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 試合当日、こっそり見に行った。とても観客が多かった。「キセキの世代」は聞いたことがある。当たり前だ、腐っても帝光は母校であったのだから。青峰はキセキの世代だから、注目されているらしかった。試合は知った顔がいくつかあって、面白かった、と思う。バスケには全然詳しくない私でも、試合展開から目が離せなかった。周りの人が一人一人の状況を話していたりしたのを盗み聞きながら観戦したので、それも楽しめた要因の一つだろう。桐皇は、負けた。青峰は負けたのだ。あんなに大口叩いていたくせに。私が見に来た初めての試合が白星とは、なかなか不運だと思う。私はもちろん彼に勝って欲しかった。ずっと応援していた。だが試合を終えた彼が清々しい表情だったから、良かったと思った。普段、彼がどんな表情でバスケをしているのかは知らないけれど、きっとこれは悪くない顔だろう。良いな、と思う。きっと彼はずっとバスケに夢中だった。練習していなくたって、そうだ。ずっと頭の片隅にバスケがあって。中学の頃からそうだったんだろう。私が知らなかっただけだ。__潮時かな、と思った。
「もしもし、お疲れ。いまどこにいる?」
「……あ?」
私は試合が終わってから彼に電話した。ミーティングとかあるだろうし、出ないかな、とも思っていたが、予想に反して直ぐに出た。彼は私が試合に来ていたことを知って、舌打ちしていた。言われた場所に向かえば、彼は何故ここにいるか分からない、という表情をした。側には桃井さんもいた。でもそれももう、良いんだ。彼にはこっそり来て、見てたんだと伝えた。彼は少し罰の悪そうな顔をした。
「よりによって…」
「良いじゃん。面白かった、見てるの」
大ちゃんが練習したいって言った、と桃井さんが私に伝える。その呼び方が気にならない訳がなかったが、一旦それは飲み込んだ。
「うん、良いんじゃない」
私がそう言ったことが意外だったのか、桃井さんは私の方を見た。
「…止めないの?」
「止めて欲しいの?」
「いやいや!全然!」
「なら良いじゃん」
「もちろん!でも前までは全然言ってくれなかったから……」
「あれは…」
正直に言うか迷って、最後だし、と言うことにした。
「貴女に着いて行かれるのが嫌だったの。それに私が口煩く言って、嫌われたくもなかったし。私と一緒にいて楽しんでるなら、まあいっか、って」
私は彼が寝転ぶ隣に腰掛ける。階段になっているから座りやすくて助かった。彼女は言葉を失って、それから慌てて否定しようとした。
「私、本当に……」
「良いよ、別に。もう分かってるから」
その言葉を食い気味に遮る。
「青峰」
「…あ?」
彼は試合後で疲れたからか、はたまた別の思考に囚われていたのか、閑かだった。
「カッコよかった」
「…おー」
「勝ってたらもっとカッコよかったけど」
「うるせー」
減らず口は相変わらずだ。私はその返事に少し笑ってから、気持ちが変わらないうちに、こう言った。
「うん、だから別れよ」
「…………あ?」
なるべく、何でもないように。彼は目を見開いて、体を起こした。
「練習してたら会う時間ないし。でも別に止めたいわけじゃなくてさ、青峰はバスケしてた方がカッコイイからね」
笑え、私。もう分かっていただろう。ただ彼はバスケをしていなくて、暇だから私に時間を使っていたと。私は、彼のバスケを邪魔してしまうかもしれないと。…そもそも彼ならバスケの邪魔をしようものなら私をあっさり切り捨てそうだ。彼から別れを切り出されるくらいなら、私から言って終わりにしてしまいたかった。未練を残したくなかったから。こんなタイミングで言うことでないことは重々承知だが、まあ大丈夫だろう。彼はもう迷わずバスケをできるだろうから。
「会えなくなるわけじゃねー。今まで通りは無理だろうけどよ…」
彼は別れたくないのだと、よく伝わった。彼は私を見ていた。珍しく、気弱だと思った。試合に負けたのに追い打ちをかけるようなことを言ってしまったなと反省した。タイミングを間違えた。うしろに立つ桃井さんもまた、驚いたようにこちらを見ていた。
「…寂しいから、いや。別れる」
こう言えば、引き下がるだろうと、少し卑怯な言い方をした。彼は私の物言いに面食らったようだった。今までにないくらい、私が彼に甘えたような態度を取ったからだろう。彼は私を引き寄せると抱きしめた。
「…暑い。汗かいてる。イヤ。離して」
「…うるせー」
嫌だと言ったのに、彼の腕の力は強まっていった。
「痛い。暑い。離してってばぁ…」
語尾はだんだん弱まった。何故だか涙腺が緩んでしまって、涙が止まらなかった。
「別れるとか、言うんじゃねーよ」
私だって、別れたくなんかなかった。ずっとそう。中学の頃もそう思っていた。だから別れ話をしなかったんだ。それだといけないと学んだから、だから今回は自分から言い出したのに。
「別に…お前に言われようと練習なんざ行ってなかった」
「…知ってる。当たり前じゃん、私のせいじゃないよ」
「…お前本当は元気だろ。はぁ……ったく」
彼は雑に私の涙を拭う。
「嫌いになんねーよ。そんくらい」
「…分かんないじゃん。言わなかったからそう思うんでしょ。前まではそのくらいイライラしてた」
本当は、彼に練習に行くよう言ったって、私のことを嫌いにはならないだろうと分かっていた。彼は、ハイハイ悪かったよ、と流して言葉を続けた。
「俺から別れ話しないって誓っても良い。その代わり、お前も別れるとか言うな」
「…それ、別れられなくない?」
「おー。何が問題なんだ?」
馬鹿だと思った。
「…馬鹿じゃないの?」
「あん?喧嘩売ってんのか」
この野郎、と少し緩んでいた腕に再び力が加えられた。
「バスケしたら二度と会えなくなる訳でもねーだろ」
「……うん」
結局、私がただ癇癪を起こしただけ、みたいになってしまった。彼女の存在を気にせずに話をしてしまったな、と思って彼女がいるであろう方向に目をやると、そこには誰もいなかった。空気を読んで去ったのかも知れない。さっき、彼女は青峰を連れ戻しに来たと言っていた。ならばこの状況こそ私が青峰のバスケを邪魔している構図なのでは?と思い立った私は直ぐに彼を押し除けた。
「早く戻りな」
「良いんだよ、んなの」
コイツ…と思ったが、元はと言えば私が悪いことは分かっていたので何も言わないでおいてあげた。もし青峰が非難を受けたら、今回ばかりは私に責任があると庇おうと思って。

 試合の翌日、桐皇の練習はなく、彼は出かけると言った。元々は桃井さんをバッシュを買うのに誘っていたらしいけど来るか、と言われて。何となく、彼は私をバスケから遠ざけるような印象だったので素直に驚いた。そこに桃井さんの名前が挙がっているのも、それを飲み込むのも慣れてきた。気に入らないけど、二人きりにするのはもっと気に入らなくて、「行く」と返した。当日、彼が家まで迎えにきた。桃井さんとは店の近くで待ち合わせる予定だった。店まで向かおうとしたとき、彼は誰かから連絡を受け、目的地を変えた。「テツ」と言っていたから、もしかして、と思ってその場所へ向かうと、案の定よく見知った顔だった。
「…どうも」
「どうもじゃねーよ。いきなり呼び出してどーゆーつもりだ、テツ!」
「やっほー」
「名字さんも一緒だったんですね」
「…"も"?」
「はい、桃井さんは一緒じゃないんですか?」
「は?うるさくなりそーだからおいてきたよ。てか何で一緒にいたって知ってんだよ?」
「……『大ちゃんにデート誘われたから行ってきま〜す♡』と連絡が」
「誘ってねーよ!何言ってんだあのバカは…」
その会話に混ざらず、顔を強張らせた私に気付いたのか、黒子はその会話を直ぐに畳んだ。
「……単刀直入に言います。青峰君、ボクにシュートを教えてください」
「…あん?」
黒子は青峰にシュートを教えて欲しいと頼んだ。何やら揉めていたようだったけれど、結局直ぐに彼もやる気になったようだった。私はそれをぼーっと眺めながら考えていた。私は彼の何なのだろう。いや、分かっている。彼女だ。そして彼は私の彼氏だ、多分。彼が私のことを彼女として好きなことは分かる。けれど彼女って幼馴染より下なんだろうか。過ごした時間が違うから?だとしたら永遠に私は彼女の下なのだろうか。それは嫌だな。彼は何度も「違う」と言ったけれど、行動が全く伴っていない。結局彼の一番近くにいるのは彼女だし、それを私以外の誰もが疑問に思っていないようだった。それが、苦しい。「好き」という感情だけでは一緒にはいられないのだと、そのとき初めて知った。
 今日はこれで終わりなのか、彼らは帰る用意を始めた。
「名字さんはまた試合見に来るんですか」
「え?あーどうだろ」
どっちでも良かった。黒子たちが勝つかどうかは若干気になりはするものの、見に行かなくても支障は出ないくらいだ。ただ、見に行っても知識がないから彼と一緒に観に行くのは得策ではないかもしれない。
「青峰は?」
「俺は行かねーよ、多分。さつきに引っ張り出されなきゃな」
また"さつき"か。良い加減にして欲しかった。そもそも私が昨日別れを口にしたのだって、それが原因の一つなのに。
「ふーん…じゃあ私も行かないかも」
「そうですか」
「うん。でも会場にいなくても応援してる。頑張って」
「はい、ありがとうございます」
「あ、火神にも。応援してるって」
「伝えておきます」
「オイ、ちょっと待て。何で名字が火神の野郎を応援すんだよ?てかお前らそんな仲良かったか?」
「うちのバ先の常連だしね」
「そうですね」
「…聞いてねーぞ」
「うん、聞かれてないから」
「お前な…」
青峰は参ったように頭を抱えた。火神がうっかりこぼして前に聞かれたことがあったから、知っていると思っていた。だが実際は"店で会ったことがある"程度でまさか常連で仲が良いとまでは思っていなかったらしい。
「お前、明日の試合絶対来るなよ」
「え?うん、行かないって言ったじゃん」
「俺が行くってなっても来るな」
「は?何それ」
桃井さつきと二人で観戦した方が良いから?私は邪魔だって?
「青峰君。嫉妬するのはわかりますが、その発言は誤解を生みますよ」
「テツ!」
「そんな言い方だと名字さんも不安になるでしょう」
「黒子……」
桃井さんが黒子のことを好きな理由が少しだけ分かった気がする。彼はよく人のことを見ていて、そして気遣いのできる人だ。それは誰に対しても、であって彼女に特別向けられた好意ではないだろうが。
「……ありがとう、大丈夫。青峰、ウィンターカップが終わって…落ち着いてからまた会おう。今は話す気分じゃない」
「チッ…わーったよ」
彼は何か言いたそうだったが、先に制した。今はとても冷静になれそうになかった。痴話喧嘩に巻き込んでしまって申し訳ないな、と黒子に「ごめんね」と言えば、何でもないように「大丈夫です」と言われた。「何かあったら連絡してください」と、連絡先を交換した。そこで初めて、私たちが互いの連絡先を知らないことに気がついた。青峰は不満気だったが、その場はとりあえず収まった。彼らは明日からもシュート練をするようだったけれど、私はそれにはついていかなかった。試合の結果は気になったが、中継を見るようなこともしなかった。バイトがある日は働き、家にいるときは出かけずにずっと家にいた。寝転び、耐え忍ぶように過ごしていた。

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