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「ま、異動とか、配属の再配置みたいなもんだ」
「え?聞いてないですけど…いつからですか?え、というか、クビですか」
「言ってなかったからな。この前決まったんだよ。本部には開発部だけ残して、研究施設は全部大学に移すらしい。すぐに実装するわけでもない研究所を本部に置いとく理由ないしな。大学側の準備が整ったから、異動なんじゃね」
「ええ…。じゃあ私も来季からが大学の研究所に通うってことですかね?」
「それは知らん。俺はそうだけど。辞令そのうち来るだろ」
「なるほど……」
研究へきちんと向き合えていると思ったら、早速出鼻をくじかれるような出来事だ。だが、大学に行くだけで別にやることは変わらないだろう。私はそう高を括っていたのだ。実際に私の元に辞令が来たのは、二月の終わり頃だった。その前には人事部の人や鬼怒田室長ともきちんと面談は済ませている。研究を続けたい意思をはっきり示した。だが、それだけではダメだったのだろう。
「開発部……」
下記の通り、人事異動を命じます。今後の活躍を期待しています。
異動後に書かれた部署は、はっきりと開発部、と記されている。左遷、ではないのだろう。一般的には、いや、研究部的には、開発部は技術系では花形である。ただ、私が異動を望んでいない点を除けば。衝撃を受けて、それは嘘なのではないかと何度も思った。私が高校生になって正社員として雇わなければならないから?理由は考えても仕方ないような気がした。既に人事異動は決定している。ここで駄々をこねてボーダーをクビになればそれこそ本末転倒だ。私は生きるために、ボーダーに所属している。気落ちしつつも、何の反論もできず、私はその日を迎えた。
三月末の研究報告会では半期分の研究成果を報告したが、まるで手ごたえはなかった。だから私は開発部に行くのか。納得すると同時に、気が抜けた。先輩とはこれからはなかなか会えなくなるだろう。打ち上げの時も先輩とたくさん話しておこうと思っていたが、先輩があまりにさっぱりしているので、なんだか拍子抜けだ。開発部の人たちとは面識もあるし、可愛がられていた自覚もあるので、一足早く歓迎された。当時、雑用も買って出ておいて良かった。このときのためでは、決してなかったのだが。
「今までお世話になりました。ありがとうございます」
「おー、元気でな」
先輩はきっと、大学に行っても変わらないと思う。私はきっと、開発部に行ったら変わらなければならない。今の自分のままでは。きっと。
通信教材で中卒の身分を手に入れた私は、無事にボーダーに就職することができた。本部内に部屋ももらった。立派な一人暮らしである。大人の仲間入り、みたいな気分だ。良いことかは分からないが、私を養ってくれる人間は存在しないので、独り立ちは良いことだろう。
園の子たちには、それなりに惜しまれた。園の大人にも、惜しまれたと思う。私は色んな雑用を自ら買って出るタイプだったし、面倒も見なくて良く、下の子の世話もしてくれる、都合の良い子供だったから。ただ、これからも顔は出そうと思った。人手は多い方が良い。聞くところによると、四月からは戦闘員の人も訪問する機会が設けられたらしい。ボーダーと言う組織が世間に受け入れられ始め、隊員はヒーローのような存在であるから、園の子供たちも好意的に見ていることが多い。きっと喜ぶだろうと、他人事のように思った。
何故か私に特別懐いてくれている子は、私の卒園__こう呼ぶのが正しいかは分からないが__をとても悲しんでくれた。週に一回は顔を出すという事を約束して、なんとか泣き止んでもらえた。園の手伝いを申し出たのは、どうせここにくるなら何かしら手伝うべきだろうということである。
新たに配属された開発部は、とりわけ弾トリガーに関する部署だった。迅さんが私にスコーピオンの話を持ってきたことがあるので、てっきり攻撃手トリガー関連かと思えば、全然違かった。本当にあれはただの迅さんの興味だったらしい。相変わらず私は最年少だったが、若い人が増えたのも事実だ。高校卒業して就職した人や、それこそ大学生なんかも共同開発という形で何人か配属されている。ボーダーと言う組織の拡大に応じて、色々と内部構造も変革が求められているのだろう。
私は初年度に行っていたトリオン自体への研究からつなげて、トリオンの配向性、つまり弾トリガーの配向性や結晶性を調べ、開発へとつなげる試みをしていた。仕事内容としては大きく変わらなかったのはありがたい。しかし、やはり開発部と言うべきか、成果を上げる期限が明確に定められている。わざわざ本部においている部署なのだから、実際に投入できない技術は意味がない、といったところか。
やはり流行となった弾丸トリガーの技術を担う開発室だからか、A級の戦闘員らが頻繁に訪れるのをよく目にする。自分のトリガーをこういった形に開発してほしい、という依頼である。
私にもその話が持ちかけられ、現在は実体化していないトリオンを透過する弾に着手していた。実体化した時に一気に結晶化し、重しとなるようなトリガーだ。実際に、トリオンにおいてそのような性質は既に観測されているので、あとは実用化するだけである。その上で戦闘員何名かに性能テストなどに付き合ってもらっていた。
トリオンが過冷却のようにトリオンによって実体化した物質に触れると比重が大きくなった結晶が一気に形成されることを、「鉛」のようだと言っているのだが、私はこれを亜鉛にしてくれないかと言ったことがある。結晶構造をよく見ると、確かに充填率は最大で間違いないのだが、これは六方細密構造である。一番安定なのは六角柱型の結晶であることからもそれはすぐ分かる。しかし、鉛は面心立方格子の結晶なのだ。切り出してみれば同じでも、引きで見ると大きな違いである。そのため、鉛より比重は落ちるものの、鉛に似た性質を持ち、かつ六方細密構造をとる亜鉛の方がふさわしいのではないかと提言してみたが、慣用名としてあまりに浸透しているので修正できないと言われた。科学とは得てして、そういうことがたくさんある。
「それに亜鉛よりは鉛の方がカッコよくない?」
「それ重要ですか?しかも鉛って結構人体に有害だから、あんまりカッコいいと思えないんですけど……」
「大事だよ!そのカッコよさで使用者も増えるってもんだから」
本当か?と思ったが、私より長く開発部にいる人なので、きっと正しいのだろう。そして、開発部の人たちはきっと、人に使われることがゴールなのだと改めて認識した。そんなわけで特に改名されることなく、鉛のようなトリオンを利用したトリガーは、そのまま「鉛弾」として採用された。
シールドなどを透過して攻撃できる、と聞くととても画期的で使い勝手の良いトリガーに思えるが、実際はそうではない。サブトリガーとして入れて、併用しなければならないので、鉛弾を打つ間はがら空きになるし、弾速も遅い。鉛弾が導入されて暫くは脚光を浴びたものの、使っていくうちに皆がその欠点にも気付くので、使用者の数は次第に落ち着いていった。まあ、想定の範疇である。私にカッコよさについて説いた先輩は少しへこんでいた。
私は開発部に行っても思ったより気落ちせず、きちんと業務に向き合えていた。期間が定められていることが却ってプラスに働くタイプだったようだ。もちろん、研究への意欲はなくなっていないので、業務の傍ら、こっそり自分の興味関心を明かすための実験をすることもあった。上司は気付いているだろうけど、損害を出しているわけではないので、目を瞑ってくれていた。実際に、その研究がいつか役立つことがあるかもしれない、と、ある意味一番私に期待してくれていたのかもしれない。
開発部に異動してから、お昼を人と食べることが多くなった。先輩が誘ってくれるので、無下にしては悪いと思ったのである。トリオン体のまま食事をとってふくよかになる人もまあまあいるが、大体の人はきちんと生身で食事をとるようにしていた。ボーダーの食堂が整備され、メニューなども更新されたのも大きいか。そうして私は開発部の誰かしらと食べることが多くなって、迅さんとはまた会える頻度がぐっと減っていった。それでも時折すれ違ったときには声をかけてくれるし、単に忙しい人なのだろう。
食事の時間と言うのは大きく、業務以外の会話も増えていったし、人との関りも自然と増えた。そうすると、私が思うよりもはるかに、周囲の人は私に優しいということに気付く。それは同情かもしれないけれど、悪いことではないように思えた。世界はそこまで、私に厳しくない。
「名前ちゃん、最近楽しそう」
「…そう?」
「うん。よく笑ってるよ」
「そうだね。楽しいかも」
「…一人暮らし、楽しい?」
「うーん、それは普通かな。仕事がちょっと変わって、それが楽しいんだ」
仕事内容によりやりがいを感じているわけではない。ただ、仕事場の雰囲気が好きなのだ。そして、きちんと就職したことで、私はようやくボーダーに心を預けることができ始めたのかもしれない。ただの慣れだ。研究部の先輩が悪いとかではない。本当に。先輩は何も気にしないだろうけど。
「そっかあ」
「学校はどう?」
「楽しいよ!あのねー、新しい友達できたの!」
「良いね。どんな子?」
その子の話に耳を傾けながら、手元を動かす。昔はよく折り紙を折っていたが、今のブームはもっぱらブロック遊びである。女の子にしては珍しいが、おままごとなどは友達とも遊んでいるので、違うことがしたいのだろう。私の身体に配慮してくれているのかもしれない。私と一緒に作った、ブロックで出来た建物や乗り物をおままごとに使いまわしていると聞いたことがある。
「今日、私ご飯の担当だから、ちょっとなら希望聞けるかも。何が食べたい?」
「ほんと!あたしね、えっとね、ハンバーグがいいな」
「おっけー、確認してみる」
この小さな手に込められた想いを目の当たりにすれば、冷たいひき肉を揉むことぐらい、わけないように思えた。
「今日、ハンバーグでも良いですか?」
「もちろん!ありがとう」
とにかく人数が多いので、量がある。一人では到底作りきれないが、基本大人がやってくれるし、手伝ってくれる子もいるのでなんとかなる。少し前まで自分もここに暮らしていたのに、既にこの光景が懐かしい。たった一年半。けれど私にとって、とても大きな一年半を、ここで過ごせて良かった。
ひき肉を入れたボウルに手袋をした右手を入れてしばらく経ち、あまりの冷たさに感覚がなくなってきた頃。前言撤回だ。やっぱりハンバーグは作るもんじゃない。二度とやらないと思いながら、きっとリクエストされれば作ってしまうのだろうと思う自分がいた。
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