラブル対応ができなければ乗せる意味がないので、選ばれるのは望み薄だろう。しかし、言い続ける、主張すると言うのは大切だ。先輩もそれは分かったうえで、万が一の可能性に懸けて、上層部に訴えているらしかった。合わせて私の希望も聞かれたが、特に希望しないと伝えた。行きたくないわけではないが、行きたい人がいるのなら、その人たちが優先されるべきだろう。何事も、意欲のある人間の方が成果を残しやすいものだ。それに、中学卒業を前にしても、私は未だ「覚悟」がなかった。それは「死ぬ覚悟」でもあり、「生きる覚悟」でもある。どちらも有していない私は、やっぱり遠征向きではない。
だが結果的に、実現できれば遠征に役立つような研究はしている。二度目の研究報告を終え、私はトリオンの検出について、研究テーマを移していた。我々は人間の身体の中をレントゲンで検出できるように、Wi-Fiなどが我々の生活で役立っているように、可視光ではない光を利用してきた。同様にしてトリオンの検出はトリオンでしかできないとされているが、実際はそうではなく、他の光による検出や隠匿などが可能なのではないか、ということだ。ちなみに、全くの手詰まりを起こしており、研究とは本来こういうものであるよな、と感じていた。自分では気にしすぎないようにしていたが、あまりに思い詰めた顔をしていたのか、先輩にすら「そういうこともある。気にしすぎんな」と声をかけられるくらいだった。先輩に指摘される程度という事は、開発部の人にはもっと気にされているという事で。
「名字。最近の研究はどうだ」
「…そうですね、少し、詰まってしまっていて」
鬼怒田さんが、直接わざわざ研究部の方に赴くなんて、相当心配をかけてしまっていたらしい。私は現在の自分の研究について説明した。
「『トリオンレーダーとは異なる物理原理によるトリオン検知法の確立』と題して研究をすすめていたんです。トリオンが私の思うように十八番目の素粒子であるなら、トリオン以外では検出できないと思って…実際、現時点ではそうですよね?」
「そうだな」
「でも……反応したんです」
「何?」
「トリオンは電磁相互作用を全く持たないと考えていたんですが、これ、見てください。この周波数付近でだけ、わずかに変化しています。極めて弱い相互作用は存在しているんです。初めは測定誤差かと思っていたんですが、…何度やっても結果は同じで」
「…本当だな。これを利用すれば、トリオン検出がもっと楽になるじゃないか」
「でも、実用化は難しいです。本当に微量ですし、判断の補助的な要素にしかなりません。しかもこの周波数って、結構有害なんで汎用性もないです」
「うむ…そう簡単にはいかないか」
「それで他にも反応するものがないか、調べてますけど…どれも実用化は難しそうな微量な検出だったり、そもそも反応しなかったり。……いっそのこと、何も反応しなければ、私の仮説が補強されると思っていたんですけど。それも否定、というか軌道修正を余儀なくされてしまいました。悪いことではないんです。科学って結論ありきじゃなくて、この世の摂理を解き明かすことなので。良いんですけど、少し、……少しだけ気落ちしてしまって」
「そうか。そこまで分かっているなら私から言う事はない。よくやっているよ。研究熱心で何よりだ。だが、休まずやりすぎても本末転倒だ。きちんと休息はとるように」
「…はい」
私よりも大分顔色が悪そうな鬼怒田さんに言われても、全く説得力はなかったが、そんな忙しい人の手を煩わせてしまったのだ。休むほかない。
「これからもしっかり励むように」
「はい。ありがとうございました」
鬼怒田さんは、はじめの心配そうな顔から、私が思ったよりもきちんと事実を見据えていることが分かったのか、顔の強張りを解いて席を外した。私はそれを見送って、席に戻るとぼーっとしていた。改めて口に出すと、何も研究が進んでいないな、と思う。停滞を感じるのは初めてではないはずなのに、どこか落ち着かなかった。何をこんなに焦ることがあるのか、自分では全く分からない。
鬼怒田さんがいなくなって、入れ替わりのように、冬島さんが研究部を訪れた。先輩が発注した機器を取りにいかなかったので、冬島さんが届けてくれたらしい。本当に申し訳ない。私がいつもなら先輩の分まで確認しておくのだが、今回はそれを怠ったのだ。鬼怒田さんの話が終わった後、確認できたはずなのに。また自分の無能さを感じて嫌になる。
「ありがとうございます。先輩、実験室にこもっているので、代わりに受け取ります」
「助かる。ありがとう」
冬島さんが、研究部の居室の中まで持ってきてくれた。そこで私のデスクを見る。
「これが、今名字がやってるやつか?」
モニターには先ほど鬼怒田さんに見せた資料が映し出されている。資料は表示させたままであるし、コネクタもつなぎっぱなしにしていた。
「…はい」
私はもう、逃げ出したい気分だった。その暗い表情を見て、冬島さんが聞く。
「ちょっと、内容聞いても良いか?」
「……はい」
私は先ほどと同じ内容を冬島さんに伝えた。冬島さんは軽く頷きながら、静かに私の研究結果を聞いていた。
「…そうか。なかなか難しいな」
「そうですね…」
「名字はえらいな。研究、すごく頑張ってるよ」
冬島さんにそう言われた瞬間、今まで踏ん張ってきたものが全部溢れかえるようだった。はい、ありがとうございます。そう言いたかったのに、胸の内から感情が溢れて止まらないから、口を閉ざすしかなかった。
「……」
この口を開いたら、こみ上げた感情を吐き出してしまいそうだった。私は無言で頷く。
「こんなに結果が集まるくらい、実験したってことだろ。…頑張ったな」
はい、と言いたいのに言えなくて、私はとうとう、堰き止めていた感情が決壊してしまった。
「…はい」
声は震えていて、視界はぼやぼやする。直ぐにしょっぱい味がして、対面の冬島さんが慌てている様子が伺えた。
「…え?!ごめん!」
「いえ……っわ、私、なんでもないんです。ただ、ちょっと…すみません、疲れが、出てるのかも、しれません」
「…うん、そうだね。疲れてるよなあ」
冬島さんが少し慌てたように辺りを見回して、私のデスクに置いてあった箱ティッシュを差し出してくれた。
「少し、休んだ方が良い。名字は頑張ってる。ただちょっと、頑張りすぎたか」
「はい」
「研究成果、教えてくれてありがとな。しっかり休めよ」
冬島さんは必要な言葉だけ投げかけると、その場をあとにした。私の泣き顔を見ないように配慮してくれたのだろう。先輩は研究室にこもりきりだから、暫くは出てこないはずだ。私は誰もいなくなった居室で泣き続けた。どうして涙が止まらないのか分からないまま、泣き続けた。腫れてしまうと思って、擦らないように涙を受け止めていたが、鏡を見ると目は赤くなっていた。居室の冷凍庫に保冷剤が残っていたか思案して、今日は早退すべきかもしれないと思った。先輩と鬼怒田さんに体調不良で早退する旨をメールで送信し、逃げ帰るように本部を後にした。今日が平日で良かった。園ではほとんどの子供たちはまだ帰ってきていないようだ。園の大人が物珍しそうに私を見て、直ぐに私の様子に気が付いたのだろう。声をかけられた。
「名前ちゃん。どうしたの?」
「少し、体調が悪くて、早退させてもらいました」
「…そっか。ゆっくり休もうね。明日も一応休んどこうか」
「……はい。連絡お願いしても良いですか」
「もちろん。何か必要なものがあれば言ってね」
「はい。ありがとうございます」

私はそこから一日休み、土日に入ったので更に休みを重ねることになった。休日にも出勤していた私が休んでいることに対し、何か思うところはあったはずだが、園の子たちも、大人も、体調が悪いのだからと深く聞いてこなかった。私は寧ろ、誰にも何も聞かれず、責められない状況に辛さを感じていた。いっそのこと、誰かが聞いてくれれば自分の思いを話すことができてすっきりするかもしれないのに。誰かに責められれば、自分を鼓舞することができるかもしれないのに。それはひどく傲慢な考えだと、自分でもよく分かっていた。誰に対しても踏み込んでこなかったのは自分なのだから、誰かに踏み込んでほしいと願うことは傲慢だ。分かってはいたけれど、やはり少し寂しかった。


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