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その日は開発部に行ってからは珍しく、夜遅くまで残っていた。業務外の研究をやりたくなってしまって、その反応待ちだった。きちんと後処理をしてからラボを後にする。家は本部内なのですぐ帰れるのは魅力の一つだ。遅く残っているのは私だけではない。技術者たちはいつだって仕事に追われている。家が本部になったことで、帰宅するぎりぎりまでトリオン体でいられるというのも嬉しい。もちろん部屋に入れば生身になるのだが、義足で歩かなくても良いというのは非常に楽だ。昼食のこともあるので毎日義手と義足は付けているが、使わないに越したことはない。
本部内には自販機がある。私はすっかり暗くなった本部内の廊下を歩き、少し離れた自販機に向かった。ここにしかない飲み物があるのだが、とても気に入っていた。寝る前に甘いものは良くないのだろうが、いかんせん疲れたので糖分を欲していた。
その道中、人の気配を感じた。そっちには、何もないはずなのに。いや、正確には、現在使用されていないトリガーなどが収納されている倉庫や資料室しかないのに。取り出して解析でもするのだろうか。違和感。私は自分のその直感に抗えず、人の気配の方向へ向かっていった。監視カメラはあるはずだ。
その方向の通路はやはり明かりが全くない。だが、ある部屋だけ明かりが付けられている。扉は閉められているものの、隙間から明かりが漏れていた。ノックするべきか、否か。その迷いが良くなかった。
「え?」
後ろから衝撃を受けた。一瞬何が起きたのか全く分からず、その場に伏せる。
「おい、なにやってる!」
「見られた!」
立ち上がろうとして思うように立ち上がれず、自分が生身になっていることに気付く。先ほどのはトリガーによる攻撃だったらしい。
「がっ…!」
後ろからやってきたであろう人間が私の頭を踏む。部屋の中にいた人物は倉庫の中のトリガーを物色していたようだった。角度的に顔が見えない。頭がぐわんぐわんする。ぱっと明かりが消え、辺りが暗くなる。
「どうすんだ」
「朝までは時間稼がないとまずい」
「連れてけねーだろ」
「…縛るか」
もうトリオン体にはなれない。どうする。どうする。どうしたら知らせられる。内部の人間でないと建物の構造をここまで把握していないはずだ。少なくとも片方はボーダー職員なのだろう。どうする。なんとか手に力をいれて、端末を取り出そうとした瞬間、手を踏みつぶされる。
「あ?!」
「騒がれても困るな」
二人は手際よく私の口に布をかませるとぐるぐると拘束していった。資料室に物が置いてあったのだろう。私の服の中の端末も取り出される。
「壊して通知行くと困るし、後で廊下に置いてこう」
「…即席だから仕方ねえが、抜け出せそうじゃね?」
私の頭は時間と共にだんだんクリアになってきていた。
「じゃあ、」
犯人たちの思惑も、なんとなく分かってきていて。
「気絶させるか」
人間の意識はそう簡単に失えないことを、そのとき初めて知った。大規模侵攻の時は、大して覚えていないのに。あのときはもっと出血がひどかったからか。それともつらい記憶として、本能的に記憶していられなかっただけか。そんな遠い出来事に想いを馳せる程度には、長い時間に感じられた。意識を失ったふりをしようとしたけれど、医療の知識があるのか、瞳孔を確認されてしまって、それも叶わなかった。ただ、そのおかげで結果的に時間を稼ぐことにはなっただろう。どうか、きちんと罰せられますように。こんな世界であっても、罪を犯した人間はきちんと裁かれてほしい。沈みゆく意識の中で、私はそれだけを願っていた。







***







「遊真にちょっと会わせておきたい人がいるんだ」
「ふむ、俺に?」
「玉狛の人ですか?」
「今はそうだね。ちょうど遊真たちが入隊するタイミングで本部に戻る予定だけど」
遊真には、迅のその台詞が嘘ではないことが分かっていた。玉狛の人間にはほとんど挨拶をしたと思っていたが。
「その人も玉狛第一だったんですか?」
「いや?技術者だよ。スカウト旅に行ってる技術者もいるんだけど、それとは別でもう一人いてね」
「そうなんですね」
「ほぼ引きこもってたから、多分会ったことないだろうけど」
迅はそう言って、玉狛支部の内部をどんどん進んでいった。入ったことのない場所まで案内されると、一つのドアを前に、ノックする。
「どうぞ」
「やっほー」
「…失礼します」
「しつれいします」
「はい。……その子が黒トリガーの?」
「うん。そう」
「はじめまして、空閑遊真です」
「初めまして、三雲修です」
「私はレプリカ。遊真のお目付け役だ」
「どうも。私は名字名前です。一応技術者で、ここ一年くらいは玉狛所属ですね。君たちが入隊する頃には本部に戻る予定ですけど、まあ、よろしくお願いします」
「……その、空閑のことって、」
「ああ、大体聞いてます。その黒トリガーについてちょっと調べてほしいって頼まれたので。元々大学で、生体の意識を移植するトリガーとか、そういう研究してたので、私に依頼が来たのかなと思ってますけど」
「うん。合ってるよ。だから遊真さえ良ければ、ちょっと見てもらえないかなって」
そこで名字は遊真を見た。名字の目元には濃い隈が携えてある。暗澹とした色に見えた。迅が紹介するという事は信頼に足る人なのだろう。おそらく近界民である事情も知っているはずだが、そこに遊真への敵意は感じられない。
「うん。良いよ。みょうじさん、おねがいしてもいいですか」
「もちろん。じゃあ検査もしたいんで、ちょっとこっちまで来てもらえますか。あと、その…レプリカさんも」


「まあ、総括すると、なんで今も生きてるのかは不明です。間違いなく生身は死にかけてる。でも生身をトリオン体で形成することで今も生きてるというか…正直、いつ悪化したり調子が悪くなったとしてもおかしくはない。ただ、間違いなく、空閑遊真は空閑遊真として今、ここで生きているし、それは生身が完全に死ぬまで変わらない。……残り時間を算出してあげられないのは申し訳ないけど、現時点ではそれくらいですね」
「…いや、十分です。ありがとう」
「……いえ、仕事なので」
名字は報告を終えると、部屋を後にした。またさっきの部屋でやることがあるのだろう。
「名字さんって、どんな方ですか?」
「うーん、説明難しいな。ただ、良い子であることは間違いないよ」
「良い子、ですか」
「うん。おれの一個下だし、年も近いから、メガネくんたちも仲良くできると思うよ」
「ふむ」
「なるほど……」
「あとは三輪隊が使ってた鉛弾の開発者でもある」
「ええ!?すごい人ですね……」
「そんなすごい人だったのか」
「確かに、ユーマへの検査も、トリガーに対する検査も的確だった」
「実はね」
「どうして本部に戻るんだ?」
「元々本部の人だしね。寧ろ玉狛にいたのがちょっと異例なんだ」
「そんな人が、なぜ玉狛に?」
「ま、大人の事情ってやつかな」
少しだけ迅が憂うような顔をした。嘘は付いていない。
「でも本部からでも、きっと遊真たちを助けてくれる。だから見かけたら話しかけてみな」
「うん、わかった」
「仕事の邪魔になったりしないですかね…」
「仕事してるときは開発室こもりきりだから大丈夫。食堂とかロビーで会うってことは、話しかけて大丈夫なときだから」
「分かりました」
迅はまた、軽薄な笑みを浮かべていた。


遊真が入隊して少しした頃、ランク戦のブースを見ている名字を見かけた。
「お、みょうじさん。こんにちは」
「こんにちは。お疲れ様です」
「ランク戦?」
「そう。たまには実際に技術を使われているところを見ないとね。空閑くんは?」
「おれはランク戦して、今少し休憩しようと思ってたところです」
「そう。食堂のごはん、食べたことある?」
「なんこかは」
「今日、日替わりメニューやってるんだけど、良かったら食べない?奢るよ」
「ふむ。ではお言葉に甘えて」
名字はやはり迅が言うように、思ったよりも甘い人間なのかもしれない。遊真とはあれ以降、玉狛でデータを取ったりしたものの、それだけの関わりだったが、食事をおごってくれるらしい。
「三雲くんと、雨取さんは?」
「いまれんらくしたから、少ししたら来るそうです」
「ありがとう。先に席取っておこうか」
名字はやはり、遊真たちを気にかけてくれているようで、メニューを示しながら丁寧に説明してくれた。三雲と雨取が合流して、二度三度同じ説明をしていたが、苦ではなさそうだった。
「美味しそう。ありがとうございます。名字さん」
「いえいえ。こう見えてボーダー歴は長いので」
「そうなんですか?」
「うん。私ね」
そこで名字がトリオン体を解除した。服がよりラフな格好になっただけかと思われたが、そうではないことがすぐにわかる。名字は右腕で、左腕にあたる部分を持ち上げた。
「大規模侵攻で色々失ったものが多くて、ボーダー提携のところに行ったから、就職先が斡旋されてて、すぐにボーダーに就職したんだよね。ごめんなさい、隠してたわけではないんだけど、言うタイミングを逃してて」
名字は申し訳なさそうにしており、そこに悲しい色は見られなかった。
「いえ、こちらこそ、すみません」
「いや、謝ることじゃないよ。私は全く気にしてないし」
その言葉に偽りはないと、遊真は分かってしまう。名字は本当に気にしたそぶりもなく、食事を始めた。遊真たちにも食べるように促して。
「そういえば、君たちすごいね。開発部にもその名が知れ渡るくらいの活躍で」
「え、そうなんですか?」
「うん。特に雨取さんかな。あれ本部の壁ぶち抜いたじゃん。それ直したの技術者たちだから。技術者はみんな雨取さんのこと知ってるんじゃないかな。その話題でしばらく持ちきりだったし」
「あの…本当にすみません」
「ああ、いや、全然謝ることじゃないよ。トリオンがいっぱいあることって良いことだし。おかげで本部が丈夫にもなったしね。雨取さん、期待のスナイパーってことだよ」
「そう、ですかね…」
「うん。言っておいてなんだけど、あんまり気負いすぎないで良いよ。自分のやりたいように、したら良いから」
「…はい!」
千佳はそう言ってから、あ、と何かを思い出したようだった。
「そういえば、違かったら申し訳ないんですけど、名字さんって、昔フィギュアスケートやってたりしましたか?」
「え?うん。どうして?」
「実は、私の友達がフィギュアスケート好きで、見せてもらうことが多かったんです。その中で、名字さんの名前と、見たことがあるような気がしていて」
「……よく覚えてたね。結構前のことなのに。そうだよ、昔はちょっとやってたから」
「それ見て、すごく綺麗だって思ったので、よく覚えてたんだと思います」
「そっか。ありがとね」
名字は柔らかく、少しだけ表情を緩めた。多分それが、この人の最大の笑顔なんだろうな、と思った。



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